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2015.11.1朝からカサ・ミラのあるディアゴナルへ。
行く途中で朝食を食べようとBar y Pan へ行ってみるが日曜日のためかやっぱり店は開いていない。結局、滞在中ここで朝食を取ることはできなかった。 毎日のことになるが、凱旋門まで歩いて行ってアルク・ダ・トリオンフからグロリアスまで地下鉄で移動。駅から地上に出るとラス・グロリアス・カタラナス広場で、サグラダ・ファミリアも近いところに見える。今丁度広場を整備する工事を行っているところだったので、次回来ることがあればここらも美しくなっているに違いない。 ラス・クロリアス・カタラナス広場には近代的な建物も出現していた
ここへ来た目的は、バルセロナ闘牛場を一目見ておきたいという思いからで、現在闘牛は条例で禁止されているらしく行われていないということだが、闘牛場はそのままで残されていた。煉瓦造り風で、チケット売り場には牛の模様が施されていた。
バルセロナにはかつてもう一カ所他の闘牛場があったそうだが、そこはすでにショッピングモールとして再利用されているようだ。ここもきっと次に来たときには観光名所として遺跡のように取り扱われているような気がする。 さらに、ガウディ作のロベルト博士の像がテトゥアン広場にあり、そこまで闘牛場から町並みを散策しながらお踊りを歩いて行く。バルセロナの朝は立ち上がりが遅いため、まだ人影は疎らで、冷たい気持ちの良い空気の中約10分程歩くと広場に到着。
ちょっとベンチに腰を下ろし、カサ・ミラへ行くにはどの地下鉄を利用するのが良いかガイドブックで確認する。結局、地下鉄に乗ってそこから闘牛場、サグラダファミリアを経由してもう一駅行くことにした。 地下鉄の前方出口から地上に上がると、街路樹の美しい並木道が海へと向かって続いていた。そこをバルセロナを代表する大通りグラシア通りと勘違いして、ずっと歩いて行ったのだが、朝食を摂っていなかったのでバルに入ろうと左へ曲がった。
そうするとなんとなくずっと向こうにカサ・ミラのような建物が見える。そこに近づくとさっき歩いていた通りはグラシア通りではなく、その1本西の通りで、道を間違えていたことに気づいた。偶然だが、ここでわかったのはラッキー、結局カサ・ミラには迷わずに行くことができた。 カサ・ミラの正面ファサード
一方通行のグラシア通り。カサ・ミラの前辺り
下から見たカサ・ミラの屋根
カサ・ミラはグラシア通りに面して角にあって、通りを行く人たちに顔を見せながら何かを主張しているかのようだ。明るいクリーム色の外壁がいかにもスペインらしい。窓の下の手摺りが金属製で、廃品を集めて作られているらしく同じ形状のものは一つと無い。外壁と対比するようなダークグリーンで、これまた直線部材もなく海藻が絡まり合ったような手摺りとは思えない手摺りだった。
内部は日本円で約3000円のチケットで見学ができ、日本語のガイドフォンを貸してくれる。
ヘッドフォンで聴きながらエレベーターでまずは屋上へ。数々の煙突の芸術に驚嘆するが、これがガウディの最大とでもいうべき特徴で、屋上を無機質なものでなく散歩のできるような楽しい空間にしている。普通の建築家ならここまでできないし、このような人形のようなオブジェにまですることを思いついたりもしない。第一、クライアントの了解を得られはしない。今から百年以上も前にそのようなことを理解する人がこの町にいたということも驚くべきだし、そのような造形を作り上げた建築家というか芸術家の情熱にただただ脱帽なのである。
まずは中庭へ。ここからEVへ向かって、屋上に上る
屋上のオブジェ(煙突や排気筒)
屋上からなかなか離れることはできないし、人も次々にEVであがっては来るが、バルセロナの見学ポイントは適切に人数管理ができており、混雑しないように入場者数を調整しているようだった。そこらが観光立国のノウハウで、全世界から押し寄せてくる観光客に対して、母国語の解説などを用意している点などは日本でも学んでいきたいところだ。
屋上でガウディの考えの一端に触れ、登ったり下ったりとする屋根に驚きと感動をしたまま階下の屋根裏部屋へ下りる。そこは、ガウディの博物館のようなものだが、蛇の骨の中のような印象だった。ここでも、曲がりくねった動線やアーチのような天井、どうしてこのような部屋にしたのだろうかという思いなどを感じながら見学する。カサ・ミラの模型などガウディの設計思想が伝わるような資料が展示してあった。しかし、ガウディは建築家とはもはや言えなくて、建築を自分の思うような芸術に作り替えた神であるようにも感じるようになった。そのような点もガウディの建築群が世界遺産にしてされたのだなと思う。
ガウディの博物館のような展示もあった
その後、1フロア階段から下りてミラ6階へ。
実はこのマンション、7階建てで屋上にオブジェのような煙突や排気筒があり、バルセロナの違法建築だったそうで、色々な経緯があり取り壊すことが決まっていた屋根裏部屋の7階と煙突を残すことができたという因縁がある。 6階が最上階ということで、もともとはミラ夫妻が居住していたのではないかと思えるような19世紀後半から20世紀前半のブルジョアの生活の様子が覗える。お手伝いさんの部屋など明らかに家主とは違った雰囲気の部屋もあり、今でも世界遺産になってこれ程観光客が来なければ、生活の場として使うこともできる。現在でも4世帯が実際に他のフロアで生活している。 内部の窓もアート
使用人用のキッチン
バス。これが百年前に造られていた
通りに面した寝室
カサ・ミラは結構時間を掛けて見学して、次はカサ・バトリョへ。
カサ・バトリョはカサ・ミラからグラシア通りを3ブロック南へ行ったところにあった。隣の建物もガウディとは思えないが、結構ファサードが主張している印象を受ける建物があった。あとで、ガウディ、モンタネールに続く、モダニスモ第2世代を代表する建築家プッチ・イ・カダファルクの設計のカサ・アマトリェールであることがわかった。 ここへきてやっと朝食。バルでパンとオレンジジュース。毎日こんなものだが、結構パンも美味しい。 カサ・バトリョには非常に多くの人が入館を待って並んでおり、入場にも時間が掛かりそうに見えたので友人とはここから別行動をすることにした。自分の場合は出来るだけガウディを見ておきたいという熱い思いがあったが、友人はもっと市場や違ったところなども見たいと言うので、それは当然のことであり3日目の後半だけはそれぞれが自由に過ごすことにしたのだ。
カサ・バトリョの横のバルで、バルセロナ最後の朝食
隣のプッチ・イ・カダファルクの設計のカサ・アマトリェール
カサ・アマトリェールは屋根の形状が独特な形をしている
カサ・バトリョのファサード
カサ・バトリョの入館料も高額で約3000円程。ここは、ラジオフォンの代わりにスマートフォンのようなものを渡され、部屋に入るごとにアイコンをクリック、そうすると解説が流れ端末を向けた方向の壁の昔の様子や天井から亀が飛び出してきて部屋の中を泳ぎ回るなどの画像が映し出される。向けた方向によって画面も移動し、不思議な演出であるが、日本の観光施設などと比べるとかなり先進的なガイドが仕掛けとして演出されていた。
言葉も各国の言語に対応して変わり、世界中から集まった旅行者はみんなどうようにモニターを見て聞きながら部屋を移動していた。これはよくその建物を理解する上で有効に役立っていると思われ、解説の中にはそのようなことをしているので高い入場料を取ることやそれが施設の維持管理に使われていることなどについても触れられていた。
建物に入ると玄関から湾曲した木製手摺りのある階段を2階へと登り、こちらも100年前のブルジョアの暮らしと住まいを見ることになる。内部の木製の建具に至っても曲線が多く用いられて、ガウディは直線を遠ざけたいのだという気持ちが伝わってくる。さらに、リビングからプライベイトな屋上へでる。このようなところのタイルまでオリジナルのモザイク模様を考えたようで、ガウディが当時のバルセロナの人気建築家だった所以だろう。
カサ・バトリョの内部
床のモザイク模様
カサ・バトリョの裏のファサード
その後、中庭に面する階段を登って屋根裏部屋へ行く。
EVもあり、これはホテルのと同様百年前くらいの作りで、ただガラスが真新しいため古さを感じさせない。中庭の壁も青のタイルのグラデーションで、下に行くほど明るい水色のタイルが多く使われていた。 屋根裏部屋の廊下
屋根裏部屋はカサ・ミラと同様魚の骨のようで、昔は家政婦さんなどの部屋があったり洗濯部屋などが配置されていたようだ。そこから屋上へと上るのだが、カサ・バトリョの屋上の煙突もモザイクタイルが張ってあり芸術的なオブジェとなっていた。これはガウディが後世に残したメッセージのようだ。
屋上の煙突のオブジェ
3階には土産物売り場やガウディが制作したという家具などが展示販売されていたが、例えば椅子などは約30万円ということで、ちょっと手が出る代物ではなかった。また、記念のお土産なども軒並みインフレで、円安の時の海外旅行の不利さを実感したのだった。
賃貸用の部屋の入口のドア。文字までガウディがデザインした
ガウディデザインの家具も販売されていた。しかし、高すぎる感じ
その後、ピカソ美術館へ行こうと思っていたが、カサ・ミラ、カサ・バトリョのインパクトが非常に大きかったのと、独自の建築スタイルを確立したガウディについてもっとその作品を見ておきたかったので、最後にグエル邸に行くことにした。 グエル邸まではカサ・バトリョから地下鉄で2駅。
パセジ・ダ・グラシア駅からリセウ駅まで行き、リセウ劇場で地上に出た。休日でもあり、また、メインのランブラス通りということもあって、多くの人が行き交うところだった。しばらく港方向へ歩いて右折。何故かインスピレーションでぴったりのところで曲がったのだ。少し歩くとグエル邸はすぐに見つかった。 グエル邸は、他のガウディ建築と比べると見学者は少なくてゆっくり建物を見ることが出来た。ここも日本語のラジオフォンを貸してくれ、詳しく解説してある内容を丹念に効きながら1階から正面階段を2階へ上がる。
2階には中央ホールがあり、そこではコンサートや礼拝の集会などが行われるようになっていた。さらに、リビングもありパイプオルガンの演奏台やビリヤードの部屋なども配置してあった。ビリヤードの部屋は令嬢立ちが絵を描いたりするのにも使われていたそうだ。
グエル邸のファサード
内部床も石張りで、最高級の造りとなっている
2階から3階へと続く階段
中央ホールの正面側の吹き抜け
3階はオーケストラがコンサートの時に楽器を演奏するスペースや執務スペース、寝室などの各室が配置されており、4階は屋根裏部屋のためかオープンな状態で使用人の部屋や厨房があったそうだ。
グエル邸裏側のファサード
さらに、屋上へ上がるとこれまた煙突の芸術に圧倒されたのだ。しかし、グエル邸の煙突は細かく砕かれたモザイクタイルでとても美しいオブジェとなってはいたが、ガウディが造ってから老朽化していたものを研究者たちが修復したということで、リニューアル後のオブジェというのが正しいと思われる。
それにしても、当時のガウディが屋上を楽しくするスタイルを確立していった初期の頃の状況を見ることが出来る。グエルは、別邸として建築したこの建物を大変気に入ったそうで、できばえに満足したため本館として使用されていた。今では世界遺産となっている。
グエル邸屋上にて
グエル邸の見学にもかなり時間を要した。それは、ラジオフォンがしっかりと解説してくれているためで、ガイドブックに書いてないようなことまでよくわかり、それがとてもありがたかった。しかし、バルセロナでの残された時間はもう少なくなりつつあった。あとゆっくり見ることが出来るのは1カ所くらいかと思われた。 そこで、グエル邸から宿のカサデバルサまで歩いて帰ることにし、途中のポイントを見るとしたらどこがあるかを検討、まずは、ガウディが設計したというガス灯があるレイアール広場へ行った。ここは建物に囲まれており、多くの人が休日を楽しんでいるようだった。
レイアール広場からサンタ・マリア・デル・ビ教会を経由してカテドラルへ。
カテドラルの内部も回廊や美術館などを見学するという選択肢もあったが、中へ入るとそれが最後のイベントとなってしまう時間だった。だったらピカソ美術館が捨てがたく、そっちへ行ってみることにした。 礼拝堂
途中、バルセロナ市庁舎も見ておきたかったので、サン・ジャウマ広場へ立ち寄って、バルセロナ市歴史博物館と王の広場を訪ねる。古い建物や礼拝堂などを見て、いよいよピカソ美術館へ。入館しようとすると入口がわからない。
どうやら多くの人の入館を待つ行列が出来ており、それが延々と何百メートルも続いて最後尾がわからないくらいだった。もう時間切れ、と覚悟して建物中庭の写真を撮り、サンタ・カタリーナ市場の横を通って宿へ帰ることにした。夕食まで少し休んで、最後のバルセロナの夜の町で友人と食事をすることにしていたので、それまでに荷物の整理などをした。
夜は午後7時くらいにカサデバルサを出て、サンタ・カタリーナ市場の中にあるレストランでハムや魚料理などを食べた。餃子は6個で1500円程で、1個250円になる。豚太郎では7つで250円なので、バルセロナの餃子1個分で日本では1人前が食べられることになる。あとはビールを飲んで、バルセロナの3日間を締めくくった。
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