病気も障害もどんと来い!な私の日記

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「私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました」 元巨人・桑田の体罰否定論に多数の共感コメント

J-CASTニュース 1月12日(土)17時23分配信
 大阪市立桜宮高2年のバスケットボール部主将の男子生徒が顧問教諭(47)
から体罰を受けて自殺した問題で、元プロ野球選手の桑田真澄さん(44)が
NHKや朝日新聞などのインタビューで語った「体罰否定論」に多くの共感が
寄せられている。

 「小中学校時代は練習で毎日殴られていた」と話す桑田さんは、
その経験を踏まえて「体罰に愛情を感じたことはない」「体罰は安易な指導方法」
と訴える。
ネットには「非常に論理的な体罰批判」「一流選手の言葉は重みがある」
などのコメントが相次いでいる。

■「体罰の背景は指導者の勝利至上主義」

 大阪府出身の桑田さんはPL学園時代に甲子園大会で2度優勝し、
巨人入団後は通産173勝を挙げた。
2008年の現役引退後は大学院でスポーツ科学を学び、2013年1月からは
東京大学野球部の特別コーチに就任。
精神論によるスポーツ指導の問題点などに関する講演活動も行っている。

 体罰が引き金となった今回の自殺問題に関し、桑田さんは2013年1月11日
のNHKインタビューでまず「よく体罰は愛情だと言いますが僕は愛情だと
感じることはなかった」と強調した。

 その上で、体罰は手っ取り早い安易な指導法であり、「いろんな角度から
説明する指導方法のほうが難しい」「僕は体罰には反対です」と明言した。
時代に合わせてビデオを使うなどの指導法に変わっていかなくてはならない、
とも主張した。

 体罰を生む背景として、「指導者は優勝しないと周りに示しがつかないとか、
首になるとか」の理由から「勝利至上主義になっている」と指摘する。
「プロはそれでいいが、アマチュアは育成主義でないとダメだと思っています」
と語った。

 また「往々にして昔ながらの指導をしている人が結果を出しやすいのが
スポーツ界」と認めたうえで、体罰をなくすため「勇気を持って今の時代にあった
指導法を実践する指導者が1人でも多く出てきてもらいたい」と訴えた。
 
「服従で師弟が結びつく時代は終わった」
 朝日新聞が1月12日付朝刊に掲載したインタビュー記事では、
「体罰がなぜいけないのか」について説明している。

 大学院生時代の2009年、桑田さんがプロ野球選手と東京六大学の
野球部員550人を対象に行ったアンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」
という回答が83%に達したという。

 こうした実態を踏まえながらも、「指導者や先輩の暴力で選手生命を失うかも
しれないのに、それでもいいのか」「殴られるのがいやで野球をやめた仲間を
何人も見てきた。スポーツ界にとって大きな損失だ」と反論する。

 加えて、「絶対に仕返しされない」という上下関係の中で起きるのが体罰だとし、
「監督が采配ミスして選手に殴られますか」「体罰は暴力で子供を脅して
思い通りに動かそうとする卑怯な行為」と強調した。

 「体罰を受けた子は、どうしたら殴られないで済むのかという思考に陥ります。
それでは子供の自立心が育たず、自分でプレーの判断ができません。
殴ってうまくなるなら誰もがプロになります。私は、体罰を受けなかった高校時代に
一番成長しました」

 記事の最後で桑田さんは「アマチュアスポーツにおいて『服従』で師弟が
結びつく時代は終わりました」と断言した。

  体罰による自殺問題はテレビや新聞で連日大きく取り上げていることもあって、
桑田さんの「体罰否定論」への反響は大きく、11日からツイッターやネットには
共感のコメントなどが多く投稿されている。

 「体罰を肯定する指導者のうち、桑田氏の主張に論理的に反論できる人は
どの程度いるのか」「一流のスポーツ選手によるこのような発言が持つ意味は大きい」
「経験を踏まえた冷静な正論」「早く指導者の道を歩んでいただきたい」

大半はこうした賛同のコメントで、

 「優れたコーチング技術はスポーツも会社も同じ。コーチや上司は『統治』ではなく
『支援』に徹するべき。もちろん教える側は『叱る』や『体罰』より遥かに大変です」
といった意見もあった。

 その一方、少数ながらも

 「体罰そのものではなく、体罰の仕方を間違った教師を問題にすべき。
可能性の芽を摘まない体罰もある」「今回のはただの暴力だが、成長のための
負荷やストレスは子供にとって必要で正しい体罰もある」

といった意見もあった。
 
 

転載元転載元: くすのき家の人たち

「朝型人間」は「夜型」より幸せ?

Goo: R25  2012年9月22日(土)11:00


「生活リズム」について話題にするとき、
よく「朝型人間」「夜型人間」なんて言い方をすることがありますよね。
あなたはどちらでしょうか?

若い世代の場合、往々にして「夜型」になりがちなもの。
頭では「朝型のほうがいいんだよな」と思いつつも――
成功した経営者はたいてい「朝型」を推奨しますから――
つい夜更かしをして翌朝後悔する、なんて人も少なくないでしょう。

そんな夜型人間にとって、またまた都合の悪いトピックが、先日、トロント大学から発表されました。
同大学の最新調査によれば、朝型人間のほうがポジティブで幸せだというのです。

この調査は、17〜38歳の435人のグループと、59〜79歳の297人のグループを対象に
「感情の状態」「どのくらい健康か」「1日のどの時間帯が好きか」などについて質問したもの。

その結果、

(1)朝型人間のほうがポジティブな人が多いこと、
(2)若者には朝型が少ないこと、
(3)従って高齢者グループのほうがポジティブな人が多いこと、

が明らかになったそうです。

トロント大はその理由について、夜型人間は「ソーシャル・ジェット・ラグ
(社会的時差ボケ)」にかかりやすいからではないかと分析しています。

「ソーシャル・ジェット・ラグ」とは、簡単にいうと「体内時計」と「社会的時計」のズレのこと。
会社にしても学校にしても、たいていは朝早く始まって夕方(夜)には終了するもの。
つまり朝型人間に合ったスケジュールとなっているので、夜型人間には不利というわけです。

「やっぱり夜型は良くないんだ…」と不安になったみなさん、でもご心配なく。
年をとると朝型に変わるとはよくいわれる話ですが、今回の調査でも、
若者グループには「朝型」が約7%しかいなかったのとは対照的に、
年配グループには「夜型」が約7%しかいませんでした。

そして年配グループは、若者グループより「幸せだ」と感じる人が多かったのです。
どうやら年をとって「朝型」になると、前向きで幸せに感じる人が増えていくのかもしれません。

ということはみなさん。今は「夜型」でネガティブな人も、
年を重ねて「朝型」になれば、やがてポジティブ人になっていけるはず? 
そう考えれば、夜型の人もあながち悲観することはないでしょう。

もっとも今すぐ幸せになりたい人(特に若者)は、
早々に生活リズムを朝型に変えたほうがよいかもしれませんけどね。

(岡 真由美)

Goo: R25 2012年9月22日(土)11:00
「朝型人間」は「夜型」より幸せ?
http://news.goo.ne.jp/article/r25/life/r25-20120921-00026267.html

転載元転載元: Dr ミカのメモ帳: 脳・栄養・心 (発達障害・特別支援教育)

“うつにならない人間関係”の4つのポイント

2012/4/26 19:30
 
うつ病発症の根本要因であり、直接的な原因としてあげられる人間関係。
たとえば、会社に行くとうつになる場合は職場の人間関係が苦しく、
家族といっしょにいてうつになる場合は家族の人間関係が厳しいといえます。

 湯島清水坂クリニック院長で、自身もうつ病の経験がある
精神科医の宮島賢也さんは、うつになる基盤としての要因は、
親から受け継いだ考え方――つまり親子関係にあると述べています。

 ここでは宮島さんが執筆した『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』
(河出書房新社/刊)から、親子関係にも役立つ、うつ病にならない、
またはさせない人間関係の在り方のポイントを4点、ご紹介します。

(1)相手は変えられない、自分も相手に変えられない

 この言葉は患者さんや宮島さんが養成しているメンタルセラピストたちに
向かって、宮島さんが繰り返し伝えている言葉です。
 相手の意思に反して相手を変えようとすることを「外的コントロール」
といいます。
この「外的コントロール」で相手を変えようとすると、逆に相手との
関係を悪くしていきます。同時に、自分も相手に変えられることはないのです。
自分の行動は自分で決められるのです。自分の人生の主役になりませんか。

(2)一緒にいたいなら、「良い」」「悪い」の評価を外して、相手を受け入れる

   一緒にいたいかも見直してみましょう。
無理に一緒にいたり、やりたくない仕事をしていると体が自分を護るため
症状を出してくれます。
症状だけ薬で治そうとすると、原因解決から離れてしまいます。
精神科では重大な決断をさせてはいけないと教えられましたが、
離婚や退職が解決策のこともあります。
ただ、一度決めて戻りにくい決断は慎重に。
先に自分の思考を楽にすることがお勧めです。
 そして、一緒にいるなら、あるがままの相手を受け入れると関係が
穏やかになります。
「良い」「悪い」の評価を外すと、相手を受け入れやすくなります。
一緒にいたいけど、受け入れられないときは自分が笑顔になる
距離を探しましょう。
相手には相手で笑顔になってもらいましょう。
まずは自分を喜びで満たし、溢れる喜びをお裾分けしませんか。

(3)先に変わって“魅せる”、相手が変わるかどうかは相手が決める

 ただ、相手は変えられないといっても、変わって欲しいときも
あるでしょう。
しかし、「自分は正しい。あなたが間違っている」という態度では
相手との関係は悪化します。
 相手に変わってほしいと思うのであれば、自分が先に変わって、
背中を“魅せる”。
相手がいいなと思ったら、変わるかも知れません。
相手が変わるかどうかは相手が決めることなのですから。

(4)義務と責任の関係から、愛と感謝の関係へ

 義務と責任の関係では、人殺しまで起きています。
親殺し、子殺しはなぜ起きるのでしょうか。
自殺者3万人が10年以上毎年続くのはなぜでしょうか。
日本で反抗期がないというと親の抑圧が強いと感じます。
しかし、もう一つ反抗期が無い場合があります。
お子さんの進みたい方向へ、後ろから支援するとき、
反抗は生じるでしょうか。
足を引っ張ったり、前に立ちはだかれば、ぶつかるでしょう。
家庭内暴力はなぜ家庭内なのでしょうか。

 やって当たり前、やらなかったら、どうしてやってくれないの、
なぜ分からないの、なぜ伝わらないの?では、関係は離れるばかり。
やってくれたら、ありがとう。
やれなくても、場合によっては、やらなくても、生きててくれてありがとう。
生まれてくれてありがとうの関係に帰りませんか。

 宮島さんは、義務と責任の関係をなくしませんかと提案します。
子どもが小さいときは、子どもは意に添わなくても親のいうことを
しぶしぶ聞くかもしれませんが、心にしこりが残ってしまいます。

 思春期まで、しこりが蓄積し続けるとどうなるか。
そうならないよう、家族などの人間関係を義務と責任の関係から、
愛と感謝の関係に切り替えていきませんか。
「笑顔」と「ありがとう」が内面から飛び出すような関係が、
うつを予防し、健康で幸せなる秘訣なのです。

 本書では、宮島さん自身のうつ病の経験から、うつ病で悩む人、
その周りの人に優しく呼びかけるように、考え方の変え方や
健康で幸せになる在り方を教えます。
一番の特徴はうつを病気にせず、「抗うつ薬」を使わずに、食生活、
思考、人間関係の改善などを通して、うつから教えてもらい、
健康でさらに幸せになるというもの。

 誰にでもうつ病を発症する可能性はあります。
特にストレス社会といわれる現代、しつけや学校教育の中で自分を
押し殺すことが良しとされる社会では、昨日まで会社に行っていた人が、
突然出社できなくなることもあるといいます。

 うつ病の予防や治療は、医師に頼るものでなく、自分の食生活や
考え方、人間関係を変えること、温かい人間関係が大切です。
そんなとき、まずは人間関係が苦しくないか、一度見直してみては
いかがでしょうか。
(新刊JP編集部)

転載元転載元: くすのき家の人たち

自己愛性人格障害

■特徴
1. 自己の重要性に関する誇大な感覚。
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちにしか理解されない。または関係があるべきだ、と信じている。
4. 過剰な賞賛を求める。
5. 特権意識。つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由無く期待する。
6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない。またはそれに気づこうとしない。
8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。 
9. 尊大で傲慢な行動、または態度。


DSM-Ⅳ-TR 精神疾患の分類と診断の手引き より


自己愛性パーソナリティ障害(人格障害)は上記のうち5つ以上当てはまります。

細かく特徴を列挙すると、
・非難に弱い。あるいは非難を全く受け付けない。
・小さな過ちであれ、欠点を指摘されることは全てを否定されるように思える。
・非難から逃れられないと悟ると、すべてが台無しになった思いに駆られ、ひどく落ち込む。
・人に教えられるのが苦手。他人に新米扱いされたり、しかられることはプライドが許さない
・成功を収めていても、少しの悪評でひどく傷つく。
・非難によって欠点が暴露されることを恐れて引きこもることもある。
・自らを不遇の天才と考え、かしずく者(親、配偶者)にだけ王の様に君臨して、顎でこきつかう。
・第一印象がとても魅力的で好感を持たれることが多い。
・現実問題の処理が苦手
・対人関係は自分へ賞賛を送るファンたちか、自分の代わりに現実を処理してくれる依存対象の二種類を求める。どちらでもなくなると容赦なく捨ててしまう。
・他者とは特別な存在である自分のために、なんらかの奉仕をする人だと思っている。
・他者に対する共感性の欠如。
・肥大した自己愛的理想と、卑小な現実のギャップに苦しみ、自分の小さな世界に閉じこもったり、対人関係を避けてしまう
・うつ病の2割近くに自己愛性パーソナリティ障害がある。
・薬物乱用の傾向
・自分の才能や能力に他者が妬んだせいで挫折したというような被害妄想を抱きやすい

■接し方のコツ
・相手の嫌な側面のことは一旦問題にせず、賞賛してあげる。
 そうやって認めてもらい、その上で相手の偉大さを傷つけないように助言してあげると耳を貸すだろう。
・自己愛性パーソナリティの人を動かすには義務や道理を説くより、不安や嫉妬心、功名心を刺激する。
・自己愛性パーソナリティの人は基本的に小心で、嫉妬深く、負けん気が強いので、
 さりげなく行動しなかった場合に生じる、不利益な事態に触れたり、競争心をつつくだけで、
 有効な動機付けとなる。

■克服のポイント
・自己愛性パーソナリティの人が最も苦手なことは謙虚に他人の言葉や教えを聞くことなので、
 それが出来るように心がける
・現実処理能力に乏しいので、その弱点を補完しあえるパートナーを得る
・集団で協力するのが苦手なので、チームプレーが必要とされるスポーツや活動に関わって克服すること。
・自己愛を他者への愛に昇華させる。

以下、とても重要な部分だと思うので、そのまま引用します。
自己愛性障害を抱えた者は、しばしば、それまでの価値やしがらみを捨て、新しい自分を再確立する試みに向かおうとする。(中略)
いったんすべてを投げ打って、一から作り直す過程を経ることで、自己愛者は、自己への囚われを超えた、別物に変わりうるのである。あるいは、その道中で、補完し合うパートナーにめぐり合うこともあるだろう。遍歴過程と再構築は、ある意味、親から与えられた既製服の自分を脱ぎ捨て、自分が主体的に選び取った装いに、身をまとい直す過程ともいえるだろう。
このいったん裸になって、もう一度自分の意志で身につけるという段階が、自己愛性障害を持った者が生き直す上で、重要なように思える。

この過程は自己愛性パーソナリティの人に限らず重要だと思います。
その過程にに大きな痛みと時間がかかる人も居れば、すいすいと身にまとえる人もいますよね。
喪失と再構築。
そのまま村上春樹の小説のテーマみたいな感じですが、その繰り返しを行うことに
踏み出せるかどうかが、自分自身の生き辛さを昇華していくことに繋がるのではないかなぁと。

以下、自己愛性チェックです。

■自己愛性チェック
1)自分には、世間の人が気づいていない才能や優れた点があると思う。
2)大成功をして有名になったり、理想の恋人と出会うことを夢見ている。
3)自分は人と違ったところがあり、特別な人間だと思う。
4)周囲からの賞賛が、何よりも励みになる。
5)多少の無理でも、自分の望むことは、たいてい聞いてもらえることが多かった。
6)ほしいものを手に入れるためなら、他の人を利用したり、うまく言いくるめるくらいの自身はある。
7)自分勝手で思いやりがないところがある。
8)友人や知り合いの幸せを見ると、内心妬ましくなることがある。
9)態度が大きいとか、プライドが高いと思われている。

5つ以上で診断基準に当てはまる可能性があります。

参考リンク
自己愛性人格障害 - Wikipedia
最近増えた「ちょっとおかしな」人々 (パーソナリティー障害)
■7. 【自己愛性パーソナリティー障害】の診断基準


 
自己愛性パーソナリティ障害
(じこあいせいパーソナリティしょうがい、英語: Narcissistic Personality Disorder)とは、
ありのままの自分を愛せず、自分は優越的で素晴らしく特別で偉大な存在で
なければならないと思い込むパーソナリティ障害であるとされる。
過度に歪んだルールである内的規範が弱いケースであるため、精神病的に扱われる事もある。
1968年に明確にされ、歴史的に誇大癖 と呼ばれた。自己中心性に強く関連している。
 
概要 [編集]
境界性パーソナリティ障害とセットにして扱われる事もあるが、
自己愛性パーソナリティ障害の方が内的規範は比較的高いとされる。
また、境界性パーソナリティ障害の回復期には、一過性の自己愛性パーソナリティ障害を
経るケースが多いという報告もあり、より安定した状態であるとも考えられる。
これとは逆に、自己愛型防衛に失敗した自己愛性パーソナリティ障害の患者が、
境界性パーソナリティ障害同様の状態を呈した例も報告されている。
自己愛性パーソナリティ障害はどちらかと言うと男性に多いとされる。
WHOICD-10では正式な精神障害としては採用されていない。

臨床像

  • 内的には不安定であるにもかかわらず、誇大的な自己像や積極的な自己顕示により、「頭がいい」「仕事ができる」「表現力がある」といった長所を持つと思われることが多い。そのため、彼らが不適応行動を起こしたとき、周囲の人は意外な感じを持つことが稀ではない。
  • 自分について素晴らしい理想的な自己像(誇大的自己)を抱き、自分は他人より優れた能力を持っているとか、自分は特別だと思い込んでいる。うぬぼれが強い。
  • その背後で、常に深刻な不安定感や頼りなさを経験し、本質的には他者依存的である。自尊心を維持するために、絶えず周囲からの称賛・好意・特別扱いを得ようとする(アルコール依存症患者が酒を求めるように)。あるいは、自分が理想とするような権力や能力のある人に頼り、まるで自分がその人であるかのように考えたり振る舞ったりする。
  • 自己肯定感や自尊心が高まっているという感覚を、一定の期間維持することができる。この感覚が自分を支配しているとき、自分が傷ついたという、弱い一面を持っていることにほとんど気付かない。しかし、誇大的な自己像が傷つけられるような体験をすると、一転して自分はだめだ、価値がない、無能だと感じる。自分についてもある一つの体験についても、よい面もあれば悪い面もあるといったとらえ方ができない。
  • 自分に向けられた非難や批判に対し、怒りや憎しみを持つか、屈辱感や落胆を経験する。これらの感情は必ずしも表面にあらわれず、内心そのように感じているということがしばしば。自分に言い聞かせて自分を慰めることができない。誰か他の人に慰め、認めてもらわないと、自分を維持できない。否定をされるとそれを受け入れられずに現実逃避し、嘘や詭弁で逃げようとする。そのため失敗について本当に反省したり、そのときのつらさや痛みを認識する能力に欠けている。失敗(あるいは批判)から新しく何かを学ぶことができない。
  • 次から次へと際限なく成功・権力・名声・富・美を追い求めており、誇大的な自己像を現実化しようと絶えず努力している。しかし上記のような考え方の偏りにより、その過酷な努力を社会的成功に結び付けられないことがある。能力がない自己愛者は、より退行した形で他者からの是認を求めようとする。
  • 誇大的な自己像を思い描き、その空想的な思い込みの世界に浸っている。他者と関係を持つにしても、それは自分の自尊心を支えるために人を利用している傾向がある。本当の意味で他者に共感したり、思いやりを持ったり、感謝したりすることができない場合が多い。(もっとも言語的表現力がしばしばあるので、うわべだけの思いやりを示すことに長けている)。表面的な適応はさておき、他者との現実的な信頼関係を持つことができない。
  • 自己愛性パーソナリティ障害の人は、良心に乏しく利己的な人間である[1]

診断基準

DSM-IVでは誇大な感覚、限りない空想、特別感、過剰な賞賛の渇望、特権意識、
対人関係における相手の不当利用、共感の欠如、嫉妬、傲慢な態度のうち5つ以上が
当てはまることで示されるとされている。
  • 自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
  • 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
  • 自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
  • 過剰な称賛を求める。
  • 特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
  • 人間関係で相手を不当に利用する。つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
  • 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。
  • しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
  • 尊大で不遜な行動、または態度。
※以上の傾向は性格的特長と病気との判別が難しく注意を要する。
また、そのボーダーラインは一般社会生活を円滑に営むことができるかどうかにある。

 要点部分

5つ以上が当てはまると自己愛性パーソナリティ障害の可能性がある。
 
 
 

転載元転載元: くすのき家の人たち

「ウツ」が治るとは、元に戻ることではない
――新しく生まれ直す“第2の誕生”
――「うつ」にまつわる誤解 その(24)
 
 
「うつは本当には治らない」「うつは再発しやすいものだ」といった認識が、
依然として、あちらこちらでささやかれ、信じられているように見受けられます。
これらは、「治る」ということを「元の状態に戻ること」と捉えて行なわれている
治療のはらむ現実的な限界を多くの人が見て、流布されるに至った残念な風評です。
 
 第4回でも触れましたが、repair(修理)ではなくreborn(生まれ直し)
あるいはnewborn(新生)といった深い次元での変化こそが、
真の「治癒」には欠かせません。
この変化を「第2の誕生」と呼ぶことにしましょう。
 
 最終回の今回は、その「第2の誕生」とはどのようにして可能なのか、
そこからどんな生き方が始まっていくのかということについて、触れておきたいと思います。

「自力」と「他力」

 仏教では、よく「自力」と「他力」ということが言われます。
「自力」は自分の力を頼みにしている在り方を指し、
「他力」は仏の力によって導かれることに開かれた状態を指しています。
 
何度も用いてきた「頭」「心」「身体」の図で考えてみると、
「自力」とは「頭」の知力や意志力を頼みにしている状態であり、
一方の「他力」は、大自然由来の「心」(=「身体」)にゆだねた状態と
見ることができます。
そう考えてみると、さしずめ「うつ」とは、「自力」が尽きた状態に相当すると
言えるでしょう。
 
 ある日突然に朝起きられなくなる、会社に行こうとして自分に号令をかけても
身体が動いてくれない。
「うつ」の始まりによく見られるこのような状態は、「頭」が命令しても、
もはや「心」(=「身体」)がストライキを起こし従ってくれなくなった状態と
理解できます。
 
 第12回でも触れましたが、「うつ」に陥りやすい人は、この「自力」を
頼みにして自らに努力や忍耐を強いてきた場合が多く、それがある時点で
破綻してしまったのが「うつ」状態なのです。
 
 仏教学者の鈴木大拙氏は、「自力」と「他力」について、こんなことを述べています。
 自力というのは、自分が意識して、自分が努力する。
他力は、この自分がする努力は、もうこれ以上にできぬというところに働いてくる。
他力は自力を尽くしたところに出てくる。
窮すれば通ずるというのもこれである。〈―中略―〉底の底まで進んで
破れないというところまで進んで、やがて自力を捨ててしまう、
そして捨ててしまったところに、自然に展開してきたところの天地、
その天地というものは、やがてまたわれわれの客観界ではないのか知らんと思う。
あるいは絶対客観とでもいうべきであろうか。(『禅とは何か』春秋社より)
 
 さて、ここで述べられている「自力を尽くしたところに他力が働いてくる」
ということを、「うつ」について当てはめてみると、どんなことが見えてくるでしょうか。
 

「自力」の根を取りきれるかが重要なポイント

 通常、「うつ」状態に陥った時点で、患者さんはまだ「自力」を捨て
去ってはいません。
「頭」は、そう簡単には自己コントロールの主導権を「心」(=「身体」)側に
明け渡そうとしません 。
 
 それゆえ、動かない自分を嫌悪し再び鞭打って動かそうと焦ったり、
休まざるを得ない自分を「価値がない」と否定的に捉えたり、
罪悪感を抱いたりすることになりやすいのです。
 
「心」(=「身体」)がストライキを起こして意欲も出ず、動けなくなっているにも
かかわらず、「頭」が最後の意地を張り続けているこの状態が、
治療においてもっとも根気の要る時期です。
 ここでいかに徹底して「自力」の根を取りきれるかが、その後の経過を
左右する重要なポイントになります。
 
 ある程度の期間休養することによって、エネルギー自体は回復するので、
一見状態が改善したかに思われがちです
しかし、「自力」の要素が残った状態で急いで社会復帰を行なってしまうと、
発病前の「頭」支配の体制に逆戻りしやすくなってしまい、どうしても
再発のリスクを残してしまうのです。

「動けない」から「動かない」へ

「動けない」「何もしたいと思えない」「起きられない」などの表現が出て来て
いるうちは、まだ「自力」の要素が色濃く残っていることがわかります。
つまり、いずれも「動くべきである」「何かしたいと思うべきである」
「起きられるべきである」といった「頭」由来のmustやshould系列の考え方
第1回参照)がまだ前提になっていて、それが実現しないことを「頭」が
嘆いている状態なのです。
 
 これが次第に、「動かない」「何もしたくはない」「起きたくない」といった
「心」由来のwant to系列の表現に変わってくると、療養が良質なものになって
きたことがわかります。
そこからさらに、「こんな風に何もしないで過ごすのは、何て快適なんでしょう」
「このままずっと休んでいられたら幸せだろうなあ」といった感じで休むことが
満喫できるようになってくると、やっと「自力」が尽きて、「他力」にゆだねた状態に
なったと見ることができるのです。
 

「他力」の現われとして、自然な意欲が湧き上がってくる

「自力」が尽きたところに、徐々に「他力」が現われ始めます。
それはまず、療養に身をゆだね、休んでいることを安楽に感じるところから
始まりますが、これが次第に、療養していることに退屈を感じるようになり、
好奇心も少しずつ発動するようになっていきます。
 
 
 このようなプロセスを踏んで現れてきた意欲は、「心」(=「身体」)が自然に
生み出したものなので、「頭」が焦燥感を偽装して作り出した「偽の意欲」とは違い、
これに従って活動しても、まず問題は生じません。
 
 このような自然な意欲にもとづいてなされた社会復帰は、再発のリスクを
残さない最も望ましい形であり、周囲の人から見ても明らかに安心して
祝福できる様子になっているものです。
 
 しかしこのようにして実現する社会復帰は、はじめにも述べたように、
「元に戻る」こととは一味違っているものです。
 
 それは決して、同じ職場に戻ったり同じ学校に戻ったりするのではない、
という意味ではありません。
たとえ見かけ上同じ所に戻った場合でも、本人自身が内面的に大きく変化を
遂げているという意味で、「元に戻る」のではないということなのです。
 

数々の思い込みが再検討され、人間としての成熟が始まる

 この内面的な変化とは、「頭」の意志によって何でもコントロール可能だと
思い込んでいた驕りが捨て去られ、大自然の摂理で動いている「心」
(=「身体」)に対し「頭」も畏敬の念を抱くようになり、その大いなる流れに
身をゆだねる生き方に目覚めるということです。
それは、近現代の人間中心主義から離脱するような大きな世界観の変化で
あると言うこともできるでしょう。
 
 この変化により、以前には見えなかったものが新たに認識されるようになります。
 
 たとえば、「適応」することイコール「正常」であると信じていた思い込みが
脱落し、「適応」とは「麻痺」の別名でもあることが見えてきたり、
よく言われる「何だかんだ言って、メシが食えなけりゃ始まらないだろう」といった
言い方の中にも、人間を骨抜きにする毒素が巧妙に混入されていることが
透けて見えてくるようになったりします。
 
 このように「自力」から「他力」に抜け出ることによって、生来すり込まれてきた
思い込みの数々が再検討され、ものごとの真の姿を新たに捉え直す働きが
起こってきます。
 
 金銭・名誉・出世などへのこだわり、他人からの評判を気にする神経症性、
表面的な人間関係にとらわれたり孤独を恐れたりして群れようとする傾向、
無批判な組織への忠誠心、成果主義に振り回されて効率を追い求める
非人間的環境、等々への疑いや幻滅が次第に明瞭になり、
そこから離脱したまったく別種の価値が見出されるようになっていくのです。
そして、生きるうえで価値を置く優先順位が、ダイナミックに変化することになります。
「第2の誕生」とは、このように内面的な大変革が起こることを指します。
しかし、それを経たからといって、その人が仙人のような浮世離れした
生き方をすることになるわけではありません。
 
 現実社会の中で日々を過ごしながらも、そこに充満している手垢のついた
価値観に振り回されたり、時代の風潮に流されたりすることなく、
曇りなく自分が感じ取ったことをもとにして、自分自身で丁寧に考えるような
在り方に変わるということなのです。
つまり「うつ」は、現代における重要な覚醒の契機の一つと見ることができるのです。

転載元転載元: くすのき家の人たち

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