映画と野球好きの日々雑言

ちょっと更新滞ってます。ごめんなさい。

往年のメジャーリーガー

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往年の名選手について色々と。人生はドラマだな、と思うような人ばかりです。
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メジャーリーグの人種の壁を取り払い、
今尚、英雄として讃えられるジャッキー・ロビンソン。
黒人初のメジャーリーガーとして、
日々差別に耐えた彼を支えた一人のチームメイトがいた。

ピー・ウィー・リース、
本名ハロルド・ヘンリー・リースは
ブルックリン、そしてロサンジェルス・ドジャースで
巧打のショートストップとして活躍し、
またドジャースのキャプテンでもあった。
愛称のピー・ウィーは子供の頃のおはじき遊びから来ている。

彼は幼少時から人種差別を間近で見、
それを忌み嫌った。
リースはロビンソンが入団する前に他の選手から回ってきた
入団拒否の嘆願書のサインを拒否し、
ロビンソンが入団してきた時、誰よりもまずロビンソンと握手を交わした。

ロビンソンのデビュー間もない頃には、心無いファンからの野次が相次いだ。
耐えようとするロビンソンにリースは守備につく際、
彼の肩を抱き、ファンに見せた。
恐らくそれは、ロビンソンにも、ファンにも彼が自分と同じチームの一員だという
強烈なアピールになっただろう。

ある写真がある。リースともう一人の選手がロビンソンを挟み、笑っている。勿論ロビンソンも。
その笑顔は、キャプテンだから、初めてきた黒人選手を守ってやるという義務感ではなく、
自分達の仲間を思う一人の選手の姿だ。

リースとロビンソンの二遊間はドジャースのリーグ制覇には欠かせなかった。
それはロビンソンの入団から引退の10年間、かわることはなかった。

ロビンソンは後年、
「彼は何度も自分を助けてくれた。しかし、一度もそれを誇らしげにすることも無かった」
とリースを讃え、
ロビンソンと同じ初期の黒人メジャーリーガーだったジョー・ブラックはリースと対面した時、
「我々黒人はあなたを愛してる。あなたがジャッキーの肩を抱いた時、
 あなたは黒人全ての肩を抱いたんだ」
と言った。

誰かに手を差し伸べる時、最初に手を出すのは
時としてすごく難しい。
その結果が自分にどんな災厄を招くか、
ことが大きければ大きいほど二の足を踏む。
ジャッキー・ロビンソンの栄光の第一歩を
支えたのは、先んじて彼をチームメートとして迎えた
リースの握手であり、フィールドでしっかりと肩を抱いた手だった。

選手としても背番号1がドジャースの永久欠番になる名選手だが、
それ以上に素晴らしい人だと思う。
そのリースがロビンソンの肩を抱く姿は、ブルックリンのキースパンパークに
今も彫像として残されている。

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先日、ニューヨーク・ヤンキースの
永久欠番10番の持ち主であった
フィル・リズトー氏が89歳の生涯を終えた。

ヤンキースの永久欠番といえば、
ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジョー・ディマジオと
数々のメジャーリーグの歴史に残る名選手達の宝庫だが、
失礼な話、僕はこのリズトーという人がどんな選手だったか知らなかった。

そこで色々と調べてみると、
かつて1940年代から50年代にかけて、
ディマジオとともにヤンキースの黄金時代を支え、
165センチの小柄な体格ながら、
数多くの活躍を果たし、1950年にはMVPを受賞したほどの名ショートであることを知った。

同時期にボストン・レッドソックスで活躍した
テッド・ウィリアムズは彼の存在に対し、こう言った、
「もしもレッドソックスに彼がいれば、あの頃のヤンキースとレッドソックスの立場は逆転しただろう」

稀代の名選手にして”球聖”と呼ばれたタイ・カッブは、
リズトーとカージナルスで活躍した名選手スタン・ミュージアルを
「かつての選手達を思い出させる数少ない現代の選手のうちの二人」と賞した。

そのプレーは『スクーター』という愛称で呼ばれた人気選手だったが、
彼の人気は現役を退いてからも続いた。

現役後の彼の職は解説者。しかも当時は実況も行った。

”Holy Cow!(なんてこった!)”

は彼の名セリフ。
その名口調はロジャー・マリスのルースを抜く61号ホームランを実況するなど、
彼の存在は常に野球の傍にいた。
とにかくもユーモアがある実況で、試合が早い展開を見せると、
「コーラ(彼の妻)、すぐに家に帰るよ」
なんてことを言うのもざらだった。

ある映画のシーンでこんなシーンがある。
主人公がリズトーの名前(Rizzuto)と書いていてたら、
脇から見ていた人がその字の下手さに
「Rirruto?」
と聞き返すと、主人公は
「 r じゃない z だよ」
と言い返す。友人がzには見えないというと更にこう言い返した。
「そんなこといいじゃないか、Rizzutoは文字じゃなくて野球選手なんだから」
リズトーがどれほど存在感の大きい選手だったかを思わせる。

また、彼はかつて自分がいた場所を守り、
今やヤンキースの看板選手となったデレク・ジーターを愛し、ジーターも彼を慕った。
30センチ近くも身長差があり、祖父と孫ほどにも年齢の違う二人だが、
リズトーはジーターの前でかつてプレーオフでジーターが見せた
スーパープレーの真似してみせるなど、ともに野球人として年齢と時間を超えた
友情を持った仲だったと思う。

彼に死に伴い、スタインブレナーはこう語った。

”heaven must have needed a shortstop(天国がショートを必要としたのに違いない)”

かくも魅力的な選手、人物がいたことを
もう少し早く知りたかった思える素敵な人を知った。

※英文を拙い語学力で読んだので、誤訳があるかもしれません。

ポール・ウェイナー

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今朝、MLBの日本語公式HPを見ていたら、
ピッツバーグ・パイレーツの
ポール・ウェイナーが着けていた背番号11が、
引退から実に62年を経て永久欠番とされた。

このポール・ウェイナーという選手は一体どういった選手だったのか。

ウェイナーは1926年にパイレーツに入団。
その年、いきなりの首位打者を獲得し、
翌年にはまたも首位打者、更には打点王に輝きMVPを獲得。
その後入団から4年間で放った安打数は840。
これはイチローが記録を破るまで、実に74年もの間メジャー記録だった。
弟のロイド・ウェイナーもパイレーツに入団し、
ともに巧打、守備の素晴らしい外野手(兄ポールは右翼、弟ロイドは中堅)で、
兄は”ビッグ・ポイズン”、弟は”リトル・ポイズン”とあだ名され、
”ポイズン・ブラザーズ”は他球団から恐れられた。

ポールの右翼の守備はその後ロベルト・クレメンテが登場するまで
パイレーツ最高の右翼手といわれ、その強肩もまたライバルの脅威だった。

ポールが20年間で積み重ねた安打数は3152。弟ロイドの分を含めると、
5611安打であり、兄弟メジャーリーガーとして有名なディマジオ兄弟や、
アルー兄弟よりも多く、メジャー最多。
しかも驚くべきことは、ディマジオ兄弟もアルー兄弟もそれぞれがメジャーの
主力として活躍した”3人兄弟”だということ。

こういった数多くの記録のほかに、多くの逸話も持ち、
有名なのは無類の酒好きと近視。
二日酔いや酩酊そのもので打席に立ちながら、ヒットを放ったり、
1938年に連続3割を逃した時には周囲は酒のせいだと思ったが、
実はこの時、彼は”禁酒中”であり、あまりの絶不調に監督が
こっそり酒を飲ました後は打率が実は3割だったなど、
正に”あぶさん”を地に行く選手だった。
近視というのも、現役中は誰もこのことを知らず、
彼が引退してからようやく周囲が気付いたという。

破天荒にして、素晴らしい選手。
今頃は天国で62年の熟成を経た祝福の美酒を楽しんでいるかもしれない。

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先程MLBの日本語公式HPを見ていたら、
ニューヨーク・メッツの打撃コーチに
あのリッキー・ヘンダーソンが就任したとのこと。
このニュースを見たとき、まず第一に思ったことは、
「いつの間に現役を辞めたんだ?」ということ。

リッキー・ヘンダーソンといえば、
泣く子もだまる世界の盗塁王、
左投げ右打ちという滅多にいない打者で、
数多くのメジャー記録を持ち、
正に生きた伝説ともいえる選手だ。

1976年にオークランド・アスレチックスに入団。
79年に100盗塁を記録してから、
1986年まで7年連続盗塁王に輝き、
1982年には130盗塁という世界記録を樹立。
日本の阪急ブレーブスに所属した福本豊氏を抜き、
通算で1406盗塁という金字塔を打ち立てている。

更に通算2190四球はバリー・ボンズに続く2位だが、
これも敬遠が多いボンズに比べて、一番バッターとして選んだ
四球が圧倒的に多いヘンダーソンの選球眼のよさが目に付く。
出塁、盗塁に長けた、正に理想の一番バッターといえる。

これだけ理想的なトップバッターにも関わらず、
シーズン後半のフラッグディール(優勝争いのための補強トレード)で
盛んにチームを移籍した。
理由はチームを和を乱すワンマン的な行動。
これが元で殆どのチームを1年と持たずに退団した。

そんな個性の塊のようなヘンダーソンだが、
自分が前述したように現役引退を知らなかったのは、
彼が40を半ば過ぎてもプレーしていたことにある。
メジャーは2003年のロサンジェルス・ドジャースが最期だが、
その後独立リーグでプレーしながらメジャー球団から声がかかるのを
待っていた。
その時、既に3000本安打を記録し、
歴史に名を残す名選手であり、引退後5年目での殿堂入りは間違いないにも
関わらずだ。
40代になっても20代の頃の体型を維持し、
現役を続けていたヘンダーソンを見て、
もしかしたら50歳を過ぎてもまだ、プレーしているのでは?とまで
思っていた。
そして彼がまだプレーしていると思っていた今、
コーチ就任の報を聞いて驚いた。

しかしながら、まだ引退したかどうかはわからない。
もしかしたら、コーチ就任ながら
機会あれば現役復帰を狙っているのかもしれない。
弟子のレイエスに勝てるのか?

ロベルト・クレメンテ

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メジャーリーグにおいて、
価値ある賞として知られる『ロベルト・クレメンテ賞』。
長年慈善活動に励んだ選手に贈られ、
過去には多くのメジャーリーガーが受賞の名誉を受けている。

その賞の名前の由来となったのが、
ヒスパニック系アメリカ人の先駆けとして活躍し、
いまなお多くのプエルトリコ人選手が尊敬してやまない
ロベルト・クレメンテである。

18年間、ピッツバーグ・パイレーツ一筋に活躍し、
巧打の選手として4度の首位打者に輝き、
築いたヒット数は通算3000本。
守備においても人々を魅了し、
ゴールドグラブ賞を12度獲得、
特にその強肩は「ライフルアーム」と呼ばれ、
多くの走者を刺し、恐れられた。

そんな名選手である彼だが、
一方で盛んに慈善活動に励んだことでも知られる。
自ら被災地に赴き、救助物資を運んだ彼はプエルトリコの英雄だった。

しかし、それゆえに彼に悲劇が訪れる。
1972年12月31日、ニカラグア地震の被災地に向かう途中、
物資と彼を乗せた飛行機が墜落。
当時38歳の彼は永遠に帰らぬ人となった。

メジャーリーグは彼の死を悼み、
通常引退後5年を経過しなければならない殿堂入りを特例で認め、
翌年の1973年に彼は殿堂入りし、背番号21番はパイレーツの永久欠番となった。

彼の死からはや20数年が経とうとしているが、
未だにパイレーツ本拠地PNCパークでは21番のユニフォームを着るファンは絶えず、
彼を讃える声も途切れることはない。

プレーのみならず、一人の人間として多くの功績を残したロベルト・クレメンテ。
悲劇により現役のまま、この世を去り、引退することはなかった。
そしてその背番号は彼以降付ける者はいない。
ならそれは、クレメンテが今もパイレーツの21番として、
人々を魅了し続けていることだと思う。

クレメンテ映像
http://www.youtube.com/watch?v=CQ-_iaEwNcE

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