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書庫マレーシア

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サンチャゴ砦。1511年にオランダとの戦いに備えるため、ポルトガル軍によって作られた大砲もある砦で、マラッカらしい遺跡です



 
 2日目、オランダ広場の続きです。
 オランダ広場からスタダイスの中にある階段を登っていきます。そして、スタダイスの中を観光するのかと思ったら、「ここがスタダイスです」とガイドさんが言うだけで素通りして丘の上のセント・ポール教会へと向かいました。

 ANAのツアーでは、二人以上でマラッカまで連れて行ってくれるのはいいのですが、観光がザッとしていてじっくりと見る時間がありません。自分だけで見ろ、と言われればそれでも一応は見ると思いますが、そのような配慮もないため、ただ通り過ぎていくという感じ。

 ちょっともったいない感もありますが、一方では「早くごはんを食べたい!」みたいな思いもあるので、そこらを配慮して、さっとやり過ごすのかもしれません。
 それに世界遺産とはいうものの、それ程見る価値がないものだったのかも、と思ったりします。


 スタダイスがある丘の上に立派な建物のムラカ・イスラム博物館がありましたが、「ここはイスラム教の博物館です。」とガイドさんは言うだけで、中に入ろうなどという雰囲気は全くなかったのです。

 ガイドブックによると、マラッカ王国時代から現代にかけてのマレーシアにおけるイスラム教がテーマで、さまざまなコーランの本やスルタンの装飾品などを展示してある、と簡単に紹介しているだけなので、あまり見ても感心が湧かないところなのだろう、と思いました。そこらを見越して、先を急いだのだったとしたら、さすがANAとも言えるかもしれません。


 結局、ストレートに丘の上へ上がってセント・ポール教会まで行きました。
 ここからの展望は良くて、マラッカ市内を見渡すことができ、ここへきてやっとマラッカ海峡を行き交う大型船の姿も見ました。

 マラッカ海峡は、瀬戸内海よりも広くて大洋という感じで、スマトラ島など全く見えません。海峡といいながらも宗谷岬と樺太くらいの距離はあるのだと思います。まあ、海峡の対岸はインドネシアですので。

 また、スマトラ沖地震などもありましたが、そのような大地震の震源となる断層やプレートはスマトラ島の向こう側にあるらしく、そのため地震の影響はスマトラ島が防波堤のような役割を果たしていて、マレーシアではほとんど地震の心配はないそうです。


 セントポールの丘でしばらく滞在して、今度はスタダイスの反対側へ降りて行ったところに、サンチャゴ砦がありました。おそらく、昔はこの辺りまで海が迫っていたのだと思われます。そのような砦を見ながら、ここ五百年の間にオランダやポルトガル、イギリスなどに占領されてきてマラッカの歴史を感じたのでした。


 マラッカの観光はこれでお仕舞いで、遅めの昼食をホテルでいただいて、クアラルンプールへもと来た高速道路を通って帰りました。







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オランダ広場からスタダイスの階段をセントポールの丘に向かって登ります




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階段を登ったところにあるスタダイス入口。歴史博物館、民族博物館を見学する場合は、ここから入って行きます




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正面の丘の中腹に見えるのがムラカ・イスラム博物館です




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途中には、昔の消防車などの展示がありました





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海の博物館方面。目印の巨大な木造船のマストが見えます




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マラッカ・タワー。ここからは、マラッカ海峡の展望が良さそうです




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セント・ポール教会までの登り





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セント・ポール教会は、白い灯台の後にありました




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セント・ポールの丘に立つ、フランシスコ・ザビエル像




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セント・ポールの丘からマラッカ海峡を見たところ。もっと、高い山の中から海峡を見下ろす、というような情景をイメージしていたのですが。



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遠くを行く大型船を何隻か確認することができます




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セント・ポール教会の手前には、現在では白い灯台がありますが、これはもともと教会の塔があったのを、イギリスが破壊して、その後灯台を建てたという歴史があります



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灯台の右側を周り込んで、セント・ポール教会の中へ入って行きます。ここには、マラッカへやってきた旅行者はみんなやって来るのではないか、と思われるほど、いろいろな人種の人が集まってきます



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フランシスコ・ザビエルは、1545年から殉教する1552年の間、イエズス会の責任者として定期的にこの教会に布教に来ていたそうです。そのためか、この地では聖人として祀られていました




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セント・ポール教会は、屋根がなくて外壁のみになっていました。マカオの聖ポール教会も外壁だけになっていました。聖ポールもセント・ポールも同じ名前かとは思いますが




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墓石がたくさん並べられていますが、この丘の一部に、プロテスタントの信者の墓があり、それを政府が撤去しようとしたときに墓石だけここへ運び込んだのだそうです




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セント・ポール教会入り口から見たマラッカ海峡方面




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墓石は両サイドに立てかけられていました。この教会はカトリックであったため、ポルトガル、オランダ、イギリスと支配者が移り変わる中で、プロテスタントの時代に放置され、朽ちていきました。
現在は、イスラム教の国であるため、キリスト教の墓地は撤去止むなしとなり、それにカトリックが手をさしのべて墓石だけでも保存を、ということになった経緯があるそうです



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聖人フランシスコ・ザビエルは中国への布教の際に熱病で死亡し、インドのゴアへ運ばれる際、9ヶ月間この教会に安置されました。そのため、カトリック信者にとっては、ここは聖地として大切にされていました







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セント・ポールの丘から下りてきたところに、サンチャゴ砦があります。セント・ポール教会同様、赤い鉄骨で壁を補強してありました




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横から見るサンチャゴ砦。歴史を感じさせます




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大砲も設置されていました。ちょっと小さいかも




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サンチャゴ砦内部




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サンチャゴ砦から見たパラメスワラ通り。セント・ポールの丘の反対方向になります




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サンチャゴ砦にて




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オランダ広場からセント・ポールの丘を越え、サンチャゴ砦へと下りてきましたが、この先にツアーの車が待っていてくれました。そういうところがツアーの良いところですね



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独立宣言記念館




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レストラン「セリ・ニョニャ」があるホテル、エクアトリアル・マラッカ。昼食は、ニョニャ料理でした




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ニョニャ料理は、一皿の量が多いのでみんなで分け合って食べるそうです。今回は、もう一組のご夫婦と4人でいただきました。
結構、観光でも歩いていたのでビールがおいしかった




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チキンのスープ煮込み




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ニョニャ風エビカレー




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魚の天ぷらのようでした






 ここからは、クアラルンプールに帰って、ホテルでの夕食です。
 いろいろと食事に出るところの候補はあったのですが、朝クアラルンプールについたところだし、マラッカ観光でも結構疲れたので、ホテルのレストランで夕食を取ることにしたのです。

 たまたまネットで検索して探したレストランの一つが、シャングリラの中にあったということもそうした理由でもありました。

 このダイニングは、ジパングといい、日本料理が中心のようです。
 鉄板焼きなどもあるということだったのですが、海産物や肉などをオーダーして焼くというスタイルで、高級感はあまりないのですが、結構値段は高かったです。

 それくらい出せば、外出してレストランへ行った方がよっぽど良いものをチョイスできるように思いましたが、ここは利便性を優先したのでした。





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ジパングはバイキング形式で、かなりの種類の料理が用意されています




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結局、寿司のようなものもいただきましたが、スイーツなどは特に充実していて、この日がクリスマスということもあって、ケーキはたくさんの種類が用意されていました














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