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タージマハール
世界一美しいこの建築物は、ムガール帝国王妃の墓として作られたそうです。川を挟んで、黒いタージマハールを作るという、王の野望は、息子によって断たれ、その後王様は城に幽閉されたという歴史がありました
一生に一度はインドへ行ってみなければ。と気の合う仲間で訪ねた
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インド
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詳細
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タージマハールからアグラ城へ向かう。
アグラ城はタージマハールから西へ2〜3kmくらいといったところで、バスに乗って少し走ると門の前の交差点に到着、そこで車を降りる。駐車場などは整備されていなかった。降りたら直ぐにアマル・スィン門があり、ガイドのチョウハンさんがチケット売り場で入場券を購入、中へ入る。
日本の戦国時代の造りのように、ゲートを入ったら直ぐに右に曲がり、十メートルくらい進んだらまた左へ曲がって場内のスロープを上っていく。赤砂岩で出来た随分と立派な建物で、ムガール帝国の権威の象徴のようでもある。
赤砂岩で出来た城壁
正門
スロープを上った丘の上に宮殿が建つ
ヤムナー川沿いにそびえるこの城は、アクバル帝によって1565年に築かれたもので、内部には宮殿が並び、立木や芝生の広場にはリスがチョロチョロ走り回っていた。ヤムナー川を見渡す眺めが素晴らしく、その先にタージマハールが霞んで見えた。シャー・ジャハーン帝が息子によってこの城に幽閉され、后の眠るタージマハールを眺めていたそうで、その場所がムサンマン・ブルジュとよばれる「囚われの塔」である。
アグラ城宮殿および内部
修学旅行でもここへやって来ていた。宮殿に入ってきたところの広場
宮殿の中に入ると、広場からまた入口がある
入口を入るとまたまた広場があって、この回りに「囚われの塔」もある
謁見の間
謁見の間内部
タージマハールが霞んで見えた
囚われの塔の浴槽
一般謁見の間で皇帝が立つ窓 棺のレプリカ
見学を終えて、出口から出たところ。ここからスロープを下りて元の入口から出る
車を駐める場所もないアグラ城前の交差点
アグラ城の見学終了後は、中華料理の昼食を取る。
ピラフのようなものを食べたが、飯がいつも不味すぎてほとんど記憶に残っていない。ビールを飲んだことだけは間違いない。高速道路でトイレに行きたくなって、日本のようにPAやSAは無いので、路肩に止めて畑で用を足したのだった。
延々とアグラからデリーまで高速道路を走る。
こちらは、これまでの高速道路と違って3車線で、それらしい造りだった。途中、まとものなPAでコーヒーを飲んで休憩もした。
川の畔には牛がたむろしている
アグラ市内の様子(車窓より)
野菜売り
雑貨屋
自転車屋
バナナ販売
道路の大きな交差点の様子
アグラからデリーへの高速道路に乗ると、サバンナのようなところを延々と走る。周りの農地はよく手入れがされていた
デリーに入ると渋滞が始まり、車が動かなくなる。
デリーの最後の予定は、フマユーン廟を見て夕食のインド料理、その後お土産を購入してライトアップされたインド門を見てから空港へ移動することになっている。日没となると、フマユーン廟へ入場できなくなるので、空いている道路を探して、車を飛ばしなんとか入場することが出来た。
フマユーン廟は、ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの墓で、その妃が1565年に建造した。タージマハールに比べれば小さいが、インド・イスラム建築の代表作である。建物内の中央には棺のレプリカが置かれており、本物の遺体はその真下に安置されているそうだ。1993年に世界遺産に登録。
フマユーン廟
フマユーン廟を出ると、夕食のインド料理、お決まりのカレーである。
インドのカレーはとてもまずい。日本のカレーが大変美味しいことを思い出してしまう。だいたい5つくらいの器があってチキンカレー・豆カレー・野菜カレー・ほうれん草カレーなどなど、考えただけでももう食べたくない。6人+ガイドのチョウハンさんで最後の晩餐だ。
真っ暗な中、お土産のお茶やさんへ行く。
中国人が店いっぱいにいたが、負けずにダージリンティを購入。ガイドさんにとってはいい小遣い稼ぎとなっただろう。真っ暗な中にお店があるのだが、その店から出ると、子供たちが物乞いに集まってくる。車に乗ってもしつこく何かをくれと言っていた。
最後にインド門。
インド門は第1次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑だそうだ。遠くから見ただけなので、あれがインド門かあ、という感じで、凱旋門のような印象だった。辺りは各国の大使館街。
夜の官庁街がインド旅行のフィナーレで、そこから空港に向かって深夜1時25分デリー発のANAで成田へ向かった。成田到着は翌日午後1時、リムジンバスで羽田に移動して、午後2時45分発で松山へと向かった。
インド門を裏側から見たところ
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朝6時半起床。
ジェーピーパレスの朝食には期待もしていなかったが、その予想通りあまり美味しそうなメニューはなかった。パンはいただいたが、このような場合は日本から持ってきたハムとマヨネーズが大きな心の頼りとなる。外国へ行って美味しい朝食を食べたような記憶がない。オムレツを頼んでコーヒーとパン、くらいの朝食になってしまった。 結構慌ただしく朝食後の荷物のまとめをして部屋を後にする。
このホテル、かなり立派な造りでしかも低層なためか、平面的にかなり広がっておりロビーから部屋までめちゃくちゃ遠いので、早く歩いても時間がかかる。とても居心地が良くて、疲れていることもありよく眠れた。窓からも芝生の庭が美しく見えて、テラスからそこに出て行くこともできるのだが、外国ということでちょっと不安も感じた。 それはともかく気持ちの良い一晩を過ごして、午前8時にタージマハールへ向かってホテルを出発。ジェイピーパレスはアグラの南東の外れにあるのだが、幹線道路で直接タージマハールまで続いているため、あっという間に駐車場まで到着。そこで、チケットを購入し車を乗り換えてタージマハールの入り口まで向かう。この乗り継ぎにいつも時間がかかるらしいが、時間が早いためスムーズにタージマハールに入場することができた。
駐車場からタージマハール入口までは、乗り合いの小さなバスで移動
インドでは観光施設に入場するときやホテルではセキュリティチェックが行われており、日本で飛行機に搭乗するときのような機械を通過し手荷物検査を行うのであるが、そこで異常が発見されても形式上の再確認をするに過ぎないような感じだ。目くじらを立てて、細かく手荷物を見せよとまでは言わない雰囲気だった。
タージマハールは午前8時過ぎというのに、すでに多くの観光客で満たされていた。まだ混雑し始める前の時間帯だったが、南側の門からタージマハールの正面に入ると、そこは記念写真を撮るために世界中からやって来た観光客がカメラやスマホの前でポーズをとっている。
セキュリティチェックを終えて、いよいよタージマハールの中へ入る
肝心のタージマハールはもう三百メートルくらい前にあるのだが、人々の朝食のために出た煙やスモッグの影響で薄く霞んでは見えるものの、圧倒的な均整がとれた美しい姿で我々を歓迎してくれているよう。そこには、小学生の頃社会の教科書で見たイスラム様式の白亜のお城のような建物が、4本の塔を従えて毅然として建っているのだった。
タージマハールは外国人とインド人で入場料が違っていて、外国人は750₨(約1500円)、インド人は40₨で、外国人の方がちょっとだけ早く内部に入れるみたいだ。我々はタージマハールのエリアまではいると白い靴袋のようなものを靴にかぶせたのだが、現地の人は裸足になって内部へ入っていった。
1階に入ると、すぐにいくつかの棺がホールの真ん中に並べられているのがわかった。その周辺は網模様の柵がしてあり、人々は網の向こうの棺を見ながら反時計回りに歩く。正面まで来ると一番棺が見える位置となる。
それは、ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンとその愛妃ムムターズ・マハルのものでレプリカのようなものらしい。本当の棺はその下の地下に安置されている。 もの凄い人混みで、世界中の人たちがここへやって来ていて、皇帝が国家の財政を傾けるほどのお金をかけて造った墓が今の時代になっても妃への思いと国の威信を訴え続けているようだった。
タージマハールの正面入口
内部に入ると、そこは非常に狭くて、網のような柵ガしてあり棺のレプリカが置いてある。本物は地下にあるらしい
その後、タージマハールのテラスのような敷地を1周半して、両サイドに従えている応接宮殿とモスクへも足を伸ばす。深い彫刻が施された赤砂岩の壁や天井にイスラムの文化を感じさせられながら、ついにここまで旅をしてきたことや一番の目的を達成したことを噛みしめるのだった。
迎賓館
塔のところからタージマハールを見上げる
タージマハールの角部分
ぐるっと1周して、正面の門を見たところ
迎賓館ファサード
モスク内部のイスラムモザイク模様
モスク側から、西からのタージマハールを見る
正面から見たタマネギドーム
台座の上から、シンメトリーのタージマハールを見て、帰った
午前10時にタージマハールからアグラ城へと向かう。
車に乗る前に、専門のカメラマンに撮影してもらった記念写真を手渡される。一人5枚の2L版なのだが、これがまた良く取れている。毎日、ここで写真を撮っているだけあってみんななかなか良い写真を手にして、旅の思い出となったようだ。 駐車場に着いてバスに乗り込むとき、子供たちに取り囲まれた。少年も数人いるようで、何かをかって欲しいと言っている。それが何かはわからないがマグネットのようなものや紙の箱などもある。後で考えれば、お茶だったのだろうか。初めは1個\2,000-としきりに言っているが、車に体を入れる頃になると3個が\500にまで値下がりしてしまった。
一体、売りたいのかそれとも何かをしようとしているのか、よくわからないまま安全のために急いで乗った。 西予市情報発信のため1ポチ、お願いします!!
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ファテープル・スィークリーの宮廷地区
平成27年11月20日(金)午前中からジャイプールを観光して、昼食後、午後からアーグラ-へ向かう。
途中は高速道路と走る、といっても牛や猿が闊歩している。ジャイプール市内はもっと酷くて、イノシシの家族やラクダ、その他の動物も人間と同じように街の中で暮らしているという感じだ。
高速道路を走る車も、どいうわけかタクシー的に大勢の人を乗せている。バイクも後ろに人を乗せて運んでいるみたいだ。道の両脇にはお店があって、いろいろな商売をしており、人もずっとたむろしている状況が続く。さすが、13億人の民の国だ。その中で、38%の人が学校へ行ってないらしい。
高速道路といえども、沿道にはお店が続く
タクシーなのだろうか
高速道路ではガードレールも車線もなく、逆行や横断など当たり前のように見られた
しがみついてまで、車に乗っていた。定員などあったもんではない
農地はよく手入れされている
何故か高速道路脇にも人が多い
アグラーまでの、ジャイプールからの道中は目を疑うような、びっくりするような光景の連続だった。高速道路でトイレに行きたくなっても、日本のようなパーキングエリアはないので車を路肩へ駐めて、畑の中で立ちションである。コブラでも出てきたらどうしようか、などと余計なことを考えたりもしたが、無いものは無いので仕方ないのだ。
ジャイプールからアグラ-までは約250kmで6時間。
バスは結構飛ばしているようだが、それは音だけでスピードは出ていなかった。70〜80km/hっくらいだろうか、しかし100km以上のようにも感じた。道路が整備されていないからだろう。
途中、ムガール帝国の古都・世界遺産のファテープル・シクリへ立ち寄る。もう間もなくアグラ-に到着しようとしている直前に到着、アグラ-の37km手前に位置しているらしい。第3代アクバル帝が造った都だが、水が無かったため14年間で廃墟となったそうだが、それがほとんど傷まないで残っていた。その建築様式からは、皇帝が理想としたヒンズー教とイスラム教の文化的融合が伺える。
ファテープル・シクリの見学後は、遺跡から駐車場までの帰りのシャトルバスがなかなか来なくてヤキモキしたが、大混雑のバスに乗って遺跡を下った。そして、しばらく夕餉の支度の煙漂うアグラ-までバスで走り、ホテルに入った。
駐車場からマイクロバスに乗り換え、丘の上のファテープル・シクリへ向かう
ファテープル・シクリの内部
帰りのバスを待つ。正面はモスク地区
アグラーへ向かう道路。追い越しなどのマナーも酷い
道路に向かって建つ家、または、商店
道路の両側には人が集まり、何かを販売している
アグラーのホテルに到着して、一安心。花かざりをかけてもらいホッとした
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世界遺産ジャンタル・マンタル。天文台といったところ
平成27年11月20日、インド2日目。
昨日は、デリーから車で走り続けてジャイプールへ入ったので、結構旅の疲れが溜まり夕方にオイルマッサージをしたのだが、これがどのような効果があったのかは未知数とはいえ、ホテルでゆっくり休めたのとなんとなく体が軽い感じをした気分で朝を迎えた。 ホテルはヒルトンホテルと言うことで、ツアーにしては上出来なのだが食事は今一歩という印象で、それは海外旅行ではいつものことと諦めるしかない。それでも疲れが残ってないのは有り難いことで、出発は午前7時半と早めだがガイドのチョウハンさんにしたがって、ホテルを後にした。
ジャイプールの日の出
インドへやって来て初めて見た列車
途中で風の宮殿に立ち寄る。かつて、宮廷の女性たちがこの窓からピンクシティーを見下ろしていたらしい。正面から見たほど、建物は壮大ではなく薄っぺらな壁のような造り。ジャイプールのシンボルとなっている
朝の町は、自転車や野菜などを運ぶ人力車が行き交う
タクシーの展示があった
今日最初に向かうのはアンベール城。
16世紀から築城が始まったそうで、アンベール王国(カチワーハ家の王国)の財力を物語るような豪華な造りだ。この城を丘の麓から見ると、荒涼とした山に城壁が巡らされてお城をなお一層引き立てており、その風景には圧倒された。 道中、ジャイプール市街地から少し離れたところに湖があり、そこには水の宮殿と呼ばれる美しいお城が見えた。かつて、ジャイプールの王であったマハラージャが避暑に使っていたところだそうで、日本で言えば桂離宮のようなものか。車窓からだけかはもったいないので、、帰りには車を駐めて記念写真を撮った。逆光だったのが心残り。
水の宮殿
車は山の中へと進み、ある程度谷のような地形を攻め入ったところに大きな展望の良い湖に出た。ここからは山の上にある世界遺産アンベール城やさらに高いところの稜線に聳える砦、城壁などが異次元の感覚で見渡せる。インドにこのようなお城があること自体新鮮で、その意外性が新しい発見でもあった。 山の上のアンベール城へはバスでは行けないので、湖の畔の広場でジープに乗り換える。狭いジープの荷台に6人が詰め込まれて、石畳の細い上り坂を門まで行く。まだ、時間が早いためか観光客はあまりやって来ておらず、門のあたりには数十人くらいがぼちぼち姿を見せ始めているくらいだった。
お城は丘の上なので展望抜群。周辺の風景を瞼の裏に焼き付けようと一生懸命に眺める。旅でいくら感動した景色でもやがて時間と共に忘れ去ってしまうので、やっぱりそれはもったいないだろうと私はシャッターをできるだけ切る。例えデジカメのデーターであろうと後で見直したとき、写真があれば鮮やかにその時に感じたことを呼び戻すことが出来ると信じている。しかし、たまには写真を見てもそれがどこでどのようなシチュエーションで撮影したのか思い出せないこともあるのだが。
アンベール城とその周囲の風景
お城
要塞
チャンド・ポール(月門)からアンベール城の中に入る。するとジャレブ・チョウクというお城で一番広い広場へと出る。そこには、名物の像のタクシーでアンベール城へやって来た観光客が、像から下りてくる駅のようなところがあった。ガイドのチョウハンさんは、像は危険だから近寄らないように、と言うのだが、ちょっとその訳は不明のままだった。最近、事故が起こったらしいことを言っていた。
チャンド・ポール(月門)
さらに、スィン・ポール(獅子門)から入城しどんどんお城の中へ進んでいき、一般謁見の間へ。今でも残っている柱や天井の装飾に見入りながらアンベール王のプライベートスペースへ進む。イギリス式の庭園を抜けたところにハーレムというお后の住居があり、その辺りまで見学した。
スィン・ポール(獅子門)
朝7時半にホテルを出発してきている理由がここまできて良くわかった。
ガイドさんは早めの空いた時間に、この素晴らしいアンベール城を我々に見せたかったのである。お城から出て再びジープに乗り湖の畔の駐車場まで行く道には多くのバスや観光のためと思われる車で身動きできないほどの激しい渋滞となっていたのだ。 アンベール城内にて
帰りはこのジープタクシーに詰め込まれる
ジャイプールが宝石の産地という話をバスの中で聞きながら再びジャイプール市内へと戻り、世界遺産ジャンタル・マンタルを目指す。これは、ジャイプールを築いた王・マハーラージャ、サワーイ・ジャイ・スイン2世が占星術に興味を抱き、巨大な天文観測儀を作ったというもので、ここにも大勢の観光客が訪れていた。
ジャイ・プラカーシュ・ヤントラという天体観測儀で2つある
12の星座を観測するための観測儀で、ジャイ・スィン2世が発明した
同じく星座を観測する装置
各星座ごとに装置がある
シティ・パレスにあるムバーラク・マハルというテキスタイルの展示館。もともとは、賓客が宿泊していた施設
シティ・パレスの中のマハーラージャが今も暮らしているという住居。一部が博物館となっている
入口は守衛が立っている
王様が在宅の時には、もう1本旗が立っているらしい
出入り口扉上部の装飾。クジャクが飛び出している
蛇遣いが門のところでコブラを操っていた
その後は宝石加工場へ。石ころのような原石を磨くと宝石になる
昼飯はまたまたカレー。お決まりのようにまずい
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