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 聴覚障害者がどんな気持ちで毎日を過ごしているのかを、私たち聴者はどれくらい想像できるでしょうか。「こういうとき、不便だ。」「こんなことは出来ない。」ということではなく、聴者と一緒に暮らしていくにあたっての、生きやすさ、生きにくさの話です。


 例えば、家族で買い物に出かける場合、最初にどこに行って何を買い、次にどこに行って何を買い、食事はどこで何を食べ、そのあとどこへ行って何をするのか等々を、どこまで子供に話すでしょうか。聴者の家族であれば、ほとんどの場合口頭でやりとりし、子供はそのやりとりを聞いているはずです。


 聴覚障害児は、口頭でのやりとりは聞こえておらず、その結果、何をするのかよくわからず、ただ引き回されることになりかねません。車で移動している間に、車中で行き先が変わることもよくあるでしょう。聴者は聞こえているので何でもないのですが、聴覚障害者は、説明がないかぎり、突然行き先が変わっており、どうなっているのかがわからない状況のはずです。聴者の中で育った聴覚障害者は、生まれてからずっとそういう環境で生きています。いつも聴者がすべてを決めている世界に生きています。


 そして、「今、どこへ行こうとしているの?」と自分から聞かねばならず、それも教えてくださいというお願いモードになります。「行き先が変わったら、ちゃんと教えてよ!」と言えるのは、よほど親しい人にだけであり、ほとんどの場合、恐る恐る聞くことになるのではないでしょうか。そんな聴覚障害者にとって、聴者の世界はどんなふうに見えているのでしょうか。


 以前こんな話を聞きました。聾学校の父母会の中で、聴覚障害者の味方であると公言している母親の話です。彼女は、確かに同じクラスの聾の母親の面倒を買って出ているのですが、その代わり一緒にどこかに行くときに、その母親に、自宅まで迎えにくるように言っているのです。ひょっとすると、彼女たちの間で、面倒をみる代わりに車での送り迎えの約束(多分、暗黙の)があるのかもしれません。問題はそこではありません。聾の母親は、今のやりとりを断れるかということです。


 この場合、聾の母親と、面倒見好きの母親は、対等でしょうか。聴覚障害者にとって、聴者を敵に回すのは、その集団の中で生きていけなくなることを意味しているのではないでしょうか。そんな中で、面倒見好きの母親を断れるでしょうか。聴覚障害者は、その聴者の母親の面倒見が迷惑かもしれません。でも、その迷惑な面倒見を断ったらどうなるのでしょうか。


 とにかく、聴覚障害者には何も知らされないで物事が進んで行く、聴者主導の世の中で、断ることがどんな状況を引き起こすのか、その集団の中での、聴者の母親の力が強ければ強いほど、先の問題が大きそうです。


 聴覚障害者が聴者の社会で生きていくには、聴者の助けが必要でしょう。でも、聴覚障害者はその助けを得るために、いつも聴者に対して卑屈にならざるを得ず、この感覚は、聴覚障害者にとって、聴者は存在そのものが迷惑だという感覚につながっていきかねないと思います。


 私たちの子供は、こういう世界で生きていかねばなりません。私たちの子供が楽しく生きていける社会にするために、まず、私たちが考え、自分の行動を見直しましょう。聴覚障害者が、聴者をどう見、どう感じているのか、その上で、どう接すれば、お互いに心地よいのか、それをいつも考えることが大切だと思っています。

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