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反原発を貫く原子力研究者、小出裕章さん
電力独占体制の弊害を唱えた改革派官僚、古賀茂明さん そしてあまりに動きの遅い国会批判で名をはせた放射線被曝の専門家、児玉龍彦さん 大きな反響を呼んでいる反骨の3人による明日への伝言です 原発事故から2カ月経った5月23日
この日は原子力の歴史が変わった人も呼ばれる 原発の危険性を訴える科学者ら4人が、国会で証言したのだ。 ※京都大学原子炉実験所助教 小出 裕章氏、芝浦工業大学非常勤講師 後藤 政志氏 神戸大学名誉教授 石橋 克彦氏、ソフトバンク株式会社代表取締役社長 孫 正義氏 その一人が小出裕章氏だ 「原発はいらない」 小出裕章・京都大学原子炉実験所 助教
小出 原子力を推進する人達がどういう対策を取ったかというと 「破局的事故は滅多に起きない」と、「そんなものを想定する事はおかしい」と だから、想定不適当という烙印を押して、無視してしまうということにした。 京都大学原子炉実験所。
小出さんの研究室は昼間でも薄暗い 節電のためエアコンや照明はほとんど使わないという 62歳の小出さんは37年間原子力の研究を続けてきた しかし、現在の肩書は助教 昔で言う助手のままだ 小出: 原子力をやるとこんな危険がありますよ こういう放射能の汚染を起こしますよ だから一刻も早く原子力は辞めるべきですと言い続けてきたわけですね 残念ながら事故は起きてしまったのですね ですから私にとって今年は、自分がやってきた仕事が最終的に敗北したという年です 小出氏が原子力の世界に飛び込んだ1968年は、日本の原子力の黎明期 小出氏も未来のエネルギーは原子力しかないと固く信じていた ところが、研究を始めてすぐ、ある重大な疑問にぶつかったという 小出: 今から思えば大変単純なのですが 原子力発電所というのは都会で引き受けることのできない危険を抱えていると。 過疎地に建てるしかないという事で原子力は進んできたという事に私は気が付いた というか、それを知ってしまった訳ですね そうなると、私としてはそんなものは到底認めることはできないと思いましたので 180度私の人生をそこでひっくり返しました。 こうして原発を無くすために研究を進めた小出氏には 同じ志を持つ5人の仲間がいた ー瀬尾健氏(故人)、小林圭二氏、今中哲二氏、 彼らは異端の研究者とみなされ、それは研究費や昇進にも露骨に表れた 彼ら6人は原子炉実験所の所在地大阪府の熊取町にちなんで 「熊取6人組」と呼ばれるようになった これは、中国で起きた文化大革命の「4人組」になぞられた呼び名だ 小出: 6人組と呼ばれたわたし達のグループにシンパシーを感じて 一緒に行動しようとして、来てくれた人も実は何人かいるんです ーー後輩とか? 小出: はい。 いるんですけれども、私はその人を積極的に誘わなかったんですね その、自分たちのグループに入れと それは・・・・・・・ま、言ってみれば そういう後ろ指をさされるグループに入ってしまうと、研究費が取れないですとか、 そういうことがある。もう、あたりまえのことであるんです 原子力の危険性を訴え続けた37年 しかしその声は届かなかった 小出: あまりにも力が足りなすぎたんですね マスコミの人もそうだけど、 私達の言う事を何も取り上げてくれない 政府、電力会社、巨大企業の言う事をきいてマスコミも報道をずっとしてきた 重大な事故が起きた今、全ての原発を止めるべきだと 小出氏は全国を訴え歩いている 小出(講演会): 私たち日本人は騙され続けて、ついに福島の事故も防ぐことが出来ないで 今、変わり果てたこの場にいます わたしもそうです。みなさんもそうです どうやってこれから生きていくかという事を、特に若い学生の皆さんには 十分に考えて欲しいとおもっています 一方野田政権は 安全性の確保と地元の理解を前提に、原発を再稼働させる方針だ 全ての原発停止は電力供給に支障をきたし、日本経済が立ち行かないという意見は根強い 現在福島第一原発は循環注水システムが機能したことで 1号機の圧力容器内の温度が100度以下になる等、収束に向かっているとされる しかし小出氏は 本当の事故収束への道は険しいものだと指摘する ーー廃炉廃炉と言われていますけれども、これはいつごろ出来るんですか? 小出:できません。何十年か後ですね アメリカで起きたスリーマイル島事故では 炉心の半分が溶けて圧力容器の底にたまった 燃料を取り出すまでに11年もかかっている 一方福島第一原発でも、溶けた燃料は圧力容器の底に溜まった ところが福島ではこの圧力容器も損傷し、溶けた燃料が格納容器の中に落下しているとみられている 小出: 抜け落とされて下に落ちちゃっているんですね そうなると、(ため息)スリーマイル島のような回収作業は絶対できません。 まったくできない。 どうしたらいいのか、実は分からない 防げなかった破局的な原発事故 我々はここから何を学ぶべきなのか ーー未来への伝言を最後にお願いしたいのですが 小出: ウソをつかない 人に対してもウソをつかない 自分に対してもウソをつかないと もし間違えたならば謝ると それさえ出来れば原子力なんてありえなかったと、私は思います 全く安全ではない物を、 都会では引き受けられない程の危険を抱えたものを 「安全です。絶対に事故は起こしません」と言い続けて原子力を進めてきたわけです。 08:04
もう一人、今渦中にいるあの人が原発事故の明日を語った 経済産業省古賀茂明: 電力会社のですね、根回しが相当効いてきていて、殆どこの改革が瀕死の状況になってきているなと 月曜日に多分辞めることになるので 3日前、経済産業省から退職するように勧められていた改革派官僚古賀茂明氏が ついに辞表を提出した 改革の志半ばで退職することになった 古賀氏は経産省と電力会社の癒着を暴露し「電力改革」を打ちあげていた 経済産業省古賀茂明: 電力会社のですね、根回しが相当効いてきていて、殆どこの改革が瀕死の状況になってきているなと 強いですよ。本当に電力は。 特に地方に行けばその力というのは歴然としています 「電力独占体制を打破せよ」 古賀茂明 経済産業省 大臣官房付 我々は昨日渦中の古賀氏から話を聞くことが出来た ーー辞表を出されたという事で率直な気持ちを聞かせて下さい 古賀: そうですね、もともと、辞めると言うのは、だいぶ前から覚悟をしていたので 特別な気持ちというのはあまり無くてですね むしろ、やっと、一つの区切りが付くなと。 古賀氏を一躍有名にしたのは去年の国会だった 古賀: 天下りによってポストを維持する。それによって大きな無駄が生まれる 以前から公務員改革を訴えていた古賀氏は 仕事を与えられなくなり、大臣官房付という待機ポストを与えられていた 仙石由人官房長官(当時): こういうやりかたは、はなはだ彼の将来を傷つけると思います 原発事故は、この5カ月後に起きた 古賀氏は計算官僚でありながら、原発行政を強く批判し始めたのだ 古賀: 今回の事故はですね、天災だという事で最初は進んでたんですけれども 私は一番最初から、「これは天災じゃない」と思っていたんですね 東京電力、これはま、電力会社の共通のものなんですけれども 競争が無い。規制をしているはずの経産省に対しても、むしろ優越的な地位に立っているというような事でですね 東京電力の中で「事故を起こしちゃいけない」とかですね あるいは、事故を起こした後の対応についても、「ウソをついちゃいけない」とかですね そういう、普通の組織だと当然あるはずの規律が働かない仕組みになっていたと思うんです 実は古賀氏は電力会社の「地域独占」を壊す「発送電分離」がかねてからの持論だ 古賀: 独占企業でですね、料金も国と電力会社で一緒になって決めて 家庭にですね、押し付けているわけですね で、家庭は電力会社を選ぶ自由がありませんから、殆ど税金と同じですね そういう意味で「発送電分離」というのは一つのカギを握っているなというふうに考えたので これは提言することに意味があるなと思ったのです 1997年、OECD経済協力開発機構等は、発送電分離などの規制緩和を指針し、 日本にも改革を迫った 実はこの時古賀氏はOECDに出向していて、議論に加わっていたのだ。 古賀: 経産省の中ではですね、「こんなことを誰がやるのか」と 「何やってんだ」と「誰が新聞にしゃべったんだ」というようなことになって、 「呼びもどしてクビにしろ」とかですね 電力業界は発送電分離は電力の供給に支障をきたすと主張している 電力自由化が進むアメリカでは日本より停電が多かったためだ 古賀氏は5月、電力改革を提言した本を出版 異例の売れ行きを記録し、その主張に賛同者が増え始めた 翌月の6月、古賀氏は事務次官から突然退職を勧められたという 古賀: 「放置しておくのは非常にまずい」という判断はあったんじゃないかなと思っています 明日、月曜日付けで経産省を退職する古賀氏 最後にこんなメッセージを述べた 古賀: こと原子力については、高いか安いかという議論だけでいいのかどうか という事はやはり、考えなくてはいけない問題だと思っています 特に、核燃料廃棄物 要するに、ゴミを処理するという事に対して見通しが立っていない これ、何万年先までですね、これからの若い人たち、 将来の世代の人達にですね、ツケを残す。 そういう事をやってもいいのかと。 いろんなデモが起こっていますけれど、 僕はああいうのが非常に重要なことだと思っていますね 国民が直接声を政治に届けていくという事が大事だと思います http://kiikochan.blog136.fc2.com/ みんな楽しくHappy♡がいい♪さんより
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反原発科学者の言葉
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女川原発は,関東地方の電力需要のバックアップもしている
小出氏が1968年,東北大学の学生
女川(おながわ)原発反対同盟の阿部宗悦(1926−)氏(写真) 原発が東京ではなく女川に建てるという「差別」を 目の当たりにしたことから,小出氏の歩むべき道は 原子力を止めさせるものとして踏み出した. 阿部さんが,小出氏ら学生に(女川町に)ボロ長屋を借りてくれた.
長屋に住みこんで女川原発に抵抗していた. 大学生時代に仙台市と女川に住みながら女川原発の建設に抵抗 1970年の10/23,原発反対の大きな集会があり
小出氏は長屋で現地闘争本部を作って漁民にビラを配ったりして コツコツと漁民の皆さんに呼びかけていた. ついに漁民も立ち上がって反対集会が起きた. ボロ長屋に
「月曜はお前らが当番,水曜木曜はあなた」というように 誰かが必ず常駐する形で,ガリ版でビラを作っていた. 小出氏ら学生は,朝早く女川の駅前から
五部浦沿いの道を原発予定地に向かって 横浦-大石原-野々浜-飯子浜-塚浜-小屋取と山道を歩いた. ビラを1軒1軒家に置いて行く.小屋取という集落まで15km. 夕方また15kmの道を歩いて長屋に帰る.往復30km.
今もそうだが,原子力だけは決して許せないと思い
そのために,「私ができることは,私の責任でやりたい」 その気持ちだけで反対運動をやっていた. 女川の長屋−石巻−仙台の下宿まで電車は片道3時間半 反対活動を数年間続けていた. 独白: 私にはマネができません. 小出氏は信念の固まりだ.
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今年3月11日、技術先進国の日本では決して起こらないとされてきた原子力発電所の事故が起きた。福島県をはじめ広範囲の国土が放射能に汚染された。
京大原子炉実験所の助教、小出裕章さんと今中哲二さんは、原子力の専門家の立場から安全ばかりが強調される日本の原子力政策に警鐘を鳴らしてきた。事故直後に訪ねた実験所。二人に無念の思いを聞く。
3月末、今中さんが調査に入った福島県飯舘村は、原発事故後の風向きが災いし、高い濃度の放射能に汚染されていた。住民、行政、科学者各々が、各々の立場から言葉をしぼり出す。 25年前に原発事故が起きた旧ソ連のチェルノブイリ周辺地区。今も事故による影響と思われる病気で苦しんでいる子どもたちが大勢いる。はたしてこれは25年後の福島の姿なのだろうか。
京大原子炉実験所の小出さんは参議院に参考人として招かれ、政府の原発事故対策の不備を厳しく指摘した。 「その日」のあと、否応なく放射能汚染と向き合わざるを得なくなったこの国のいまを浮き彫りにする。
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戦争後、もっとも大きな事件の映像かつて、戦争で焼け野原になった東京の地に復員した兵士が、その光景に立ちすくんだという話をよく聞いたものです。日本人は戦争で本当にひどい目に遭ったのですが、その後、奇跡と言われるほどの気力で立ち上がりました。
戦後の日本は朝鮮動乱を経て回復し、思想的には左右の厳しい対立はあったものの、高度成長を遂げてJapan as No.1と言われるまでになったのです。
その間、地震で言えば東日本大震災、阪神淡路大震災があり、伊勢湾台風、諫早豪雨などの自然災害の他、下山事件、浅間山荘事件、日航機墜落事故、ロッキード事件、バブル崩壊などの政治・経済・社会の事故事件もありました。それでも、福島第一原発、その中でも3号機の爆発ほど後の社会に巨大な影響を及ぼすと思うものは無いでしょう。
2006年の新耐震指針の審議の時に、「予想外の時には原子力発電所が破壊し、大量の放射線が漏れ、付近住民が被曝するということを想定して置かなければならない」という審議の前提に驚き、原子力発電を続けることに批判することにした私は、この爆発をネットで見て呆然とし、日本の原子力開発に携わったことに強く反省をしたのです。
科学者・技術者は実験事実や観測事実に忠実でなければならず、この爆発を見て、それまで「原発は安全」と社会に言ってきたことに深い自責の念を持たないとしたら、それは科学者でも技術者でもないでしょう。その意味で、今でも「活動を続ける原子力の関係者」が存在すること自体、私には理解できないのです。
しかし、その原因の一つが「この映像がテレビでも新聞でも繰り返し放映されない」ということにあると思います。ここ10年、アメリカで起きたニューヨークの貿易センタービルの爆破事件(いわゆる9.11)の映像は繰り返し流すNHKや各テレビは、この日本の未曾有の災害の映像をほとんど流さないからです。
本来であれば、1号機の爆発と3号機の爆発の差、そこからの噴煙(放射線の灰)の移動などの事実関係や、さらに続いた「原子炉が休止していた4号機の爆発」についても微に入り細に入り報道するのが日本のテレビでした。なにか小さな芸能人のスキャンダルはもちろん、食品会社の不祥事でも1週間ぐらいは同じ映像を見せられてきたのです。
原発の爆発・・・ほとんどの人が「本当!?」とビックリする事態が起こっても、「3号機でモヤが見えますね」という誤報を出して、この事実は歴史の中に封じ込められようとしています。日本のエネルギーの主力として進めてきた原発、広島原爆で世界で唯一、大規模な被害と被曝を受けた日本人・・・それがこんな結果になったのです。
今からでも遅くはないので、私たちはアメリカの9.11よりも、この映像を繰り返し報道し、目に焼き付け、そして日本のエネルギー政策と「社会的ウソと錯覚の発生」について再出発を決意しなければならないでしょう。
(平成23年9月14日) 武田邦彦
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水野「昨日大阪で小出先生の講演会があったと伺いました。会場が満員で、お客様が別の会場で、パブリックビューイングの形で、小出先生のお話をきいてはったということなんですが、参加した人の世代が、以前より若い人が多いんじゃないかっていう、声も聞いたんですね。小出先生から見てらしたらどうでしたですか。」
小出「ええ、まあ、昔から比べるとずいぶん若い方が、多くなったと思いますけれども。昨日の集会はでも、むしろお年のかたが多かったように私には見えました」
水野「会場にいらした方の話で。もう一つびっくりしましたのはですね、講演会の会場に置かれていた、えー、小出さんの新しいご本が、完売っていうんですか、その場で、売り切れてしまったと言う話です、小出さんのご本はですね、これ、『たね蒔きジャーナル』がこの半年ずうっと、小出先生に質問をし続けてきた内容が、まあ半年間が凝縮されたような、形になってるわけですけれども。こうした本を、やっぱり、まあ、買いたいというか、持ちたいとお思いになるっていうのは、原発事故の真実を知りたいんだという思いの方が、本当に大飯ってことかと思うんですよね」
近藤「水野さんねえ、小出先生の本は他にも出てますがねえ。あのいわゆる時間軸でねえ、話を進めていく本ってのは、これが初めてだと思うんです。それで、6ヶ月間っていうのは、まあ、半年色々、メディアもやってますがねえ。いわゆる時間がイコール人間の人生であり、ね。時間がイコール人間の感情であり、ね。いろんなモノを想像させながら読ませていただけるんですね。そこんところの時間軸っていうのが以下に貴重な時間を我々は何をしていたのかっていうことも含めて考えさせられる、すばらしい本だと思いました」
水野「はあー。確かに時間軸、あの、3月11日の、事故の直後からどんなことが起こったのかっていうの、ある種、リアルタイムのドキュメントのように、これ、体験しなおしますよねえ。」
近藤「想像力があればね。」
水野「そうなんですよねえ。えー、小出先生。世慣れた方でね、こんな感想頂いたんで、これ、どういうふうに先生が思われるか聞かせてください。えー、この本、タイトル申し上げますけど、『知りたくないけれど知っておかねばならない原発の真実』っていうまあタイトルなんですが。この本読んで、絶句しましたっておっしゃる女性の方なんです。関西にお住まいなんですけども、関西は地理的に離れているので切羽詰った感じはありませんでした。でも違うんですねえ。危機感が低すぎたことを思って今は声になりません。という感想をくれた人がいるんです。まあ関西は離れてるから関係ないやっていう、そうした認識を持ってらっしゃる方も多いのかも知れません。そうした認識について小出先生はどう感じられますか?」
小出「今水野さんがご指摘下さったように、関西というのは何か福島と全然関係ないと思って、平穏に暮らしてる方が多い、のですが。そんなことはないと……。もっとちゃんと汚染を見て欲しいと私は思ってきましたし、これからも出来ることであれば関西の人にもちゃんとものを見るように心がけて欲しいと思います。」
水野「えー、なかなかやはり知りたくないというところがあるんでしょうねえ」
小出「そうでしょうね」
水野「皆さんねえ。でも、例えばこのかた、ましまもとゆきさんていう、リスナーの方は。最近は報道が原発関連について少なくなったので国民が楽観的になってる気がします。ともおっしゃってるんですね.今、現在何かこの、原発事故の収束について楽観視できるような状況っていうのはあるんでしょうか?」
小出「ええ……。事故の発端自身は、原子力発電所が全所停電してしまった、ということで、原子炉が冷やせなくなって融けてしまって、爆発をしたということになったわけですね。ただし、電源はその後回復していて、今は曲がりなりにも電気は使えるという状態にありますので、事故が劇的に進行した時、まあ、1週間10日というその時期に比べれば、少しはましになってると、私は思います。」
水野「逆に言うとそんな程度なんですね」
小出「はい。ただ、あのー、相変わらず原子炉の中では崩壊熱というという熱がそれなりに出続けていますし。えーこれからでも冷却に失敗するということになれば、放射能が再度出てくるという可能性が残っていますので、えー、もちろん楽観することはできませんし、今現在も、作業員の人たちが大変な被曝環境の中で被曝をし続けながら、事故の収束に向かってくれている、わけです。えー、まあ、もう一言言ってしまえば、その、実際の被曝環境で働いているのは、いわゆる下請けの労働者の方々が多いわけで。そういう問題にも、目を向けていただきたいと思います」
水野「そしてすでに、この、外に出てしまった放射能によって色々なものが汚染されました、昨日の講演会に参加した、かたと、観客の皆さんと小出先生とで、議論になったテーマがあるって聞いたんですね。それが、あの、まさに今の食べ物の、話.汚染された、放射能汚染された食べ物を、食べるべきなのかどうなのかと。これはどういう、事だったんでしょうか」
小出「えー、もちろん放射能というのは、危険ですので本当は食べてはいけないもの、です」
水野「本来は」
小出「はい。えー、私ももちろん食べたくありませんし、どなたにも食べさせたくありません。ただし、福島原子力発電所の事故は事実として起きてしまいまして、えー、噴き出してきた放射性物質は福島県を中心に日本全土に広がっていますし、もうひとこと言えば、世界中にもう撒き散らされてしまった、のですね。えーそれを全て拒否するということは、もう私たちには許されない、というかできない、のです。ですから、汚染した食料がこれからどんどん回ってくることに、なるわけですけれども。その食料を一体どのように取り扱えばいいのかと。いうこと、に私たちが向き合わなければいけない、のですね。それで、私は、えー、こうなった以上はしかたがないので、責任のある人たち、責任の重さに応じて、汚染した食べ物を食べるような仕組みを作らなければいけない、ということを言ってきました。で、まあ、責任のある人といえば、もちろん東京電力の人とかですね、国のお役人、原子力委員会、原子力安全委員会の学者たち等々含めて、今回の事故に責任のある人はたくさんいるわけですから。そういう人にはまず猛烈な汚染食品を受け持っていただきたいと思うし。えー、この事故を、まあ、許して来た、というか原子力をここまで、見逃してきた、日本人の大人というものもそれなりの責任があると思いますので、大人の人は甘んじて大人の人は汚染食品を受け入れてくださいと私は言ってきたのです。」
水野「そこのところですよね.責任ある人がやっぱりその責任を取るべきだということについては、私は多くの人がなるほどと思われるのではないかと、思うんですが。ただやっぱり、大人も責任があるんだと。やっぱり汚染されたものを受け入れなきゃいけないと言われると、いや、私は汚染されたものは嫌だという方は、」
小出「はい。たくさんおられて、」
水野「昨日もおられましたか?」
小出「もちろんです。汚染したものを食べるなどということはけしからん、ということで、私は沢山の方から怒られてきましたし、一度しっかりとした議論をしたいと思う、思って、更にその場を設定してもらいました。」
水野「やはり、なんで大人だからということで汚染されたものを食べなきゃいけないんだと」
小出「はい。汚染したものは東京電力に買い取らせて、廃棄すればいいと、そういうご意見の方は、たくさんいらっしゃいます」
水野「はあ、買い取らせて廃棄する。ただ、廃棄するのどこに廃棄すればいいんでしょうね」
小出「(笑)。まあそれもありますし。えー‥…、農業やられる方、酪農業をやられる方が、捨てると分かりながら、自分の生産物を作ることができるかと考えると、私はできないと思う、のですね。もう捨てるために仕事などはできないと思うので。やはり作ったものというのは受け入れて分配するしかないと。で、分配というのはもう責任のある者、と責任のない者、をまあ、度合いが違う、ますので。度合いに応じて責任を引き受けるように、するシステムを作ると。私はその提案を、してきています」
水野「近藤さーん?まあつまり小出先生は、責任のない子供たちに、汚染された食べ物を与えるわけにはいかない。大人はそれぞれに応じて責任を取るべきだとお考えかと思います。この問題って、難しいですね。近藤さんどうです?」
近藤「食として受け入れざるを得ない状況にあるんなら、小出先生のおっしゃる意見はそのとおりだと思うんですよ。大人の責任のほうが遥かに大きいし。で、ただあたくしは一方で思ってるのは、あのー、こんな可能性なら、こういう危機対応ができるよってことが全て今出尽くしてるんだろうかっていう疑問がありましてね。つまり、やれるべきことをやった上でどう仕様も無いという現実なら、小出先生の意見に従うんですが。そこまで言ってるのかなと。つまり国から出てるデータだって、まだいい加減じゃないですか。だからそこんところで、やれるべきことはなんなのかってことをやった上で、の話の部分もかなりあるんじゃないかなって気がしてるんですけどね」
水野「まだやれるべきことを国はやっていない」
近藤「うん。あとはその最善を尽くしたかと、我々自身が。検査をするなんてアタリマエのことですよね。そのしかし、検査だって十分じゃないですよね。その上でもね、食として撮らなくちゃいけない状況になってんのか。まだしかし、東電にしろ政府にしろやらさないかんこといっぱいあるんじゃないですかね?」
小出「はい。もちろんそう思います。えー私は先ほどそのー、汚染のあるものは東電に買い取らせて廃棄すればいいというかたが沢山いるという、聞いていただいたけれども。私は東電に買い取らせるということよりも、むしろ東電に対しては、汚染の検査をしっかりとやると、いうそういう責任をとってもらいたいと思って、います。」
近藤「そうですよね、それは絶対的なことですよね」
水野「まずはそこは絶対必要なことなんですね」
小出「それをまずやって。どういう食べ物がどれだけ汚れている、どの地域のものがどれだけ汚れているということを、広範に明らかにすると。そのことをやった上で皆さんそれに向き合うということがいいと思います」
水野「なるほど。まだ汚れていない食べ物はいっぱいあるような、もしかしたら幻想が私の中にもあるかも知れません。」
小出「えー、汚れていないというものはないのです。ようするに、あのー、限りなく汚染の少ないというものはありますけれども。それももう、世界中みんな汚れてるわけですし。そこから猛烈に汚れてるものまで、連続的にあるのです。えーどこから上をはねるということは、あるかも知れないけれども。上をはねた、としても、それ以下のものはずうっと連続的にあるのですね。え、それをどうやって分配するということだけが、私たちに選択できることです」
近藤「先生は以前、以前ってもう最近ですけど。法律も全部見なおさなくちゃいけない事態になってんだとおっしゃってたんですよね、そうすると、食品衛生法1つとってもですよ。例えばその、産地を明記してる物。でも缶詰だのなんだのになっちゃうとないわけですよね。あるいは容器でお惣菜で売ってるものも分からんわけですよね。そういうこと、どう見直す勝手ことも、これ人間の知恵だし細かく見ていったら、いっぱいやってないこと、いっぱいあるんですよね」
小出「あると思います」
水野「この話は多分皆さん、本当に仰りたいこともあるだろうし。小出先生に聞きたいと思うこともあるでしょうし。あの、皆さんのご意見をお待ちしたいと思います。えー京都大学原子炉実験所助教、小出裕章先生どうもありがとうございました」
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