小説・回顧録

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 今日は12月24日。世界的にはクリスマスイブだが、俺にとってはおふくろの命日である。
 街はイルミネーションに溢れ、建物が紅葉してるようにも見える。家路に向かう人達の笑顔が、なんだか妬ましい。

 1年前のクリスマスに、俺は高校の制服で告別式に参列した。父親の静かな涙を、他人行儀に眺めていたっけ。絶望感でも悲しみでもない、抑圧された平坦な気持ち。なにひとつ受け入れることのできない俺にとって、おふくろの告別式はただの行事でしかなかった。1年経った今も俺の心が揺れ動くことはない。真っ平らで、真っ白なんだ。
 おふくろは白血病という病気で死んだ。病院に入院したと思ったら、急変と悪化を繰り返し、瞬く間に帰らぬ人となった。何もかも置き去りにして、何も言わずに
 あの日を境に、俺は拠り所のない不安定な感情を持て余した。不良と呼ばれるグループに入り、無駄に時間を浪費した。何かを恨まなければ、まともに生活なんてできなかった。壊して壊して、周りも自分も壊して、あがきながら生きてきたんだ。

 夕方近く、久しぶりに家に帰ってみると、父親がタンスの前に座り込み、何やら整理している。おふくろの服と茶封筒が目に入る。父親が熱心に読みふけっているので、肩越しに覗き込んでみる。メモのような紙に、つたない文字で「ラジコン」と書いてある。まぎれもなく俺の字だ。小学校1年生かそれとも幼稚園の時か?他のも見てみると「ぜったいテレビゲームをください」とか「サンタクロースさんギアつきの自転車をおねがいします」と書いてある。思い出した、これはサンタクロースへの手紙だ。毎年クリスマスが近づいてくるとおふくろが俺に書かせていたものだ。それを大事に保管していたらしい。当時の純粋な俺は、おふくろに渡した手紙がサンタクロースに届き、クリスマスの夜にプレゼントとしてくれるものと信じていた
 そう…信じていたんだ。

 いつからサンタクロースのことを信じなくなったのだろう…

 父親が俺に気づいて、珍しく話しかけてきた。
「おい、今日はクリスマスイブじゃないか、また手紙書いてみるか?」と封筒の中から一番古そうなメモを差し出す。
「バカじゃねぇのか?」と一蹴する。おふくろが死んで頭でもおかしくなったのか。だが一向に差し出す手を下げない。下から見上げてくる目が何かを訴えてくる。
「ちっ…」しびれを切らして、メモを奪い取る。しわくちゃになった小さなメモに目を落とす
 一際、ゆがんだ大きな字で「だいすきママ」と書いてある。

 突然、何かが外れるような音が体の中に響いた。手先がしびれる。頭がぼーっとなって、リビングのイスに座りこむ。ここはおふくろの席だ。願い…俺の願いって何だ?
テーブルに転がる鉛筆を、しびれた手で掴む。そして勇気を振り絞って、震える手でメモに“願い”を書く。

「だいすきママ」の下に時間を超えて、続きを書く。

「だいすきママ…を返してくだ…」指が止まる。堰を切ったように涙が溢れ出る。字が見えなくて続きが書けない。嗚咽が、静かで薄暗いリビングに響き渡る。涙と鼻水がテーブルの上に落ちる。悲しい感情がフラッシュバックのようによみがえる。封印していた心の扉が開いたみたいだ。親父が後ろから肩をさすってくれる。両肩をさすってくれる。親父も一緒になって泣いてるみたいだ。

 気がつくとリビングのソファーで横になっていた。毛布がかけてある。親父はいない。時計の針を見ると夜中の一時を差している。今日はクリスマスだ。仏壇のおふくろの写真を見る。いつも笑顔で微笑んでいる写真。急に写真が語りかけてくる。
「強く生きなさい、私の分も生きなさい
 思い出す。小学校6学年になった俺に「今年もサンタクロースへの手紙を書いたら」と言うおふくろ。「そんなもんいねぇーよ」と突っぱねた。反抗期の始まりだったのかもしれない。あの頃からかな、おふくろと話す機会が減って、友達と話すようになっていったのは。

 いつからサンタクロースのことを信じなくなったのだろう
 いつから親のことを信じなくなったのだろう…

 あの時に少しさみしそうな顔でおふくろが言った言葉がよみがえる。
「信じる人にしか、サンタクロースはやってこないんだよ
信じる人にしか…

おふくろ…俺、信じるよ、サンタクロース。そしたら必ずおふくろは帰ってくる。俺の心の中に、いつでも、いつまでも。

 その日の夜、久しぶりに家族三人でクリスマスパーティを開いたんだ。俺と親父、そして見えないおふくろと一緒に、三人で。チキンを頬張りながら、親父と久しぶりに笑って話したんだ。

END

あとがき〜


 今回の小説は最終話の最後の件、ボクが友だちを見送るシーンから書き始めました。その時にイメージを膨らませすぎて、思わず「うるっ」ときてしまいました。別れ際の映像が私の脳裏にはっきりと焼き付けられていて、昔の小学生の自分を今の自分が抱きしめているシーンを忠実に再現できたからです。
 その抱きしめている自分は、今の私からすれば、すでに過去の話になっています。小さな自分を抱きしめている自分を見ている自分。この場面(シーン)だけでも、自分が三人もいる。
 そうなんです、自分ってたくさんいるんです。

 しかしまあ、自分の過去に感動するのも、恥ずかしい話です。作家の小川洋子さんは、「小説は書き手の感情を入れない方がうまくいく、感情は読み手が感ずるものである」と話しています。感情を詰め込み過ぎの私小説になりました、、、

 今回、昔の記憶を文書化することによって、無意識の中のまどろんでいる世界を少しは掘り起こせたような気がします。曖昧な脳の中の一画を整理したような、そんな気分です。

 ストーリーは事実ですが、多少色をつけたり、わざと面白くなるように書いています。
 しかし当時のことを忠実に書くこと自体が不可能な作業であり、事実なんてこの世の中には、あってないようなものなのかもしれません。だって誰も今ですら忠実に表現できないのですから。ビデオカメラで今を撮ったとしても、それはすぐ過去になってしまい、今ではない。そしてビデオカメラに映っていない今は表現できないわけですから。今はその人の中の、その一点にしか存在できない瞬間的なもの、目には見えないものなのかもしれません。感情や、感覚、要するに「感じること」しかできないもの。今という一瞬は共有できても、過去という記憶は共有できない。わけが分からなくなってきました。

 第一話でクワガタとりを「任務」と書きました。任務とは「責任をもって果たすべきつとめ」とあります。それは三人という手段形成が遊びを任務にしていたのではないかと思うのです。集団という強制力が働くことにより活動はより楽しいものになっていく。敢えて自由を手放し、自由を求めるわけです。(これが長渕剛/ステイ・ドリームの「尽きせぬ自由はがんじがらめの不自由さの中にある」という歌詞と似ています)
 集団という複合体の、調和・不調和を楽しんでいたのかもしれません。日本人は「和」が好きですから。自由では、そして一人では、こびりつくような感動が生まれにくいのかもしれません。

 今一度、小説に沿って昔のことを振り返って考えてみると、アスファルトで舗装された道路と、土の道(轍)の境が、自然界と人間界の境ではないかと思います。この自然界に入るとデジャビューがよく起こる。あれこの景色見たことがあるな、匂ったことがあるな、感じたことがあるな、懐かしい気がする。それはもしかしたら前世のときに見たもの、感じたものかもしれません。そんな五感に触れる感覚を常に大切にしてもらいたい。
 人は生きているんじゃない、生かされているんだということ。

 人は自然界の中では全くの無力です。恵み与えられ、従わなくてはならないことがほとんどです。今回の地震でも、それを強く感じました。そんな制約の中で生きていくことが、本来の形なのかもしれません。制約が我慢できず便利な生活を求めて、人は自然から乖離した場所に街を作った。しかしそれは自由という名の逃避でしかなく、結末は惨めなものになりそうです。先ほども言いました、不自由さの中にしか、自由はないのだと。
 山の道を歩くのはいつも大変です。大きな水たまりがあれば、人はよけて通らなくてはならない。私は、そういった数多くの大切なことを、無意識のうちに自然から学んでいたのです。では今の自然から乖離した生活をしている子供達は、誰からその大切なことを学ぶのでしょう?
 人が真ん中ではない、自然が真ん中なのである。
 
 今回、山登りと人生を掛けて表現しています。行きはよいよい、帰りはこわい。
登る時は後ろを振り返らないものです。発展途上の段階では夢中で気づかないことが多い。山頂が近づくにつれて、今まで登ってきた道を振り返る。そして頂上では最高の景色を楽しみ、下りは常に下に意識を向けて転ばないように歩いていく。だから下りは坂だから早い、、、
 まさに人生そのものといえます。
 でもこうも考えることができます。山を下りても、また別の山を登ればいい。または、とんでもない大きな山に挑戦して、山頂でピリオドを迎えてもいい。
 そして、下りだって足下ばかり見ずに、壮大な景色を見ようじゃないか。恐れずに顔を上げよう。
 上を向いて歩こう。


スティーブン・キング
「なににもまして重要なことは、なににもまして口に出して言いがたいものだ」


 最後まで読んでくれてありがとう。
 たそがれ


 帰りは下りなのでとても早い。三人は電車のように着かず離れずの一定距離を保ちながら細い道に沿って駆け下りる。途中に休憩を一回も取らないので、30分くらいで下りてしまう。号令をかけなくても、三人のうちの誰かが急に走り出す。負けずに他の二人も続いて走り出す。背中のリュックが激しく上下に揺れる。三つのリュックが演奏するように揺れる。
 帰り道は何を話しても何だか寂しい。帰り道とはそんなもんだ。だから三人とも自然に口数が少なくなる。それでよかった。ほんの少しの寂しさを一回一回、その小さな体で受け止めていたんだと思う。

 人生に折り返し地点があるのならば、やはり帰り道は寂しいのかな?と思う。

 自然界から人の住む町まで下りると、舗装されたアスファルトの道路になる。人工物に囲まれた細い裏道を通り、三人がそれぞれの家へ帰るための最後の分かれ道で、いつものように「クワガタ分配会議」が開かれる。会議と言ってもジャンケンをして順番に好きなクワガタを選んでいくというシンプルなルールだ。今日の戦利品はノコギリクワガタ(水牛)三匹とコクワガタ二匹、カブトムシ三匹だ。ジャンケンで一番になった人は、今までの分配会議の内容をなんとなく思い出し、いつも三人の持ち合わせが均等になるようにクワガタを上手に譲り合っていた。それは誰が決めた訳でもなく、ごく自然な成り行きだった。僕はその分配会議のジャンケンが別れのジャンケンのようで、何だかあまり好きではなかった。

 別れるときは、いつもボクが二人を見送った。ボクの家がそこから一番近いから?いいや、ボクは見送られるのが嫌だった。だって自分から、最初の一歩を踏み出さなくてはならなかったから。二人がおちゃらけで何回も何回も振り返り、ありったけの声で叫ぶ。
「バイバーーーイ」
「バイバーーーーーーーイ」
 ボクは交互に向きを変えながら、その声に応える。
「バイバーーーーーーーーーーーーイ」
「バイバーーーーーーーーーーーーーーーーイ」
 そのありったけの声は、町中に響き渡り、次第に大きく長くなっていく。
 明日になればまたすぐに会えるのに、何だか永遠の別れのように、時の流れを惜しんでいた。一日一日が断片的で、一回一回けじめをつけていたように思う。その日その日を大切に生きていた。だんだん小さく遠くなっていく声を一生懸命に拾いながら、寂しそうに全身で手を振るボクの姿を、今でも鮮明に覚えている。

 別れとは、いつの時代も、寂しいもんだ。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

 たまに実家へ帰ったときに、クワガタをとりに行ったあのクヌギ山を眺めてみる。こんなにちっぽけな山だったかな?と思う。あんなに足繁く通った駄菓子屋は、今はもう跡形もなく荒れた空き地になっている。帰りの裏道を通って、こんなに細くこんなに狭かったかな?と思う。今が一人だから、そう思うのかもしれない。当時よりも大人になって、視点が高くなったからそう思うのかもしれない。裏道は静まり返り、当時のことはすでに何もかも忘れてしまっているようだ。
 三人だからこそ、あんなに遠い山のてっぺんまで行けたのかなと思うと、人は一人だと……なんだか心細い。

 僕もあの二人の友達も、今はもうこの街には住んでいない。
 みんなでジャンケンをして別れていた、別れ路に立つ。
 あの時の小さく遠くなっていく二人の後ろ姿を思い出す。
 二人の後ろ姿をいつまでも見送る小さなボクの姿も……。

 人生は、昔に戻ることなんて出来やしない。
 ましてや、あの頃の気持ちに戻ることなんて……。

 僕は、いつまでもいつまでも二人を見送る寂しそうな小さなボクを……
 後ろからやさしく抱きしめた。



エンディングムービーへつづく↓

フ?ロク?ムーヒ?ー



 クワガタ捕獲ポイントでは、なぜだかみんなひそひそ声だ。そんな緊張した空気が張りつめた中でも、三人のうちの誰か一人が必ず「オオカミ少年」に成り下がる。
「うわー、何か来たぁー!」他の二人はすぐに騙されて、辺りを警戒する。
「嘘だよーん」その度に緊張の糸がプチプチと切れる。しかしおちゃらけもそう長くは続かない。すると友達の一人が不意に野生的な表情に切り替わる。
「しぃっ」人差し指を立てて口に当てる。それは本当にヤツがやってくるかもしれないというサインだ。三人は耳でヤツの位置を特定しようと全神経を集中させ360°捜索する。そしてその場をすぐに離れるか、そのまま待機するかを瞬時に選択しなければならない。確かに「ぶーーーーん」という音が微かに聞こえてくる。

 どこからともなく飛んできたヤツは、そのまま用心深くピストルを構える友達の背中に、ぴたりと止まった。
「うわーーーーーーーーーー」
 友達は恐怖顔で後ろも見ずに叫びながら逃げ始める。
「ハチが、とまった」
「ヤバい、ヤバいー」

 確かに……
 静まり返ったこの薄暗い雑木林の中、極限の緊張状態では、ヤツが飛んでくる音とスズメバチの羽音を間違うこともある。
 ヤツ?
 そう……カナブンである。
 ボクは別の角度から距離を保ち冷静にそれを見ていたので、それが明らかに深緑色をしたカナブンだと確認できた。第一スズメバチは無用に人の背中になどとまったりしない。
 ただボクは、なりふり構わず必死になって逃げ出す友達を見送りながら、笑いを押し殺して、こう叫んだ。
「ヤバい、刺される、早く逃げろ、絶対に刺されるー」
 まさに悪魔の化身とはこのことである。
 ボクのやけに落ち着いた悪魔のようなニヤケ顔を見て、ラケットを持つ友達もそれが緊急事態ではないことを察知し、ピストルだけ持って走り去る友達を可哀想な目で見送る。そして残された二人は顔を見合わせて、腹がよじれるほど笑い転げた。笑い過ぎで目には涙が溢れていた。

 どのくらいの時間走って逃げたのだろう、ピストルを持った友達はしばらく帰ってこなかった。そしてようやく疲れ果てた表情をして戻ってくるなり、ボクの顔を見て野球のセーフのゼスチャーをした。
 そりゃーそーだろカナブンだよ、と思いながらも、   
「大丈夫だった?」と、友達の派手な逃げっぷりを十分にねぎらう。
 逆に友達は興奮覚めやらぬ様子で一連の災難を、スズメバチに襲われたけどダッシュしてギリギリ逃げ切った〜、のような武勇伝に仕立て上げていた。それでもしばらくは本当のことを言わないでおこうと、もう一人の友達と帰りながらに約束した。
 結局この日は、オオクワガタを一匹も見つけることが出来なかった。でもそれは思ったほど悔しいことではなく、また三人で挑戦しようという明日(未来)に繋がっていた。

 大人と子供の絶対的な違い、それは笑いの量ではないかと思う。大人になると笑わなくなる。仕事をしながら家事をしながら一人で笑っていたら、変な人だと思われてしまう。人は一人で泣くことはできても、笑うことはできない。
 その頃はどんなことでも、三人で遠慮なく笑っていた。そう心の底から自然に笑っていたんだ

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

「また昔のように心の底から笑えること、あるのかな?」
 今度はこっちから質問してみる。
 小さなボクは何も答えず、屈託のない笑顔でこちらを見ている。
 いや。もっと先の何かを見ている。
(そうだ、未来を見ている……)
(彼にはこれからという、未来があるんだ)そう思った。
 それに比べて、過去ばかり見ている自分を情けなく思った。
 僕は、自分というもう一人の小さなボクを、初めて羨ましいと思った。


明日、最終話。第六話へつづく


 クワガタとりが命がけである理由……それはスズメバチである。スズメバチは樹液が出ている場所に集まってくる。クワガタ捕獲ポイントに着いて一番先にしなければならないことは、双眼鏡でスズメバチの有無を確認することだ。もし運悪くスズメバチの姿を確認できたなら、気配を悟られないように静かに一端退却し、すぐさま作戦会議に入る。誰が近づき、スムーズに「おいとま」して頂くように働きかけるのか?
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 そこで一人の友達はリュックからバトミントンのラケットを、侍のように取り出す。ラケットの攻撃力は非常に高い。当たる面積はそこいらの木の棒よりも数十倍広く、最悪の場合はそれを振り回す。ただリーチが限られているので至近距離専用武器であり、ラケットはいざという時の護身用でしかなかった。基本的にはスズメバチとは戦わず、一目散に逃げる。それが三人の自然界に対する掟の一つだ。
 もう一人の友達が、この期に及んでもニヤニヤしながら例の物を、後ろポッケから大事そうに取り出す。
「ここは新入りのピストルでいってみたら?」
 ボクは、わざとらしく二人の顔を交互にみる。もちろんピストルでの作戦成功など微塵も期待していない。むしろ笑いの語りぐさになればいいとさえ内心では思っている。
 とにかく通常は何か木の枝でもぶつけて逃げる。そんな原始的なやり方しか我々は持ち合わせていなかった。

 この作戦でもっとも危険なシナリオは、現場に居なかったはずのスズメバチが、新たに出現するパターンである。ヤツらはどこからともなく飛んでくる。あの不気味な羽音を立てて。
「ぶーーーーーーーーん」とその音は次第に大きくなるから怖い。一気に下から鳥肌が立つ。
 ヤツらが怒った時の飛行スピードは冗談抜きで早い。飛びながらダイレクトに刺してくる。皆様もご存知のように、ミツバチは一度刺したら自分自身も死んでしまうが、スズメバチは何度も何度でも繰り返し攻撃してくる。
 いつだったか、ラケットで撃退した死にかけのスズメバチを間近で見たが、地面に倒れて飛べなくなっても、黒く細長い毒針を何度も何度も突き出していた。その毒針が出ている機敏にうごめく太いお尻の部分は、クリアラッカーで上塗りしたような光沢のある鮮やかな黄色と黒のまだら模様になっており、それは明らかに自然界における危険信号を必要以上にアピールしていた。

 この頃のボクたちには、新鮮でかけがえのない出来事がうんと待ち伏せしていた。桜の散る頃には別れがあり、葉桜になる頃には次の新しい出会いがあった。いつも喜びと悲しみが交錯していた。そんな早い流れのなか「形のない大切なもの」を教室のどこかに置き忘れてしまうことも度々あった。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

『こっちの世界はあいまいな世界なんだ』と小さなボクが言う。
『いろんなものがたくさんあるけど、とてもさみしくて孤独な世界なんだ』
『そうさ、そうそう』
『おもちゃ箱だよ』

 どんどん新しい物が増えていって、上に上に次々と積み重なっていく。
 気づいたら箱いっぱいになってて、下の方のおもちゃは遊んでもらえなくなる。
 時とともに何があったのかさえ、忘れらさられてしまう。

(そんな、おもちゃ箱か……)と僕は思った。

イメージ 2










第四話へつづく

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