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餘部鉄橋の高さまで登ってきた
平成28年2月12日(金)、香住温泉から山陰海岸を西へと進み、餘部橋梁へやってきました。
ここは、昭和61年に鉄橋から客車が地上まで約50mほど強風にあおられて落下しカニ工場で働いていた人と車掌の計5名の命を失ったという悲しい歴史があるところです。
その時の列車は、気動車が客車を引いていたのですが、気動車は鉄橋上に残り、回送中の客車が下まで落ちたようで、今では鉄橋はコンクリート製の橋梁に架け替えられ、もし列車が顛倒しても下へすぐに落ちるということはないような対策がとられていました。
地形的には日本海に向かって谷が迫っており、この狭い谷に海からの風が突風となって襲いかかるような状況が起こったのだろうと現地に立って思いました。古い鉄橋は一部を残して解体され、鉄橋に使われていた鉄骨やリベットなどが小さく切られてお土産として道の駅で売られていました。
その後、加藤文太郎の出身地の浜坂へ立ち寄り、加藤文太郎記念図書館を訪ねました。
加藤文太郎とは、山登りをする人のバイブルともいえる新田次郎の「孤高の人」のモデルとなった人で、神戸の製鉄会社に勤めながら登山の創生期に単独行という登山スタイルで山岳会の常識を覆し、伝説の人となっています。
その加藤文太郎が生まれ育った浜坂がどんなところか、ずっと前から行ってみたかったのですが、今では温泉を中心に町が賑わっているようで、街中の魚屋さんではカニがたくさん売られていました。
しかし、肝心の加藤文太郎記念図書館は、金曜日というのにおやすみで、中へ入って加藤文太郎にかかわる資料などを見ることができませんでした。また、訪れて見ることにします。
山陰海岸を鳥取を通って境港まで行ったのですが、結構高速道路の整備が進んでいて、しばらく来ない間に随分と変わっていました。大山を左手に見ながら西進しましたが、雪を被った大山が進むにつれてその姿を変えていくので、とてもきれいです。米子が近づくと大山スキー場がよく見えるようになり、何度もここへはやってきているので、その思い出を振り返ることができました。
米子を過ぎてラーメンショップを発見!
ご当地の味はどのようなものかと期待されましたが、鶏ガラスープでとてもおいしいもので大満足。旅に出たときはいろいろなものとの出会いが楽しみです。
境港は何度も訪れたことがありますが、うちの嫁さんが来たことないというのでちょっと立ち寄るつもりで行きましたが、思った以上に買い物やら何やらで時間がかかり、やっぱりここはもっとのんびりと来ないともったいないように思います。
あとは、中海を渡り松江から松江道路で福山西ICまで南下して、しまなみ海道を通って帰りました。
香住温泉のお土産やさん。カニ漁師の網元経営だそうで、買って帰ったカニを食べてみると本当に美味しかった。
松葉ガニは値段の差が激しいが何故か、と訊ねたところ、浅いところにいるカニは動きも活発でミソがたっぷりあって身も美味しいが、深いところのカニは動きがあまりよくなくてミソも入ってないらしい。その中間と3つに大まかに分けて、値段も3ランクあるらしい。
真面目に買えば、おいしいものが手に入ることになるみたいた。
海を目の前にした、谷間の出口に餘部橋梁が見えてくる
鉄骨の支柱の一部が残されているのがわかる
道の駅の公園として整備されている
支柱の下には東屋があった
今では、コンクリート製の橋梁のみが、谷間を突き抜けていっている
見上げるほど高いところに、新しいコンクリートの橋梁と、古い鉄橋がある
公園と道の駅
下部構造のみも残されている支柱がある
餘部の町並み
今の餘部橋梁の概要
駅までの登り坂
現在使用されている、新しいホームに上がってみる
古い餘部鉄橋の一部は、展望台になっている
餘部鉄橋は途中で切れている
一部は展望台に
鉄橋支柱の最下部だけ残されているところもある
橋梁の一部は、国道の向こう側に置いてあった
支柱の一部が、リベットだけ取り出され、文鎮のお土産として道の駅で売られていた。ちょっと、高くない?
加藤文太郎の故郷、浜坂に立ち寄る
加藤文太郎記念図書館で、登山に使われた道具や資料を見ようと思って立ち寄ったのだが、金曜日なのになんと休みだった!!!
大山北壁。大山国際スキー場・中ノ原スキー場などが見えた。
米子で立ち寄ったラーメン店。なかなかお薦め
境港駅&港のターミナルビル
JR境港駅前には、新しいホテルが出来ていた
いつもの鬼多郎のブロンズ像
こんなお酒も売っていた
水木しげるロードの突き当たりのアーケード
鬼太郎の子供の頃を表現したブロンズ像。水木しげる記念館前にある
ねずみ男と握手
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国内:山陰




