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今までこのブログにいらして下さり、暖かく有益なご意見を寄せて下さった皆様・・・。 前回の更新から2月以上の時間が過ぎております。自分のブログを放置していたような状態で、その間も もしかするとご訪問いただいていた方々もあったかと、申し訳なく思っています。 この間、いろいろと思うところあり、また精神的な疲れもあり、なかなかブログを開く気力が起きませんでした。 今まだ、以前のように気軽に、また皆様と意見や感想を交換することを楽しみにWEBページ上に文章を綴っていくという気力が戻ってきておりません。 しばらくは充電期間と考え、また元気が戻ってきたら、人恋しくなってきたら、再開できるかもしれないと思っています。 どうそ不義理をお許しください。 皆様のところへは時々お邪魔するかもしれません。 その折にはどうぞよろしくお願いいたします。
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先日の日曜日、かつて「渋谷公会堂」として知られていた現「CC Lemon ホール」で上演されたシティオペラ『椿姫』を鑑賞しました。 このシティオペラは渋谷区と渋谷区民のオペラ愛好家(渋谷シティオペラ合唱団)が共に作り上げる文化行事ということで、今年で第5回目をかぞえるということです。 私が20代の頃、共に思想・芸術関係の読書会を行っていた友人がスタッフ兼出演者として参加しており、招待券を頂きました。 オーケストラ:東京ニューシティ管弦楽団、指揮:樋本英一、演出:伊藤隆浩、配役は、ヴィオレッタ:高谷由美子、アルフレード:井之上了吏、ジェルモン:直野資といった面々。 正直いって、オペラには詳しくないので、どんな評判の方々なのかもよくわかりませんが、制作スタッフと合唱団員は60名ほどの渋谷在住の音楽愛好家ということで、殆どアマチュア又は一般市民の方々が一年近くかけて作り上げた、情熱と努力の結晶のような舞台でした。 むかーし、中学生時代にデュマの『三銃士』を面白く読んで、その息子デュマ・フィスの作品ということで興味本位に『椿姫』も読みましたが、(懐かしい!共に今は無き旺文社文庫に収録されていました) 『三銃士』とはエラク作風の違う古風な悲恋物であることが意外だったことを思い出しました。 でも、ヴェルディがオペラにするなら『三銃士』じゃなく、やっぱり『椿姫』なんでしょうねェ〜。 友人の夫が10年近く東京を離れ、広島大学で教えていらしたのですが、数年前東大に戻ってきたので、彼女もやっと一緒に東京に戻って来ました。広島は田園地帯で車なしには生活できないような場所で、友人も少なく、孤独な子育てにいそしむ毎日だったようですが、東京では音楽仲間とこうした活動に参加でき、充実した日々を送ることができるようになったようです。 草野球が唯一の趣味かと思っていたご主人も、なぜか彼女に触発されて合唱団に加わり、今は同好の士として仲良く活動しています。(彼女いわく、共通の趣味ができたことで、離婚の危機!を回避できたとのことです・・・) 音楽に触れると、豊かな心持ちになれますもんね・・・。 多忙な中で、ちょっと幸せな時間が過ごせました。
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このところホントーに忙しく、疲れがたまって記事の更新はおろか、PCを開くことさえも億劫な日々でした。 でも、先ほど「メールチェックをしたついでに、とりあえず Myブログもチェックしよう」と覗くと、8月の記事にコメントや傑作ポッチをくださっている方や、新たにファン登録をして下さっている方があるのを見つけてとても嬉しくなりました。 そしてフッと、私がブログなるものを見よう見まねで開設してから、今日という日が丸1周年目であることに気づきました。 まぁ、サボりサボり、途切れ途切れではあるものの、よく1年続けて参りました! 日記なるものは本当に一週間と続いたことがない私でしたので、こうして断続的にでもブログが続けられたのは、ひとえに私のつたない記事に心温まる、また共感にあふれたコメントを下さる皆様があってのことだなぁ〜と心から感謝の念でいっぱいです! そして、他のブロガーの皆様の記事に接することで、自分自身のこの世の中への視線や感性が照り返され、再吟味するヒントを与えられていることにも、意義と感謝の念を感じています。 これからも、そんなにいい記事が書けるとは思いませんが、とにかく素直な自分の気持ちを綴ることは細々と続けていきたいと思います。
これからもヨロシクお願いします!! |
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昨日の朝の各局TVニュースショーで取り上げられていた、内閣府による「タウンミーティングやらせ事件」。 呆れて物も言えないとはこのこと・・・。青森県の八戸で「教育基本法」に関するタウンミーティングにに向け、会場からの意見のシナリオを内閣府が作り、現地で動員されたPTAの代表に「依頼されたなどと言わないよう。台本を読んでるのではなく、あくまで自分の意見であるように」などと細かい指示を出して発言させていたことが明るみに出たのである。 耐震偽装、高校必修科目未履修問題、イジメ自殺隠蔽、そしてこの「やらせ事件」と続く日本社会。 目先の利益や自己都合・自己保身のため、内心平気で「原理原則を無視・軽視」しながらも表面的にはそれを繕って「偽装しごまかす」大人たちの卑怯な生き方は、若い人たち、子ども達の精神にどんな影響を与えているだろう? 昔の日本人が口にした「お天道様に恥じない」生き方。そんな素朴で真っ正直な生き方なんて「得にならない」って、顧みられないのだろうか? 社会病理の根の深さを感じると共に、教育基本法改悪のために恥も外聞もない、手段を選ばない政府当局のやり方への怒りも収まらない。
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このところの子どもの「いじめによる自殺」事件の多発。 国会でも例の「必修科目未履修問題」と併せて大きく取り上げられているようですが・・・。 いじめによる自殺というのは、今回の一連の事件で始まったわけでなく、大分以前にも大きな事件がいくつか話題になったことがありました。(やはり先生も加わっての「葬式ごっこ」などのいじめを苦に、JR駅のトイレで首をつった男子中学生の事件など) 私は1980年代から教師をやっていますが、中学生をめぐる生活指導問題は大きく様変わりしました。 まず、私が新任の頃と言えば、生徒同士の「暴力問題」と窃盗などの「非行」がもっとも問題になるケースだったと思います。 今考えると、その頃の「暴力問題」もイジメの一種だったのかも知れません。つまり「弱いものイジメ」という側面もありましたから。しかし暴力問題の場合、事実関係が明確にしやすく、事後の指導も「逆恨みによる再発」などを警戒することはあっても、比較的やりやすかったと思います。 その後、90年代になる頃には次第に「暴力問題」や「非行」の頻度は下がってきて、かわりに「不登校」「怠学や学級崩壊」などが問題化してきました。「学級崩壊」は学習指導上の問題でもありましたが、生徒の規範意識の崩れが大きく関わっていて、「不登校」が増えたことと根っこでは繋がっているようにも思えました。 そして、昨今「不登校」は更に増えて各学年に複数名いるのが常態化し、生徒間では「イジメ」が問題化することが多くなったように思います。最近の不登校は「怠学」と「イジメ(又は人間関係の失敗)」が両方からんでのケースが目立ちます。 昨今、「暴力問題」は陰をひそめました。かつてのような「暴力的」な生徒が問題になることはほとんどありません。中学生達の生態や意識も少しずつ、しかし大きく変わって来ているのです。 数年前私が担任したクラスでも、イジメられたということで「不登校」になりかけた生徒が出ましたが、 その指導ではとても苦労しました。 今回岐阜で起こった「イジメによる自殺」事件では、学校がイジメを把握していなかったとか、イジメの通報があっても即座に調査をしていなかったことなどが問題視されています。 たしかに通報があってすぐ調査しない、動かないというのは現場の「危機意識」が欠如していたとしか思えませんが、私の経験からしても、学校や教師が「イジメ」をなくすべく生徒達を指導することはそう簡単なことではありません。 まず「イジメ」があったかなかったかの事実認定が非常に難しいのです。わかりやすい「暴力行為」と異なり、「イジメ」は集団的な言葉によるものや、仲間はずれといったものが多いのが特徴です。 イジメられる生徒には何かしら周囲をイライラさせたり、呆れさせたりする言動があったりして、その子に対する周りの評価が一致すると、暴言を浴びせるとか、自然に仲間はずれにされるなどの状況が生まれることが多いようです。 イジメている側の生徒にしてみると「あいつが無神経だから」とか「同じ中学生として非常識な面があるから」とか「馬鹿なことばかり言ってくるから」とか、イジメられている側が原因を作っていると思っていることも多く、むしろイジメている側が「被害者意識」を持っている場合も多くあります。 ですから、「イジメは良くない」とか「イジメられている生徒の身になってごらん」など通り一遍の指導をしたり、イジメている側を「加害者扱い」すると、憤慨して(所謂逆ギレ的に)指導する教師に対して「一方的に我々を悪者にした」と逆恨みされることもままあります。 個々の「イジメ」にあたる行為を無くすよう指導しても、根本的に「イジメられている」生徒の人間関係におけるポジションが変わらないと、今度は「イジメられている」生徒の親から「十分な指導がされていない」「ウチの子はまだハズされている」などの苦情が出ます。 学校におけるイジメ問題は一筋縄では解決しない問題です。生徒の人間関係を作る力の問題、人間関係でのトラブルに対する耐性と解決能力の問題、人間理解の問題(テレビや映画などイジメを助長する大衆文化の問題にも大きく関わります)、家庭の躾や大人社会の道徳心・規範意識の問題なども目に見えないところで大きく関わっています・・・。 自殺者が出るというのは最悪な不幸であることは確かです。 今日・明日にも「自殺」するかもしれない子どもを放置するわけにも行きません。 ですが、学校バッシングだけでは解決しないし、今後も状況は改善するとは思えません。(学校が事実を隠蔽したり、責任回避するなどは勿論論外ですが)。
教師だけでなく、子どもに関わるすべての大人が子どもに責任を負っているのだと思います。イジメの底流に横たわる、現代日本社会や文化の種々絡み合った要因について、それぞれの立場で「自らの問題」として考え、じっくり取り組むべきだと思います。 |







