泥沼なオーディオと音楽。

北海道、素晴らしかった。更新が滞り、すみません。

ヴェルディ

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先日、久しぶりにムーティ指揮のマクベスを聴きました。

1970年代にNPOと幾つかのセッション録音を残しており、その中の一つ。
キングスウェイホールでの録音であり、貴重な資産です。

このマクベスは、もうかれこれ10年近く前に手に入れ(私のはCD初期の輸入盤)、
先に申した通りG.R.F で聴いたのも初めて。

前奏曲から、ムーティらしい爽快さに溢れておりスカッとします。

ムーティは沢山の録音を残している部類の指揮者に入ると思いますが、個人的には
演奏内容に首をかしげたくなるような空虚さを感じてしまう事が度々あります。
ムーティファンの方、ゴメンなさい。

ですが、はまった時のムーティの良さも知っているつもりです。その一つの例が
このマクベスであること間違いなし。

マクベスの音楽が気持ちよく謳歌しており、そのリズミカルさに吸い込まれそうに
なります。

マクベス夫人を歌うコッソットは鬼に金棒状態、コッソット以外に誰が演じれるのでしょうか。
コッソットが歌うマクベス夫人の何が何でも根性、かかあ天下ぶりは強烈です。

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カラヤンは1964年ウィーン国立歌劇場を多種にわたる事情により辞めざるを得なくなりました。

それから13年、色んな思いを秘めカラヤンフェスティバルと題して、ウィーン国立歌劇場に復帰。

ヴェルディ:トロヴァトーレは、カラヤンが演出を担当/スーパーキャストを組み大成功

それまでの13年間ベルリンフィルを中心に活動していましたが、カラヤンもオーストリア人であり、
戦前からウィーン国立歌劇場で指揮しており復帰は感慨深かったと思います。

ウィーンの聴衆もカラヤンは13年ぶり、聴衆の興奮ぶりは凄まじく、
カラヤンがピットに入るなり壮大な拍手とブラヴォーの嵐、聴衆の待ちに待ったその瞬間。


ウィーンフィルも冒頭から熱をグングン帯びており、カラヤンのタクトを再現した
見事なデュナーミクや単純な箇所の音の羅列でもその音の重ね合わせ方に細心の注意を払ってます。

カラヤンはアリアでは聴かせ所が近づくにつれテンポを落としていったりするその技術、
ここぞ!というときの切迫感極まる表現はリスナーの精神的な面を突いてきます

至る箇所での、聴衆のブラヴォーの嵐は、何も大袈裟ではなく、その音楽の完成度やテンションの
高さを実際の現場で体験すれば、何不思議のないごく当たり前の反応だと思います。

RCAからリリースされてる実況録音は、所詮実況録音のなので、クオリティに限界はありますが、
そのウィーン国立歌劇場の雰囲気、その場にいるかのような空間性は実況録音ならでは。

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後期のアイーダやドン・カルロのようにどっしりと構えた音楽とは違い、
逆にトロヴァトーレは歌手やオーケストラに自発性や芸術性がないと失敗する可能性大。


中期の傑作トロヴァトーレはヴェルディのインスピレーションがフルに発揮され、感情の赴くまま
作曲された様で、

幾度の鑑賞に堪え、しかし胃がもたれないトロヴァトーレに、変な気構えは要らず、
ヴェルディの節が堪能できるあのストレートさ。


今回は、セラフィンがスカラ座と1962年に録音した一枚。セラフィンは本当に職人気質で、
歌手とオーケストラの扱いが最上!アンサンブルがどんどん磨かれていくその一体感は見事。

時折聴かせる、セラフィンの与えた一呼吸が何とも言えない妙のあるアンサンブル

スカラ座オーケストラのカンタービレは正真正銘のカンタービレ(笑)あの時代は本当にレヴェルが高いという
か、ひとつの芸術的ピークを築いた時代だったんだと改めて実感しました。

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レヴァインがノリにノッテル90年代初頭のヴェルディのアイーダ。


メトロポリタン歌劇場の座付きオーケストラは、流石にアメリカの座付きオケなだけあって、ここぞ!というときの暴力的というか、どんな音楽でもねじ伏せて俺らの音楽に仕立ててやるといった根性は筋金入り。

切れや滑らかさ、音色の多彩さはシンフォニーオーケストラと比べると確かに分が悪いが

細かい事は気にせずといった感じで、圧倒的な豪腕はそっくりマイナス要素をひっくり返す。


どこからでも音楽が畳み掛けてくる凄まじさは当時のレヴァインの調子の良さとの相乗りだろう。


ミッロのアイーダに関して、カラヤン盤でのアイーダを歌ったフレー二はどうしても声質が好みから外れる(勘違いしないでね、フレー二は凄いよ)。私はミッロのような声質で聴くアイーダが好き。安心して聴けるのはミッロの声質だな。

カラヤン盤はカラヤンが全てをコントロールしたカラヤンのためのアイーダだが、レヴァイン盤は歌手がオーケストラを、オーケストラが歌手をそれぞれをコントロールした文字通り歌劇場の為の音楽。

その音楽の成り立ちの違いが面白い、この次元は信念でしょう。

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リッカルド・ムーティ/ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団(1993年9月 ミラノ)

2009年も始まりましたねぇ、今年の正月は全く正月という感じがしない。

小言は止して、2009年の聴き始めはムーティ ヴェルディ:序曲・前奏曲集です。


こりゃ、凄い。決まりに決まってる。シノーポリ/ウィーンフィルのヴェルディ:序曲・前奏曲集もぶったまげましたが、


スカラ座フィルとウィーンフィルの音の違いも面白かった。ウィーンフィルは何処までも繊細、一つの美的センスが遺憾なく発揮されたオーケストラですが、

スカラ座フィルはやっぱり音楽に勢いがある。弦楽器もウィーンフィルに比べれば肌合いがザラッとしていてスリル感あふれる表情は流石。

ウィーンフィルは一つのアルバム製作という観点からヴェルディを渾身の力でシノーポリと造り上げてるが、スカラ座フィルはムーティと共にヴェルディを尊敬しており、失敗は許されない感じが伝わる。

ムーティもシノーポリも非常に優れた指揮者であり、卓越したヴェルディ指揮者です。しかしムーティはスカラ座フィルの音楽監督であり、そこに両アルバムの微妙な差が感じられました。


SONYの録音は当たり外れが比較的あり、当たったときのSONY録音は(G.R.F.Memoryのエンクロージュアが唸った)恐ろしき、それを私のSONY SCD-DR1で再生させる。一つの醍醐味だった

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