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黒壁の原点、というべき基地のような建物
平成27年1月14日(水)、滋賀県長浜市の「黒壁」の研修。長浜市は東に名峰伊吹山を望む琵琶湖東岸の街だ。ここにはすでに2回訪れており、今回観光カリスマの笹原さんがまちづくりについての講師をしていただいたのだが、笹原さんもお会いするのが3回目のような気がする。
はじめて長浜市を訪れたのが20年近くも前になるため、かなり時間が経ったような感じで、最初の時は溌剌とされて旧店舗の活用や街並みの店舗の地図のことについて話された印象があるが、それからの時間の経過を感じる。
「黒壁」というまちづくりの座のようなものを有志で立ち上げ、北国街道に面する商店街を復興させていったという実績を学ぶため多くの視察団がこの街を訪れていた。今回黒壁の活動についてなんとかそれなりにやって来た、といった説明をされたのだが、以前来たときはあれにもチャレンジ、これにもチャレンジなど熱烈に邁進したと言う話を聞いたような気がする。
そもそも長浜市の街並みは伝建地区に指定されていない。重伝建に選定されるところを断ったのだそうだ。その理由は、地区に指定されると、自由に改修やまちづくりができない、いろいろな規制に縛られるのが弊害になると考えたという。
歴史的に琵琶湖の畔では、姉川の合戦・賤ヶ岳の合戦・関ヶ原の戦い・天王山の戦いなど4つの大きな戦いがあった。また、豊臣秀吉が楽市・楽座を長浜に作り、600店舗くらいの商店街が出来た。しかし、街並みの活性化に取り組んだ頃は店舗が100店舗くらいまで商店が減って、ガタガタになっていた。
それは、大規模スーパーの戦いがこの地域で展開され、平和堂がやってきたときに全国から平和堂潰しに他の大型スーパーが集中してきたという特異な条件があり、その結果商店街が潰れていた。
また、長浜市が黒壁で有名な銀行の建物を買収しようとしたが、市議会が反対。1億4千万円の買収費用が必要だったのだが、市は4千万円以上は出せないということになったのだそうだ。不動産業者は9千万円で黒壁の銀行を買収しており、昭和62年に建物取り壊しが決定されていて、街並みの中心となる建物がなくなる寸前の昭和63年4月、黒壁を立ち上げた。
1年くらい、検討した結果ガラスを基本にガラス街道計画でまちづくりに取り組むことになり、各地でガラスについての勉強を重ね、廃業した店をガラス関連の店舗に改修するなど取り組んできた結果、以前は100人/月くらいの買い物客だったが、ガラス街道文化で3万人/月くらいの人がくるようになった。
その後、美術館を作ったり、工房を増やしたりすることに取り組み、5年目に3億の増資をするまでになったが、シャッターを閉めた店が、自ら再び店を開けるということは30年間なかったそうだ。
商店街には良い店を選んで入れていったので、5店舗/年くらい増やしていって、今では180店舗くらいになった。そのような取組の結果、25年経ったときに、45%がリピーターだったということで、日本の中でもまちづくりの成功事例として注目を浴びている。
曳山博物館でまずは黒壁のまちづくりを研修
笹原さんのレクチャーを1時間ほど聞かせていただいた
特に、マップに店舗を掲載するかどうか、また、その掲載費5万円を集めて運営にあたるなどが、これまでのまちづくりの運営で重要だったそうだ
この博物館は前回、来たときには建設されてなかった。結構新しい建物で、これも町の中の重要な一角を成していた
黒壁を運営するNPOまちづくり役場が入る建物。商店街にある。前回はここの中で研修をした
商店街もリフレッシュされていた。アーケードがあるが、重伝建ではアーケードがあったのでは選定されないと思う
黒壁の銀行は、現在ガラス館として利用してあるが、その横にはガラスの噴水のオブジェがあった
黒壁ガラス館は、北国街道の要所でもある
黒壁スクエアの黒壁5号館
お漬け物屋・たなか
黒壁スクエアのカフェ
看板1・禄兵衛
看板2・きむら
看板3・しもむら
看板4・渡辺
看板5・ながた
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地域:視察



