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			<title>わが家の難聴児子育て記録</title>
			<description>～難聴児の親として考えてきたこと、やってきたこと～
これまで、難聴児の親として考えてきたこと、やってきたことを書いていきます。わたしたち夫婦の子育て記録です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>わが家の難聴児子育て記録</title>
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			<description>～難聴児の親として考えてきたこと、やってきたこと～
これまで、難聴児の親として考えてきたこと、やってきたことを書いていきます。わたしたち夫婦の子育て記録です。</description>
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			<title>８６．子育ては大変か</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/87/54994187/img_0?1347764625&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_99_66&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　しばらく投稿していませんでした。久々にパソコンに向かっています。今回は、子育てへの心構えについてです。ちょっとお説教くさいテーマですが、私自身、そんな格好いい心構えをしてきたわけではありません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　これまで書いてきたように、息子の障害がわかってから、私たち夫婦は、心配と不安の中で子育てをしてきました。どう育てれば、我が子が幸せになれるのだろうかを日々考えていたのですが、そもそも子育て自体が始めてなのですから、どうしたって不安は取れない訳です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　テレビや新聞で、実の親による子供の虐待や子殺しが、数多く報道されています。その中には子育ての放棄と思われるものもいくつかあります。そんな報道を見聞きしていて、なぜ私たち夫婦は困難な子育てをずっと続けて来られたのだろうと思いました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　冒頭にも書きましたが、元々「子育て、頑張るぞ！」などと強い心構えをしてきたわけではありません。でも、私も妻も、これまでのことを思い返してみて、はっきり言えることがあります。それは、第一に子供がかわいかったこと。そして、常に、次の一歩に対して一生懸命だったこと、その一歩のためにしていることを、「努力」だと思ったことがなかったことだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そう、努力だと思ったことはないと思います。ただ次の一歩を目指してきたということだと思います。それで、｢よく頑張って来ましたね。｣「大変な努力ですね。」みたいな言葉は、ピンと来ません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　多分、努力していると思ったことがないからだと思いますが、子育てが大変だと思ったことがなかったのです。だから、子育てから逃げたいとか、やめたいとは考えたことがありません。それが、これまで、障害児の子育てを、不安と心配の中で進めてこられた理由だと思っています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そして、この、｢子育てを大変だと思ったことがない｣ことは、私たち夫婦の、とてもラッキーな部分だと思っています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/54994187.html</link>
			<pubDate>Sun, 28 Sep 2008 21:21:00 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>８５．国語の勉強方法</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/55/51992855/img_0?1222876893&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_120_80&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　以前、中学受験にあたって、小学部の理科と社会のおさらいをしたことを書きました。（６６．小学部のおさらいをする　参照）今回は、そのとき書かなかった国語の勉強方法について書いておこうと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　私は、学校で習う主要教科の中で、最も重要なのは国語だと思っています。算数も理科も社会も、国語がしっかりしていなければ、教科書に書いてあることが理解できないはずだからです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　これまで、日本語の習得という意味で、ゲームをやったり、映画を観せたり、漫画を読んだりといろいろな工夫をしてきました。国語の勉強は、子供が日常生活の中で、その年齢に則した日本語を身につけていることが前提です。これが不十分なときは、国語の勉強より、日常の日本語の獲得を優先させないと意味がないと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　さて、その上で、国語の勉強です。意識的に行なったのは、）椶鯑匹爐海函↓長文読解、作文の３つだったと思います。，遼榮匹澆蓮⊂学部入学から、絵本の読みなおしをはじめ（５３．絵本から読み直す　参照）、小学部の間に、1,000冊以上読んでいます。△猟絞呼媛鬚鉢の作文は、問題集を何冊か買い込みました。中学受験にあたって、小学部のおさらいをするときに集中はしていますが、それまで公文をずっとやっており（５４．公文のこと　参照）、結構長い間やっていたことになります。問題集をやるにあたっては、妻が、かなりの時間、息子のとなりで付き合っていました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　とにかく、勉強は決して楽しいものではありません。やりたくなくて当たり前です。どうしたらやる気になるのかを工夫することが大切です。一番のモデルは自分自身です。自分が子供のころ、親がどうしてくれたら勉強に前向きになっただろうと考えるのが、第一歩のような気がします。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/51992855.html</link>
			<pubDate>Sat, 23 Feb 2008 20:07:35 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>８４．図書館へ行く</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/69/50963869/img_0?1204382759&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_100_75&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　息子が幼稚部へ入るくらいまで、私は図書館へ行ったことがほとんどありませんでした。大学受験のときに、勉強のためにしばらく通ったことはありますが、本を探したり、読んだりするのが目的ではありませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　息子が幼稚部から小学部に入ったころから、図書館へ連れて行くことが多くなりました。きっかけは、息子に絵本をたくさん読ませることが目的でした。わが家では、息子が小学部に入ったころから、絵本の読み直しを始めました。（５３．絵本から読み直す　参照）その絵本が、図書館にはいっぱいあるのです。しかも、当然ですが、ただなのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　休みの日は、買い物のついでに図書館へ行きました。よく行っていた図書館は、新築で、広くて、子供がゆっくり遊びながら本を読むことができるようになっていました。一度入ると、２～３時間くらいいたりしました。その場で、何冊も絵本を読んでいました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　わが家は、私と妻、息子の３人家族ですが、全員図書館の会員になって、一人５冊（だったと思います。）ずつの貸し出し枠をめいっぱい使って本を借りていました。平日に妻が図書館へ借りに行って、３人分の１５冊を借りてくるということもしていました。（これ、ルール違反ではなかったと思います。）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　蛇足ですが、私も息子と一緒に図書館へ行くうちに、こんな便利なところがあるんだということに気付きました。とにかく、本がただで読めるのです。しかも読みたい本がいっぱいあるのです。これ以来、私は図書館をよく使っています。もし、図書館をあまり利用していない方がいらっしゃるなら、ぜひお近くの図書館へお出かけください。できるだけ、新しくて、広いところがいいです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　子供に本を読ませるなら、図書館を利用することをお薦めします。ただ、この場合も、原則は、親が率先し、まず親が楽しむことです。そうすれば子供は、喜んで一緒に時間を過ごすはずです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/50963869.html</link>
			<pubDate>Sat, 22 Dec 2007 10:36:18 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>８３．難聴者の視点を想像する</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/63/50465963/img_0?1195380971&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_87_99&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　聴覚障害者がどんな気持ちで毎日を過ごしているのかを、私たち聴者はどれくらい想像できるでしょうか。「こういうとき、不便だ。」「こんなことは出来ない。」ということではなく、聴者と一緒に暮らしていくにあたっての、生きやすさ、生きにくさの話です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　例えば、家族で買い物に出かける場合、最初にどこに行って何を買い、次にどこに行って何を買い、食事はどこで何を食べ、そのあとどこへ行って何をするのか等々を、どこまで子供に話すでしょうか。聴者の家族であれば、ほとんどの場合口頭でやりとりし、子供はそのやりとりを聞いているはずです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　聴覚障害児は、口頭でのやりとりは聞こえておらず、その結果、何をするのかよくわからず、ただ引き回されることになりかねません。車で移動している間に、車中で行き先が変わることもよくあるでしょう。聴者は聞こえているので何でもないのですが、聴覚障害者は、説明がないかぎり、突然行き先が変わっており、どうなっているのかがわからない状況のはずです。聴者の中で育った聴覚障害者は、生まれてからずっとそういう環境で生きています。いつも聴者がすべてを決めている世界に生きています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そして、「今、どこへ行こうとしているの？」と自分から聞かねばならず、それも教えてくださいというお願いモードになります。「行き先が変わったら、ちゃんと教えてよ！」と言えるのは、よほど親しい人にだけであり、ほとんどの場合、恐る恐る聞くことになるのではないでしょうか。そんな聴覚障害者にとって、聴者の世界はどんなふうに見えているのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　以前こんな話を聞きました。聾学校の父母会の中で、聴覚障害者の味方であると公言している母親の話です。彼女は、確かに同じクラスの聾の母親の面倒を買って出ているのですが、その代わり一緒にどこかに行くときに、その母親に、自宅まで迎えにくるように言っているのです。ひょっとすると、彼女たちの間で、面倒をみる代わりに車での送り迎えの約束（多分、暗黙の）があるのかもしれません。問題はそこではありません。聾の母親は、今のやりとりを断れるかということです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　この場合、聾の母親と、面倒見好きの母親は、対等でしょうか。聴覚障害者にとって、聴者を敵に回すのは、その集団の中で生きていけなくなることを意味しているのではないでしょうか。そんな中で、面倒見好きの母親を断れるでしょうか。聴覚障害者は、その聴者の母親の面倒見が迷惑かもしれません。でも、その迷惑な面倒見を断ったらどうなるのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　とにかく、聴覚障害者には何も知らされないで物事が進んで行く、聴者主導の世の中で、断ることがどんな状況を引き起こすのか、その集団の中での、聴者の母親の力が強ければ強いほど、先の問題が大きそうです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　聴覚障害者が聴者の社会で生きていくには、聴者の助けが必要でしょう。でも、聴覚障害者はその助けを得るために、いつも聴者に対して卑屈にならざるを得ず、この感覚は、聴覚障害者にとって、聴者は存在そのものが迷惑だという感覚につながっていきかねないと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　私たちの子供は、こういう世界で生きていかねばなりません。私たちの子供が楽しく生きていける社会にするために、まず、私たちが考え、自分の行動を見直しましょう。聴覚障害者が、聴者をどう見、どう感じているのか、その上で、どう接すれば、お互いに心地よいのか、それをいつも考えることが大切だと思っています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/50465963.html</link>
			<pubDate>Sun, 18 Nov 2007 19:16:11 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>８２．恥ずかしいという言葉を使わない</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/58/49746958/img_0?1192539829&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_66_99&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　久しぶりに書きます。難聴児だから特別にやってきたことではないので、書こうかどうしようか迷っていたことです。でも、これもわが家に息子が生まれたときからやってきたことです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　「恥ずかしい」という言葉を使わないようにして育ててきました。日本は、恥の文化だとよく言われます。私が自分の経験を振り返る限り、恥ずかしいという言葉は、自分にとってメリットであったことはないように思います。恥ずかしいから・・・というのは、自分を縛るだけで、それによってプラスの効果があったことはないように思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　よく相撲で「恥ずかしい相撲は取れない。恥ずかしい負け方はできない。」と言っているのを聞きます。相撲だけでなく、日本人がよくする表現です。実はこの表現が、日本人にとって大きなマイナスになっているように思います。恥ずかしい負け方ができないということは、負けるときでも外見を気にしなければいけないことになります。純粋に勝負に全力をかけるわけにはいかず、負けたときの負け方まで考えて勝負に臨むことになります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　当然、恥ずかしい勝ち方もいけないわけです。外国人は、勝つか負けるかしかなく、周りの人も、それがどんな勝ち方・負け方でも、恥ずかしいとは感じていないでしょう。そもそも日本人は、負けること自体を恥ずかしいと考えがちですが、外国人はそうではないのだろうと思います。彼らは、勝負に出て行く時に、日本人とは違って、負けたら恥ずかしい、変な勝ち方、負け方は恥ずかしい、周りの人に恥ずかしいと思われたくないなどとは考えないのだと思います。フェアとアンフェアの区別はあるようですが、それも日本人の感覚とは大分違うと思います。（サッカーの試合を見ているとそう思います。）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　とにかく、恥ずかしいという感覚は、日本人をとても臆病で、緊張しやすくしていると思います。会議の場でも、変な質問をしたら恥ずかしい、はずれた発言は恥ずかしい、稚拙な意見は恥ずかしいなど、恥ずかしさゆえに発言しないことが多いと思います。外国の会議で日本人の発言が少ないのは、こういった感覚が大きな原因ではないかと思っています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　日々の生活においてもこの感覚は出てくるわけで、失敗したら恥ずかしい、間違えたら恥ずかしい、自分だけ違ったことをしたら恥ずかしいなど、恥ずかしいという言葉に縛られて生きています。私もこの感覚を十分持った日本人であり、そのため随分無駄な気苦労をしてきたと思っています。恥ずかしいという言葉がなかったら、もっと自由にふるまえたし、もっと気楽に生きてこられたと思います。この反省に立って、子供には恥ずかしいという言葉を使わないようにしてきました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　負けたときに悔しいのはいいのですが、恥ずかしいと思う必要はないのです。それで、私からは「そんなことをするのは恥ずかしい」とか「こんな結果は恥ずかしい」とか「恥ずかしいからやめろ」とか「恥ずかしいと思わないか」などという言い方を絶対にしないようにしました。わが家の会話の中から恥ずかしいという言葉をなくしたかったのです。恥ずかしいという言葉がなければ、恥ずかしいとは思わないというのが私の考え方です。これは大学時代に言語哲学で習いました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　しかし、息子は実際に日本に住んでいるわけで、私が使わなくても、周りの人たちは平気で恥ずかしいと言っており、息子もその言葉をいやでも聞いています。私の努力がどこまで効果があったかはわかりませんが、とにかく「恥ずかしい」という言葉に縛られるな、自分の中から「恥ずかしい」という言葉を追い出してしまえというのが私の考え方です。「恥ずかしさ」のない日本人は日本人的ではないのかも知れません。でも、そのほうが楽しい生活を送れます。私はそう思っています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/49746958.html</link>
			<pubDate>Sat, 06 Oct 2007 02:02:53 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>８１．学歴は役に立つか（その２）</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/50/48765550/img_0?1186832264&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_120_90&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　前回、有名大学を卒業することの意味を書きました。このことは、息子が高校に入ったころから考えていたことでした。私は、そもそも、息子にとって大学がどれくらい必要なのかを考えていました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　前回書いたように、障害者たちは、健常者たちより遥かに厳しい実力主義の中で生きていくことになります。聴覚障害者の場合は、仕事の内容の説明がわかる・わからないの前に、職場での話が聞き取れるかどうかの問題があります。職場の全員が、親切に聴き取りやすく話してくれるとは思えないからです。こういう状況の中で、任された仕事ができるかどうかを評価されるはずです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　当然、言われた内容が聞き取れていないなら、わかるまで聞き直す必要があります。また言われた内容が理解できないなら、それも聞く必要があります。そうした努力の上で、仕事が最終的にできたかどうかが問われます。聴覚障害者は、わからないことを何度も聞き返す“力”が必要なのです。あるいは、筆談で教えてもらえるようアプローチする“力”が必要です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　これは、多分、とても勇気がいることです。わからなくてもわかったような顔をしているほうが、ずっと楽です。聴覚障害者が仕事の成果を残すには、こうした勇気とその実行力が問われます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そうすると、高卒か、大卒か、院卒か、あるいは有名・難関大学かそうでないかは大きな要素ではありません。それよりも、いろいろな状況下で仕事を進める力があるかどうかが鍵になります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　障害者たちは、ちょっと間違えただけで、｢やっぱり障害者だから、、、｣と思われてしまいます。その結果、なかなか仕事を任せてもらえない、あるいは現在の仕事以上の仕事をさせてもらえないことになりがちです。障害があることで、能力を過小評価されがちです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　聴覚障害者たちは、自分たちの力を過小評価する偏見のなかで働くことを強いられると思うのです。聴者も同じように実力主義で生きていくことになりつつあります。しかし、その厳しさは、まず偏見を乗り越えなければいけないという意味で聴覚障害者のほうがずっと厳しいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　さて、この聴者の職場で仕事をするための、聞き返す力、質問する力など、コミュニケーション能力とそれを実行する行動力は、高校より大学のほうがつくのでしょうか。大学の中でも有名大学へ行くほうがつくのでしょうか。答えは否でしょう。これは学力ではなく生きていくための能力です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　聴覚障害者は、聴者の社会で仕事をするためには、このコミュニケーション能力と行動力が備わっていることが前提です。その前提があって初めて、学力・知識を問われます。そして大きな問題は、この日本語を媒介とするコミュニケーション能力と行動力を、聴覚障害者が身につけることが、実は大変難しいことであるということです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　聴覚障害児の親は、わが子にこの能力が十分備わっているかをよく考え、それを伸ばしてやることが大切です。学歴や大学名はその次です。日本語でコミュニケートして仕事をこなせること、それが大学名より大切であることは、誰でも賛同いただけると思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/48765550.html</link>
			<pubDate>Sat, 11 Aug 2007 20:37:44 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>８０．学歴は役に立つか</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/64/48377364/img_0?1186015889&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_90_90&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　息子が、最近、聾学校時代の友達に会ったときの話を聞きました。息子を含めて3人で会ったとのこと。息子以外の2人は、同じ有名私立大学に入っています。その彼らの会話が自分たちの学歴を自慢し、有名大学でない他の友達を下に見る内容だったようなのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　この話を聞いて、ちょっと悲しくなりました。2人とも、学力はかなりあります。でも、自分たちを取り巻く環境をどれだけ理解しているのかが不安です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　息子たちは3人とも聴覚障害者です。私が知る限り、3人とも聴力は決して軽いほうではありません。有名大学に入ったことは素晴らしいことでしょう。でも、それで人生が幸せに過ごせるわけではありません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　世の中が実力主義になっているとよく言われています。この傾向は今後もっと顕著になっていくでしょう。実力主義の世の中になったときに、聴覚障害者はどう評価されるのでしょうか。日本はアメリカと違って、同一文化・同一言語を前提とした社会です。このことは、当分変わらないでしょう。そうすると、日本語で仕事が出来ることが聴覚障害者の評価ポイントになるのだろうと思います。つまり、ポイントは、｢日本語で仕事ができること｣であって「出身大学」ではないと思われます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　私たち、親の世代は、難関大学は一流企業につながり、多くの人が難関大学に入ることが人間の価値を決めるように育てられました。息子の友達の会話に現れている学歴意識は、多分、彼らの親が持つ意識でしょう。彼らの親や親族が、家庭内で息子たちに直接あるいは間接的に伝えてきたことだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　老舗大企業は、今でも他の一般企業と比べると、成果主義の度合いが弱いようです。私はその類の企業に勤めていないので、具体的なことはわかりませんが、まだまだ学閥・学歴がモノを言うらしいことを聞いています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　しかし、私たち障害者の親が考えるべきことは、わが家の子供たちが、今後どういう環境で暮らしていくのかということでしょう。たとえば、彼らが運よく有名老舗企業に入ったとして、学歴がよいポジションにつける要素になるのでしょうか。聴覚障害者は聴者より、仕事の出来がずっと重要視されるのではないでしょうか。まして、ベンチャー企業は、学歴は関係ありません。実力勝負です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　親が生きてきた条件と障害者の子供たちが生きていく条件は全然違うのであろうと考えます。彼らに要求されるのは、まず日本語で仕事をこなす実力だと思います。その実力があれば、学歴はどうでもいいはずです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　こう考えると、私たち親は、子供たちが自分の力を十分育てられる環境を考えて学校を選ぶべきです。聾学校を出たあとは、情報保障が十分出来ているか、先生方に障害者への配慮が十分あるかが学校選択の大きな条件になると思います。有名大学へ入っても、情報保障がしっかりしていないために、講義内容がわからないのでは意味がないのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　わが家の息子たちは、一般に言われる成果主義より、はるかに厳しい成果主義の環境で生きていくことになります。聞こえないことを前提として、どう動けば成果を残せるかを問われます。学力に加えて、人との関わり方・推測力・情報のありかを探る力・一般常識力など広範囲の実力が要求されます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　こういう状況を踏まえて、私たち親は、子供たちに間違った価値観を与えるのを避けるべきです。親の育った環境と違って、現在の聴覚障害者にとって学歴は大切ではありません。学歴で人を判断するような価値観を植えつけると、あとで子供たち本人を不幸にします。｢子供のためになることは何か｣を自分の考えのワクをはずして考えること。それが親のすべきことでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/48377364.html</link>
			<pubDate>Sat, 21 Jul 2007 20:18:29 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>７９．日本手話のこと</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/72/47954672/img_0?1344780505&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_123_93&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　何回目かの手話の話です。だんだん何らかの事実とか、資料とかに基づいた話ではなくなってきました。純粋に考えてきたことです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　これまで書いてきたように、日本手話（シムコムではありません。）は日本語、英語と変わらない完成した言語だと思っています。しかし、ここ何年かの手話ブームにも関わらず手話の言語的位置はあまりあがっていないように感じます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　以前、紹介した｢ろう文化宣言｣の特集雑誌のなかに日本手話での討論を日本語訳している記事が載っていました。これを読むと、日本手話の話者が、いかに深く、論理的な思考をしているかがわかります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　また、息子が聾学校の小学部のころ、同じクラスに両親とも聾の女の子がいました。実は、彼女の日常行動を見ていると、大変賢いのです。先生への取り入り方、クラスの友達への気に入られ方、そして友達の利用の仕方など。よく言えば賢く、悪く言えばずるいのですが、とにかく頭がいい。この彼女の振る舞いを見ていても、日本手話は十分論理的な思考ができる高級な言語だと思いました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　私は、これらのことから、日本手話が言語として完成された言語であると感じてきました。しかし、なぜ手話が完成された言語としてなかなか認められず、しっかりした言語ではないように思われるのでしょうか。私の推測では、日本手話の研究が不足しているからだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　一つの理由が、文字化でしょう。日本手話は、現在のところ文字化されていません。（日本語化ではありません。中国語は漢字、朝鮮語はハングル、英語はアルファベット、日本語はひらがなというように、日本手話はこの文字という意味の文字化です。）文字化されていないと、日本手話を研究するためには、研究者が会話されているその場にいないとできないと思われます。このことが日本手話の本来の姿が解明されない理由だと思います。これまで一度も文字化の試みがなかったわけではないと思います。多分、文字化を考えたが、結局あきらめたのではないかと推測します。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　第二の理由は、ちゃんとした訳がないからだと思います。もう少し詳しく言うと、日本手話と日本語のバイリンガルの人があまりに少ないので、日本手話でのやりとりが日本語化されていないのではないでしょうか。そのため、日本手話を、言語レベルを落とさないで日本語に訳すことができていないからではないかと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ちゃんとした翻訳は、両方の言葉がぺらぺらにしゃべれないとできないと思います。そして習得の過程から考えると、日本手話を母語にする人は、通常、聾の人のはずであり、手話を母語とする人（聾者）は、音声日本語をネイティブレベルで獲得するのは、極めて難しいでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　とすると、日本手話も日本語もぺらぺらになるには、音声日本語で育った人で、日本手話もぺらぺらにできる人に限られるような気がします。しかし、通常の聴者の家庭に育った人が、ある年齢になって日本手話を習っても、ネイティブレベルになるのは難しそうです。そもそも、日本手話は英会話のように、学校や辞書があるわけでもないので、日本手話のコミュニティに入って学ぶしかありません。聴者の中で育った手話勉強者には日本手話のコミュニティに入るチャンスは滅多にないでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そんなことで、日本手話と日本語を両方ともネイティブレベルで獲得できる最適者は、聾者の家庭に生まれた聴者の子供（CODAと呼びます。）のような気がします。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　とにかく、日本手話でなされた会話・物語を日本語に訳して公に出版して欲しいと思います。日本手話は、記録としてほとんど残されていないし、まして日本語に訳されたものは、ほとんど人目に触れていません。この状況では、その言語力の高さも、その考えの深さもわからないままです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　現在、日本手話と日本語のバイリンガルの方、まず、詳細な表現まで載っている日本手話日本語辞典を作ってさい。そして中身の深い会話を日本語に訳してください。そうすれば、日本手話の完成度の高さと日本手話利用者の思考の深さがわかると思います。それが日本手話文化のステータスアップに繋がると思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そして、出来れば、日本手話の文字化にもトライしてください。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/47954672.html</link>
			<pubDate>Sat, 30 Jun 2007 10:59:52 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>７８．自分より高収入を目指す</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/14/47831014/img_0?1182646192&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_120_90&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　今回は、題名がストレートです。こういう内容の原稿をUPするのは、ちょっと勇気が要ります。でも、ずっと考えてきたことです。ほかの聴覚障害児の親が、子供の収入についてどう考えているのかは知りません。でも私は、｢自分より高収入に。｣と考えてきました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　息子が小さい頃、テレビで聴覚障害者の番組があるとよく見ていました。日本全国の聾者の紹介を見ていると、ご自分で会社を設立したりして、ビジネスで成功している凄い人がたくさんいらっしゃいました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そんなのを見たり、聞いたりするたびに、｢障害があるからといって、夢をあきらめることはない。ウチの息子もあんな風になって、高収入になって欲しい。｣と思っていました。そんなことを考えていたので、なりたい職業をあきらめるべきではないと思ったのかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　聾学校の先生の中には、明らかに子供たちに対して｢なんとか生活できればいい。｣と思っているとしか思えないような発言を耳にします。とても残念です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　私は、ウチの息子は私より高収入になって欲しいと思っているのです。息子がお金に興味があれば、の話ですが。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/47831014.html</link>
			<pubDate>Sun, 24 Jun 2007 09:49:52 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>７７．中度難聴のこと</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-cf-03/csj_o/folder/1030880/92/47686092/img_0?1247366208&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_99_66&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　今回の話は、本来私が書くことではありません。でも、息子と一緒に育ってきた友達の話を見て、聞いて、感じたことです。私が考えてきたことでも、やってきたことでもありませんが、中度難聴の子供たちを見ていて、どうしても書いておきたいことです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　わが家の息子は重度難聴ですが、同じ聾学校には、重度ではない子供たちもいます。聴力が60dB～80dBの中度難聴の子供たちと、わが家の息子のように100dBを超えている場合では、発達がまったく違います。特に乳幼児期から幼稚部のころは、言語力は圧倒的に違います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　考えてみれば当然です。かたや聞こえづらくても、聞こえている子供と、まだほとんど音の存在を知らない子供なのです。圧倒的な差があるのは当たり前です。この状況で毎日を暮らしていると、毎日焦り、将来の不安の中でもがく重度難聴の子供の親に対して、中度難聴の親は不安度が低いようです。重度難聴の子供たちの中で、この中度の子供たちはいつも優等生でいられます。とにかく、この年齢のころからお話ができます。言葉をほとんど発しない重度の子供たちとは全然違うのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そして、この状況だけしか見ていないと、親に誤解が生じるように思います。｢ウチの子は、聞こえる世界の子だ。｣と。この考えはそのまま子供に伝わり、｢僕は（私は）、聞こえる子なんだ。｣という意識が育ちます。一緒にいる重度難聴の友達を見て、親も子も日々その思いを強くするのではないかと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　実は、こういう子供たちが、大きくなったときに、日本語の理解ができていない場合が結構あるのです。理由は、私が推測するに、彼らは、聴者のようにはっきり聞こえているのではなく、あいまいに聞いているからだと思います。たとえば、彼らと普通のスピードで話すと通じるのですが、ゆっくり話すとわからない場合があるのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ここから考えられるのは、彼らは１語１語をはっきり聞いているのではなく、イントネーションで理解しているのでしょう。結果として助詞や助動詞がしっかり身についていないことがあるのだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　実際に彼らの書いた文をみると、正しく助詞・助動詞が使われていない場合が少なくありません。以前も書きましたが（１０．人間は言葉で考える　参照）、日本語は助詞・助動詞が正しく使えないと、ものごとの関係がとらえられません。結局、日本語の理解ができないことになるのだと思います。この状況に気付くのは、９歳の壁の時期以降、実際には中学に入ってからくらいでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　私はこの時点でも十分やり直しは効くと思います。でも、ここまでこの状況で育ってしまうと、親も子供も｢わが子は（自分は）聞こえる世界の人間なんだ。｣という意識が強く、聞こえない側に立ってやり直すことは考えられないようです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　加えて、彼らはその意識のせいで、手話に拒絶感がある場合が多いようです。彼らは多くの場合、聾学校から出て、聴者の世界に入って初めて自分が聴覚障害者であることに気付きます。聴者とのコミュニケーションがうまく取れないことに気が付くのです。しかし、彼らの意識は相変わらず聞こえる側の人間であり、手話を習おうとしない場合が多いようです。結局、聴者にも属せず、聾者ともコミュニケートできないという、自分の住む世界がない人になりかねません。彼らは、いわゆる、アイデンティティに悩む人になって行きかねません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　重度難聴の場合は、この状況には比較的なりにくいと思います。理由は、最初から、親も子も｢聞こえない｣ことを前提に生きているからです。日本語の習得も時間をかけて丁寧にやります。そうしないと習得できないからです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　中度難聴であることに油断は禁物のようです。親は、小さい頃に聾学校の優等生であることに胡坐をかかないように。そして、彼らが大きくなって初めて自分が聴覚障害者であることを知ることをよく考えてあげて欲しいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/csj_o/47686092.html</link>
			<pubDate>Sun, 17 Jun 2007 10:44:29 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		</channel>
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