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長男は今15歳、中学3年生です。中学卒業間近。近々、高校の入試が迫っています。 もうかれこれ15年前か〜、と思うと「いつの間にそんなに年月が経ったんだ?」との思いを禁じ得ませんが、本当に彼の出産から育児では苦労しました。 何せ、7ヶ月(28週)の早産で832gという低体重出生児(超未熟児)で生まれてしまった彼。 近くの産院では1500g以上の新生児でないと世話できないということで、出産の直前大森のNICU(新生児集中治療室)のある大学付属病院に救急車で搬送されて産みました。 生まれてすぐ保育器に入れられましたが、超未熟児でもっとも負担がかかるのが未成熟な呼吸器。保育器を6ヶ月後にでてからも酸素を流したベッドに寝せられて、結局丸1年間小児科に入院していました。 自宅に戻ったのは丁度1歳の誕生日の前日のこと。普通だったら立ったり歩いたりが始まる時期なんでしょうが、ハイハイもやっとで体重も6kgもなかった。(平均的1歳児は約10kg) 呼吸器が弱かったため、風邪を引きやすく、かつ肺炎になりやすく、心臓にも若干心配要因があり、未熟児網膜症の既往もある(失明はしていないが)ので1年に一度は検査をする・・・など病院とは縁の切れない生活でした。 それでも、実家の母の全面的な協力を得られたので、職場にも復帰し、彼を生後1歳10ヶ月頃から保育園にも預けながら仕事は続けてきました。もう、本当に母のおかげです。 彼を産んだ頃は「育児休業制度」も無く、母のサポートが得られなかったら1、2ヶ月に一度は病気で保育園を休む息子の世話で、仕事はまず続けられなかったろうと思います。 小学校に入ってからも、呼吸器が弱いのとアレルギー体質を親から受け継いだせいか、「気管支喘息」となり、発作を起こしては病院に駆け込み、入院騒ぎも4〜5回ありました。 小6の最後にインフルエンザから喘息を併発し、なんと入院4ヶ月。小学校の卒業式も中学校の入学式も入院先の病院から外出という形で出席した始末でした。 その後も喘息の治療は続けていますが、中学校では結果的にほとんど欠席もせず通えたこと、奇跡のようにも思えます。 満1歳で小児科を退院するとき、「左右の脳室の形が非対称なのが気になる」といわれたこと、普通8歳くらい以降は「熱性けいれん」などは高熱でも起こさないものなのに、11歳でも熱でけいれん・入院騒ぎがあったことなど、思い当たる節もあるのですが、彼は理数が全く苦手です。脳に何らかのダメージを受けているのかな・・・と思います。 それで、学校の勉強では苦労していますが、とりあえず普通に生活できていること、病院通いの回数も減ったことを喜んでいます。 彼を育てるために、私は30代の私的な時間はすべて費やしてきたように思います。「私にとって失われた10年とは、育児と看病に終始した30代の10年だ」としばしば恨みがましく思うこともありますが、親としては当然のことで、結果的にかれが元気に育ったということが私にとって何よりのリターンです。 理科や数学が出来なくてもいい、有名校に進学なんか出来なくてもいい、心身ともにこれからも元気に成長してくれたら・・・と、願うのみです。 高校の進学先が決まったら、NICUでお世話になった小児科の先生にもご報告しなければ・・・。 yahooにも、超未熟児を産まれたお母さん達のブログが40以上見つかりました。皆さん、必死だと思うけど、希望をもって育児にあたって欲しいです。父親はじめ、家族、周囲もぜひそんな子どもを持った母親の必死な気持ちを理解して、協力をしてあげてほしいと・・・。
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思い出帳
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北海道には中国・台湾からの観光客が多いので、(年間20万人以上)主要観光地のホテルでは部屋のTVで無料で中国や台湾の番組を放映するサービスを行っているという。 年末私たち家族の旅行でも、行く先々で中国語が飛び交っていた。(札幌、小樽、函館) 特にすごかったのが、函館五稜郭を訪れたとき。五稜郭公園に入ると、まず中国系のカップルに英語で「カメラのシャッターを押して」と頼まれた。私ら家族も誰かに写真を撮ってもらおうかな、なんて考えて頼みやすそうなヒトを物色したが、中国語で会話している団体ばかりなので、気後れして誰にも頼めなかった・・・。 函館山の夜景を見にいったときも、大型バスが3台も入ってきた・・・と思ったら、みんな台湾からの観光客。
ニセコかどこかもオーストラリアからのスキーヤーでにぎわってるって話は聞いたことあったけど、中国・台湾系の観光客がこんなに多いとは知らなんだ。 地元の人が言うには、「台湾や香港の人たちは雪を見たことないから、北海道に来たがるらしい」とのことでした。
札幌で食べましたがな。旅行ガイドブックにジンギスカンの美味しいお店ってページがあったので、行ってみようかなということで。 ウチら家族が行ったのは「薄野羊屋」というお店。昔北海道に住んでいた親元で食べたマトンのジンギスカンとは違い、生でも食べられるというニュージーランド産のラムを使ったジンギスカンで、とっても食べやすかったです。夫はラムのユッケまで頼んで食べてました。牛の焼肉に比べればお安いし・・・。 お店の人は、2月に東京の大塚に支店を出すと言ってました。 週刊文春によると、東京では中目黒や新橋に評判の店が集まっているらしいです。ただ、その記事によるとジンギスカンブームも2005年をピークに下火に向かうだろうとのこと・・・。 いずれにせよ年末の北海道旅行で、意外にも最近の日本の観光業界の一断面と食ブームについて体験できたのは収穫だったなあと思った次第でした。
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無事、北海道への家族旅行から帰還しました。 27日夕刻、上野駅13番ホームを出発した寝台特急カシオペアに乗り込み、北海道へ出発。 カシオペアのルートは一応太平洋側であるため、北陸など日本海側ほどの風雪はないだろうとは思っていましたが、それでも岩手県に入る頃からかなりの積雪・降雪で窓の外は真っ白。 われわれが泊まったのはカシオペアの個室の中でももっとも質素なツインだったのですが、大昔子どものころ乗ったことのある「寝台車」とは大違い。液晶TVでBSのニュースや「チャングム」も視聴できましたし、ゆったりとしたソファで読書もできました。部屋にトイレと簡易洗面室も付いています。 なかでも、子どもも大喜びだったのが、今は珍しい「食堂車」での夕食。(完全予約制でフランス料理か懐石料理が選べます。)わが家は全員フランス料理にしました。 はじめに出てきたのが、この写真の前菜のプレート。なんと食器類は皆「カシオペア」のロゴの入ったウェッジウッドの特注品でした。 ハウスワインも注文してみました。これはカリフォルニア産でくせのない軽めの赤。 メインの「フィレステーキ・トリュフソース」とデザートの「小豆のアイスクリームココナツミルク仕立て」は特に美味でした。 こうした陶器の食器で一皿ずつサービスされるようなリッチな食事は、飛行機の旅では勿論(ファーストクラス以外)、新幹線でも経験することが出来ない時代ですので、寝台車の旅の醍醐味だな〜と幸せな気分になれました。 翌日朝9時過ぎ、雪のため約30分遅れて札幌に到着。17時間近くかかった長旅でしたが、むしろ列車を去りがたく感じました。 皆さまも、北海道へ行かれる計画がおありでしたら、ぜひA寝台特急での旅も考慮されては・・・とお薦め致します。
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親の仕事の関係で、小学校3年から5年まで、鳥取県の境港市に住んでいました。 |
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2005年の夏の終わり、職場の仲間で恒例の旅行にでかけました。 |
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