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サグラダ・ファミリアも内部は完成しており、後は2027年の主塔の完成が楽しみです


 ガウディの作品に会うために、バルセロナを旅しました。
 サグラダ・ファミリアは世界中から観光客が集まっていましたが、その他にもコロニア・グエル教会やカサ・ミラ、グエル邸など、見所いっぱいでした。



出発  












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ブリュッセルのグランプラス




 2015.11.2,9:35amバルセロナ空港発ベルギーのブリュッセルに向かう。11:40am到着予定。
 バルセロナとブリュッセルの間に時差はない。その後、夜まで市内を観光する計画だ。ブリュッセルはEU本部があったりするので、欧州の中での注目度は高まっており、日本との関係もANAのブリュッセル線開設など身近になってきているのを感じる。

 朝、バルセロナ空港には出発の2時間前に到着。
 搭乗手続きを済ませてセキュリティチェック、出国審査はEU間移動なのでないため、1フロア上のラウンジで食事をしてBターミナルへ向かう。国際線ではないのにたくさんのお店がそこにはあった。地方空港の割には非常に充実した設備と規模を誇っていた。



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バルセロナ空港搭乗ゲート前のショップ。かなり充実していた



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ラウンジで休憩&朝食



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まずはベルギーのブリュッセルへ向けてスペインのバルセロナから出国



 ブリュッセルまでの飛行時間は2時間程。
 離陸して地中海へ向けて飛び出し、その後は内陸部のブリュッセルへ飛行したが、席は2列目の窓側なのに一面雲が広がり、その合間から地上が垣間見える程度だった。機内食も出たが、行きのパエリアが非常に印象的だったため、遠慮した。無事ブリュッセル空港に到着し、トランジットの時間を9時間程取っていたので、荷物をコインロッカーに入れて列車で20分ほどのフリュッセル中心部へ向かう。

 列車の切符は自動販売機で購入するようになっていたが、カード専用だったため窓口に行って購入。セントラルというと、往復か、と聞かれてイエス、と答えれば問題なく往復切符を購入することが出来た。列車は地下から出ており、非常に静にスムーズに走り、途中いくつかの駅に停車しながら程なく中央駅に到着。



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ブリュッセル中央駅の中央階段


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駅の切符売り場と時刻表の電光掲示板


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ブリュッセル中央駅の駅前広場




 まずはグランプラスを目指す。
 ブリュッセル駅前辺りは道が複雑に斜めに交差していたため、グランプラス方向へ歩いているつもりが州庁舎の近くの広場へ来てしまった。ちょうどその近くには小便小僧があり、多くの観光客もそれを見に行っていたので、予定変更して我々もそこを目指す。意外と町中がコンパクトになっていて、歩く距離も短い。すぐに、小便小僧のところにやってきた。周辺は世界中からやってくる観光客相手の土産物屋さんがずらりとならんでいた。



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通りには歴史ある建物がずらりと並ぶ


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遠くからも立派な塔が目立っていた。教会かと思っていたのだが、そこがグランプラス広場で、塔はブリュッセル市役所のものだった。


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州庁舎前へ出てきた



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小便小僧がある交差点を目指して、観光客が大勢向かっていく



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小便小僧の前に多くの人が群がって写真撮影



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小便小僧、以外と小さい



 そこからグランプラスも目と鼻の先という感じで、200メートル程。とにかく数多くの観光客がこの間を行き交う。グランプラスが近づくと、教会と思っていた塔が、実はブリュッセル市庁舎であることがわかった。グランプラスを取り囲む市庁舎やホテルなどの建物は、石造りでしかも金色に装飾などもされていて、とても絢爛豪華に見え、ブリュッセルのかつての繁栄を象徴しているように思えた。しかし、これらの建物の写真撮影は、緯度が高いせいか、逆光との戦いだった。


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グランプラスの広場へやってきた。王宮の前で記念写真


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立派なファサードの建物が並ぶ。1Fにはチョコレートショップなどが入っていた



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一つの建物のようだったが、よく見ると6つの建物が並んで建っている



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ブリュッセル市役所の塔。見上げるとやや低く見えるのだろうか



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よく見ると建物の一部に金の装飾があって豪華に見えた




 その後、ギャルリー・サン・チュベールを抜けて、ムール貝を食べにレストランを目指す。この辺りのレストランは、道路にたくさんの机と椅子を並べて営業している。バルセロナのバルのようだ。そこででも、また、中ででも食事はできるみたい。角のお店に入り、ムール貝とスモークサーモン、ビールを注文。出てきたムール貝は山盛りだったが、これはスペインと違って、とても美味しく思えた。ブリュッセルに来たら是非とも食べるべきだろう。



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ギャルリー・サン・チュベール



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店の前では、観光客が軽食を摂ったりや珈琲を飲んでいた



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昼食のムール貝



 その後、アーケード商店街や土産物屋さんで少しばかりの記念の品を購入。さらに、駅の反対側にあるブリュッセル公園を散策する。ここは、昔ブランバラ公の狩猟馬だったらしいが今ではフランス風の公園となっている。噴水などがあったり紅葉がとてもきれいだったりで、このような公園がある町の市民は幸せなのだと思った。



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ブリュッセル公園の通りを走る路面電車



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ブリュッセル公園にて。後は国会議事堂



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紅葉が舞い散る公園の中央通り。正面に王宮がある



 ブリュッセル公園を抜けて、王宮・ロワイヤル広場方面へ歩き、ブリュッセルの街並みを味わう。広場の前には、王立美術館・王立図書館などもあったが入場はせずに周辺を散策してブリュッセル中央駅へと戻った。



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王宮


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ロワイヤル広場



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王立図書館と王立美術館。ブリュッセル中央駅に隣接する



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再び列車でブリュッセル中央駅から空港へ。1等車と2等車がある。



 時間には余裕があったが、空港へと戻りラウンジでシャワーを浴びて長距離飛行に備える。帰りの飛行機では機内食を食べると、旅の疲れのためかとすぐに眠りに落ちてしまった。6時間くらい経ったときに目が覚めたが、まだまだ半分しか飛んでない。
 途中、そばをお願いして小腹を満たす。

 ブリュッセルを出発したのは11月2日午後8時40分だったが、時差の関係で成田到着は翌日の午後4時。入国審査などをして午後4時45分のバスで羽田へ向かい、午後7時25分発の松山行きに乗ることが出来た。家にたどり着いたのは3日午後10時過ぎだった。








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カサ・ミラ。建物が出来たときは、あまりの衝撃的なファサードのため石切場「ラ・ペデドラ」と呼ばれたらしい



 2015.11.1朝からカサ・ミラのあるディアゴナルへ。
 行く途中で朝食を食べようとBar y Pan へ行ってみるが日曜日のためかやっぱり店は開いていない。結局、滞在中ここで朝食を取ることはできなかった。

 毎日のことになるが、凱旋門まで歩いて行ってアルク・ダ・トリオンフからグロリアスまで地下鉄で移動。駅から地上に出るとラス・グロリアス・カタラナス広場で、サグラダ・ファミリアも近いところに見える。今丁度広場を整備する工事を行っているところだったので、次回来ることがあればここらも美しくなっているに違いない。


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             ラス・クロリアス・カタラナス広場には近代的な建物も出現していた


 ここへ来た目的は、バルセロナ闘牛場を一目見ておきたいという思いからで、現在闘牛は条例で禁止されているらしく行われていないということだが、闘牛場はそのままで残されていた。煉瓦造り風で、チケット売り場には牛の模様が施されていた。

 バルセロナにはかつてもう一カ所他の闘牛場があったそうだが、そこはすでにショッピングモールとして再利用されているようだ。ここもきっと次に来たときには観光名所として遺跡のように取り扱われているような気がする。



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モヌメンタル闘牛場。条例によって闘牛が禁止となり、現在閉鎖中


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入場券売り場。牛の模様も見られる


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闘牛場からサグラダファミリアが近くに見えた




 さらに、ガウディ作のロベルト博士の像がテトゥアン広場にあり、そこまで闘牛場から町並みを散策しながらお踊りを歩いて行く。バルセロナの朝は立ち上がりが遅いため、まだ人影は疎らで、冷たい気持ちの良い空気の中約10分程歩くと広場に到着。

 ちょっとベンチに腰を下ろし、カサ・ミラへ行くにはどの地下鉄を利用するのが良いかガイドブックで確認する。結局、地下鉄に乗ってそこから闘牛場、サグラダファミリアを経由してもう一駅行くことにした。


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ガウディ作ロベルト博士の像


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テトゥアン広場付近の街並み



 地下鉄の前方出口から地上に上がると、街路樹の美しい並木道が海へと向かって続いていた。そこをバルセロナを代表する大通りグラシア通りと勘違いして、ずっと歩いて行ったのだが、朝食を摂っていなかったのでバルに入ろうと左へ曲がった。

 そうするとなんとなくずっと向こうにカサ・ミラのような建物が見える。そこに近づくとさっき歩いていた通りはグラシア通りではなく、その1本西の通りで、道を間違えていたことに気づいた。偶然だが、ここでわかったのはラッキー、結局カサ・ミラには迷わずに行くことができた。


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カサ・ミラの正面ファサード



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一方通行のグラシア通り。カサ・ミラの前辺り


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下から見たカサ・ミラの屋根


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エントランス入口


 カサ・ミラはグラシア通りに面して角にあって、通りを行く人たちに顔を見せながら何かを主張しているかのようだ。明るいクリーム色の外壁がいかにもスペインらしい。窓の下の手摺りが金属製で、廃品を集めて作られているらしく同じ形状のものは一つと無い。外壁と対比するようなダークグリーンで、これまた直線部材もなく海藻が絡まり合ったような手摺りとは思えない手摺りだった。

 内部は日本円で約3000円のチケットで見学ができ、日本語のガイドフォンを貸してくれる。
 ヘッドフォンで聴きながらエレベーターでまずは屋上へ。数々の煙突の芸術に驚嘆するが、これがガウディの最大とでもいうべき特徴で、屋上を無機質なものでなく散歩のできるような楽しい空間にしている。普通の建築家ならここまでできないし、このような人形のようなオブジェにまですることを思いついたりもしない。第一、クライアントの了解を得られはしない。今から百年以上も前にそのようなことを理解する人がこの町にいたということも驚くべきだし、そのような造形を作り上げた建築家というか芸術家の情熱にただただ脱帽なのである。



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まずは中庭へ。ここからEVへ向かって、屋上に上る


屋上のオブジェ(煙突や排気筒)


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 屋上からなかなか離れることはできないし、人も次々にEVであがっては来るが、バルセロナの見学ポイントは適切に人数管理ができており、混雑しないように入場者数を調整しているようだった。そこらが観光立国のノウハウで、全世界から押し寄せてくる観光客に対して、母国語の解説などを用意している点などは日本でも学んでいきたいところだ。

 屋上でガウディの考えの一端に触れ、登ったり下ったりとする屋根に驚きと感動をしたまま階下の屋根裏部屋へ下りる。そこは、ガウディの博物館のようなものだが、蛇の骨の中のような印象だった。ここでも、曲がりくねった動線やアーチのような天井、どうしてこのような部屋にしたのだろうかという思いなどを感じながら見学する。カサ・ミラの模型などガウディの設計思想が伝わるような資料が展示してあった。しかし、ガウディは建築家とはもはや言えなくて、建築を自分の思うような芸術に作り替えた神であるようにも感じるようになった。そのような点もガウディの建築群が世界遺産にしてされたのだなと思う。


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屋根裏部屋


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ガウディの博物館のような展示もあった



 その後、1フロア階段から下りてミラ6階へ。
 実はこのマンション、7階建てで屋上にオブジェのような煙突や排気筒があり、バルセロナの違法建築だったそうで、色々な経緯があり取り壊すことが決まっていた屋根裏部屋の7階と煙突を残すことができたという因縁がある。

 6階が最上階ということで、もともとはミラ夫妻が居住していたのではないかと思えるような19世紀後半から20世紀前半のブルジョアの生活の様子が覗える。お手伝いさんの部屋など明らかに家主とは違った雰囲気の部屋もあり、今でも世界遺産になってこれ程観光客が来なければ、生活の場として使うこともできる。現在でも4世帯が実際に他のフロアで生活している。


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6階廊下


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内部の窓もアート


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使用人用のキッチン


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バス。これが百年前に造られていた


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通りに面した寝室



 カサ・ミラは結構時間を掛けて見学して、次はカサ・バトリョへ。
 カサ・バトリョはカサ・ミラからグラシア通りを3ブロック南へ行ったところにあった。隣の建物もガウディとは思えないが、結構ファサードが主張している印象を受ける建物があった。あとで、ガウディ、モンタネールに続く、モダニスモ第2世代を代表する建築家プッチ・イ・カダファルクの設計のカサ・アマトリェールであることがわかった。




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カサ・バトリョ


 ここへきてやっと朝食。バルでパンとオレンジジュース。毎日こんなものだが、結構パンも美味しい。
 カサ・バトリョには非常に多くの人が入館を待って並んでおり、入場にも時間が掛かりそうに見えたので友人とはここから別行動をすることにした。自分の場合は出来るだけガウディを見ておきたいという熱い思いがあったが、友人はもっと市場や違ったところなども見たいと言うので、それは当然のことであり3日目の後半だけはそれぞれが自由に過ごすことにしたのだ。



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カサ・バトリョの横のバルで、バルセロナ最後の朝食



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隣のプッチ・イ・カダファルクの設計のカサ・アマトリェール


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カサ・アマトリェールは屋根の形状が独特な形をしている





カサ・バトリョのファサード

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 カサ・バトリョの入館料も高額で約3000円程。ここは、ラジオフォンの代わりにスマートフォンのようなものを渡され、部屋に入るごとにアイコンをクリック、そうすると解説が流れ端末を向けた方向の壁の昔の様子や天井から亀が飛び出してきて部屋の中を泳ぎ回るなどの画像が映し出される。向けた方向によって画面も移動し、不思議な演出であるが、日本の観光施設などと比べるとかなり先進的なガイドが仕掛けとして演出されていた。

 言葉も各国の言語に対応して変わり、世界中から集まった旅行者はみんなどうようにモニターを見て聞きながら部屋を移動していた。これはよくその建物を理解する上で有効に役立っていると思われ、解説の中にはそのようなことをしているので高い入場料を取ることやそれが施設の維持管理に使われていることなどについても触れられていた。

 建物に入ると玄関から湾曲した木製手摺りのある階段を2階へと登り、こちらも100年前のブルジョアの暮らしと住まいを見ることになる。内部の木製の建具に至っても曲線が多く用いられて、ガウディは直線を遠ざけたいのだという気持ちが伝わってくる。さらに、リビングからプライベイトな屋上へでる。このようなところのタイルまでオリジナルのモザイク模様を考えたようで、ガウディが当時のバルセロナの人気建築家だった所以だろう。




カサ・バトリョの内部

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2階のプライベート広場


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床のモザイク模様


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カサ・バトリョの裏のファサード




 その後、中庭に面する階段を登って屋根裏部屋へ行く。
 EVもあり、これはホテルのと同様百年前くらいの作りで、ただガラスが真新しいため古さを感じさせない。中庭の壁も青のタイルのグラデーションで、下に行くほど明るい水色のタイルが多く使われていた。



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中庭のタイル壁


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下へ行くほど青いタイルは明るいものが使われている


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屋根裏部屋の廊下




 屋根裏部屋はカサ・ミラと同様魚の骨のようで、昔は家政婦さんなどの部屋があったり洗濯部屋などが配置されていたようだ。そこから屋上へと上るのだが、カサ・バトリョの屋上の煙突もモザイクタイルが張ってあり芸術的なオブジェとなっていた。これはガウディが後世に残したメッセージのようだ。


屋上の煙突のオブジェ

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 3階には土産物売り場やガウディが制作したという家具などが展示販売されていたが、例えば椅子などは約30万円ということで、ちょっと手が出る代物ではなかった。また、記念のお土産なども軒並みインフレで、円安の時の海外旅行の不利さを実感したのだった。


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エレベーターと木製の階段手摺り


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賃貸用の部屋の入口のドア。文字までガウディがデザインした



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ガウディデザインの家具も販売されていた。しかし、高すぎる感じ





 その後、ピカソ美術館へ行こうと思っていたが、カサ・ミラ、カサ・バトリョのインパクトが非常に大きかったのと、独自の建築スタイルを確立したガウディについてもっとその作品を見ておきたかったので、最後にグエル邸に行くことにした。

 グエル邸まではカサ・バトリョから地下鉄で2駅。
 パセジ・ダ・グラシア駅からリセウ駅まで行き、リセウ劇場で地上に出た。休日でもあり、また、メインのランブラス通りということもあって、多くの人が行き交うところだった。しばらく港方向へ歩いて右折。何故かインスピレーションでぴったりのところで曲がったのだ。少し歩くとグエル邸はすぐに見つかった。



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グエル邸のあるランブラ通り


 グエル邸は、他のガウディ建築と比べると見学者は少なくてゆっくり建物を見ることが出来た。ここも日本語のラジオフォンを貸してくれ、詳しく解説してある内容を丹念に効きながら1階から正面階段を2階へ上がる。

 2階には中央ホールがあり、そこではコンサートや礼拝の集会などが行われるようになっていた。さらに、リビングもありパイプオルガンの演奏台やビリヤードの部屋なども配置してあった。ビリヤードの部屋は令嬢立ちが絵を描いたりするのにも使われていたそうだ。



グエル邸のファサード

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1階玄関から2階へと続く中央階段



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階段の回りにも石が使われている


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内部床も石張りで、最高級の造りとなっている


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2階から3階へと続く階段


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3Fリビングへ続く廊下


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中央ホールの正面側の吹き抜け



 3階はオーケストラがコンサートの時に楽器を演奏するスペースや執務スペース、寝室などの各室が配置されており、4階は屋根裏部屋のためかオープンな状態で使用人の部屋や厨房があったそうだ。


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グエル邸裏側のファサード




 さらに、屋上へ上がるとこれまた煙突の芸術に圧倒されたのだ。しかし、グエル邸の煙突は細かく砕かれたモザイクタイルでとても美しいオブジェとなってはいたが、ガウディが造ってから老朽化していたものを研究者たちが修復したということで、リニューアル後のオブジェというのが正しいと思われる。

 それにしても、当時のガウディが屋上を楽しくするスタイルを確立していった初期の頃の状況を見ることが出来る。グエルは、別邸として建築したこの建物を大変気に入ったそうで、できばえに満足したため本館として使用されていた。今では世界遺産となっている。


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グエル邸屋上にて


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修復を終えていたので、色も鮮やかだ


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地下は馬車を曳く馬の小屋として使われていた




 グエル邸の見学にもかなり時間を要した。それは、ラジオフォンがしっかりと解説してくれているためで、ガイドブックに書いてないようなことまでよくわかり、それがとてもありがたかった。しかし、バルセロナでの残された時間はもう少なくなりつつあった。あとゆっくり見ることが出来るのは1カ所くらいかと思われた。

 そこで、グエル邸から宿のカサデバルサまで歩いて帰ることにし、途中のポイントを見るとしたらどこがあるかを検討、まずは、ガウディが設計したというガス灯があるレイアール広場へ行った。ここは建物に囲まれており、多くの人が休日を楽しんでいるようだった。



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レイアール広場



 レイアール広場からサンタ・マリア・デル・ビ教会を経由してカテドラルへ。
 カテドラルの内部も回廊や美術館などを見学するという選択肢もあったが、中へ入るとそれが最後のイベントとなってしまう時間だった。だったらピカソ美術館が捨てがたく、そっちへ行ってみることにした。



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カテドラル



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バルセロナ市役所とサン・ジャウマ広場



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王の広場とバルセロナ市歴史博物館



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王の広場から王宮として使われていた宮殿を見る


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王宮内部


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礼拝堂



 途中、バルセロナ市庁舎も見ておきたかったので、サン・ジャウマ広場へ立ち寄って、バルセロナ市歴史博物館と王の広場を訪ねる。古い建物や礼拝堂などを見て、いよいよピカソ美術館へ。入館しようとすると入口がわからない。

 どうやら多くの人の入館を待つ行列が出来ており、それが延々と何百メートルも続いて最後尾がわからないくらいだった。もう時間切れ、と覚悟して建物中庭の写真を撮り、サンタ・カタリーナ市場の横を通って宿へ帰ることにした。夕食まで少し休んで、最後のバルセロナの夜の町で友人と食事をすることにしていたので、それまでに荷物の整理などをした。 


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ピカソ美術館へ向かう通り




 夜は午後7時くらいにカサデバルサを出て、サンタ・カタリーナ市場の中にあるレストランでハムや魚料理などを食べた。餃子は6個で1500円程で、1個250円になる。豚太郎では7つで250円なので、バルセロナの餃子1個分で日本では1人前が食べられることになる。あとはビールを飲んで、バルセロナの3日間を締めくくった。















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コロニアグエル教会ファサード



 現地時間2015.10.31、コロニア・グエルの町を訪ねる。
 朝7:40am起床、8時出発。
 お世話になっている宿カサ・デ・バルカ指定の朝食バルCafe y Panへ行ってみるとまだ締まっていたので、凱旋門の前のバルで朝食を摂ろうと行ってみたのだが、やはり開いていなかった。バルセロナの朝は本当に遅い。



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凱旋門へ再びやってきた。ここが観光の基点となった




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この向こうには動物園やバルセロナ港がある




 仕方ないので地下鉄でアルク・ダ・トリオンフ駅からエスパーニャ駅まで行って郊外線でコロニア・グエルがあるモンセラーと方面行き3両編成に乗車。チケットはコロニアル・グエル教会の音声解説装置(ラジオフォン)がついて15€。列車の間隔は市内地下鉄と比べると疎らで20分に1本程度のようだ。




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コロニア・グエル駅に到着




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駅の表示板



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駅舎。自動販売機と改札しかない




 コロニア・グエル駅に着いて下車するのは自分たちのみ。駅からインフォメーションセンターまでは、青い足跡のペンキマークに沿って歩いて行く。

 アントニオ・ガウディの作品があるには観光客が少ないなあ、と思ったら、ラジオフォンを貸し出すインフォメーションセンターが開くのが午前10時からだった。我々は少し早く着いてしまったわけで、朝の時間を近くのバルで朝食を食べて調整した。クロワッサンとドーナッツ、それにエスプレッソがその内容。

 インフォメーションセンターが開くと同時に音声ガイドを借りて、コロニ・グエルの街並み探訪をする。住人の人も自分の町が自慢らしく、話しかけてくる。言葉は通じないが、片言の英語を話している内に何が言いたいのかわかってくる。そして、最後に丘の上のコロニアル・グエル教会へ。



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コロニア・グエルは、グエル氏が繊維工場などを造るために新しい町づくりを目指したところで、ガウディはそこで教会建築を依頼され、取り組んだ



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コロニア・グエルの街並み




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スパニッシュ様式の建物が並ぶ。自分の中にあるスパニッシュ様式建築とはちょっと違っていて、ゴツゴツとした建物が多かった



 この教会は地下部分だけガウディが造った状態で建築は中断したままで現在に至っており、それでいてガウディの最高傑作とも言われている。エントランスに建つとその屋根を支える構造とファサードに圧倒される。まるで何かを叫んでいるような外壁で、このような造形を建築家が考えることはできないように思われた。



コロニア・グエル教会の外部


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 内部に入ると地下教会は天井も含めて構造体がむき出しになったような石造りで、外壁にはステンドガラスが嵌め込まれていて、空間に命があるようにさえ思えた。また、椅子はガウディが自分で設計したと思われる個性的で座り心地の良い木製のものが並べられていた。
 もうこれは建築ではなく教会という芸術なのだという確信を得たのだった。



コロニア・グエル教会の内部

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 コロニア・グエルはバルセロナの中心部からやや離れているため、他のガウディ作品のような混雑に逢うことなく鑑賞できたのは幸いだった。

  コロニア・グエル教会は、ガウディにしては規模もそれ程大きくなくて、小さな町の礼拝堂という感じなのでそれを放り出してサグラダ・ファミリアの建築に没頭したのではないか、と勝手に思ったのだが、午前中にその観賞に浸って再びスパーニャ駅まで戻ってきた。



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コロニア・グエル教会の工事が中断された地上部分


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本当はこのような教会ができあがる予定だった


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ガウディは力の流れをフニクラと呼ばれる逆さ吊りのモデルで研究したそうだ




 スペイン広場もバルセロナ見本市会場など近代的な施設がある他、カタルーニャ美術館やミース・ファンデル・ローエ記念館など見所が多いところだ。たまたま、ハローウィンと重なったらしいが、コスプレ選手権のような催し物が開かれていたようで、日本のアニメから抜け出したような奇抜な格好をした人たちがわんさかと押し寄せて来ていて、異様な雰囲気だった。



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地下のスパーニャ駅から地上に出ると二本の塔が出迎える


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スペイン広場のモニュメント。向こうに見える煉瓦色の円形の建物は、かつての闘牛場ラス・アレナスで闘牛が禁止されてからはショッピングモールとして再利用されている


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バルセロナ見本市会場で開かれているコスプレ選手権に向かう人々。日本で見たようなコスプレも多かった


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ミース・ファンデル・ローエ記念館への案内を発見




 それらを通り越して、丘の上に聳えるカタルーニャ美術館を目指す。その下にミース・ファンデル・ローエ記念館があるはず。

 地図ではスパーニャ駅からミース記念館まではしばらく離れているように見えたが意外と近く、丘に登る前にそれとわかる白いガラス張りの建物が目に入った。これは一目でミース・ファンデル・ローエ設計とわかる程の工業的なデザイン。ガウディとは正反対の建築へのアプローチだと思う。バルセロナ万博のパビリオンで一端は取り壊されてしまっていたらしいが、再建築して現在に至る。正直、この家で生活するには大変だろうなあ、とか、ガラス張りなので深い森の中に建っているならば素晴らしい環境だろうなあと思ってしまう。また、市街地で造る建物ではないようだ。


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ミース・ファンデル・ローエ記念館に到着。広場の奥に建っていた


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ミースの提案する住宅は、森の中のガラス張りの家がテーマ


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20世紀はじめのバルセロナ万国博覧会のときにパビリオンとして建設され、その後取り壊されていたが、復元されたもの


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家の中からの眺めは良いが、プライバシーが確保されないデメリットもある


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このパビリオンはミースの代表作とされる。住宅建築ではファンズワース邸の建築で、建築主と訴訟になったことが有名で、このような建物に住むことに抵抗があったのではないか、と思われた。ミースの建築思想が伺える記念館だった





 スペイン広場からしばらく大勢の人の列の中を歩いてきて、ミース館見学の後丘の階段やらエスカレーターを登ると休憩タイム。売店でコーラとホットドックで昼食を摂る。それにしても、何を食べてもそれ程美味しくないし、値段も高いような印象が拭いきれない。円の価値が低下して、日本の経済力が弱くなっている分海外へ出たときにそれを痛感してしまうのだろう。

 カタルーニャ美術館は、モンジェイックの丘の上に聳え立ち、遠くからでもその雄姿を見ることが出来るので是非とも行ってみたいという気を誘う。多くの観光客がそこを訪れるのだろうが、昨日行ってきたという日本人に印象を聞いてみたがこれといった答えが返ってこない。入場料は12€、約1700円くらいだと思うが、それ程の収穫はどうかと自分自身感じた。一頃なら  1000円くらいなのに為替によって印象まで違ってしまうのだ。

 展示物は膨大でかなりの数の展示品があるが、宗教的なものを収集して展示してあるというのが概要であり絵画とか彫刻といった芸術家が制作したものは非常に少ない。どこかの古い教会から持ってきたもの、あるいはそのレプリカと思われた。それにしてもたくさんの展示品なので観賞しているとどっぷりと疲れてしまった。


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丘の上のカタルーニャ美術館


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広場にはあるエンタチスのモニュメント


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バルセロナ市街地を背景に記念写真


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美術館内部


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美術館天井


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宗教関係の組絵がたくさん収集されていた


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ロマネスク美術の像などの収蔵数も多い



 カタルーニャ美術を鑑賞した後、同じ丘にあるミロ美術館を目指す。
 もう美術品の鑑賞は十分ではあったが、同じモンジェイックの丘に並ぶように建っており、地図では隣接しているようだったが、結構歩くことになった。しかし、素晴らしい秋の天気でもあり、オリンピックスタジアムなどもあるバルセロナ市民の公園のようなところだったので、気持ちの良い丘歩きとなった。

 ミロ美術館はETのようなオブジェが入館者を出迎え、そこで多くの人が記念写真を撮っていた。入館料は11€。入館するとどっぷりとミロの現代アートの世界へ引き込まれる。これも若干自分には理解不能であり、子供が落書きをしたような絵やガラクタを集めて展示したようなものまであり、現代アートとはこのようなものか、と理解したのだった。


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モンジェイックの丘に、カタルーニャ美術館から少し離れたところにあるミロ美術館


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入口のモニュメントで記念撮影



 金沢にも現代アート美術館がありそれも理解しづらいのだが、今の人にはそれが良いと思う人が多いのか、これからのアートの世界なのかよくわからないというのが本音のところ。
 天気は良いが、日が射している所以外は冷たい空気を感じる。館内がやや熱気で暑かったので、しばらく美術館の中庭でジュースを飲みながら休憩して次の目的地、海洋博物館へ向かう。単線のケーブルカーで丘を下り、少し港へ向かったところに博物館はあった。

 博物館の前の広場には、コロンブスの塔がありここが有名なランブラス通りの南の端にあたる。ここにも多くの観光客が押し寄せていたようだが、観光でかなりの成果もあったし疲れても来たので海洋博物館に集中することにした。


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ランブラス通りの南の終点にコロンブスの塔は建てられていた



 バルセロナはカタルーニャとアメリカ交易の中心であるので海洋博物館の展示が期待されたが、大型船の模型の羅列が目立ち今一歩の内容で、入場者も少なく疎らだった。観光客は見るべき所をよく知っているものだと思った。
 この日は夜にフラメンコショーを見に行くことにしていたので、早く宿に帰って夕食の情報を集めることになった。



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バルセロナ海洋博物館


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博物館内の大航海時代の船の展示




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夜はインド料理のカレーを食べてみる17€(日本円で2400円くらい)。美味しくなかったので、あまりお薦めできない。カレーは日本のものが一番旨いということを再認識




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カタルーニャ音楽堂で午後9時半から始まったフラメンコショー。終了は午後11時過ぎになる


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終了後は、オスカーたちと記念写真が撮れた


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モンタネールの設計で、モダニスモ建築の中で最も美しいと言われるカタルーニャ音楽堂の天井







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サグラダファミリアの公園にて



 いよいよバルセロナ第1日目、現地時間2015年10月30日。
 6:30am起床、7時出発。

 といっても、近所の朝の散歩みたいなものだ。朝食はホテルが協定しているというBar y panというバルで日本で言う喫茶店のような所。バルセロナにはやたらバルがたくさんあり、ストリートを歩いていると数分おきにお店があったり歩道に椅子とテーブルが並べてあったりする。

 その朝食のバルを探しに行ったのだが、説明で聞いたところに行っても店がない。そもそもバルセロナはヨーロッパの町にありがちな石造りの建物が美しいところで、大きな建物の一部がバルになっていたりする。そして、一部が銀行でありさらにその隣がスーパーマーケットのような構成で、店がオープンしないとシャッターの奥が何の店舗なのかわからないことが多いのだ。


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ホテル近くの街並み


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建物は1階が店舗なのだが、シャッターを下ろしていると何の店かよくわからない。1スパンが1店舗



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バルセロナは街路樹の美しい町だった



 結局バルを見つけれないままバルセロナの凱旋門へ行く。
 なかなか立派な凱旋門で朝日に包まれており、門を真っ直ぐに行くとシャウタデリャ公園や動物園、さらにその向こうにはバルセロネータ海岸へと続いていた。

 宿指定のバルは、実は別の名前で看板を上げており、いくら捜してもBar y panはなかったのであり、さらに、朝7時空いているバルはほとんどない。スペインでは朝は活動を開始する時間が結構遅くて、その替わり夜も遅くまでサッカーやショーなども行われている。翌日のフラメンコショーの開始時間は午後9時半だったりする。

 指定のバルが見つからないまま凱旋門まで来たので、凱旋門広場の角に店開きの準備をしていたバルに入り込みクリームパンとエスプレッソで朝食にして、持参していたソーセージとマヨネーズをおかずした。バルはどこもパンをたくさん品揃えしてあり、食べたクリームパンも美味しかった。


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朝のカタルーニャ広場



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乗り合いバスもカタルーニャ広場から出発



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凱旋門の前でのバルの朝食



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バルセロナの凱旋門



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ポストは黄色い



 時間は早かったのだが、早くサグラダ・ファミリアが見たいという思いと、入場券に指定してある9時入場というルールに遅れてはまずいという心配から、さっそくサグラダ・ファミリアへ向かうことにした。

 凱旋門のあるアルク・ダ・トリオンフから地下鉄を乗り継いで、サグラダ・ファミリア駅まで行く。地下鉄の階段を登ると目の前に青空を背景としてドッカーンとサグラダファミリアが聳え立っていた。もちろん工事中なのでトンボタワークレーンも並んで立っており、「これがあの夢にまで見た建築中の大教会かあ」、と感動したのだった。



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地下鉄のサグラダファミリア駅に到着



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サグラダファミリア駅から地上に出ると、教会が目の前に聳え立っていった



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イエスキリストの搭が建設中のため、トンボタワークレーンが立っていた



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生誕のファサード



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日本人建築家外尾さんが造った小搭とオブジェ



 午前9時までには30分以上時間があったので、まず生誕のファサードをじっくりと見てその前の公園辺りで記念撮影をする。そして、サグラダ・ファミリアの周辺を一回り。大聖堂の割には街中に建っているため予想以上に敷地の余裕がない。工事車両の出入りがあったり、落下防止の仮設の屋根が歩道にかけられていたりと、工事が現在進行形で行われていることを体感する。



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教会の周囲は工事真っ最中



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受難のファサード側の搭4本も完成している



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敷地が狭いので、歩道には安全対策の仮設屋根も設置してある



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受難のファサード



 受難のファサードを過ぎてガウディの若手技術者を育てるための講堂と思われる建物を回り、写真などを撮影、初めて対面したサグラダ・ファミリアを心に刻み込む。これまでの大聖堂についての知識があまりにもなかったため、4本の尖塔が聳え立っているイメージばかりが先行していたのだが、実際には後ろにも4本の尖塔が完成しており、残すところ最高高さとなる大聖堂の塔1本とさらに4本の尖塔、その付属の数本の塔が未着手状態で、かなり、教会としての形はととのいつつあるように思えた。

 石の彫刻がたくさん施されていて、その一つ一つに名前と意味があるのだが、それを思い出す余裕はない。ゴシック様式のゴツゴツとした塔ばかりの建物を何とか脳裏にやき付けたい、そう思うものの、よくも人間がここまでの建物を造るものだという感心と受けるインパクトの予想以上の大きさにただただ心が躍るばかりだった。
 世界中からガウディに惹かれてやってきた観光客たちが次々にやってくる。

 狭い敷地の周辺の道路にどんどん人が溢れてくる。時間制限をして入場者を調整しているのは、予約制にしないと一気に人が押し寄せたとき、サグラダ・ファミリア周辺がパニックになるのを防ぐためなのだろう。

 ファミリアの回りを一週しているうちに入場の午前9時が近づく。その時間のチケットを手にしている人たちが開門を今か今かと生誕のファサード前の入り口で待っている。世界中から人々が集まってきているのが、人種がバラバラなことからもよくわかる。毎日がこうなのだろう。回りではあちこちで観光客が思い思いの写真撮影をしている。みんなここへ来て喜びを表情に出しているように明るい感じがする。

 いよいよ午前9時丁度に開門となり、入り口から大広間へ入る。
 入るとその瞬間に、聖堂内部の空間の不思議さと想像を超えたリヴとヴォールトの構成に圧倒される。他の多くの人々も感激の声をあげていたり、感動を分かち合ったりしているようで、世界の中のサグラダ・ファミリアの偉大さを体感するのである。

 言葉では表現できないような力を持っていて、想像を超える建築物に唯々見とれるばかりだ。大聖堂の内部はほとんど完成しているのだろう、と思ったのだが、ガウディだったらもっとあちこちに彫刻を配置したのではないかと勝手に想像したりした。バラ窓などのステンドグラスも透過してくる光が様々な色に変化してとても美しかった。




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イエスキリストの搭の回りに4本の高い搭ができるが、その工事現場と思われる



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入場前になると多くの人が入口に並ぶ



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生誕のファサード側の入口



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大聖堂の天井に圧倒される



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他の教会では見られないガウディの思いが伝わる天井のデザイン



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大聖堂内部はステンドグラスの7色の光りに満たされていた




 しばらく大聖堂で正面のイエス・キリスト像を見ながら椅子に腰掛けて休憩をとった。柱や壁、その他多くの構成要素について考えてみた。結局、建築家ではここまでのこだわりを形にすることはできないだろうから、やっぱりガウディは天才の域に達した芸術家だという自分の中の結論に達した。

 その後、生誕のファサードに隣接する塔にEVで登る。
 これも予約制となっており、決められた時間に行かなければならない。割合と疎らに人がやって来るので、ほんの少人数だけ予約が可能なのだろう。EVも小さくて5人くらいしか乗り込めない。50mくらい上がって塔の内部へ。そこからは上がったり下がったりを繰り返して、メインの4本の塔のうちの1本をくるくる回りながら1階まで降りていった。




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EVで生誕のファサード側の塔に登った。小塔のオブジェが間近に見える



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サグラダファミリアの尖塔から見たバルセロナ市内



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尖塔の内部



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ここまで登っても、外壁には像などが施され凝っていることが証明される



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生誕のファサードの天辺は、樹木にハトがが羽ばたいてまとわりついているようなデザインだった



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下りは階段で降りるが、大聖堂の大きな柱の柱頭辺りの様子がわかる。塔がいくつも建設されるため、柱も林立している



 その後、受難のファサード側に出て、講堂の内部を見学。そして、地下のガウディ博物館を見たのだが、そこには今でも模型制作が続けられている様子もリアルタイムで見ることができ、どのようにしてこの大教会が作り上げられていっているのかの一端を理解できる。ここも多くの人で賑わっていた。

 最後に売店に立ち寄り、モンタネール最大のプロジェクトと言われるサン・パウ病院へ徒歩で行く。モンタネールはモダニスモを代表する建築家であるが、カタルーニャ音楽堂なども手がけており、ガウディ以上の名声を博したらしい。



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受難のファサード前にて



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ガウディの若手技術者のための講堂。壁はあくまで曲線で構成されている





 サン・パウ病院も世界遺産で、広大な敷地に整然と素晴らしいファサードを持つ建物が建てられており、カタルーニャ建築の特徴でもあるモザイクタイルを張った塔やシンボルなどが目立っていた。

 確かにサン・パウ病院のひとつひとつの建物は非常に手が込んでいて芸術性も高いのだが、サグラダ・ファミリアを見た直後だけに、芸術性の素晴らしさとは一線を画した建築であるという、全くガウディとは違う路線で造り上げられた建築群であると感じた。

 サン・パウ病院はいくつもの貴重な建物はあるが、外部だけに留まり内部を見ることが出来ないため、さらに魅力を増すためには何を伝えようとしているのかが欲しい。ただ、建物だけでは、それも外観だけではガウディの建築群のように世界の中での歴史的価値が不変でないかもしれない。歴史とか存在の意義とか、そのようなモンタネールとバルセロナの歴史の重なりがどうなのかなど知りたい気がした。


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世界遺産のサン・パウ病院



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サンパウ病院の中庭



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芸術は病の治療にも効果がある、というのがパウ氏の考えだったそうだ




 その後、グエル公園へ。
 歩いて行こうとも思ったが、やはり距離がありそうなのでタクシーを利用。やっぱり、サンパウ病院からグエル公園まではちょっと遠かった。

 バルセロナの観光スポットはどこも入場制限のようなことをしており、一度にたくさんの人を入場させない。グエル公園も予約が必要だったし、並んでチケットを購入すると3時間後くらいに入場となる。案内人はチケットだけ購入して翌日出直してくることを勧めていた。
 丁度お昼の時間だったので、近くのレストランで食事をすることにした。

 ビールを飲むなどで時間を過ごすとあっという間に入場時間となる。朝から歩いているので休憩にもその時間が良かった。グエル公園の有料エリアの外周を回りながら入場のタイミングを待った。外周からの入り口は4カ所あり、時間ぴったりまで待たされた。



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グエル公園入口の塀



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公園内の手摺り付きの通路。下部は人々が集う場所となっていた



 グエル公園に入るとまず、モザイクタイルが張られたベンチに腰掛けてみる。このベンチが有名だそうで、みんなそこに腰を下ろしてバルセロナの町並をバックに写真をとっていた。万国の人みんな考えることは同じのようだ。ベンチのある広場は人工大地でそれをギリシャ様式のエンタチスの柱が支えている。グエル公園には思ったほどガウディの作品は残されていないが、その一つがガウディの家でありさらに一つが学校として今も使用されている。


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公園を有名にしているモザイクタイルが貼られたテラスベンチ



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バルセロナ市内が見渡せる公園テラス。運動場ようなものと思っていたが、下部はギリシャ様式の柱で支えられている


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テラスベンチに腰掛けてみる



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テラスの下は数多くの柱で支えられている





 最後に中央出口から有料エリアを出るのだが、その出口付近に口から排水するモザイクタイル張りのトカゲが鎮座する。これはもっとたくさん造られているのかと思っていたが、実は1つのみ。その他に散歩をする回廊のような屋根付きの道も造られている。意外と斜面に公園は作られているのが、そもそもの予想と違った。

 ガウディの作品というべきモザイク模様の公園のパーツに一々感動して、写真をたくさんとりながら公園を出た。そこから坂道をずっと下っていき、途中の土産物やでトカゲの小さな置物を買う。きっとここへ来たことを思い出してくれるに違いない。それから地下鉄でカサ・ミラへ向かう。




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テラスの雨水を口から出すトカゲ。水は一端地下タンクに一端蓄えられるようになっていた



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公園の守衛の建物




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公園からの帰りの下り坂でパフォーマンスをする人もいた。浮いている!!




 地下鉄に乗ろうとしたとき、大事件発生!
 なんと、人生で二度目のスリにあったのだ。地下鉄の電車がホームに入ってくる頃、やけに自分の周りに人が増えたように思えた。友人に続いて車両に乗り込んだのだが、それを前に立って邪魔をする若い女がいて、それをかわして扉と女性の間から電車の中へ入った瞬間に財布が抜き取られたのだった。

 電車は発車し犯人は逃亡したのだが、どうしたら良いのか一瞬頭が真っ白になった。そして次の駅で下りてもとの駅まで引き返し、駅員に相談した。駅員はポリスマンのいる別の駅を紹介して、そこへ行けという。再び、地下鉄に乗り2駅目のカタルーニャ駅まで行き、ポリスマンを捜す。結局、日本で言う交番のようなところが見つかりそこへ入ると、数人の人たちがベンチ椅子に座っていた。

 しばらく時間が経つと、順番にその人に紙のようなものを渡して署名をさせている。結局は、被害届を渡しているのだとわかる。十分も立たないうちにその交番に新しい人が現れる。そして、届け出を書かせて証明書を作成し、被害者に渡すということを繰り返しているのだった。そんなにもここは被害が多いのだ。

 どうしようもなく観光を中断して宿に帰った。
 そして出来ることはクレジットカードを止めること。現金は返ってこないだろう。2カ所のカード会社へ連絡してすでにカードが使われていないか確認。再発行の手続きをした。あとはこの事件のショックをどうカバーしていくか自分で考えるしかない。

 バルセロナまでやって来て旅の初日でお金を失ったという影響はとても大きかったが、そのために今回の旅を終わらせるわけにはいかない。残されたお金でなんとか所期の目的を達成するしかないのだ。宿で一緒になった浅岡さんらと一緒に夕食はタパスとパエリアを食べにでかけて、今回のことの反省をしたのだった。


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ホテルに帰ってきた。入口の扉の高さは4mくらいある



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ホテルの看板も小さい







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