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太陽の石「アステカのカレンダー」。直径3.6m
国立人類学博物館の中でも、1階奥の第5室テオティワカンから第6室トルテカ、正面奥に当たる第7室アステカ〜第8室オアハカ、第10室マヤにかけての展示が最も見応えがあり、メキシコ国内各地で発掘された遺跡のオリジナルが展示してあるということでもあり、世界的に貴重なものでした。
これらを実際に目の前で見ると、自分のちっぽけさというか知識の無さを実感するものであり、この中央アメリカの歴史はこれまで考えていたものよりも深くて貴重な文明が営まれていたので、世界には人類が脈々と活動してきた証が残されているという素晴らしさを身にしみて感じました。
メキシコを旅したとき必ず目にしなければならないのですが、この中世までの人たちは人間を生け贄として神に捧げる風習が根強く、それを誇りとするような社会だったことに驚かされます。スペインが征服してカトリックの布教をしなければ、今でも生け贄の心臓を神に捧げるような人生観をもっていたのではなかろうかと、恐ろしくなってしまいます。
この国立人類学博物館には大変貴重な歴史の資料がたくさん展示してあるのですが、事前勉強の不足と中米の歴史についての知識の無さもあって、宝の持ち腐れ的な感を感じてしまいました。これ程素晴らしいものを見て、十分に理解できないというのはなんとも寂しい気がします。
また、時間が十分なかったこともありますが、現地ガイドを雇うなりして、最低でも半日くらいはかけてゆっくりみるだけの価値があるところで、メキシコ政府もこれだけの考古学博物館をよく整備しているな、ということで感心もした次第です。
とにかく、展示されている本物の歴史の証拠が素晴らしいと言えます。
第7室アステカの部屋に、正面入口から入ったところ。ジャガーの石像の後の中央に、もっとも見所かと思われる「太陽の石」が展示してあります
ジャガーは神の象徴であるため、立派な石像があるのかと思いましたが、これも生け贄の心臓を入れるためのものだそうです
死の神の司祭の姿
第7室アステカの部屋全景。といっても3分の1くらいが写っています
戦う戦士のレリーフ
中央部の溝は、血を流し落とすためだそうです
アステカ族は生け贄が大好きで、生きた人から心臓を取り出して神に捧げることが最も大切と考えていたのでしょうか。戦いの様子が伝わってくる彫刻や飾りが多く見られました
蛇の頭の石像
蛇の頭の像はたくさんありますが、アステカ族がこの地にやって来たときに、蛇に苦しめられたという歴史があるのかと、ついつい思ってしまうほどです
メキシコシティは、アステカ族がテスココ湖を灌漑して埋め立てた所。アステカ帝国は、テスココ湖の小島が「サボテンの上で蛇を食べている鷲がいる地」という約束の地として建国され、スペイン人の支配の後今日のメキシコになりました
湖上に浮かぶティノチティトラン。中心部には500m四方の聖域があって、神殿や球技場などがあったそうです
ティノチティトランの市場の賑わいのジオラマ
第7室のアステカカレンダー
アステカの神の像。左は、最高神ウィツィロポチトリの母であるコアトリクエで、骸骨の顔と蛇のスカートを纏っています。右は、火と光の神シュウテクトリ
コヨルシャウキ女神。アステカの月の女神で「黄金の鈴」を意味しています
第9室メキシコ湾岸のオルメカの巨大人頭像
干魃と雨を司っているというトラロック像。いろいろな像があるものです。子供などの生け贄が捧げられたともいいます
地下パレンケの王墓の復元
翡翠のマスクを着けた埋葬者(地下王墓の復元)
中央に火の神、両サイドに暦の象徴を両手で支える年老いた神。マヤの神殿のレリーフ
ホチョブの神殿復元
ボナンパック壁画復元
メキシコ湾の部屋
一旦、中庭へ出て、最後の北部・南部の部屋へと向かいます
中庭へ出てみると、辺りは暗くなり、人影も少なくなっています。午後7時まで観ることが出来るので、自分たちにとっては時間が有効活用できて助かりました
この部屋にもチャックロックが置かれています。生け贄にされたのではたまったものではない、と思いますが、メキシコの信仰は、多くの人の犠牲が必要だったことを痛感します もっと時間を掛けてゆっくり観たかったのですが、明るい打ちに国立人類学博物館の見学は終了です。見応えがありました メキシコ・シティの夕方のラッシュ
夕食はホテル近くの日本食レストランに決定!
鉄板焼で、かなり期待できそうです
いろいろな野菜や肉を焼いてくれます
お腹も減っているし、これは美味しそう、と思ったまでは良かったのですが、やっぱり外国に旨いものなしということでしょうか。焼きめしがいちばん美味しかったという結果でした
ここまで書が吊してあったら、日本語が少しは通じるでしょ、と期待しましたが、全くダメでした
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メキシコ・カンクン




