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差別は非常に重くて微妙で難しい問題だ。
大きな問題では人種差別、いわゆる同和問題、カースト制度、
男女差別、障害者差別、社会の階級等がありこうした問題は
タブー視されていることが多い。
日本でも関連用語の問題で、言葉狩りが問題になっている。
社会の階級については、戦前は日本でも明確にあり、今でも上流
階級というのは残っていると伝え聞く。
しかし、幸い日本の一般社会では、そうしたことはほとんど意識
されなくなった。(一部の資産家は意識しているという。)
ヨーロッパでは、貴族階級、資産家階級、ホワイトカラー、
ブルーカラー、移民といった階層があると伝え聞くが、どこまで
本当か実態について調べてことが無いので何もいえない。
バングラデシュやインドでは、階級は固定していると、バングラ
デシュの留学生たちから聞いた。(バングラデシュでの実務経験の
ある、この人達は、現地ではかなりエリートの人達だった。)
その人達の話によると、例えば、医者であれば、運転手がいて、
メイドが何人かいて、医者の家族が炊事洗濯をすることはありえ
ないという。
技術者であれば、設計や製品開発は大学卒しか出来ない。
会社では、大卒でなければ、幹部になれない。
日本では、実力さえあれば幹部にもなれるし、設計や開発も出来
るというと、驚いていた。
差別に関してはそれ以外にも日常にも無数にあるし、取り上げれ
ば切がないので、基本的問題だけ考えることにする。
日常の差別から見ていくとよくわかる。
偏差値、成績、コンクール、賞与、懸賞金、優等賞、金メダル、
商品の差別化、ネガティブキャンペーン、一流企業、グリーン席
選挙 地位 勲章 こうした言葉はすべて差別化の言葉である。
多くの学校で、運動会の時、徒競争をなくし皆で手をつないで
ゴールというのが話題になったことがある。
私が美術に関係したとき、「芸術にいい悪いをつけるのはおかしい。
芸術は、すべて平等だ」という話も一部の人からよくきかされた。
そのとき私は、「もしあなたが、下手な歌を聞かされたらどうす
る」と切り替えした。
下手な絵は見なければ済むが、歌は皆に不快感を与える。(落語
のネタにもなっている。)
明らかに芸術にも、うまい下手や中身が充実しているかそうでな
いかとか、評価の切り口はいろいろあるが、作品の質に差がある
のは疑いない。
だからこそオークションが成立し価値が付くのだ。
オークション(競り)は需要があって成り立つ
需要が無いところに需要の対価としての価格は成立しない。
市場の製品や原料が、すべて同じ品質性能であれば、経済学の
原理通り需要と供給の平衡するところで価格は決定する。
実は、製品の差別化や高付加価値化は、ニーズのあるところで
始めて成り立つ。
ニーズの無いところで差別化を図っ他ところで、意味は無いし
商品価値は無い。
このように見ると、市場経済は一般製品の価格は需要と供給に
よって成立するが、その中で需要のある商品の中で、更に商品
間の差別化があり、それにより需要とが供給が更に変化し、
平衡したところで差別化された商品価格に落ち着く。
ブランド品がその例だ。
人間が消費する物(商品・食料や材料)には嗜好の違いがあり、
その結果引き起こされる人気や欲望が需要となり、差別化され、
結果として需給のバランスとして貨幣に変換される。
商品ではなく、人間によるサービスや各種能力も商業化すれば
差別化になる。
例えば成績の良し悪しは、将来の収入や地位の良し悪しに比例
すると考えると、そこに商品に近い価値が発生し、差別化に
繋がる。
美貌の良し悪しもそうである。
男女とも美しい物に商品価値があると考えれば、差別化し自分
の商品価値を上げようとする。
一般的に美貌は、性を強調するサービス業に従事する物にとっ
て貨幣にある程度比例する価値を持っていると思われている。
(ここで言う性を強調するサービス業とは、風俗産業以外、
例えばレースクイーン、フライトアテンダントや受付や販売員
ですら性的魅力は、大きな商品価値がある。男性の営業マンも
近年そうしたものを重視する傾向にあり、韓国では男女とも
整形手術が盛んである。俳優やモデルにいたっては美貌=潜在
意識における性的アピールに直結している。)
市場経済にとって差別はニーズ=需要と絡んで切り離せないもの
であり、資本主義においては、企業はすべからく競争原理にさら
されており、その根源は、差別化である。
差別は経済から生まれたといえるのかもしれない。
社会主義においては、競争原理=差別化をなくし計画経済にする
ことで、社会は停滞した。
多分一党独裁を排除すれば社会主義は競争の無い=差別化の無い
楽な社会だったのかも知れない。
一方資本主義=市場経済は、競争により差別化し富を得、その
資金を再生産にまわすことで、富を増やし結果として企業活動の
資本を増やすことを基本としている。
民主主義も、基本原理そのものが差別化をし、多数を民意と
して選択することを基本としている。
当然のことながら、摩擦を避けるために少数意見の尊重という
一文もあるのだが・・・。
資本主義と民主主義は差別化という観点で整合性があり、社会
主義と一党独裁は無競争=平等??で相性がいいのかもしれない。
人間を商品的に見た場合、社会と人間の関係で矛盾が発生する。
各人は独立した人格をと尊厳を持ち基本的人権が平等に与えられ
るというのが、あまたの先人が多大な犠牲を払い積み重ねていっ
て到達した文字通り血と汗の結晶である。
その人間を商品化すなわち利害の絡む視点で見たとき、問題が発
生するのだ。
同時に商品的に見ることは、人間を経済価値に置き換えられる
物としてみることにもなる。
(資本主義も社会主義も経済学は基本的にはそういう視点にたっ
ている、というより学問的にはそうせざるを得ない。
ただ社会主義は初めて経済の中に思想を持ち込んだ。資本主義国
では、当時資本の力=金の論理で抑圧されていた当時の労働者の
悲惨な労働環境の是正や、社会の富の不公正問題や福祉に与えた
影響は非常に大きく、今日の残業規制、労働時間短縮、賃上げ等
もその流れのひとつで、労働環境は飛躍的に改善された。しかし
社会主義を具体化しようとた社会主義国では、自由が無く、基本
的人権も守られず国民は一党独裁の元、計画経済で悲惨な状況に
置かれ矛盾だらけの政治経済は支持されなくなった。 資本主義
国では経済原理とのギャップを埋めるのが福祉を含む思想である
ことを人々は知り、消費者運動・公民権運動・公害問題から始ま
り、いまや環境を含め新しい思想・考え方が市民運動の中に起こ
っている。それを実現させるのが政治だ。)
人間は社会を形成しているが、社会の中で個人的に、まず財産に
より差別され、階級により差別され性別、門地、人種、各種障害、
宗教・信条、体格・体形、・・・・・・・等等数えられない要素で
差別される。
社会的グループ(宗教・人種民族・階級・武力集団・・・)間で
も差別が発生する。
結果的には、経済的優位や武力的優位に立ったものが自然に社会
の支配者となり支配被支配の関係が成立する。
支配者は被支配者の下に更に階層を作り、被支配者の不満のはけ
ぐちを作るのが、人類社会が一般的に作り出した構図だ。
その根底には、人間が皆内面に隠し持っているかもしれない非・
人間的な潜在的欲望の「いじめ」や「パワーハラストメント」の
発想があるのかもしれない。
アメリカの黒人、同和関連、女性差別、奴隷・難民・・・・等等
社会的グループについては、近代現代になってこうした問題の
非・人間性に気付き、先人の命がけの努力で、一つずつ政治的に
解決している。
こうした問題に関し我々は未だに無数の問題持っているが、相手
の立場を考え、足を踏まれた側の痛みを理解し、差別を排除しな
ければならないのだろう。
障害者問題も国家からの支援と個々の個人的対応支援が必要だ。
無条件でハンディを背負った人は、出来る限り健常者に近づく形
で生活できるようにしなければならないのだろう。
このような差別の問題は、底辺の人ほどその下の人をいじめるこ
とも多い。
又経済的に余裕のある人達の一部に、古典的な差別意識や階級意
識を持っている人がいるのも事実だ。
こうした差別排除の問題は繰り返し、啓蒙教育するしかないのだ
ろう。
教育手段としては知識の教育だけでは理解することが難しい。
体で体験する必要がある。
疑似体験としてのドラマ、小説や、劇、ビデオ、映画等が必要だ
ろう。 ロールプレインも効果がある。
パレスチナとイスラエルが実験的に行っているような、共同生活
体験も若い人達にはいいのかもしれない。
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