もしまだご存じでない方はゼンジャーの書庫を"是非"読んでみてくださいね♪♪♪ ゼンジャーが次に就いた仕事は,「新聞記者」でした。 フリーで数社(スポーツ紙,政界新聞,教育新聞,普通の新聞)の記者を掛け持ちでやっていたので,政界やらスポーツ関係,芸術や芸能関係に至るまで,あらゆるジャンルの方々と知り合い,交友関係も広がっていくきっかけになりました。 その中でも,印象的だった人のお話をご紹介します。 昭和38年,東京オリンピックが開催される前の年,ゼンジャーはとある企画を密着取材することになりました。 「オリンピック365日」という企画で,オリンピックまでの1年間日本全国を「山下清が絵を描いて巡る」という内容でした。同行には,山下清本人,マネージャー1人,カメラマン1人,記者のゼンジャー1人の4人の顔ぶれ。 山下清ってご存知ですか?芦屋雁之助が演じていた,かの有名なドラマ「裸の大将」のお方ですよ! 全国に「山下清博物館」まであるあのお方! 私が中学生くらいだったある日,ゼンジャーと一緒に「裸の大将」を見ていると「こいつに絵いっぱいもらったんだよな」と,ゼンジャーがポツりと言うのです。 その頃「何でも鑑定団」で山下清の絵が出てくると「0」が3つくらい違い,飛び上がるような値が付いていたことを即座に思い出しました;°o°)
すると,「全部人にやっちゃった」と言うのです。 天まで舞い上がって,その後地に叩き付けられたような感覚でした( ̄▽ ̄|||) ゼンジャーが山下清さんに「ちょっとこれに絵描け!」っていうと,持っていた扇子に何枚でも絵を描いてくれたのだそうです。 見栄っ張りでお人好しのゼンジャーのこと,その扇子を自慢げに人に見せるたびに「いいわね,これくださいよ!」なんて言われると断れなかったんだと思います。そういうヤツなんです(-”-;) ま,もう無くなってしまった財産のことは頑張って考えないようにするとして,↑の文,何かおかしくないですか?! 記者のゼンジャーが命令口調???って何でだ!!!? そうなんです。山下清さんは,あのドラマのイメージ通りの方だったらしく,しかも飼い犬のように従順な人柄だったそうなのです。 (これじゃ,まるで猫ヒロシとマネージャーのジジィブーさんの間柄じゃないですかっ!!) だからってさー,ゼンジャーったら,なんて人だ…┐('〜`;)┌ こんな風にゼンジャーはいつだって,どんな凄い人に対してだって,変にへりくだったり媚びたりしないので,たくさんの人脈ができていった訳ですが,それはまた追々書くとして…
「ドラマに出てくるみたいに,ホントにこんな不思議な人だったの?」という質問を,裸の大将を見終わったゼンジャーに投げかけると,ゼンジャーは「もっと変なヤツだった!」というのです。 (お前だけには言われたくないところだが…(汗)) 山下清さんはご飯はほとんど食べず,バケツに牛乳を入れてやって,嬉しそうにいっぱいゴクゴク飲んでいたのだそうです。。°(ノ><)ノ お,おいおい,犬じゃないんだから…。犬もそんなに飲まないか…。 それから, 実際はドラマの演技ほどドモっていなかったけど,何を話てるのかよくわからなかったらしい(^ー^) 旅の間は寝食を4人で共にして,同じ部屋で過ごしていたんですが,山下清さんだけは押し入れで眠っていたのだそうです。 別にドラえもんのような理由でそんなとこで寝ていた訳でも,押し入れが好きだった訳でもありません。 ただただ「イビキがうるさい」という理由で,早く寝てしまう(いっぱい寝る)彼が押し入れで寝かされ,その後残った3人と,旅先で知り合う誰かを誘い,夜な夜な賭け麻雀をしていたのだそうです。 更に「あいつは押し入れに入れても(イビキが)うるせ〜んだ〜」とトドメの一言。 聞けば聞くほど酷い話だ…(T_T) そんなこともあり,大変な全国巡りでも,なかなか面白い旅だったらしいですけどね〜f(^―^; 現在ほど有名でも,絵の価値も無かった山下清さんだったけど,あの時の扇子をせめて1枚でもとっておけば今頃は…。おっと,もうこの話は蒸し返さないんだったわ(^_^;) 仕事に関しては先見の明のあるゼンジャーも芸術のことはさっぱりだったのでした・:*:・( ̄∀ ̄ )。・:*:・ − 次回につづく −
|
ゼンジャー
[ リスト | 詳細 ]
|
先見の明のある男ゼンジャーのオモシロお仕事話,第2弾! お待たせいたしました〜〜〜!! ゼンジャーが次にやったお仕事クイズ,正解を発表したいと思いま〜す☆ 正解は… 「釘師」 です。あり得ない…。 残念ながら正解者はいなかったので,ゼンジャーのサイン付きブロマイドは,欲しい方全員に差し上げます。 送料も当社負担と言うことで…(笑)(←クイズの意味ナシ) 今のようなパチンコの繁栄は1950年頃からだったそうです。 正にその頃,ゼンジャーは人づてに頼まれ池袋から新宿あたりで釘を直していました。 つまりは「渡り釘師」ってやつですね(^_^)b 当時はまだ「釘師」という職業はなかったのかもしれませんが,やっていたことは釘師に間違いありません。 ずいぶん前に,ノンフィクションドラマで,釘師の話をやっているのを観ました。 ストーリーは確か…,まだ釘師なんていなかった頃,1人の男が試行錯誤で釘を直していき,玉が出過ぎでも出なさ過ぎでも大目玉をくらって店を転々とする。でも苦労を重ね「釘師」というジャンルを築き,伝説の釘師になり,弟子もたくさん抱えていく…。なんていう話だったような…。それを見て私はいたく感動したものでした。 もしや,あれってゼンジャーだったのかっ?! しばらくは釘師で,相当稼いだそうですよ〜。 本人曰く「釘を直せる人がいなかったんだ!」なんて言ってるけど,きっと腕が物凄く良かったんでしょうね〜?! こんなんでも一応大学に在学中だったゼンジャーは,釘直して稼いだお金で代理(代返を含む)を雇い学校に通わせていたそうです。そして自分はまたもっと金を稼ぐという荒技を成し遂げていました。ツワモノです。 そういえばその昔,私も一緒にパチンコ屋に行ったとき,ゼンジャーが台の前に立って中を覗き込み「こりゃダメだ!」とか言って,出そうな台を探していました。 そんなゼンジャーを見た私はてっきり「また素人がプロぶったって無駄だよ!そう簡単に出ないって!」なんて思って,そんな行動を気にも止めなかったけど,パチプロどころか,釘師だったゼンジャーには本当に判っていたんでしょうね…。恐ろしや〜〜〜(○_○) 次回また,別のお仕事の話をしま〜す♪ − つづく −
|
|
先見の明のある男ゼンジャーのオモシロお仕事話,第一弾! |
|
ずいぶん間があいてしまって,忘れてしまった方も多いのでは? |
|
ゼンジャーは東京生まれの東京育ち,チャキチャキの江戸っ子です! |





