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 フェアレディ 240Z-G
 60年代を代表する硬派のスポーツカーとして最初に思い浮かべるのは、アメリカで爆発的な人気を博したフェアレディ1600&2000だろう。
人々から”SP”、”SR”の型式で呼ばれ、今なお多くの人々に愛されている。が、70年代を象徴する新世代のスポーツカーと言えば、S30型フェアレディZにとどめを刺す。
なかでもアメリカ市場で”Zカー旋風”を巻き起こしたダットサン240Z(日本名はフェアレディ240Z)は、スポーツカー史に残る傑作中の傑作だ。
 フェアレディZは、69年10月に発表された。
究極のフェアレディを意味する”Z”のネーミングが与えられ、70年代の幕開けを告げるにふさわしいスタイリングと高性能を誇示した。
当初は2000ccモデルのみの設定で、スカイラインGT-Rと同じS20型6気筒DOHC24バルブユニットを積むZ432を筆頭に、L型6気筒OHCのZ-Lをラインアップ。
Z432は2000cc最強の160PS/7000rpmを、Z-LとZは130PS/6000rpmを発生する。
 スタイリングは先代のSP&SRと違い、四季を通じて快速なスポーツランを楽しめるクローズドボディに改められた。
ロングノーズ&ショートデッキにファストバックを組み合わせた、流麗なクーペボディを身にまとっている。
後退したヘッドライトや中央を盛り上げたボンネットフードなどが個性を主張し、オプションでリアスポイラーも用意された。
 インテリアも洗練されたレイアウトだ。
黒一色のダッシュボード全体をソフトパッドで覆い、そのなかに5個の丸形メーターを埋め込んだ。
ウッドリムのステアリングやシフトノブなど、良き時代の面影を色濃く残しているのも見逃せないところである。
 日本では2000ccモデルが発売されたが、海外へはスケールアップ版の240Zが送り込まれた。
これはアメリカ市場を強く意識したモデルだが、71年11月から日本にも投入されている。
3タイプが設定され、ベーシック版のZに相当する240Zを底辺に、ゴージャス仕様の240Z-Lと、エアロパーツで武装した240Z-Gが発売された。
 なかでもマニアの注目を集めたのは、日本専用モデルとして開発された240Z-Gだ。
240Zと240Z-Lは、全長/全幅/全高が4115mm/1630mm/1285mmである。
これに対し240Z-Gは190mm長いグランドノーズ(Gノーズ)を採用し、4輪にFRP製のオーバーフェンダーを装着した。
そのため全幅は60mm拡大され、ルックス的にも精悍かつ個性的なものに変身した。
タイヤもフェアレディZとしては初めてラジアルタイヤ(175HR14)を標準装備している。
 エンジンはL20型直列6気筒OHCをベースに、これをスケールアップしたL24型を積む。
というより、ブルーバード1600SSSに搭載されているL16型4気筒エンジンに2気筒を加えたものである。
 ポア83.0mm、ストローク73.7mmで、排気量は2393ccだ。SUツインキャブを装着するが、レギュラーガソリンの使用を可能にするため、圧縮比は8.8に落とされている。とはいえ性能的にはトップレベルにあり、150PS/5600Fpmの最高出力と21.0kgm/4800rpmの最大トルクを発生した。
 L型エンジンのなかでもっと素性がよいと言われたL24型ユニットにはポルシェシンクロの5連MTが組み合わされている。
最高連はノーマルの240Zで205km/h、空力性能を向上させた240Z-Gでは210km/hに達した。
事実、サーキットで抜群の連さを見せつけ、多くのレースでライバルを圧倒している。
また、国際ラリーでも大暴れし、サファリ・ラリーでは常勝を誇った。ちなみにサスペンションは、4輪ともストラットだ。
 フェアレディ240Zの後継モデルとしてスケールアップ版の260Zも企画されたが、これはオイルパニックのあおりを受け、国内には投入されなかった。
フェアレディの世界を大きく広げたのが、240Zである。



 
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 ロータス エラン
初代が1962年から1975年まで、2代目が1989年から1995年まで製造された。また3代目が2013年秋から販売を開始する予定なお初代はFR方式だが、二代目はFF(FWD)方式になっており、メカニズム的なつながりは全くない。
初代エランの開発コードネームはロータス26。初のロータス製GTカーとして作られた初代ロータス・エリートの後継車として設計された。ただしエリートの特色であったFRPモノコックボディは生産性の低さやこもり音などの問題があり、販売上オープンモデルの生産が必要であったため採用されず、プレス鋼板を溶接して組み立てた強固なバックボーンシャシーにFRPのボディを架装する方式を採用した。エンジンは英国フォード・コルチナのものがベースで、DOHC1500cc(シリーズ2以降は1600cc)。ロータス創業者コーリン・チャップマンが考案した独特な後輪独立サスペンションを備えていた。ロータス車の大半はバックボーンフレームを持つが、エランはその構造を最初に使った車である。
当初のモデル、通称シリーズ1(S1)はオープンボディのロードスターだけだった。完成車で1,495ポンド(キットカーフォームで1,095ポンド)という低価格、DOHCエンジンによる高性能、ロータスならではの卓越した操縦性などでヒット作になった。エランの流麗なスタイリングは、1980年代末に登場したマツダユーノス・ロードスターが手本にしたと言われている。
その後1965年にはS2に進化し、フィクストヘッドクーペ(FHC)モデルも登場。従来からのオープンはドロップヘッドクーペ(DHC)と称された。
1966年にはS3に発展。対候性改善のためDHCにウインドウサッシュが取り付けられた。 S3からは全車にパワーウインドウが装備されたが、ロータスによると「手動式より軽い」ためだという。
1967年には初の「ファミリーカーとして使えるロータス」という触れ込みで、2+2のエラン+2(プラスツー)も追加された。
1968年にはS4に進化。1971年にはウエストラインでの上下塗り分けを特徴とした「エラン・スプリント」が登場するなど、安全対策や装備充実を中心とした発展を続けた。
1973年に2シーターモデルが生産終了。続いて「ロータス+2 S130」と改名されていた+2が1975年に生産終了。最終的な出荷台数は2+2も含めて18,000台といわれている。
エランがデビューした当時の日本は、1963年に第1回日本グランプリが開催されるなどモータースポーツの勃興期だった。エランは当初は芙蓉貿易、後に東急商事の手で輸入され、浮谷東次郎滝進太郎三保敬太郎らのレーシングドライバーの手により1960年代半ばのレースで活躍した。俳優の伊丹十三、作詞家の保富康午も当時エランのオーナーだった。
エランのバックボーンフレームは、トヨタ・2000GTのシャーシ設計にも大きな影響を与えたと言われる。
 
 
 

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