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おいしい水を求めてのルーツ(背景)9の9
9:生物現象の活用の拡大(25-27:27)
25.メロシラの大量培養
26.珪藻メロシラの効能
27.最後に
25.メロシラの大量培養
上田市の染屋浄水場でパイオニア植物として糸状珪藻メロシラが常に優占していたのは、河川表流水を取水し、短期間で削り取り作業をし、捕食動物を常に排除していたからであった。常に遷移現象の初期状態を保つ仕組みがあった。この仕組みは、日本各地の浄水場を調べ、自然とわかった(図89)。
川の水には湖沼と比べ、栄養塩が豊富です。常に河川水が流入する連続培養系では、栄養塩の制限になりにくいのです。また繁殖した藻が自動的に流出すれば、底の砂層面は光制限もなりにくいのです。河原には湧水があり流れがある場所では、糸状珪藻メロシラが大繁殖をしていました。濁りがなく、栄養塩が豊富で浅い水深なのです。この藻の繁殖状況をモデルで再現させました(図90-94)。小さなコンテナで生産力を測定して、1m2当たり、これ位と学生に言いました。もし、水田みたいに大きな面積なら、これ位になると言いましたが、学生が「本当ですか」と信用してくれませんでした。「仕方が無いな」と思いました。そこで、学生に実感してもらうために、べニア板1枚の大きな水槽をつくり、メロシラを培養したのです。そしたら、「本当に凄いですね」と言ってくれました。理科系の学生でも「理屈ではわかっても、実感をしないと自分のものにすることができない」のです。如何に、実感させるかです。やはり、本物を見せない限り、皆が納得してくれないようです。小さな実験室モデルだけでは、説得力はありませんでした。
図89.伏流水を取水している長野県須坂市の西原浄水場は、原水中に濁りが無いので、ろ過開始してから数年間、一つも目詰まりをしない。但し、水温が約12度と一年中、ほとんど変わらない。だから、繁殖する藻を食べる捕食動物も常に活躍している。水温が10度以上であるから、パイオニア植物としての珪藻が繁殖しても直ぐに、捕食動物に食べられてしまうことがわかった。山間の渓流脇の湿地から伏流水を取水しているので、肥料成分がほとんどないから、栄養塩不足で、藻類繁殖の勢いも小さいと推測された。お腹が空いた動物が豊富なことは、生物浄化法としての条件が良いことになる。河川表流水を原水とし、肥料成分が多い場合は、パイオニア植物として糸状珪藻メロシラの繁殖が目立つ。それは、濁り水が入ってくるとろ過池が目詰まりしやすいので、目詰まりを解消するために、頻繁に削り取り作業が必要なためだった。冬に珪藻が繁茂しないのは、水深が深いと河川からの細かなシルト分が流入し、底で藻類が繁殖しようとしても日射量が少ないので、繁殖できないことがわかった。濁りが少ない人工の伏流水にし、水深を浅くすると、冬でも糸状珪藻が繁殖する。
図90.天然の伏流水は、千曲川の河原で見られる。濁りが無い水が常に湧いている。この場所では、厳寒の冬でも暖かい夏でも糸状珪藻メロシラが繁殖している。湧水が多いと成長速度が速い、糸状珪藻メロシラが優占しやすい。湧水量が少なくても水温が低い冬は、糸状珪藻が優占するが、水温が高い夏は、捕食動物に食べられ、糸状緑藻に遷移してしまう。
図91.灌漑用水路の水路を使用して、徹底的に、濁りを除く試みをした。人工の伏流水をつくろうとした。水路に多数の網を置き、細かな濁りを捕捉し、頻繁に網を洗うようにした。仕上げに、上向き粗ろ過を何段もし、河原で湧き出る湧水を再現するようにした。
図92.人工の湧水を原水とし、糸状珪藻メロシラをコンテナで培養した。下から上へ流す様にし、繁殖し流出する藻を網で捕集した。
図93.小さなコンテナでは繁殖量を実感しない。そこで、べニア板一枚の大きさの培養槽を手作りした。
図94.畳1枚の大きさの培養槽で、糸状珪藻メロシラが大繁殖し、自動的に流出し捕集される様にすると、学生が、藻類の繁殖量の多さを実感してくれた。大きな水槽にすると、流入水量が多くしないと、栄養塩不足が生じ、面積当たりの収穫量は、小さなコンテナでの値より少なかった。また、大きな面積にすると、捕食動物に襲来されやすいこともわかった。大きな面積で大量培養するには、流入水量を多くしないと難しいことがわかった。珪藻メロシラの大量培養のノウハウを獲得するには、もう少し、実験をしたかったが、定年になり、時間切れになってしまった。誰か、このアイデアを継続してくれないかと思っている。
26.珪藻メロシラの効能
そこで、繁殖した藻類の有用性があるという本当のアイデアを、誰かが使ってくれないかなと思っているのですが、中々使ってくれないのです。私の研究室の学生のお姉さんが通産省の産学総合研究所にいて、使ってくれそうなことを言っていました。珪藻土を、扱っている会社の人も訪ねてきました。この藻類培養のアイデアが中国に流れたら、日本初発のアイデアなのに残念と思っていますが、でも、もう定年ですから全部オープンにしようと思っています。
この藻は魚介類の餌として有効と言いましたが、本当は、人間に食べさせたいのです。珪藻を食べると消化吸収が良くなる。その仕組みを解説しましょう。戦前の人は、お腹の具合が悪かったら、炭(すみ)を食べました。
放牧している家畜が塩くれ場で、塩をなめます。自然の塩くれ場でも、水たまりで白くなった場所の泥を食べます。実は、珪藻の死骸を食べているのです。珪藻の死骸をお腹に入れると、消化管内で、小さなミクロの嫌気的な場所ができるのです。発酵が起こりやすくなり、難分解性物質が壊れ、結果的に消化吸収が良くなるのです。
このアイデアを、これまで発表していなかったのですが、時間切れなので、読売新聞社の取材時に言いました。読売新聞で初めて緩速ろ過を取り上げたのが、2006年8月26日(月)の夕刊で、その最後に珪藻を人間に食べさせるというアイデアも書いてくれました(図95)。この記事に気づいて、追いかけてくる人も少しはいました。
図95.読売新聞2006年8月28日(月)夕刊に大きく、生物浄化法として取り上げてくれた。残念なことに夕刊で、発行部数が少なかった。これが、読売新聞として大きく取り上げた最初のことであった。
27.最後に
まとめです(図96)。資源研では、助成金というのは、お金を出した人の仕事。海洋調査では、自分で修理できない道具や機器を使うな。分析機器より、生物の方が、感度が良い。卒業生が「中本研で学んだことは、カタログになければ、自分でつくれば良い」と言ってくれました。「何でも工夫をする」です。淡水赤潮現象を見つけた時、理学でもない工学でもない、その間なら、もしかしたら活躍する場があると思いました。ブラジルでは、知識、教科書に書いてあること、使えない教科書でいくら勉強しても意味がない。使える知識、それは知恵です。知恵を獲得しないといけないと悟りました。Hungry is Normal空腹は正常。どんなに派手なこと、良いことでも、実は、花が咲く時期は一瞬です。花が咲いていない期間の方が長い。生物の立場で水質を評価しようと考えてMBOD法を開発しました。
現場からいろいろな事を学びました。まず、気づく。発見、まず、結果があって、理論は後。緩速ろ過は約200年前にほぼ完成しました。100年前に、生物が関与しているとわかりましたが、名前を変えませんでした。私が、名前を変えないと誤解されると言いだしました。適切な名前をつけるというのは重要です。
明暗瓶法、これは、簡単に値がでてしまう。自分で確かめたいことは、数値でなく、本当は何かと自分で確かめたことだけを信じる。常識を変えるのは非常に大変です。
科学技術は人のため、科学者のための科学でなく、科学者は、時として、趣味をしているのではないのか。企業利益のための技術でもない。本当の科学技術は人のため。この考えがでたのは、理科教育法の講義を長い間、担当していたからかもしれません。大学は、過去の知識、知恵を伝える教育機関です。学生に、「学生時代は、失敗は許される。冒険が許される」と言ってきました。小さな怪我はいっぱいしても良い。但し、大きな怪我をしないためにです。経験すると知恵になる。そう思っていたので、学生をいろいろなところに連れて行きました。フィールドから肌で感じさせるようにしてきました。これは、多分、海でいろいろ経験し、いろいろな外国にも、行ったからかもしれません。「教科書でない、肌で感じないといけない、いろいろ、お互いにディスカッションしないといけない」と教えてきました。どうしてかと肌で感じることから次ぎのことが生まれる。
理科教育ということを常に考えていました。良い理科教師になるにはどうしたら良いのかと、常に教育、教育ということを考えていました。「教師とはどうあるべきか」です。
研究論文を書いても、仲間しか読まない。本を書いて出版しても読まない。緩速ろ過は古い技術です。最先端を追いかけている人には関係ないのです。いくら発表しても、全て、無視されました。伝えるというのは大変に難しいです。税金を使って研究をしました。税金から給料をもらいました。「国立大学の先生は、それまで得た知識や知恵を国民に還元する義務がある」と言われて一生懸命やってきました。
これからは、NPOのメンバーとして社会貢献の実践をしたいと思います。ご静聴をありがとうございました。
追記:「おいしい水のつくり方」は現在、中国語やポルトガル語に翻訳されている(図97,98)。最終講義の後、2月末から10日間、大学院生2名連れ、ブラジルのサンパウロにでかけた(99-103)。ブラジルとの交流はまだ続きそうだ。多くの卒業生が、私の最終講義にかけつけてくれ、大学の教師をして良かったと思った(図104)。
図96.時代ごとに、何を考えていたかのまとめ。現場主義:気づく:発見:まず結果があり理論は後。経験すると知恵になる。
図97.幸いにも、著書は、細々と売れている。「おいしい水のつくり方」は中国語、ポルトガル語に翻訳されている。
図98.ポルトガル語に翻訳してくれた日野寛幸さんは、サンパウロ州理科指導主事を長くしていた日系人。移民して50年の記念にと翻訳してくれた。日野さんはサンパウロ州のViva Japonプロジェクトのリーダーとし活躍もしていた。移民100年祭では、皇太子をサンパウロの学校へ案内する役もした(サンパウロ州のホームぺージより)。
図99.最終講義の後、2008年2月から3月にかけて10日間、学生を連れてサンパウロに行った。日野さんが50年前に、日本から最初に上陸したサントス港の建物を案内してくれた。
図100.サントスの港には、日系移民の記念する石「この大地に夢をA ESTA TERRA」があった。中本も、もしかしたら、日系移民としてブラジルで働いていたかも知れないと思った。
図101.1974年に最初にブラジルに行き、34年後のサンカルロスで、ツンジシ夫妻の家で、昼食をごちそうになった。
図102.ツンジシの国際生態学研究所の事務室には、中本が1976年に持参した東邦電探の電気水温計が大切に保管されてあった。ブラジルの陸水学を育てた者としてうれしかった。
図103.1974年にブラジルに行った時、野外調査に同行したセジョン小父さんはまだ健在だった。当時、彼の家を自分で建設中であった。そこで、2回目の1976年に、日本からセイコーの壁時計を、お土産にと持参した。この時計は、32年間も、まだ動いていて感激した。何だか、今後も、ブラジルとの交流は続きそうな気がした。
図104.2008年2月1日の最終講義には、多くの卒業生が集まってくれた。大学の先生をして良かったと思った。
Routs of slow sand filter
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