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自分の住処となる前、そこは爺様と婆様の家だった。
お盆や正月に遊びに行くと、爺様には兄弟が多かったから必然と親戚も多く集まり、小さかった僕には実に楽しい空間だった。
小さい子供がたくさんいて遊び相手に不足はないし、夜になると親戚一同新聞を敷いて、ジンギスカンのナベを2つ並べての焼肉。
瓶のオレンジ色のナポリン飲み放題!
大人の酒のつまみの先イカを貰って大満足!
とにかく爺様の家は楽しくて、いつも最高のパーティータイムだった。
親父は転勤族で僕は小学校卒業と同時に転校。 爺様は倒れて体が不自由だった為、爺様・婆様と一緒に住む事になり、そこから僕の家となった。
その時は爺様、婆様、母、父、姉の6人暮らし。
その頃になると親戚達もじょじょに集まらなくなってきてたが、6人での生活でも十分賑やかで暖かい空気に包まれていたボロイ農家の家。
僕は中高と6年そこに住み大学で札幌に移動をしたのを期にそこは実家となり、就職してからも普通の人と比べると距離も近いから頻繁には帰って顔を出していたんだ。
姉は札幌に就職し、僕が大学中に爺様が無くなり、家族は婆様と母、父の3人暮らし。
バイクで実家に帰ると2回の窓からは父が顔を覗かせ、居間に入るとすっかり年老いた婆様が優しい声で迎え入れてくれ、母が美味しい食事を作り、人数こそ少なくなってきたがその農家のボロイ家には温かい空気と過ごしてきた楽しい思い出が一杯詰まった家だったんだ。
だけど6年前に父が他界。
婆様と母の2人暮らしなってしまった。
それでも、母にとっては生家、婆様は嫁いできてからの住処だから思い入れもあり、そこを離れる選択肢などなかったし、毛頭考えてもなかった。
厳しい冬や細々とした生活でも地元、住み慣れたその地区で生きていける事に幸せを感じていたんだと思
う。 元農家だったから、畑がでかくてさぁ〜。
婆様が作る野菜はどれも最高においしいんだ。とうきびなんて失敗したのを見たことがないよ。
いつも実がぎっしり詰まった甘いとうきび。トマトもきゅうりも甘かったなぁ〜。 その血が流れてるから、DOKUも畑好きなのかもしれない。 夏の日差し、麦わら帽子の婆様、土の匂い。
目を閉じればあの当時の光景がハッキリと浮かぶ。
しかし今年の冬に婆様が急に亡くなり、年老いた母一人住むにはその家は余りにも大きく、どの部屋に行っても何処か色褪せたように見え、そこは人が住んでる家ではなく、住んでいた家の空気感に少しずつ侵され始めていたんだ。
もうこの大きい家を母一人で維持するのは困難だなぁ〜と思っていたし
又楽しかった思い出が一杯詰まった家だったが、一人になった母にはそれが逆に孤独に拍車を掛けるんだと思う。
そんな母が出した結論は引っ越してアパート暮らしをする事だった。
えっ!突然やってきたDOKU家の人生ターニングポイント。
ある年齢になると失っていくのが人生なんだね。
いつかそんな日が来るって分かっていたし心の準備はしてたけど、現実突きつけられると心が震える。
だって急に実家が無くなってしまうし、故郷と呼べる心のより所的なものを失ってしまう喪失感はパネェ〜
んで来週には無くなってしまい、そこに新たな人が住み始める。
僕にとって39年間慣れ親しんだ家がなくなる。
とても悲しんだけど、でもそれを口にする事はない。
母にとっては64年間慣れ親しんだ家。
思い入れなんて僕以上にあるはずで、そんな母が必死に決断した答えに水を差すような事は言わない。
だけど、悲しんだよね。
もうこの景色を見る事はない。
だからせめて人生の記録として綴ってるブログに家の写真は貼っておこう。
さらば!実家。
家の居間から見える音江山と神居の山。
もう見納め。
本当周りにはスパーも無いしなにも無い田舎。
物質的には満たされてないけど、此処にいると心は満たされるんだ。
恐らくそれこそが幸せの1つなんだと思う。
僕が知ってるだけで2回リフォームしてる。
窓の前の階段の石は、昔の家の玄関の名残り。
小さい頃は土間があったなぁ〜。
家の周りの敷き詰められた石は、父がどうにか家の見栄えを良くしようと、山からせっせと運んできたもの。
もう20年前の事かぁ〜。時間は流れてるんだね。
樹齢90年以上の栗の木。
爺様が産まれた時に植えられたもの。
毎年秋にはこれでもかっ!ってくらい栗が取れた。
もう爺様の栗を食べれるのも最後。。。。。
今週末にもう1回実家に帰って、先祖が作り上げた畑の土を持ち帰ろう。
それで終わり。。。本当に終わりだよ。
でも悲しんでいても前は見よう。
今後母が楽しく老後を過ごせるようサポートしなきゃ。
親孝行は生きてるうちにしとかなければね。
思っているだけでも駄目で、言葉や行動でね。
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2014年10月13日
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