☆★気ままにつれづれ帳★☆

長らくご無沙汰の失礼をお詫びします。改めて休止のご挨拶です。

読書&映画日記

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折々に出会った本や映画について感じたことを書き留めます。
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10月26日東京新聞夕刊の文化欄に、宇宙物理学者池内了氏の寄稿がありました。題して『「ピカソ」で日本を守る』

以下抜粋です。

 日本を戦争のできる国、常備軍を備えた国にしたいという声が喧しい。それが他国から侵略されても国を守れる、つまり日本の安全保障を確かなものにするとお考えのようである。隣国がミサイルを発射し、核実験を行ったことによって、ますますその声が強くなりそうである。 (中略)
 しかし、本当に国を守るのは軍隊なのだろうか?鉄条網で囲まれた基地を造り、ミサイル網を張り巡らせ、若者を兵隊として動員することが、日本を守り発展させることになるのだろうか?私には、軍事力によって平和が実現されるとはどうしても思えないのである。 (中略)

 では、どうすれば日本を守れるのだろうか?
 私は、日本を守るのは文化の力だと考えている。いっさい武器を持たず、「ピカソで日本を守る」のだ。「ピカソ」とは象徴的に言っていることで、藤田嗣治やゴッホや神社仏閣など世界に誇れる名画や彫刻や古くからの遺跡で都市を埋め尽くし、それを盾にして身を守ろうという意図である。そのような文化に取り囲まれている都市に対して、簡単に砲弾を落とせるだろうか。
 日本に原爆を投下する際に京都も標的の候補となっていたが、時の陸軍長官であったスチムソンがそれを押し止めたと伝えられている(『原子爆弾の誕生』リチャード・ローズ著、紀伊國屋書店)。文化的伝統を保持してきた京都に原爆を落とせば世界中から避難を浴び、戦後世界の覇権をとれなくなると懸念したため、という。つまり、京都を原爆の惨禍から守ったのは文化の力であったのだ。文化は人の楽しみだけで軍事には役立たないもののように見えるが、原爆をはねつけるだけの強い力を秘めていたのである。
 (中略)
 
 文化の力はいっさい反撃しないことにある。攻撃されれば反撃したくなるのが通例だが、それは止めどもない殺戮を招くのみであり、反撃をしない場合に比べて圧倒的に被害が大きくなる。勇ましく反撃すべきとの主張は(それどころか前もって攻撃しろという声さえ聞かれるが)、無駄な戦いで死者を増やせと言っていることに等しいのだ。 (後略)

共感を覚えた主張ですが、安倍政権が改正を急ぎ、「教育基本法」に盛り込もうとしている「愛国心」は
この池内さんがいう「無駄な戦い」を「無駄でない、意義ある戦い」と思わせるための言語装置な
のだと思います。

 最近読んだ太田光と中沢新一の対談集『 憲法九条を世界遺産に』で、太田が
「この憲法自体、現実には存在し得ないことを語ろうとしているわけですから芸術に近いものだとも言えます。それを、日本は政治の原理にしようとしてきた。(中略)しかし、いまの日本を見ると、今までささえてきた芸術的な部分もかなり疲弊してしまったし、それにあわせてつくられてきた政治体制も疲弊しきっている。そこで憲法九条という重要な芸術の部門を切り落とそうとしているわけです。これはかなりまずいですね。むしろ、両者の結合をさらにおしすすめなければならないはずなのに。
 世界遺産という言い方を僕はとても気に入っています。政治と芸術的な思想の結合という、この奇跡的なシステムを、リサイクルして再活用するために、そのスローガンはとてもすてきです。むしろ日本人にとっては、それが一番の現実思考なんですよ。」
という部分があり、これにも共感しました。

 戦後日本の文化・精神を支え、またそれ自体文化財そのもの(世界遺産!)とも言える第九条による「平和主義」を「野蛮、野卑な政治思考」が破壊しようとしているとも思える状況を憂う気持ちが強まります。

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以前から一部で話題になっていたロシアのアレクサンドル=ソクーロフ監督の『太陽』が封切られました。


きのうの東京新聞夕刊の映画レビューに取り上げられたのを読んで「観たい!」というわけで、早速銀座まで出掛けました。(8月7日からはまた部活の合宿で東京を離れるので早くみなきゃあ・・・)

私は「電子チケットぴあ」で昨夜の内に数少ない指定席を確保して行ったので、並ばずに結構良い席で観ることができましたが、上映開始10分前に映画館前に着くと、そこには次の回の整理券を入手しようと大勢の人垣が出来ていました。

映画の方ですが、まずイッセイ・尾形による昭和天皇ヒロヒトの造形はサスガ!という出来でした。

彼は一人芝居で400ものネタを持ち、どんな職業の人物をも演じわけてしまうという演技力には定評がありますが、昭和天皇がはまり役とは意外!!でも、本当に存命中の昭和天皇を彷彿とさせる風貌、物腰、語り口でした。(ちょっと口元の動きにわざとらしさというか、作りすぎの感あり)

俳優って、どんな人間でも憑依したかのように演じられるんだなあ・・・と思いながら観ていると、現人神と祭り上げられながらそれを運命として引き受ける天皇像に、「昭和天皇自身も、天皇を演じさせられていたとも言える訳だ」と、「自分であって自分でない俳優という存在と天皇という存在」がオーバーラップして来ました。

この映画では昭和天皇が、敗戦が濃厚となる帝国の行く末を深く案じながらも、激しい感情をさほどあらわにすることもなく、皇居の地下壕でいつものスケジュールや海洋生物研究を淡々とこなしていく、一種現実離れした感のある姿で描かれています。

ただ、一部の特殊な思想の持ち主がどう思うか分かりませんが、所々に人間らしい発言や行動も描かれ、「私の体も他の人間と変わらない」と吐露したり、家族の写真に頬ずりやキスするシーンなどがあったり、敗戦後に米国のカメラマンからチャップリンに似ているとからかわれても「そんなに似ているか?」と聞き返したりする場面などはある意味微笑ましいものもありました。

しかし、どう見ても、天皇制イデオロギーの下で神格化された天皇とこの映画の天皇像には大きなギャップを感じざるを得ないものがあり、かつてフランスの思想家ロラン=バルトが日本文化を論じた『表徴の帝国』で皇居を「空虚な中心」と呼んでいたのを思い出し、天皇の存在とは日本人にとってのまさに「空虚な中心」だったんだということが腑に落ちました。

戦争の具体的な描写は殆どありませんし、廃墟と化した帝都東京の様子も所々に出ては来ますが、むしろ幻想的に描かれた空襲の場面が不安を掻きたて、印象的です。(B29が飛び魚のような姿で燃えさかる街に次々と爆弾のような小魚を産み落としていく)

タルコフスキーやニキータ=ミハルコフなどにも共通していますが、ロシア人監督の映画作品には、何とも言えない沈鬱さ重々しさと同時に独特の優美さとユーモアとがあり、この作品にも決して日本でもアメリカでも西欧でも撮れないだろうテイストがありました。

そういえば、アレクサンドル=ソクーロフ監督といえば、以前『エルミタージュ幻想』という映画のDVDをAmazonで安く入手していたことを思い出しました。エルミタージュ美術館を舞台にロシア・ロマノフ朝の歴史絵巻を90分1カットで撮影したという美しい映像の意欲作でしたが、長回しにちょっと辛いものがあり、キチンと観ていませんでしたのがもう一度見直して観ようと思います。

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昨年来、多くのブログで話題になっていた『ヒトラー〜最期の12日間〜』をやっと入手して観ることができた。

内容については既に色々な方が紹介していらっしゃるので、ここで繰り返す必要もないだろうが・・・。

【ヒトラーの秘書として、ごく身近な場所から彼の人となりや周辺の人々との関係までつぶさに目撃した女性、トラウドゥル・ユンゲの証言をもとに構成された作品で、最期に存命中に本人が語った言葉も収録されている。】

ヒトラーについてはかなり多くの記録映像や肉声の記録も残っているし、『わが闘争』などの自身による著述や同時代人の多くの証言集もあり、一応の知識は持っている人間が多いだろう。しかし、ナチス党大会などでの激越で扇情的な演説や、オープンカーに軍服を着て乗り込み、周囲をサイドカーのSSに護衛されて威風堂々と移動する場面の映像からは、彼の勢いのあったころの姿、イメージしか伝わってこない。

この映画では、第3帝国建設の夢破れ、西からも東からも迫る連合軍に首都ベルリンまで陥落させられようとしている、追い詰められたヒトラーの最期の様子が描かれており、興味深いものがあった。

愛人エヴァ・ブラウンについても、かつて目にした数少ないセピア色のポートレートや記録フィルムで若干の印象は持っていたが、この作品では血肉の通った女性像として印象深く描かれている。

演じていたのはユリアーネ・ケーラーという女優で、数ヶ月前見たドイツ映画『名もなきアフリカの地で』では、全く対照的に、ナチス時代にアフリカで逃亡生活を送ったユダヤ系外交官の妻の役を演じていた。(ちなみに、宣伝相ゲッペルスを演じたウルリッヒ・マテスはやはり昨年見たシューレンドルフ監督作品の『9日間』にルクセンブルグのユダヤ系司祭の役で主演し、ユダヤ人収容所で精神的にナチスに抵抗する演技をしていたのも対照的だった。)

この作品には、軍事政権の崩壊に際してその指導者たちの陥る精神状況(放心、狂気、自暴自棄、絶望など)や、彼らの暗い野望に踊らされなす術もない国民・市民がどんな目に遭うか、それらの惨状がかなりリアルに描かれているように思った。(ベルリンに入ったソ連軍の蛮行が描かれていないと不満をもらす人もいるようだが、一応、それらしいことも終盤臭わせている)

この作品では「ヒトラーが人間的に描かれすぎ」との批判もあったというが、いかに事実ヒトラーが女性や子犬に優しく、愛人に誠実な一面を見せていたからと言って、500万人以上のユダヤ人を虐殺した罪、他国を侵略し蹂躙した罪、ドイツアーリア民族の第3帝国建設を至上目的として多くの人々の人権を踏みにじった罪、世界戦争へと繋がる軍事行動をとった責任と罪状が帳消しになるはずもないことは、明白だろう。

彼が無責任にも最期の日々に放った「ベルリンの市民やドイツ国民がどうなろうと同情は感じない。この運命は彼ら自身も選んだものだ」という言葉に、どきっとさせられる。

日本人の場合はどうなのか?A級戦犯に罪を背負わせて「国民は悪い指導者にだまされていたのだ」と口を拭っていられるのだろうか?といって「一億総懺悔」という単純化されたスローガンにも偽善の匂いがする。ならば、一国の政治についての責任とは?国や国民の運命とは?・・・と考えさせられるところの多々ある映画だった。

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期末テスト準備と生徒指導の多忙さの合間をぬって、立花隆の『滅びゆく国家−日本はどこへ向かうのか』(2006年3月 日経BP社刊)を読んでいます。

立花隆と言えば、大昔ロッキード事件にからんで「田中角栄研究」で名をはせたジャーナリストですが、
とにかくあらゆる事に旺盛な好奇心でぶつかり、徹底的な取材と調査、膨大な読書量で、「今現在世の中で起こっていること」を説き明かしてくれる貴重な物書きだと思います。

東大仏文科を出て、文藝春秋で数年働いた後ふたたび東大哲学科で学び、その後フリーライターとして活躍を続けているという。いつかTVで彼の仕事場が紹介されていましたが、「猫ビル」と呼ばれるているユニークなビル(黒い三角形のビルに目を描いてました)の内側は半端じゃないものすごい量の本で埋め尽くされていました。

「宇宙からの生還」(でしたっけ?)とか「臨死体験」とか、ちょっと私にはついて行けない分野の取材ものなどもありますが、とにかくジャンルを問わず「今どうなっているのか?本当はどうなっているのか?」を知ろうという、知的好奇心の激しさは、他の追随を許さない迫力がありますよね。

今回読んでいるこの『滅びゆく国家』には、まさに昨年来話題になっている「ライブドアショック」「女系・女性天皇論」「靖国・憲法論」「小泉改革の本質」「ポスト小泉問題」「イラク問題」「メディア論」などが俎上に乗せられ、しかも彼の取材や情報ネットワークを生かして、ジャーナリスティックな切り口で論じておりとても参考になります。

筑紫哲也さんや田原総一郎などのTVでのコメントには、最近は期待するほどの「切れ」や「鋭さ」が感じられず物足りないので、(『週間金曜日』あたりでは鋭い論陣を張っているのかしら??)この立花さんみたいな人が、ガンガン色んな問題を「斬って」ほしいです。

とりあえず、時間を見つけて全部読み終えたい・・・。(もう、小間切れ時間しかなくって・・)

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宅配レンタルDVDシステムを利用して借りた『存在の耐えられない軽さ』の返却期限が迫ってきたので、夜中3時頃までがんばって鑑賞しました。

約3時間の長編大作映画でしたが、途中眠くなることもなく最後までその作品世界に引き込まれて、あっという間の3時間でした。(この間観た『グッドナイト&グッドラック』は寝ちゃったけど)

巷ではとっくの昔に評判を呼んでいたこの作品を、なぜ今まで見てなかったんでしょう?きっとそのタイトルや作品紹介のスチル写真から、性愛表現が派手でこざかしい文学趣味の作品だというおかしな先入観を抱いていたせいかもしれません。あー、もっと早く評判を聞いてれば・・・今まで観てなくてソンしてたなぁ・・と改めて思った次第。

改めて調べてみると、作者のミラン・クンデラはチェコの1968年プラハの春で、反体制作家として当時の社会主義政権から睨まれたため1970年代にフランスに亡命し、その後フランス国籍を取得した後の1984年にこの小説を発表し、ベストセラーとなったといいます。

これを『ライト スタッフ』で有名になったフィリイップ・カウフマンが1988年にアメリカで映画化したのがこの作品であるということです。

もともと、原作の小説がきっと素晴らしいのでしょうが(その内必ず読みたい)登場人物、プロット、語り口、時代背景、社会情勢いずれも絶妙な組み合わせとバランス、味付けで描かれており、正にめったに目にかかれない上質の文芸大作!しかもよくある古典文学の映画化でなく、20世紀末に書かれた現代文学の映画化であり、同時代人としての共感が十分味わえる作品でした。

作品内容が後になってしまいました。

1968年のチェコ、「プラハの春」を時代背景に、魅力的なプレイボーイの外科医トマーシュと、彼の愛人で自由奔放な画家のサビーネ、彼女とは対照的に純朴でありながら情熱的な娘で、トマーシュの妻となるテレザの3人の交流と、反体制派として居場所から追われていく彼らの流浪の日々を描いています。

トマーシュ役のダニエル・デルルイスもはまり役でしたが、ジュリエット・ピノシュがテレザを魅力的に演じているのが大きな見所の一つでもありました。(ちゃんと観てないけど、『ポンヌフの恋人』での彼女はこれほどキレイじゃなかった気がします)

ストレートな性愛場面も各所にありますが、決して過度・不必要なエロ・グロに走らず、それぞれのシチュエーションにおける性の本質を過不足なく描いており素晴らしいです。(変に恥ずかしくなったり、白けたりしませんから)

若干テイストは違いますが、3人の男女が織りなす恋愛模様を描いた作品としては、トリュフォーの『突然炎の如く』や『恋のエチュード』にも通じるものを感じました。(フランスでこの原作が受けたのはワカル気がしますね)

原作を読んで、その後もう一度みたい映画です。

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