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前回、有名大学を卒業することの意味を書きました。このことは、息子が高校に入ったころから考えていたことでした。私は、そもそも、息子にとって大学がどれくらい必要なのかを考えていました。 前回書いたように、障害者たちは、健常者たちより遥かに厳しい実力主義の中で生きていくことになります。聴覚障害者の場合は、仕事の内容の説明がわかる・わからないの前に、職場での話が聞き取れるかどうかの問題があります。職場の全員が、親切に聴き取りやすく話してくれるとは思えないからです。こういう状況の中で、任された仕事ができるかどうかを評価されるはずです。 当然、言われた内容が聞き取れていないなら、わかるまで聞き直す必要があります。また言われた内容が理解できないなら、それも聞く必要があります。そうした努力の上で、仕事が最終的にできたかどうかが問われます。聴覚障害者は、わからないことを何度も聞き返す“力”が必要なのです。あるいは、筆談で教えてもらえるようアプローチする“力”が必要です。 これは、多分、とても勇気がいることです。わからなくてもわかったような顔をしているほうが、ずっと楽です。聴覚障害者が仕事の成果を残すには、こうした勇気とその実行力が問われます。 そうすると、高卒か、大卒か、院卒か、あるいは有名・難関大学かそうでないかは大きな要素ではありません。それよりも、いろいろな状況下で仕事を進める力があるかどうかが鍵になります。 障害者たちは、ちょっと間違えただけで、「やっぱり障害者だから、、、」と思われてしまいます。その結果、なかなか仕事を任せてもらえない、あるいは現在の仕事以上の仕事をさせてもらえないことになりがちです。障害があることで、能力を過小評価されがちです。 聴覚障害者たちは、自分たちの力を過小評価する偏見のなかで働くことを強いられると思うのです。聴者も同じように実力主義で生きていくことになりつつあります。しかし、その厳しさは、まず偏見を乗り越えなければいけないという意味で聴覚障害者のほうがずっと厳しいと思います。 さて、この聴者の職場で仕事をするための、聞き返す力、質問する力など、コミュニケーション能力とそれを実行する行動力は、高校より大学のほうがつくのでしょうか。大学の中でも有名大学へ行くほうがつくのでしょうか。答えは否でしょう。これは学力ではなく生きていくための能力です。 聴覚障害者は、聴者の社会で仕事をするためには、このコミュニケーション能力と行動力が備わっていることが前提です。その前提があって初めて、学力・知識を問われます。そして大きな問題は、この日本語を媒介とするコミュニケーション能力と行動力を、聴覚障害者が身につけることが、実は大変難しいことであるということです。 聴覚障害児の親は、わが子にこの能力が十分備わっているかをよく考え、それを伸ばしてやることが大切です。学歴や大学名はその次です。日本語でコミュニケートして仕事をこなせること、それが大学名より大切であることは、誰でも賛同いただけると思います。
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