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                             《福島民友 3月10日付》        
              
         平成23年3月15日「運命の日」の重み

  東日本大震災から早くも1年 が過ぎた。一向に復興のメドが立たない福島原発事故。原発が爆発したテレビの映像を見て、取りあえず福島市の自宅から米沢市のビジネスホテルに避難したのが3月14日の午後。県境で二度目の爆発が起きたことを車の中で知り家族は皆、血の気が引く思いでそのニュースを聞いた。ホテルでホッとしたのもつかの間、翌朝のホテルロビーには、原発近くから避難してきた多くの人々で溢れていた。その光景は異常な事態になったことを肌で感じた。3日間の予約を1 日でキャンセルし、そのホテルを被災者たちのために明け渡し、午前中に我が家に帰宅した。放射能が北西部に飛び散ったのは、我々が帰宅した3月15日の午後だったことを最近の報道で知り、唖然とした。この「運命の15日」を政府も国の関係者誰一人〈北西部が危ない!〉と叫んだものはいなかったと言うのだから驚きだ。わが家族にとって昨年の3月15日は一体何だったのか。

 あれから1年が経ち、同じ3月15日を迎えたが、何一つ政府の力で原発事故が収束に向かったとは思えない。この1年、誰もが放射能に怯え、数値に翻弄され、家族もバラバラ、友達もバラバラ、彼氏も彼女もバラバラ、仕事も仲間もバラバラ、すべてが原発事故で始まり、その先が見えることはない。先日、佐藤雄平知事と東電の西澤俊夫社長が会談した記事が新聞に載った。その様子を同じく取材した地元テレビ局のニュースキャスターが「佐藤知事の声はか細く、取材するわれわれの耳にもよく聞こえなかった」と現場の様子を話していたが、「あんな小さな声で、西澤社長に県民の声は本当に伝わったのか」と疑問視するコメントもこのキャスターは忘れなかった。
 
  また、3月8日の朝日新聞では「脱原発姿勢を強める知事だが、原発の安全性を容認してきた県の姿勢も問われている」と発言の変遷に疑問を投げかけた。知事はかっては『容認派』で、原発事故の前年にはプルサーマルの受け入れを表明し「安全性は信頼を持って進めてきた。国民のため、原発の必要性を訴えてきた一人だ」と強調してきたと書いている。事故が起きると一転して、『脱原発」を表明する佐藤知事の豹変振りには呆れるばかりだ。西澤社長に対し怒りを出さなかったのは『身内が東電に世話になっている」という話が真実味を増したのは吾ばかりか。どんな言葉を県民の前に向けても、心底から親しみと真剣味が伝わってこないのは「東電と本気で闘う気があるのか」を凝視してしまうからなのだろうか。

 朝日新聞の最後に「県の過去の施策を検証する姿勢は見えなてこない」という一文言が、佐藤雄平知事のやらなければならない大きな課題だ。地元紙は全国紙に負けない知事の責任を追求する姿勢を崩してはならない。「地元紙もいろいろ知事にはお世話になっている」何んて言わず、しっかりと真実と正義は守って書いて欲しいものだ。

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