偏愛極私的感傷遺話

お気に入りの音楽が纏う極私的来歴に暫しお付き合い下さい

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ママス&パパス
カリフォルニアドリーミング
夢のカリフォルニア
 
私がこの曲を聴くようになったときは、すでにナツメロの部類だった。
フラワームーブメントは昔日の名残、遠くカリフォルニアの抜けるような青い空を夢見る、そんな曲想はちょっとセンチメンタル。
 
 
「わたしの夢は、キャベツ畑の真ん中にちいさなお家。」
その人は言った。
二十歳も過ぎ、アンニュイに組んだ脚の上でラークを燻らせつつ言うようなことではないけれど、艶やかなメイクの下に少女の笑みを垣間見せながら・・・
続けて、その人は聞いた。
「あなたの夢は?」・・と
 
真っ赤なフェラーリ、ブラバムアルファロメオ、サファリを疾走するランサー
あるいは一冊の詩集・・・などと答えればよかったのか。
 
私は答えなかった。いや、答えられなかった。
 
「私の夢は、あなただ」・・・などと歯の浮くような科白を口にできるほど擦れてもいない。
まして、一浪一留の三流私大を、何をする当てもなく、じき追い出されんとする二十歳もとっくに過ぎた男に、どんな夢を語れと言うのだろう。
 
「夢の力」というが、夢に向かって進める歩みの、如何な小さなものであれ、その歩みこそが力であって、無為のままに過ごす者にとっては、年を経るごと「可能性」が減じてゆくばかりなのだった。
 
ともあれ・・・
月日は流れ、流れて、キャベツ畑の代わりに、いけ好かない姑のばあさんがばっちぃプランターを並べ、菜っ葉をつくっている裏庭を眺めながら、さて昔日の少女は・・・
 

ドリームキャッチャー

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Secret Garden
Dreamcatcher
 
Dreamcatcher”・・・
ネイティブアメリカンのおまじない、蜘蛛の巣を模した魔よけのお守りで、悪夢を取り払ってくれるというもの。
“ノクターン”から始まる音楽の方は、悪夢とは無縁のニューエイジ系CD。脱力BGMにはよろしいようで。
 
「悪夢」というと・・・記憶に残る悪夢がある。
高校の木造校舎が建て替えのために取り壊しになる夏休みのこと。東京の親戚の家でみた夢は、取り壊しが始まっているだろうその屋根裏に死体を隠した、というもの。ただ、隠したその行為を夢に見たというわけではなく、それを事実として認じ、それがバレるという恐怖を夢に見て、起きてからも、しばらくの間隠したことが記憶なのか夢なのか判然とせず、小心な高校生は司直の手にかかる恐怖に慄いたのだった。
 
もちろん平々凡々の高校生活に殺したいほどの相手がいたわけでもなし、当然のこと隠した死体の身元も知れない。窓際の板壁を壊してパーソナル教科書置き場にしたり、それなりに愛着もあったけれど、壊されていく木造校舎に然程の思い入れがあったとも思えない。それでも、それほどに後ろめたさを感じなければならなかったのは、ハイティーンの己が心の闇に慄いていたのだろうか。
いや、遠く過ぎこしてみれば、取り壊された木造校舎こそは旧き良き「昭和」そのものであったかのよう。その屋根裏に隠した死体こそは、
 
さて・・・
以前、入院して手術を受けるという数日前のこと、珍しいことに今は亡き義父が夢に出て、家に帰ろうとしていた私をつかまえて
「帰る前に海老を食っていけ」という。
義父に誘われるままにフレンチレストランに入り、なぜかコリアンのフレンチシェフが鉄板で調理した特大車えびを喰った。
 
現実の世界では松阪牛のステーキやら鉄板焼き、すきやき、と義父には一通り美味いものをご馳走になったが、伊勢海老ならともかく、「特大車海老」とは、また夢らしいといえば夢らしいところ。家人によれば、海老はとっても縁起の良いモノゆえ、義父が手術の無事を祈ってくれたのだと喜んでいたから、いいのだけれど。
まぁ、悪夢というよりは変な夢といったところ。
 
で・・・全身麻酔で受ける手術、その間にどんな夢を見るのか少しく楽しみにしていた。わくわくしながら麻酔の効きに意識を抗わせていたのだけれど・・・執刀医の言うとおり、麻酔が効いてから次の瞬間には覚めていた。
死もまた斯くの如し、か。
 

宙(伊福部昭)

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宙−SF交響ファンタジー 
伊福部昭
 
チューバだのホルンだの勇壮な響きとともに、ゴジラ、地球防衛軍・・・おなじみのフレーズがちりばめられる。しかし、伊福部昭の曲想は哀しみのフレーズを底流にのぞかせて。
 
作曲家「伊福部昭」が語られるとき、土着的な・・・というのがキーワードか。それは、父親が官吏として赴任し、ために幼少期を過ごした北の地での、アイヌの人々との交歓で染み付いたという。北大を出て林業関係の官吏となるが、作曲家への道を諦められなかった。昔のこととはいえ、音大を出ていない作曲家に“業界”は冷たかったが、アレクサンドル・チェレプニンというロシアのピアニストの作曲コンクールでの入賞がきっかけで、作曲家の道を歩むことになる。
官吏の副業としての作曲は、やがて映画音楽の黎明とともに商業的成功に恵まれ、最後は東京音大の学長として音楽家人生を終える。・・・長寿とともにめでたしめでたしの音楽家人生か。
 
で、ゴジラ・・・
ゴジラを初めて観たのは、TVでの映画放映だった。フィルムを感じさせる白黒の暗い画面。小学校の低学年だったろうか。日曜日の午後。外界の明るい日差しと、小さな暗い画面との対比が記憶に残る。海も空もグレー、火花も炎も白く・・・それでもガキンチョにとって異形の怪獣は十分に迫力があった。
 
その「怖さ」はいちばん古い“夢の記憶”につながる。
当時住んでいた三軒長屋の脇の道、堤防に続くその道の向こう、昼夜を問わず煙を吐き続ける工場の向こうにゴジラが出現した。寝坊が許される休日の朝。寝床の中で恐怖を反芻しながら、どこへ逃げようか足りない頭で思案している記憶が残っている。で、夢の記憶もやっぱり白黒。
 
というわけで
子どもたちは東宝の特撮映画が大好きだった。子どもたちの長期休みに合わせて、東映、大映、日活までも怪獣映画を競って撮った時期があった。
そのいくつかをスクリーンで観た。場末の2番館、3番館で。或いは夏の夕刻、近所の公園に設えられた白布の上で。
蛾のお化けがモスラ、カメの怪獣がガメラ、河童の怪獣でガッパ、ハニワの化身が大魔神、キノコのお化けがマタンゴ・・・得意のピアノ線とミニチュアに着ぐるみの特撮は、いま見れば“子供騙し”。でも“子供騙し”に騙される子どもたちはシアワセだった、と思う。(・・・懐古趣味に過ぎるのか)
 
そんな特撮映画の中で、長じてからも強く印象に残っている場面がいくつかある。
中でも「海底軍艦」のラスト、ムー帝国の女王が海底軍艦“轟天号”によって潰えた帝国の終焉、燃えさかる海に飛び込む場面がイチバンか。その気の強そうな女王のエキゾチックな容姿は、これっぽっちも色気に縁のないはずのガキンチョも強く惹かれたのだった。
(後々DVDで観たその容姿は、特別“美人さん”というわけでも・・・あ、失礼)
 
「サンダ対ガイラ」の“暗さ”も特筆に価する。が、そもそもゴジラや他の多くの怪獣の出自(?)は核実験だったり、ヒトの業を背負わされていたりしていて、単純に侵略宇宙人の手先で悪者、とは言い難かったりして。
 
さらに・・・自己犠牲をヒロイズムの最高のものとする姿勢は、ハリウッドのネアカヒロイズムの対極にある。
 
そんな・・・暗い画面に似つかわしい曲想は、“戦後”を引きずっていた昭和、さらには少数民族アイヌの“滅び”を内包するがゆえの哀調だったのではなかろうか。
 
そうそう、余談だけれど、有名なゴジラの咆哮はチェロなんだそうだ
 
 
 
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Handmade Hindi Zahra
 
彼女の出身はモロッコ、ベルベル族なんだそうだ。作詞作曲、演奏、ジャケットのアートワークまで自分でやっているから“Handmade”
購入した輸入盤のジャケットはPOPな感じの・・・日本で売るならやっぱり↑こっちのモノクロ・ミステリアスな方がいいんだろうなぁ。
 
中身はシンプルなリズムワーク、アンプラグドなテイスト。
懐かしさを感じるのは、時代に媚びてないように聞こえるからだろうか。
毒気を抜いた、あるいは分別のあるブリジットフォンテーヌといった風情を想起するからかもしれない。
そういえば、売らんかなの惹句に彼女を評して“ビリーホリディの後継”というのが目に留まった。当方ビリーホリディに馴染みはないし、それほどジャジーとも思えないから違和感を覚えるけど、他で見かけた“ジャンゴラインハルトとビリーホリディの子”ってのは、違和感以前にどうかと思うぞ^^
 
で、きっとイチオシの“Beautiful Tango
シンプルで美しい1曲。
 
Beautiful tango, take me by the hand
Beautiful stranger, take me by the hand
 
Come to the place where the skin speaks
A secret words in spanish
 
淡々とした展開の中に、昇りつめて行く想い
タンゴはやっぱり大人の、その会話を楽しむには少しばかり熟成を要する
のかもしれない。
 
さてここで
モロッコの公用語はアラビア語、第二言語がフランス語。
(彼女の言語はベルベル語)
このCDのレーベルはフランスのブルーノート
・・・で、なぜに歌詞は英語・・・
彼女の紹介記事の中に
「アフリカ系アメリカ人の音楽を好み」とあるからか・・・
曲目Our soul”の歌詞はベルベル語なんだそうだけど、出自からしてフランスにいても仏語に愛着はないのかもしれない。
 
ま、彼女が働いていたというルーブル美術館にもマックが進出しているご時世だからね。それに、仏語では何を歌っているのかきっと当方には理解できなかっただろうし。
 
でもなぁ・・・ちょっと惜しい気もするなぁ
ブツ仏ブツ・・・
 
 

前項よりつづき

こんなこともあった。
給食の時間、給食当番が先生のフォークをつけ忘れた。それに対して先生が給食をひっくり返して怒る・・・ま、星一徹おやじがちゃぶ台をひっくり返すようなものか。
給食を目の前におあずけをくって、延々と説教を聴かされるガキンチョたち。そんなことぐらいでこんなに怒りまくるか、と子供心にも理不尽さを感じながら、目の前の給食を見つめるばかり。粘着質の先生の説教はいつ終わるとも知れず続く。腹の虫が鳴き始めれば、その説教はもう耳には届いていない。
どんなオカズだったのか覚えていないが、俯いた顔から目だけを動かして、うらめしげに湯気の消えた給食を眺めていると食べたい気持ちが抑えきれなくなってくる。教室の真ん中より後ろでも、説教がガキンチョたちの頭上で渦巻いている中で、オカズはもちろんのことパンの端っこにすら手を出す勇気は出なかった・・・その時、ふとパンに添えられた四角いチーズが目についた。当時、チーズは私の大嫌いな食べ物だったが、思わずそれを手にとって、俯いた机の下でそぉっと銀紙を剥くと、指で削ったひと欠片をすばやく口に入れた。おっかなびっくり舐めるように小さなかけらを舌の上でころがすと・・・プロセスチーズの塩っけが口の中に広がる。あ、チーズってこんなに美味しいんだ、と思った。
「空腹は最高のスパイス」(byさくらinのだめ)・・・以来、チーズが好きになったから先生のちゃぶ台返しに感謝しなくちゃ・・・とはいえ、美食を重ねてもカマンベールだのヤギだのといったディープなチーズより、チープなプロセスチーズが一番、というのは微妙な感じか^^

それにしても・・・どんな説教だったか皆目覚えていないが、よくもまぁそこまで怒れるというのは、すごいエネルギーだなぁ、と今でも感心してしまう。

そんなに怒りまくる先生でも、どんな生徒にも体罰というものはなかったと記憶しているが・・・一度だけビンタをくらったことがあった。

卒業式を間近に控えた時期のこと。隣のクラスとクラス対抗でケンカすることになった。でも、どんな諍いが原因だったのか・・・きっと、しょうもないことだったのだろう。
こなたのアタマEくんは堂のいった不良顔、隣のクラスのアタマTくんは正義感の強い横綱顔といったところか・・・どう贔屓目に見ても「善いもん」は隣のクラスだったのかなぁ。放課後に学校の裏手の公園、普段野球ごっこに明け暮れている場所に、両クラスの男子生徒ほぼ全員近くが集まって始まったケンカは、柔道の乱取りのように一対一になって・・・それはそれは、のどかな光景だったように記憶に残っている。

アタマ同士はガチンコに近かったのかもしれないが、それ以外のガキンチョたちは、クラスの仲間だし、なんだか面白そうだし、ってな不真面目な動機で集まってものばかり。まぁ、アタマ同士のどちらかがマイッタとなればそれで終わりとなったのだろう。
カオスの縁で私も隣のクラスで仲の良かった友達と四つに組んで、投げ飛ばそうと思えば難しくはない相手と・・・それはアリバイ作りのような取っ組み合いだった。昔は小学校の土地も持ち物だったという大地主の息子で、一見してひ弱な“頭でっかち”の彼とは、低学年のころから彼の家で遊んだ記憶がある。シックな洋館の彼の部屋だったり、彼の祖父母が野良着で畑仕事をしているすぐ横の屋敷の庭だったり。彼が私立の中学へ進んだ後は、一度も会っていない。過日その辺りを通りかかった折に、昔日の洋館の隣、やはり立派な家の門に彼の表札が掛かっていたのを見て、私が離れたその地で何十年の時が流れていたことを実感したのだった。
「住む世界が違う」と言うと大時代的だけれど、記憶のどこを探しても、そこに「格差」を感じていた風を微塵も見てとれないのは、ガキンチョの世界が健やかであったからか。「格差」の意識は、いつの時代にもついてまわるのだけれど、過剰な消費欲求に晒されていないガキンチョの世界は、歴然とした「格差」が存在する現実世界の縮図ではなかったのだろう。
ま、これが男女の仲であれば、センチメンタルな想い出となるところなんだろうなぁ。

取っ組み合いが始まって間もなく先生が駆けつけた。
そりゃぁそうだろう、だって学校のすぐ裏、廊下の窓から丸見えの公園なんだから。
申しわけ程度に土ぼこりで服を汚したガキンチョたちは、駆けつけた先生に早速一列に並ばされ「ぱんぱん」と、順番に一発ずつ頬を張られた。乾いた音がガキンチョたちの列を伝う。手加減された「けじめ」のようなビンタは、大して痛くはなかったのだろう。そこに理不尽さを感じることはなかった。それどころか、何だかうれしかった・・・というと変だけど、仲間に混ざることの本能的な心地よさを感じていたように思う。しかしやがて盲目的に寄り集まることへの疑義を、少しずつ認ることになることを考えれば、それはガキンチョにとっても幼少期からの「けじめ」でもあった・・・とはノルタルジックな感傷に過ぎるのか。

さて・・・
かの担任は、その年度で学校を替わっていった。
もしかしたら、ガキンチョたちの知らないところで父母の反発があったのか、それとも、自身の熱意を吸い尽くして茫々已然、沙漠に対するような徒労に疲れ果てたのか・・・今となっては、知る由もない。

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