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やることがありすぎてパニックになり、
挙句には泣いてしまった、子供のような私
でも、泣くと、大体解決に向かうこともわかってきたよ
私は、まだ自分自身のことまだつかみ切れていないけど、
今回落ち込んで、いろんな人からコメントをもらったことで、
勇気やら気付きをたくさんもらって元気が出てきました
今回のパニックで気付いたことは、本当にたくさんありました。
まずは自分のこと。
やっぱりわたしは、脳内多動症なんだということ。
小さいころからアイディアバンバン、人を笑わせるの大好き、
思いついたら即行動、落ち込んでもただでは起きない、
超前向き、やればなんとかなる・・・・
推理小説はたいていすぐに犯人に気付き、
学校では高校になってもわかったら、躊躇なく手を上げて答えていた。
小学校の時なんか、大体一回読んだり聞いたしたら話がわかったから、
いつも手を一番に上げる優等生ちゃんだった。
周りの子が手を上げないことに「変なの」と思っていた。
そう、私は、アスペっぽい、脳内多動児だった、と思います。
まあ、大人になってから、こんな私だもんですから、
あんな目やこんな目にあって、人間関係をかなり苦労して学び、
何とか、今がある、という具合です。
とはいっても、人間初めから心の整った人はいないのですから、
言い出したら、だれでも『私のこんなところが変』ていうのが、
いくつも飛び出すことは想像できます。
悩んでで動けなくなると、こんなに自分を見つめ直せるんだな・・・・
だから時々どっぷり悩むことも必要なんだな・・・・・
苦しいけど、これは、神様が与えた試練なんだろうな・・・・・
と、落ち着いてきた今は、思えます。
暖かいコメントをくださった皆さんに、
心から感謝申し上げます♡
明日から、「できること」を頑張ります
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2010年10月24日
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面会もなく、病院で200日 帰れない赤ちゃん/上2010年10月20日 提供:毎日新聞社
帰れない赤ちゃん:/上 面会もなく、病院で200日
◇背景に親の困窮 受け入れ施設も不足
小さなベッドが並ぶ病棟に窓から明るい光が差し込む。
面会に来たお母さんたちが我が子に声をかけ、抱き上げる。
埼玉県立小児医療センター(さいたま市岩槻区)。
低体重や重い疾患を持って生まれた乳幼児を救う新生児集中治療室(NICU)を備え、
退院後も母子を支援する。
窓際のベッドでおもちゃと遊んでいる真美ちゃん=仮名=はスタッフに「癒やし系」と
呼ばれる人気者だ。
つぶらな瞳でニコニコとよく笑う。
記者が人さし指をそっと差し出すと、白く小さな手のひらで、ぎゅっと握り返してきた。
でも真美ちゃんには、見舞いに来てくれる人はいない。
昨冬、県内の産院で低体重で生まれ、センターのNICUに搬送された。
手足にまひが残るものの、半年たつと標準を少し下回るくらいまで成長した。
母親は未婚で、真美ちゃんの父親にあたる男性に暴力を受け、逃げていた。
親とは疎遠で、一人で育てる経済力もない。
入院直後は面会に来たが、途中から姿を見せなくなった。
県は家庭での養育は困難と判断した。
治療が2カ月で終わっても、真美ちゃんは退院できなかった。
受け入れ施設が見つからなかったためだ。
看護師や保育士が親代わりに見守ったが、医療現場でできることは限られる。
主治医(39)は「赤ちゃんの発達には心身に刺激や愛情を与える環境が必要。
まひが回復することもあるのに、ずっと病院にいてはチャンスを逃してしまう」。
8月、真美ちゃんを迎え入れる乳児院が見つかった。スタッフが見送る中、
児童相談所職員に抱かれ、いつものように笑顔いっぱいで車に乗った。
生まれて初めての外出。入院から200日以上が過ぎていた。
◇
低出生体重児の救命率が上がってきたが、流通科学大の加藤曜子教授
(児童家庭福祉)は「低体重児を産んだ母親の中には、子を持つ心構えなく妊娠して
しまった女性もいる。通常以上の育児支援が必要だ」と指摘する。
同センターでは治療が終わっても家に帰れず、直接乳児院に入る例が増えている。
04-06年度は毎年2人だったが、09年度は9人。
入退院時の生活を支援するソーシャルワーカーの平野朋美さん(51)が
03-09年度の例を調べたところ、6割の家庭が経済的に困窮していた。
育児を手伝う家族がいない。心の病がある。複数の問題を抱えた母親も目立つ。
生後2カ月で細菌性髄膜炎を発症して入院した彩ちゃん=同=の母親は
まだ10代だった。
夫の借金が原因で、彩ちゃんの入院中に離婚。
母親は返済のために働き、子育てできる状況ではなかった。
入院期間も延びている。
NICUを出てから乳児院に移るまで平均120日程度だったのが、2年ほど前から
200日を超えている。
背景にあるのが乳児院の問題だ。
埼玉県こども安全課によると、県内(さいたま市除く)では乳児院の定員不足により
08年度10人、09年度は20人の「赤ちゃん難民」が生まれ、県外の施設に入所した。
同課は「施設を増やしたくても、入所者数は時期により変動するため、容易には
できなかった」と話す。
しかも職員体制が整わないことから、健康上問題のある子は敬遠されがちだ。
病気の後遺症でけいれん発作を繰り返す彩ちゃんも3カ所で断られ、1歳半まで
センターで暮らさざるを得なかった。
「人生の出発点から行き場のない赤ちゃんがいる。それを親の責任と切り捨てず、
社会としてどう育てるか、考えるべきではないでしょうか」。
平野さんの問いかけは重い。
× ×
少子化が日本の未来を脅かす。
出産や育児支援に光が当たり始めた一方で、生まれた瞬間から寄る辺のない
赤ちゃんたちがいる。
救える命は増えたのに、守り、育てていく支えはなぜこうも乏しいのか。
現場から考えたい。【山崎友記子】
全身骨折、退院後は乳児院 帰れない赤ちゃん/中2010年10月21日 提供:毎日新聞社
帰れない赤ちゃん:/中 全身骨折、退院後は乳児院
◇命優先、親から隔離 救う親族もなく施設転々
お昼ごはんの時間になった。
エプロンをかけた赤ちゃんたちが保育士に見守られ、テーブルを囲む。
食欲旺盛な優美ちゃん=仮名=はパンを両手でつかんでおいしそうにほおばる。
職員が「おかわりする?」と声をかけるとすぐに立ち上がり、大好きなパンを
もらいに行った。
おかわりのパンまでたいらげた優美ちゃんに記者は「いくつ?」と聞いた。
人さし指をぴんと立てた。
首都圏にあるこの乳児院に優美ちゃんが入所したのは、生後4カ月のころ。
その2カ月前、おむつ替えをしていた祖母が足の腫れに気付いた。
病院に連れて行くと全身を11カ所も骨折していた。
動けない赤ちゃんが自分でけがをしたとは考えにくく、母親による虐待が疑われた。
しかし母親は「全く覚えがない」と言い切った。
入所時、院長は医師に「うまく歩けるようになるか分かりません」と告げられた。
それが1歳半を過ぎた今、他の子たちと同じように歩いている。
「子どもの生きる力はすごい。医療の常識で理解できないことが起きる。
だから、どんな状況の子もしっかり支えていかなければ」。院長が涙ぐんだ。
生後間もなく引き離された親子の関係をはぐくむため、優美ちゃんと両親は
面会交流を重ねている。
しかし、児童相談所と警察は母親からの虐待の有無についてなお調査を続けている。
職員たちは「このまま次の施設に行くしかないのだろうか」と先を案じる。
◇
戦後から高度成長期まで、乳児院には親を亡くしたり捨てられた孤児が多く、
職員は子どもの命を守り、育てることに心血を注いだ。
その後少子化で入所児童はいったん減ったが、約20年前から増加に転じた。
さらに、大半は親がいるのに育児困難なケースに変わり、施設は親への支援も
担うようになった。
現在は就学前まで入所可能だが、0〜2歳が中心だ。心の発達が進む乳幼児期は、
なるべく早く家庭に戻り、親の愛情を受けることが望ましい。
だが「最近は子どもを帰すことに慎重にならざるを得ない」と
日赤医療センター付属乳児院(東京都渋谷区)の今田義夫院長は言う。
今田院長には苦い経験がある。
親から虐待を受けて預かった子を大丈夫だと思って家庭に帰したところ、十分な養育を
受けられず1年後に亡くなった。
「施設を出た後もケースワーカーが親子を支援しているが、途中で親と連絡が
取れなくなったり、居場所が分からなくなることもよくある。
退所後に私たちだけでできることには限界がある」と難しさを訴える。
全国乳児福祉協議会の調査によると、退所後に親や親族に引き取られた子は
98年度に64%だったのが、08年には56%に低下。
里親への委託も1割に満たず、そのまま次の施設へ移る割合が増えている。
背景にあるのは虐待の増加だけではない。同協議会のまとめでは、入所理由で
最も多かったのは、母親の「精神障害(知的障害を含む)」で全体の19%(08年度)。
同協議会の長井晶子会長は「以前はミルクの与え方やお風呂の入れ方を教え、
育児不安を取り除けば家に帰せたが、今はそんな支援だけではとても無理」と話す。
精神科医などに親へのアドバイスを頼んだところ、母親自身が子どものころ虐待を
受けていたことが分かり、育児支援以前に親の精神的ケアが急がれるケースもあったという。
青山学院大の庄司順一教授(臨床保育学)は「乳児院の子を家庭に安全に帰すには、
親への事前の教育やケアを充実させ、退所後も関係機関が連携してかかわることが
必要だ。しかし、今の施設や児相の人員では難しい。
家族支援にもっとお金と人手をかければ親と暮らせる子が増え、子どもの将来も
より確かなものになるはずだ」と提言する。【山崎友記子】
虐待受け成長、望まぬ出産 帰れない赤ちゃん/下2010年10月22日 提供:毎日新聞社
帰れない赤ちゃん:/下 虐待受け成長、望まぬ出産
◇「育児できない」養子に 親への支援充実を
19歳の少女は電話の向こうで泣きじゃくるばかりだった。
東京都内の児童福祉施設に勤める高橋さん(37)が「生きてて良かった」と声をかけると、
少女はやっと言葉を発した。
「こうのとり(赤ちゃんポスト)ってどこにある?」
音信不通になっていた元寮生の裕美さん=仮名=から高橋さんに電話があったのは、
3年前の春。
声の様子から望まぬ妊娠をしたと察したが、事情を聴いても「殺すか、こうのとりに
預けるしかない」と繰り返すばかり。
居場所を聞き駆けつけると、裕美さんはうつろな表情で立ち尽くしていた。
おなかの膨らみが服の上からも分かった。
裕美さんは母子家庭の一人っ子。母は水商売と売春で生計を立て、小学校に
通うころにはひんぱんに家を空けて1カ月戻らないこともあった。
置いていくお金で食べ物を買い、帰りを待つ毎日。
「臭い、汚い」とからかわれても、給食を食べるために登校した。
大規模団地に住んでいたのに、深刻なネグレクト状態にあった子どもを助ける
大人はいない。5年生で不登校になり、母は自殺した。
児童相談所に保護され、人を信じられずトラブルを繰り返しては施設を転々とした。
16歳で高橋さんの施設に来たが、働いて寮費を納めることができず、
半年足らずで退寮になった。
それから友人宅などを転々とし、生活費に困り買春相手を探した果ての妊娠だった。
父親は分からず、中絶できる期間は過ぎていた。
取り乱す裕美さんを、高橋さんは「あなたの体も心配。無事に産まなきゃ」と説得。
施設スタッフ全員で奔走し、落ち着いて暮らせる場所を見つけた。
電話から数カ月後、裕美さんは女の子を出産した。元気な我が子を見ても
育てようという気持ちにはなれず、赤ちゃんは養子に出されることになった。
◇
高橋さんが勤める施設には時々、退寮後に結婚して出産した女性から育児の
悩みを訴える電話がある。
今夏出産した女性も「子どもがかわいいと思えない。苦しい」と訴えてきた。
彼女自身がかつて自分の親からひどい虐待を受けていた。
親から大切にされた記憶がない子が親になるとき、我が子とどう向き合えば
いいのか悩み、育児に困難を抱えることは多い。
高橋さんらは「かつて虐待の被害者だった彼女たちを加害者にしてはいけない」との
思いで、かかわり続ける。
裕美さんについても「もっと支えがあれば、別の選択肢があったかもしれない」と
悔やまれてならない。
恵泉女学園大の大日向雅美教授(発達心理学)は「育児不安やストレスを抱え、
虐待と紙一重のところにいるお母さんはたくさんいる。
赤ちゃんが家庭で大切に育てられていくためには、親への支援がもっと必要だ」。
◇
「大事な話がある」。
この夏、出産から3年たった裕美さんが高橋さんを呼び出した。
「子どもは元気でいるのかな。いつか引き取ることができればいいのに」。
芽生え始めた母性を前に、高橋さんはこみあげるものを抑えられなかった。
しかし、子どもの様子は全く分からない。養子縁組した子と生みの親が交流することは
極めて難しいという現実を伝え、せめて「この人なら会わせてもいい」と養父母に
思ってもらえるよう、生活環境を整えたほうがいいと勧めた。
裕美さんは今、来月の高卒認定試験に向け勉強中だ。
「資格を取って少しでもいい条件で働き、生活を安定させたい」。
記者の目をまっすぐ見て、力強く言った。【山崎友記子】
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