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バウハウス資料館




 デッサウからドイツ鉄道でベルリンへ向かいます。
 最後のミッションは、ベルリンにあるバウハウス資料館に行くこと。バウハウス−アーカイブというですが、バウハウス記念館とかやバウハウス展示館と訳しているガイドブックもありました。

 ベルリンのバウハウス記念館は、バウハウスが姿を1933年に消してから後に、1979年にグロピウスの設計に基づき建てられたもので、中にはクレー、カンディンスキー、シュレンマー、モホリ・ナギの絵画や彫刻、建築模型などが展示されているそうです。バルセロナ博覧会に建てたミース・ファンデル・ローエのガラス張りの住宅の模型もあるというので是非とも見たかったのですが、事前情報で長期閉鎖をして新しい建物に生まれ変わるということで、それならば今のうちに外観だけでも見ておこう、ということで行きました。

 カフェとミュージアムショップは辛うじて営業をしていましたが、かなり人影はなくて寂しい感じがしました。2019年がバウハウス100周年なので新たに生まれ変わるバウハウス−アーカイブを楽しみにしておくことにしましょう!
 いろいろバウハウスを見てきた結論としては、来年百周年を迎えてからもう一度来てみないといけないということでした。




 デッサウ駅。<br /> 午前中、バウハウスとマイスターハウスを見学してきたので、昼過ぎの列車でここからベルリンへと向かいます。
 デッサウ駅。
 午前中、バウハウスとマイスターハウスを見学してきたので、昼過ぎの列車でここからベルリンへと向かいます。





 デッサウには高速列車ICEが通ってないので、ローカル線でヴィッテンベルグまで出て、そこでICE1512に乗り換えベルリンを目指します





 デッサウ12:10発のRB51は、お昼前にホームに上がってきた時にはすでに入線していました





 RB51の顔





 ローカル線RB51の2等シート。1等とあまり変わらないような気がします





 1等のシート。レザーになったくらいの違いかも





 今回は、ICEが1等なのでローカル線も1等となったようです。日本で取る早割のチケットだと、全部で数百円のアップです。こちらだと、あまり人が入ってこないので落ち着いていられるくらいの差でしょうか。
 ローカルの利用者はあまり利用していないようでした





 ヴィッテンベルグにRB51が到着したときには、同時にICE1512にも入線してきました。ここでの乗り換え時間は5分。
 到着ホーム6番線から地下道に下りて、急いで3番線に上がっていきました。そしたら、なんとそこに停車していたのはICE1712。面食らってしまい、それに乗るわけにも行きません。そんな焦った状況で、ICEが出発するホイスルがなったため、やむを得ず飛び乗りました。





 37号車と書いてあっても訳が分かりません。
 乗客に2回くらい、この列車はベルリンへ行きますか?と尋ねると、”行く”という答えが返ってきて一安心ではありますが、自分の1等の席がありません。もちろん、違う列車に乗っているわけで、席があるはずも無く、列車の一番後の車掌室まで行って聞いたら、このICEは二つの列車が連結してあって、自分の指定席に行くことはできない、というのです。
 それで、空いている席に座れ、というので、長い列車の中を大きなスーツケースを押して行ったり来たりという羽目になってしまいました。





 デッサウからヴィッテンベルグまではローカル線で33分、そこからベルリンまではICEで41?囲の所要時間。
 空いている1等席を見つけて座ることができ、ベルリン中央駅まで予定通りいくことができました。午後1時半頃ベルリンに到着して列車を降りてみると、上の写真のようになっていて、ICE1512も連結されていました。これは、ヴィッテンベルグ駅の案内が不親切ではないでしょうか





 ベルリン中央駅では、ICE1512は地下ホームに到着。エスカレーターで地上会へと上っていきます





 地上1階。この上にもホームがあります





 ここで自分が乗る列車がどこなのか、全く情報がありません。
 この辺りの案内所で、Sバーンはどっちかと聞くと馬鹿にされたような感じで、あっち、とだけ答えられたような雰囲気でした





 つまり、それは地上2階にあるホームを指していたみたいです。
 しかし、地上2階へ上がっても、ホームはたくさんあるし、どの列車に乗れば良いのか全く検討がつきません。
 とりあえず、駅員さんを見つけて、行き先の駅を言って、OKという合図をいただきます。そして、切符の買い方も尋ねて、何とか列車に乗る準備ができました





 地上2階の向こう側のホームからは、ICEが出ていました。ちょっと、初めてではここで戸惑う可能性大です





 メリアホテルにスーツケースを置いて、ベルリンの街歩きです。
 目指すはバウハウス資料館なので、バスに乗っていくことに挑戦です。まずは、ベルリン国立歌劇場前のバス停からバスに乗ることにしましょう





 ちょうど前には、フンボルト大学があります





 ベルリン国立歌劇場





 フンボルト大学まえのベベル広場





 バス停でバスを待っていましたが、随分待っても100番とか200番の路線バスが来ません。どうやら休業しているようでした。
 バスを諦めてタクシーを拾います。日本と同じやり方で手を上げているうちに、ベンツのタクシーが止まってくれました。女性の運転手さんでした





 タクシーの運転手さんはドイツ語しか話せないらしく、会話は全くできません。バウハウス−アーカイブまでというと、それは通じたようです。
 ユダヤ人犠牲者記念館の無数のコンクリートの直方体が並ぶところを通って行きます





 バウハウス−アーカイブ ミュージアムに到着。人影は少なく寂しい感じ。運転手さんも本当にここでいいの?という表情でした





 建物の左側の通路から入っていきますが、こちらが裏口のような感じです





 この看板が正式名称を表していて、ここにバウハウスがあったというのではなくて、バウハウス関連の資料や文献、模型などが保管してあるというような位置付けだと思います。
 バウハウスは、1931年から33年までの2年間、ここベルリンで活動してきたわけですが、最後はナチスによって解体されたような結果になってしまいました





 この半円形の天窓が独特のインパクトを与えていました





 グロピウスの設計に基づいているそうですが、シンプルなのかどうか





 カフェの前のスロープから上って、建物中心部を抜けていくような動線になっています





 ショップの入口にはバウハウスの顔、という人たちが並んでいました





 右側がカフェで、真ん中のくぼんだ部分がスロープを上った通路にあたるところ。右下が建物の入口っぽい




 バウハウスショップで売られているものは、ちょっとマニアックで、お土産になりそうもないような





 バウハウスデザイン関係のものの販売かと思いますが、多岐にわたっていました





 この器のパンチの効いた色の配置がバウハウスらしい





 ショップの隣には、カフェがあります





 カフェには、バウハウスデザインの椅子。デッサウの校舎のカフェにもあったやつです





 バウハウス資料館の入口





 バウハウス資料館の入口から入ってきて、この中庭のようなエリアにでてくる、そこにショップとカフェが並んでいた、ということです






 上の広場からスロープを上っていきます





 スロープを上ると、建物の中心部を抜けていくようになっています





 スロープから、ショップや資料館の入口を見たところ





 スロープの横には、レインボーカラーのポールが立てられています。シンボルでしょうか





 先程のR屋根の間を抜けると、広い1階屋上へ出ました





 長い通路の向こうの出口に、やっぱりレインボーカラーのポールが見えます





 通路を出口まで歩いて、建物を振り返りました。今度はRの屋根が、逆になってみえます。左が北方向なのでしょう





 こちら側の入口には、ガラス張りのショップがありますが、オープンしてないようでした




 この形がバウハウス-アーカイブのシンボルです。
 建築的に素晴らしとかよりも、このような設計を許してもらえない、させてもらえないという気がするのですが、それを乗り越えることができるところがグロピウスの偉大さなのかもしれません





 グロピウスのデザインは、白っぽい建物に黒い窓枠、と思っていましたが、その名残を感じることが出来ました





 この文字からすると、これから大規模な改修工事をするのだろう、と思わされます





 ベルリンには他にもバウハウス関連の見るべき歴史的建築はありますが、今回はこれでミッション修了。

 残りの時間は、ベルリン観光をします




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マイスターハウスのヴァルター・グロピウスの家





 バウハウス見学の途中に、グロピウス大通りを北に10分程歩いて行ったところにあるマイスターハウスを訪ねました。
 3月のこの時期は、公開時間が午前11時からということで、ちょっと遅め。実際にその建物のは使われている感じで、観光客のために一部のプライベート空間を公開しているように思いました。

 マイスターハウスは通りに沿った木立の中に4棟あって、グロピウスの家、クルト・ヴァイルの家、マッハ/シュリーマーの家、カンデンスキー/クリーの家と並んでいます。グロピウスの家以外は2世帯が1棟にあるタウンハウス形式で、現在その一部は改修中でもありました。

 クルト・ヴァイルはデッサウ出身の音楽家で、バウハウスでフェスタが開かれていた人物です。マイスターだったわけですね。そんな人もここで暮らしていたかと思うと、建築家や芸術家、そして音楽家などなどが一緒に活躍していたわけで、その時代のロマンのようなものを感じます。

 マイスターハウスの内部まで見学していると丸1日くらいデッサウで時間をとっておく必要があるのですが、ベルリンまでたどり着かなければならなかったためこちらは外観のみとして、もっとバウハウスをゆっくり味わって帰ることにしました。バウハウスは、あの有名な縦にサインの入った壁は茶色い色とイメージしていたのですが、実際にはグレー。バウハウス百周年を前に塗り替えたのでしょうか?

 また、バウハウスの見学は6ユーロで午前10時からだったのですが、その入館料を支払わなくてもあの模型の展示室さえ見なければ館内は自由に見れそうな気がします。ワークショップで買い物しても入館料は関係ないようです。ただ、日本語のオーディオガイドを借りるとなると入館料が必要となります。これは、結構詳しく説明してくれるので、借りることをお勧めします。その際、パスポートも預けなければならないのですが、私はホテルに置いたままにしていたので、携帯電話を預けるというイレギュラーな方法を提案して、音声ガイドを借りることができました。








 グロピウス大通りを北へと歩いて行きます。とてもきれいな町並みです
 グロピウス大通りを北へと歩いて行きます。とてもきれいな町並みです





 工事現場もあり、こんなふうに町をリニューアルしているのかあ、と思いながら歩きます





 ちょっと目を引く建物ですが、アパートメントのようです





 入口もシンプルで、日本でも見かけるような庇に思えましたが。





 ガラス製品でした。カーテンウォールと一体化したデザインになっています





 グロピウス大通りの終点。交差点になっていて、その先にマイスターハウスが並んでいました





 交差点の手前に、またまた気になるお店を発見。バウアートとあります





 バウハウスデザイン、のような絵がショーウィンドゥを飾る





 デッサウ駅からの道とグロピウス大通りは、結局この交差点で交わります





 交差点からこれまで歩いてきたグロピウス大通りを振り返る。この先がデッサウ駅に通じる





 その交差点の反対側の一角にマイスターハウスは並んでいます





 上の写真の右側を回り込んだところの通り。交差点の白い壁の裏側の通り





 マイスターハウスが並ぶ木立の通りは、車道は2車線ですがその右には自転車専用道路、さらに歩道が整備されていました





 まず、グロピウスの家があります。こちらは、チケット売り場にもなっていました





 このグロピウスの家は、窓がグレーなので、どういうことかと疑問に思いました。スクリーンのようなものを取り付けているのか、とも考えましたが、きちんと復元されていないため仮設的に窓を覆っているみたいです





 解説はすべてドイツ語なので、全く理解できません。財団とかそのような連合で管理されている、というように解釈したのですが




 グロピウスは、第一次世界大戦終了後1919年、ドイツ全土の建築家や工芸家をワイマールに集めて、造形大学を作りました。それが、バウハウスの誕生です。
 さらに、1924年に政治的理由でデッサウに移転し、その設計を行った実績があるのですが、マイスターハウスもその時に作られたものです





 実験住宅などもまた別の所にあって、このようなマイスターハウスの建築によってグロピウスは、近代建築のあり方を模索して行ったと思われました





 表の通りから見たグロピウスの家





 グロピウスの家の隣は、作曲家クルト・ヴァイルの家





 クルト・ヴァイルの家の窓もグレーのスクリーンのようなもので覆われていました





 半分くらい足場が掛けられています




 表通りから見た、クルト・ヴァイルの家。カーテンウォールも閉鎖中





 3軒目は、ムッシュとシュリーマーの家。
 ムッシュとシュリーマーが住んだ家、と行った方が正確でしょうか。それを、Muche/Schlemmer と表記されています。





 こちらの家は生活感があり、煙突からは煙が出ていました





 ぐるりと建物の周りを一回り





 この建物のどこがどうだ、ということはわかれりませんでしたが、今からおよそ百年前にグロピウスがこのような家を設計して、実際に建てて現在でも使われている、ということが建築の歴史のように思えたのでした





 このガラスのカーテンウォール、建物の顔になっています。
 この部分を見ていると、もう半世紀くらい前に建った我が家にやや似ている気がしましたが、設計者はこのイメージを取り込んだのか、と思ったりもしました





 この縦のカーテンウォール、他にあまり見ないデザインです。ここは、ちょっと内部を見たかったところです。

 このようなタウンハウスが2棟続きます





 このような家があるため、世界中の芸術家がバウハウスに集まってきて、グロピウスの家はバウハウスで創造的活動をした芸術家の展示場のようなものになっている、というような意味でしょうか。ちょっと、大ざっぱ過ぎ





 4軒目。カンデンスキーとクリーの家





 通りから見た感じは、3軒目とよく似ています





 右回りで、4軒目の家の周囲を回ってみます





 こちらには、足場のようなものはかかっていませんが、現在整備中でした





 現代の鉄筋コンクリート住宅のお手本のようなものかな、と思います






 手摺りなどが鉄製なのと、ちょっと部材が細い感じ以外は、100年近く前の建物であるということを感じさせないだけの斬新さが感じられました





 グロピウスは、バウハウスやマイスターハウスの設計を通して、ガラスカーテンウォールを近代建築の象徴として取り入れて行きたかったのでしょう





 このガラスカーテンウォールは階段室になっています





 このカーテンウォールの性能は別として、これまでのドイツの石造りの建築から大きく脱皮し、工業化に挑戦してきたグロピウスの精神がここに伝えられているようでした





 4軒目の建物は、大通り側に2つの玄関があります





 正面カーテンウォールの真ん中が、二つの家の境界のようです





 この同じサイズのガラス窓を繰り返して使うことによって、建物の設計をシンプル化していったわけです





 とても簡単な鉄製の窓ですが、それが建築史的に残した功績と革命があって、それらを肌で感じるために世界中から今でも建築に関わる仕事をしている人たちがここを訪ねてきているのでした





 4軒目のカンデンスキーとクリーの家は、リノベーション中なので公開していません、3軒目を見よという表示がドアに張ってありました





 こちらはマイスターハウスに続いて、木立の中に並ぶおうち





 マイスターハウスの前に建つ、バウハウスデザインぽい住宅




 バウハウスとマイスターハウスの見学を終え、デッサウ駅の地下道を通ってホテルに預けてあったスーツケースを取りに行きます





 正面がプラットホームが並ぶ軌道ですが、そこへ通じる地下道は一般の通行用として使われていて、改札はありません





 改札が無くて、直接プラットホームに出て列車に乗る、というのが日本人にとっては違和感を覚えます





 デッサウ駅舎内部





 ベルリンへ行くため、列車の時刻の確認。
 日本でネット予約したチケットは、RB51 12:10発5番乗り場です。この日本での予約、とても不安でしたが、それですべてちゃんと列車に乗れたのには驚きでした。





 バウハウスから帰って、一旦駅を出て反対側にあるホテルに向かいます。荷物を持って、再び駅まで帰ってきました





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これは見覚えのある椅子!!バウハウスデザインの、世界に広まった象徴のような椅子です






 バウハウスの中へは、開館の午前10時を待って入りました。
 オープンの時間には、世界中からおよそ10名くらいのバウハウスファンが集まっていたようですが、デッサウ市民でクルト・ヴァイルフェスタにやってきたひともいたみたいです。
 
 クルト・ヴァイルはデッサウ出身の作曲家で、そのシンポジウムがバウハウス・ワークショップ・ブロックの大会議場でこの日に開催されることになっていて、そのためののぼりがデッサウ市内をカラフルに彩っていました。さらに、他のイベントもあったかもしれませんが、バウハウスでの講演も多くの人を集めていました。






  バウハウスの玄関を入ったところ。<br /> 1階が半地下になっているので、2階へは階段で1フロアの半分くらい上ります<br />
 バウハウスの玄関を入ったところ。
 1階が半地下になっているので、2階へは階段で1フロアの半分くらい上ります




 2階エントランスより。
 真ん中から上の写真の1階玄関へ下ります




 2階エントランスには、コートハンガーなどがあって、奥の左の扉からチケット売り場へ入ります




 左がチケット売り場。
 ここは、ワークショップ・ブロックの2階ですが、奥の方はバウハウス関連の売店となっています




 バウハウスの見学チケットは7.5ユーロ。
 ここでは、日本語の音声ガイドを借りることができました。しかし、パスポートを預ける必要がありますが、ホテルに置いてきたので困りました。結局、なかなか通じない言葉で、あれやこれや交渉して携帯電話を音声ガイドと引き替えに預けるという、イレギュラーな扱いでやっとのこと貸してもらえました




 ここではバウハウス関連の書籍もたくさんありましたが、残念ながら日本語のものが無く、本は買わずに終わりました。
 マグネット写真など数点を購入




 チケット売り場の外観。中庭側になります





 2019には、新しくバウハウス博物館がオープンする予定。
 バウハウスの展示物は、資料関係が豊富らしい




 展示エリアへ。
 展示物というのは、とてもシンプル。そもそも、このバウハウス自体が展示品のようなものなので




 展示品は、球体が二つあって、あとは模型とアイソメくらい




 バウハウス模型




 プランが分かるように平面を重ねた模型。アイソメっぽいですが、ちょっとそうでもない




 3階ホールから見た階段




 踊り場から、4階ホールを見上げたところ




 4階ホールから、3階踊り場を見る




 4階ホールには、バウハウスデザインの有名な椅子が3脚並んでいた




 建築を学ぶに、まずは椅子からみたいな雰囲気があり、それはバウハウスの精神でもある全ての芸術は建築に繋がる、ということにたどり着いてしまう




 4階ワークショップブロックの大会議室では、多くの人が集まっていました。それでも、この小さな入口から入るところがちょっと以外な印象




  ここへ来て、クルト・ヴァイルフェスタの講演会がこのバウハウスの4階大ホールで開かれる、ということを理解しました




 つまり、クルト・ヴァイルの記念イベントのために多くの人がバウハウス4階へ集まってきていたわけです。
 もちろん、別に観光客はこの建物を見学しているわけですが




 3階ホール。
 3階はどこも扉が閉まっていて、ワークショップブロックは見るところはありません




 階段室カーテンウォール。
 外観は黒ですが、内観は白く明るい雰囲気でした




 カーテンウォールは、チェーン式で開閉する仕組み




 階段踊り場から、管理棟ブリッジの廊下側を見る




 管理棟ブリッジ3階の廊下




 管理棟3階の会議室




 この椅子もバウハウスデザインでしょうか。ちょっと、こっちは初めて見たような気がする




 学生寮を見る。壁など修復されてはいるものの、継続して維持していくのはなかなかなのだと感じさせる





 こちらの会議室側のカーテンウォールも部材が細く、カーテンウォール初期の設計であることが伺える




 管理棟3階の廊下を教室棟まで行きます。そこには誰もおらず、勝手に歩き回って良いのかどうかやや不安を感じたりしました。
 そこから、管理棟ブリッジの廊下を振り返ったところ




 一旦、ワークショップブロックまで引き返して4階へ。
 4階は、管理棟ブリッジが廊下ではなくて、オープンスペースのような感じでした





 4階は建築学科に関するスペースだそうです




 4階ブリッジから、ワークショップブロックを見たところ。3階よりも明るい




 4階管理棟ブリッジ教室棟側には、ガラス張りの会議室がありました




 教室棟4階へやってきました。この中廊下の両サイドは、教室です。
 アンハルト大学の校舎として大学案内で紹介されているので、現役として使われているのかもしれません




 教室棟の4階階段室




 教室棟内部。
 外観から見たときは、この照明が1つの窓に1個あるので、小さな教授室のようにも見えました。
 教室棟を工芸棟、とか、専門大学校舎と紹介されている本やパンフレットもありました




 2階オーデトリアム。大講義室というところでしょうか




 ワークショップブロック1階のカフェ。この椅子は、やっぱり有名で昔から見たことがあります




 バウハウスの戦禍。ぼろぼろになっていたこともあるようですが、現在ではデッサウ・バウハウス財団によって修復され、維持管理されていました





















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デッサウ駅から歩いてバウハウス通りを歩いて行くと、バウハウスの裏側から敷地内へ入っていくことになります



         

 バウハウスの午前10時の開館までの間、建物の周辺を歩き回りました。
 バウハウス通りは、グロピウス大通りから始まってゼミナール広場までの間で、日本の大学と違ってオープンな空間でもあり、誰でも自由に通行できます。

 アンハルト大学の敷地内にバウハウスがあって、デッサウ駅からバウハウスまでがある種のアカデミックな公園のエリアのようにも思えます。


 バウハウスを見て2つの思いがありました。
 一つはもう数十年前に通っていた大学の講義棟のこと。なんと中途半端な半地下に教室が並んでいるんだろう。。。と疑問だったのですが、このカフェテリアなどの雰囲気とそっくりでした。そんな建物の建て方もあるのかあ、と感じたことを思い出しましたが、バウハウスと関連があったのかもしれないな、と今になって思いました。

 もう一つは、建築学科を出て社会人となり初めて神戸の会社の寮に入ったときの記憶です。
 なんとなく、このバウハウスの雰囲気にその寮が似ているのです。規模こそここまで大きくないのですが、建物のレイアウトに敷地を広々と贅沢に使って、翼を広げているような感じ。
 それらが、共通の特徴のように思えました。






グロピウス大通り側の、バウハウス通り起点
グロピウス大通り側の、バウハウス通り起点





 バウハウス通り。向こうの突き当たりはゼミナール広場



 バウハウスは、バウハウス通りを建物が横断していて、ここは渡り廊下かと思われましたが、学長室や会議室などが配置されている下駄履き式の校舎でした




 左には工芸家などが入る研究室が並ぶような部屋がある建物。アンハルト大学の校舎として現役で利用されている、と案内板から推測しています




 右には展示室や大ホールなどが配置された校舎。こちらのカーテンウォールは有名です




 この入り済み部が、バウハウスのメインの入口




 半地下にカフェテリアがあり、誰でも入ることができます





 バウハウス通りに玄関は面していました





 あまり大袈裟ではなくて、この玄関を入ると階段室になっています





 玄関庇のサイン




 バウハウス通りと、グロピウス・アレーを渡って突き当たりがバウハウス広場




 上の写真のすぐ左が、玄関入り口





 メカニックなカーテンウォール





 カーテンウォールの後には、白いガラス戸を一斉に開けるアームがあるのが分かります





 上から2段目と4段目の窓が連動して開く仕組みになっていました





 これらのカーテンウォールは、第二次世界大戦でボロボロになったようですが、復旧されたそうです




 バウハウスのメインの玄関とシンメトリーになって、工芸館またはアンハルト大学が校舎として使っているところの入口があります





 こちらもバウハウスの一部ではありますが、現役で活躍している部分の入口




 下駄履きのピロティの下をくぐって、バウハウス通りをゼミナール広場へと進みます。左の大梁から跳ね出している部分が廊下。
 この梁間間が学長室や様々な部屋が配置されていました。管理棟ブリッジというところでしょうか




 ピロティを抜けてみると、2,3階はカーテンウォールなのでどこからどこが部屋なのか分かりません。
 2階はバウハウス財団や会議室などがあり、3階は建築学科関連の部屋があるようでした





 ここから先は、まったく雰囲気が違ってきます。生活の場となるのです




 ブリッジを抜けると、寮と講堂、食堂の建物があります




 この2階部分が講堂




 講堂の下、つまり1階部分は立入できませんでしたので未確認ですが、バスエリアやランドリーなど寮生が生活をしていくための機能があるようです





 ブリッジの右に当たるところ、つまり、大学のエリアですが、ここに教室が配置されています




 ブリッジを抜けて、2,3階の管理部門エリアを振り返る






 グロピウス・アレー(大通り)から一番奥に、寮が配置されています




 この寮、平面プランは中廊下式のシンメトリーなのですが、こちらにはシンボルのバルコニーが付けられていません




 寮の横から見ると、管理部門エリアのブリッジは、随分横長く見えますが、実際右半分は大学の教室関連のビルで、直角方向に伸びていて、ブリッジ管理エリアとして使われているのは、真ん中の道幅の上に当たるところだけとなっています





 均一に見える近代建築をいかに外部と内部を関連づけずに、利用しているかを示されたみたいでした。
 こちらは、教室エリア




 ブリッジ上部の管理エリア




 バウハウスの敷地は芝生が植えられた広々としたエリアでしたが、その向こうは閑静な住宅街




 裏側、つまり、デッサウ駅側から見たバウハウスも、建築史的には有名




 特に、この飛び出したバルコニーの連続というデザインに、当時の人は驚いたことと思います




 このバルコニーの意味は、デザイン以外にどのような目的なのか、初めて見たときは疑問に思いました。
 例えば避難のためなのか、そこで気分転換をする、洗濯物を干すなど考えられますが、そのような機能よりも、デザインとしてのグロピウスの主張であると感じます





 そもそもこの5階建ての建物、バウハウスの寮だと自分は思っていますが、「プレーラーハウス」と呼ばれていて、入居はなかなかだったそうです。

 窓1つが一部屋になっています




 「プレーラー」とは、一体何か、と考えたとき、それはバウハウスの学生のことと解釈して、自分的には学生寮だと思っています。

 しかし、スタジオとなっているので、その部屋で造形家・建築家・工芸家として社会にデビューする前の創作活動をしていた場所のようなものだったのだろうなあ、と理解することにしました




 そこにこのコンクリート製の庇のようなバルコニーが必要なのだろうか、と思ってしまいますが、このバルコニーがなければこの”プレーラーハウス”はエレベーションに何の魅力も無くなり、今のような注目も浴びなかったに違いありません





 このようなスラブのキャンティレバー構造は、内部の鉄筋がいずれ錆びるのでは無いかという心配を、日本でならばしてしまうところです




 グロピウスお踊りに面するワークショップブロックのカーテンウォールとこのプレーラーハウスのバルコニーは、バウハウスの最大のデザイン的な特徴と言えると思います




 しかし、バウハウスが世界遺産として評価されるのは、この建物だけではなくそのドイツおよび世界の建築や工芸に大きな革命的影響を与えた歴史的事実であり、教育思想なども高く評価されているからです





 強烈なインパクトを持つバウハウス・デッサウですが、ここでその崇高な精神で教育と活動が行われたのは、1925年から1931年までのたったの6年間。
 ワイマールから移転してきたバウハウスは、1932年にはナチスによってデッサウから追放され、ベルリンへの移転を余儀なくされるのでした




 バウハウスの敷地に隣接して、低層の建物がありましたが、ここはバウハウス・ライブラリー。図書館のようです




 バウハウス・デッサウ財団による運営で、バウハウスの歴史に関する研究や都市開発・建築・芸術およびデザインに関する出版物などを収蔵する役割




 バウハウス・ライブラリーもアンハルト応用化学大学の関連施設となっていました
















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ここに立つと身震いするようでした



 ついにバウハウスへやってきました。
 早くホテルを出発したのと、あまりにもバウハウスにすぐに到着したので、人影は疎ら。静かな世界遺産のバウハウス・デッサウ校をじっくりと歩き回ることができました。
 
 このファサードは、学生の頃はいつも見ていたような気がして、どの建築関係の本をめくってもどこかには出ていたと言っても過言ではないくらいの、強いインパクトがあった建物で、その実物を訪ねてくることがあろうとはまさかのまさかです。本当にバウハウスがあったんだなあ、とそんな異次元のような感覚。

 近代建築は、このグロピウス設計によるバウハウスからはじまるといっても過言ではなく、それにミースファンデルローエがバウハウスを閉鎖して世界中にバウハウスの設計思想が広まっていったという歴史があります。そのため、建築設計を学ぶ学生は避けて通れない歴史でもあるのです。

 バウハウスは、1919年ワイマールで建築と工芸の造形大学として生まれて1925年にデッサウへ移転してきますが、さらに1931年にナチスによる迫害でベルリンへ移転して1933年にその活動を修了し、教師たちは世界各国へ亡命などして活動を広げていきます。たった14年の歴史なのに、現代にまで最も輝く建築史の1ページとして語り継がれてきた功績は言葉で表現することができないくらい大きなものでした。

 そんなわけで、建築やデザインに関わっている世界中の建築家造形家はいまだにこの地を訪れ、およそ100年前に近代的シンプルな、工業化デザインの先駆となったこの校舎と残したものを自分の目で確かめるわけです。





 あまりにも有名なバウハウスの顔。”建築の家”という意味
 あまりにも有名なバウハウスの顔。”建築の家”という意味





 中庭の方へ入っていきます。
 ワイマールのバウハウス大学もそうでしたが、塀とか柵ガないので、誰でも公園のように、広い庭へ入っていけます




 東面ファサード。
 中央低層部は大ホールと食堂




 バウハウス校舎の講義棟だったと思われるメイン建物で、今では展示室やホール、売店、インフォメーションなどとして利用されていました




 中庭側入口。
 この部分は階段室となっていて、建物の裏側にメインの入口があります




 寮棟。
 ここに入るのは、部屋数が少なかったためかなりの難関だったそう




 バウハウスライブラリー




 バウハウスライブラリーは、バウハウスの大まかには隣にありますが、アンハルト大学の一部のようです




 ”バウハウスについてのライブラリー”という意味になるのでしょうが、まだオープン前で中まで見ることはできません




 バウハウスの開館時間は午前10時からなので、それまでの間外観を見て回ることにしました




 初めて授業でこの写真を見せられたときは、何とも思わなかったのですが(そんな建物があるのか、くらい)、その歴史と役割を知るにつれてどんどん頭にこびり付いていました。

 その原因として、西洋建築史の先生がバウハウスの研究者だったため、1年中バウハウスやグロピウスの話をしていたからかなあ、と今になっては懐かしく思えます




 このバウハウスは、バウハウス・デッサウ財団によって維持運営されていますが、この看板は寄付を求めていることが書かれているようでした



 バウハウスの正面道路側を北へ歩いて行きます




 道路の反対側から見ると、当時の学校と言うよりもオフィスのような感じがします




 バウハウス本館の向こうには、教授室や工芸に関する建物も見えてきました




 正面ファサードの、この単調な四角形を繰り返すカーテンウォールが特に歴史的価値が高いようです




 このカーテンウォールも、第二次世界大戦の空襲ではかなりぼろぼろになっていましたが、それをデッサウ市や財団によって建設当時のように修復されたものだそうです




 カーテンウォールは、昔のような鉄の組み合わせで、一部窓が昔のように開閉します




 バウハウス前の通りで、「グロピウス大通り」




 バウハウス広場




 広場ののぼりの中で、真ん中の白いのぼりに描かれているのは、寮のバルコニーに集まる学生たち。そんなにたくさん載ると、バルコニーが落ちるかもしれない

 クルト ヴァイエル フェスタというのぼりですが、デッサウ出身の作曲家を記念する行事が行われているようです



 マイスターハウスは、このグロピウスアベニューの突き当たりくらいにあります




 工芸関係の施設や、今で言う研究室があった校舎ですが、現在アンハルト大学の施設として利用されているようで、メディアセンター・デジタル出版等の研究施設となっています




 この校舎の間の通りが、バウハウス通り




 バウハウスエリアで200mくらいあって、それからゼミナール広場まで200mくらいありました





 バウハウスの、もう一つの校舎のファサード




 この建物が百年前に造られたものとは到底思えないほどの斬新さ




 グロピウスは、デッサウ市からバウハウスの設計を全面的に任されることから、ワイマールからここへの移転を決意して、思うようなデザイン・建築・工芸・印刷を学ぶ大学を目指しました。
 その名残が今ここにあるアンハルト大学にも引き継がれているように感じました。




グロピウスお通りから見るバウハウス全景




 この建物は現在もアンハルト大学の校舎として使われています。およど100年前に造られた建築が今も利用されているわけです


 アンハルト大学は、日本ではあまり馴染みの無い大学ですが、その内容を俯瞰するにバウハウスの思想や影響を少なからず受けている応用科学大学で、デッサウ校舎は美しい町並みと近代的な校舎を有していました



 大学の研究室のような感じですが、このエリアは見学できません












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