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今日、福岡県の筑豊地方へ行ってきました。お仕事です。 とても暑い一日でした。 福岡市内の高速道路が先日の大雨で土砂崩れを起こし通行止めとなっているため、遠回りして行きました。 最初の目的地は飯塚市です。熊本から2時間半程度かかりました。 トップの写真は打ち合わせを行った事務所の窓から飯塚市内を撮ったものです。 事務所で、現地の人と資料の整理や意見交換をしました。 次の写真は、そこから20分ほどの場所です。のどかです。 ここが現場になります。 昼飯は事務所近くのホテルの和食屋さんで食べました。 一緒に行った人みんな、写真のうなぎのランチを頼んだので、私も他力本願的に同じ料理に。 約千円でした。 味は普通でした。量が少なめで、熊本に戻る時には腹が減ってしまいました。 出張に出かけると、一緒に行った人と食事をするので、 いつものカップラーメンとおにぎりという昼食とは大きく違い栄養があります。 最近出張が多かったので、お腹が出てきました(笑) あさってからお盆ですが、仕事です (^^;) (この記事も勝手ながら記事投稿のみとさせて下さい)
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九州
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8月6日長崎市に仕事で行きました。大変暑い日でした。 出張は日帰りで、高速バスで片道3時間半をかけて熊本から行きました。 前回長崎での食事は長崎中華街で「ちゃんぽん」を食べたので、 今回の昼食は、長崎で有名な「トルコライス」をレストラン メイジヤというお店で食べました。 この料理は、ピラフとスパゲッティに豚カツがのった料理で、特にトルコ風の料理ではありませんが、 長崎では洋食のレストランでは一般的なメニューとなっているようです。 ここの店で食べたトルコライスは、ピラフはカレーピラフで、スパゲッティはナポリタン、とんかつはサクサクとしてデミグラスソースがいい感じです。 それぞれの味がしっかりしてて美味しかったです。 この料理がなぜトルコライスというのか良くわからないようです。 仕事は無事に終わり、帰りのバスまで少し時間があったので、 バスセンター近くの26聖人殉教の地に行きました。 急な上り坂を上って行きます。ここを訪れるのは何十年ぶりでしょうか。 写真に並んでいる26人の聖人は、豊臣秀吉の命令により京都や大阪でとらえられた外国人宣教師を含むキリスト教徒で、慶長元年(1597)2月5日に、ここで処刑されたそうです。 後にこの出来事がヨーロッパに伝えられ、ローマ教皇は、26名の殉教者を聖人に列したとのことです。 平和記念公園や原爆資料館にも行きたかったのですが時間がなくて行けませんでした。 平和記念像の写真はフリー写真から頂いたものですが、載せて、原爆のことを書きたいと思います。 今日は長崎に原爆が投下された日です。(日付が変わり昨日となりましたが) 一発の原爆投下により、平和に人々が暮らしている街、歴史的な素晴らしい街は一瞬で破壊され、 多くの方々が亡くなられました。今も被ばくの後遺症で苦しんでいる方が多い状況です。 核兵器の使用だけでなく、無差別殺戮が二度と起こらないことを心から望みます。 ウィキペディア(抜粋)
広島の3日後の1945年8月9日午前11時2分、B-29(ボックスカー)が長崎市に原子爆弾ファットマンを投下した[9]。 投下地点は長崎市北部の松山町171番地[10]テニスコートの上空であった。当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった。 |

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コメント(9)
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時々降る大雨の中、仕事で鹿児島へ行きました。 新幹線で行けば早いのですが、資料を運ぶ必要があり、また経費節減の意味もあります。 途中、高速が通行止めになりはしないかとか、無事に着けるかとかハラハラしましたが、 鹿児島県に入ると雨は小降りになりました。 途中、桜島SAで早めの昼食をとりました。 「なるべく当地の美味しいものを食べる」という一連の九州遠征のテーマにそって、 頼んだのは、薩摩ラーメン&黒豚が一度に楽しめそうな黒豚ラーメン。777円。 見た目は美味しそうでしょう。(写真も美味く撮れてるし) しかし、その味は、うちの職員食堂のラーメンの方が美味しいと思わせるレベル。 スープは豚骨ですが、インスタントラーメンぽい、くせの全くない味。麺はチャンポン麺みたいな感じ。 ただ、チャーシューは黒豚が使ってあるようで美味しかったです。 専門店に行けば良かったんですが、時間に余裕がなかったので、駐車場完備のここにした訳です。 今度鹿児島に行くことがあれば、ラーメン専門店で薩摩ラーメンを食べて改めて報告します。 さて、車は鹿児島市内のホテルに無事につき、会議も無事終了です。 その頃には天気も回復してきて、桜島が姿を現してきました。 上の方まで見えなかったのは残念です。桜島の全姿はこれもまた次の機会ですね(笑) 熊本に戻ってきたのは夜の8時ごろでした。 明日の予報は晴れです。そろそろ梅雨もあけるのでしょうか。
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先日の記事で夏目漱石の引越は多いと書きましたが、自分も結構住んだ街が多いので、振り返ってみようと思います。 私は転勤族で、また父親も転勤族でしたので、これまで合わせて14の街に住んでいます。 その中で一番長いのが今住んでいる熊本市で通算11年です。 引越は市内を含めて20回以上になります。最近の引越しは2〜3年に1回のペースです。 このため自家用車のナンバープレートは県外ナンバーで走ることが多いです。今も県外ナンバーです。 これまで住んだ街を北から紹介します。(年は居住年月です) 札幌市 (学生) 1年 千葉県柏市 (社会人) 4年 千葉県松戸市 (学生) 1年 東京都東久留米市 (社会人) 2年 東京都調布市 (学生) 約3年 東京都狛江市 (学生) 約1年 横浜市(西区・港南区) (社会人) 3年 福岡市 高校(予備校) 1月 熊本市 (社会人) 通算11年 宮崎県日向市 (幼児〜小学校) 10年 〃 木城町 (出生〜) 約3年
〃 都城市 (中学、社会人) 3年
沖縄県浦添市 (社会人) 3年〃 日南市 (中学、高校) 5年 住んだ街の地図も載せておきます。赤丸が住んだ街です。 地図で見ると偏りがありますね(笑) それぞれの街ごとに色々な想い出があります。 そろそろ引越も億劫になってきましたが、いずれまたどこかの街にすむことになるでしょう。 次はどの街に住むのでしょうか。 最後に、出生の地の写真を紹介します。 3歳まで住んだ木城町中之又です。現在過疎化がとても進んでいる地区です。 赤屋根の建物は、今年の春に廃校になった小学校です。 中之又地区では、山村留学で小学校の存続や地区の振興を図ってきましたが、地元の小学生が昨年度2人(1人卒業)となり、今後入学が見込めないため、ついに廃校となりました。 これから新たな振興を図ろうと、中之又の皆さんは頑張ってます。 この写真は、中之又振興の中心的な活動を行っている、いとこのブログから借りました。 |
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最近仕事で福岡に行くことが多いです。 昨日は熊本から高速バスで行きました(2時間ほど)。二週続いての福岡です。 小雨が時々降る天気でしたが、思い出の場所を訪ねたかったのです。 向かったのは、昔短い期間でしたが通ったことのある予備校です。 何十年ぶりだろうかと思いながら近づいていくと、懐かしい建物はありましたが、 予備校は廃校になっていました。 (家で調べると10年ほど前に廃校になっていることがわかりました。) 時代の流れを感じました。 ここにあった予備校で、高校三年の夏季講習に一月ほど通いました。 私は宮崎の田舎の県立高校に通っていました。 予備校に行く直前の期末試験では、私は40数人のクラスで最後から2番目、全体130名中ラスト10という絶対的な落ちこぼれでした(笑)。 その落ちこぼれ生徒にある日異変が起きました。 失恋でした。春からつきあっていた同じ部活(美術部)の子にふられました。それもあっさりと・・(^^;) 失意の中で、「よし、有名大学に入って見返しちゃる」という単純な考えが浮かび、予備校に行く決意となりました。 親に無理を言って、当時九州では有名だった福岡の水城学園に行かせてもらいました。 福岡では人が変ったように勉強しました。 予備校の教師の熱意と教え方は、無気力な先生と生徒が集う高校とは全く違っていて、目から鱗が落ちる思いがしました。 また、いろんな地域から同じように勉強するために来ている人とも知り合いになれて、初めて世間を知ったような気がします。 宮崎に戻り、しばらくして実力テストがありました。 なんと130名中2番になりました。 私は失恋とここにあった予備校のお陰で大学に入ることができました。 私をふってくれた女性に感謝してます。(心からとは言いたくないですけどね) 勉強の仕方を教えてくれた予備校には心から感謝してます。 話は違いますが、福岡と熊本の間は、JRの特急で行くと1時間半程度です。先週はJRで出張しました。 2年ほどしたら新幹線が熊本福岡間にも開通します。そしたら40分ほどで着くようです。 その時間なら寝れませんね。 昨日の福岡での仕事は順調に終わり、結構早い時間に熊本に戻ることができました。 近いうちにまた福岡に行くことになりそうです。 今度は博多名物を食べたいです♪
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