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熊本県から九州各地に延びる旧街道の起点は熊本城のすぐ南の新町にあります。職場の近くです。 写真はその跡に立つ碑で、里程元標跡です。 ここから、福岡、北九州方面に向かう豊前街道、大分方面の豊後街道、鹿児島方面の薩摩街道、宮崎方面の日向往還の四つの旧街道がはじまります。 現在、豊後街道を歩いていますが、歩き始めたのは1年ほど前のことになります。 歩いたのはまだ阿蘇までですが・・・(^^;) 東海道では、日本橋が江戸の起点です。 日本橋は他の中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道と合わせ、五街道の起点として有名ですね。 かつて豊前街道と豊後街道は、ここから北に進んで、熊本城内の一角を通っていたとのことです。 街道が城内を通過したり、城のすぐそばにあるということは、城の防衛上好ましくなく、一般的ではありません。 しかし、このことが後の西南の役で大きな意味を持ちました。 熊本城とそこに駐屯していた鎮台(今の自衛隊方面隊でしょうか)の存在が薩軍の北上の大きな妨げになりました。 この記念碑の周辺は最も激しい戦いがあったようです。 結局、薩軍は、加藤清正が築いた難攻不落の熊本城を落とすことができず、 分散した兵力で南下する官軍と田原坂など熊本県北部で戦わなければなりませんでした。 薩軍の兵力が分散しなければ西南の役の戦況は大きく変わっていたことでしょう。 豊後街道を歩き終えたら、またここから別の街道を歩き始めたいと思います。 (その時に熊本に住んでいれば、の話ですが) まだ北か南か歩く方向を決めていません。
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熊本城の役割は大きかったんですね〜。
そして、街道が場内を通ると言う変わった形は、清正の先見の明なのかもしれませんね。
2009/5/21(木) 午後 9:38
田原坂、熊本に住んでいたときに何度か福岡からの特急の車窓から見ました。西南の役の激しい戦いがそこであったんですね。石碑などをみて歴史を感じるのもいいですよね。
2009/5/21(木) 午後 9:40
ちょっとマジメに考えて。歴史上、熊本が九州の中心になったことは一度もないと思うのですけど・・・。
どうして主要街道の起点になったのでしょうね?
また歴史の勉強しないと(笑)
2009/5/21(木) 午後 9:52
>現在、豊後街道を歩いていますが・・・。
そうだねー、小生も鎌倉街道の続きを歩かなければならないのだが、そのままになってしまっている。
2009/5/22(金) 午前 8:44
西南の役によっては、私達まだチョンマゲ結ってたかな?。
なんて。。。
2009/5/23(土) 午後 11:33
シビさん☆
西南の役では、熊本城の存在が大きかったと思います。
加藤清正が薩摩を意識した可能性があります。
それが結果的に明治時代になって意味を持ったということですね。
2009/5/24(日) 午前 10:17
Youkoさん☆
鹿児島本線から見えますね。
西南の役の戦闘は、激戦と言われるのは、田原坂、熊本城、阿蘇などの北部熊本県で繰り広げられ、そのご、薩摩が南下するときに宮崎、鹿児島で戦闘が行われています。
そういう歴史の上に今の時代があるんですよね。
2009/5/24(日) 午前 10:25
LUNさん☆
熊本から街道が整備されたような誤解を与えた文書を私が書いたことに問題があるようです。
熊本は九州全体の経済文化の中心と言うことでなく、地理的に九州の真ん中ですので、結果的に九州各地・各藩からの街道が集まっていたということです。
(九州の街道は、政府直轄の街道ではないので、各藩の責任・事情で整備され、その結果、地理的な中心である熊本に街道が集まったと言えると思います。)
それは今でも同様で、特に南九州に対しては、熊本も道路交通の拠点となっています。
2009/5/24(日) 午前 10:53
にこにこのおじさん☆
ぼちぼちやりましょうよ♪
街道は逃げませんから(笑)
2009/5/24(日) 午前 11:02
写楽風・恵さん☆
もし歴史が変って、そうなっていたら、ちょんまげは、手入れが大変そうで、不精な私はすぐに不良扱いされそうです。(^^;)
2009/5/24(日) 午前 11:14