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このところの子どもの「いじめによる自殺」事件の多発。 国会でも例の「必修科目未履修問題」と併せて大きく取り上げられているようですが・・・。 いじめによる自殺というのは、今回の一連の事件で始まったわけでなく、大分以前にも大きな事件がいくつか話題になったことがありました。(やはり先生も加わっての「葬式ごっこ」などのいじめを苦に、JR駅のトイレで首をつった男子中学生の事件など) 私は1980年代から教師をやっていますが、中学生をめぐる生活指導問題は大きく様変わりしました。 まず、私が新任の頃と言えば、生徒同士の「暴力問題」と窃盗などの「非行」がもっとも問題になるケースだったと思います。 今考えると、その頃の「暴力問題」もイジメの一種だったのかも知れません。つまり「弱いものイジメ」という側面もありましたから。しかし暴力問題の場合、事実関係が明確にしやすく、事後の指導も「逆恨みによる再発」などを警戒することはあっても、比較的やりやすかったと思います。 その後、90年代になる頃には次第に「暴力問題」や「非行」の頻度は下がってきて、かわりに「不登校」「怠学や学級崩壊」などが問題化してきました。「学級崩壊」は学習指導上の問題でもありましたが、生徒の規範意識の崩れが大きく関わっていて、「不登校」が増えたことと根っこでは繋がっているようにも思えました。 そして、昨今「不登校」は更に増えて各学年に複数名いるのが常態化し、生徒間では「イジメ」が問題化することが多くなったように思います。最近の不登校は「怠学」と「イジメ(又は人間関係の失敗)」が両方からんでのケースが目立ちます。 昨今、「暴力問題」は陰をひそめました。かつてのような「暴力的」な生徒が問題になることはほとんどありません。中学生達の生態や意識も少しずつ、しかし大きく変わって来ているのです。 数年前私が担任したクラスでも、イジメられたということで「不登校」になりかけた生徒が出ましたが、 その指導ではとても苦労しました。 今回岐阜で起こった「イジメによる自殺」事件では、学校がイジメを把握していなかったとか、イジメの通報があっても即座に調査をしていなかったことなどが問題視されています。 たしかに通報があってすぐ調査しない、動かないというのは現場の「危機意識」が欠如していたとしか思えませんが、私の経験からしても、学校や教師が「イジメ」をなくすべく生徒達を指導することはそう簡単なことではありません。 まず「イジメ」があったかなかったかの事実認定が非常に難しいのです。わかりやすい「暴力行為」と異なり、「イジメ」は集団的な言葉によるものや、仲間はずれといったものが多いのが特徴です。 イジメられる生徒には何かしら周囲をイライラさせたり、呆れさせたりする言動があったりして、その子に対する周りの評価が一致すると、暴言を浴びせるとか、自然に仲間はずれにされるなどの状況が生まれることが多いようです。 イジメている側の生徒にしてみると「あいつが無神経だから」とか「同じ中学生として非常識な面があるから」とか「馬鹿なことばかり言ってくるから」とか、イジメられている側が原因を作っていると思っていることも多く、むしろイジメている側が「被害者意識」を持っている場合も多くあります。 ですから、「イジメは良くない」とか「イジメられている生徒の身になってごらん」など通り一遍の指導をしたり、イジメている側を「加害者扱い」すると、憤慨して(所謂逆ギレ的に)指導する教師に対して「一方的に我々を悪者にした」と逆恨みされることもままあります。 個々の「イジメ」にあたる行為を無くすよう指導しても、根本的に「イジメられている」生徒の人間関係におけるポジションが変わらないと、今度は「イジメられている」生徒の親から「十分な指導がされていない」「ウチの子はまだハズされている」などの苦情が出ます。 学校におけるイジメ問題は一筋縄では解決しない問題です。生徒の人間関係を作る力の問題、人間関係でのトラブルに対する耐性と解決能力の問題、人間理解の問題(テレビや映画などイジメを助長する大衆文化の問題にも大きく関わります)、家庭の躾や大人社会の道徳心・規範意識の問題なども目に見えないところで大きく関わっています・・・。 自殺者が出るというのは最悪な不幸であることは確かです。 今日・明日にも「自殺」するかもしれない子どもを放置するわけにも行きません。 ですが、学校バッシングだけでは解決しないし、今後も状況は改善するとは思えません。(学校が事実を隠蔽したり、責任回避するなどは勿論論外ですが)。
教師だけでなく、子どもに関わるすべての大人が子どもに責任を負っているのだと思います。イジメの底流に横たわる、現代日本社会や文化の種々絡み合った要因について、それぞれの立場で「自らの問題」として考え、じっくり取り組むべきだと思います。 |
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心の最後のよりどころがないのかもしれませんね。もうダメという時にすがるところが親ではないのかなあ。子供の発信するサインを見逃して「とにかく学校へ行け」という親。子供の立場にたつことが重要と感じます。
2006/11/1(水) 午前 9:58 [ OSAMU ]
おさむ様、親と子どもの心の回路がきちんと繋がっていないことも、こうしたイジメや自殺といった子どもの行動の背景にある問題かもしれませんね。岐阜の事件では、イジメたと名指しされた子の親たちが自殺生徒の親に謝罪したとの報道に少しだけ救いを感じました。子どもの問題行動に責任感を感じない、また当事者意識の薄い親が多いと感じていますので。
2006/11/2(木) 午前 1:07
この記事のような冷静な意見までもが「教師の責任のがれ」として糾弾されかねないようなマスコミ、世論の状況を最も危惧しています。
2006/11/2(木) 午前 9:31
star様、学校にももちろん責任もあるし、問題解決のために果たせる役割も大きいとは思いますが、その学校を支えるべき親や社会の方も、教育に関しては無責任かつ機能不全に陥っていることも認識・改善して欲しいところです。
2006/11/6(月) 午前 2:53
以前自分のブログでも同じようなことを書きましたが、いじめって教育という狭い分野だけでの現象ではなく、社会の縮図みたいなものだと思うんですよね。パワハラ、セクハラ、さらにいえば障害者自立支援法だって広義のいじめみたいなもの。大人たちがするなら当然子供たちも同じようにいじめをするでしょう。じゃあどうするのか・・・というと大人が変わるしかないでしょうねえ・・(じゃあどうやって?と堂堂巡りになっちゃう)
2006/11/8(水) 午前 6:56
keyさん、確かにイジメは社会の縮図であるように私も感じています。教師集団にもイジメ的な人間関係がかいま見られることもありますし。「何でも他人のせいにしない」「他人の悪口に同調しない」「自分だってそんなに立派な人間じゃない」(謙虚さ)といったことを私は自戒するようにしていますが・・・。
2006/11/12(日) 午前 0:07
分かりますよ,同感です。現実問題として学校をバッシングしてもあまり意味はないです。いじめられる側にいろいろなインセンティヴを与えて,自殺に追い込まないような手立てが必要だと思います。先日,小児科に入院中の子供が発表会に形だけでも参加できるようにと,病院までビデオ撮影に来た学校の先生がいました。親御さんとの話し合いの末,単なる欠席にはしたくなかったそうです。子供相手だと,こういう変化球のような対応も必要ですし,学校の先生もホントに大変だと思いました。
2006/11/16(木) 午前 3:59 [ - ]