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横浜から「羽州街道」を探訪したいと
4名の女性が来てくれました。
羽州街道の起点から
上山まで歩いていくそうです。
自分は福島県内を案内させていただきました。
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羽州街道
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羽州街道を歩きます。つづき・・・
5/21羽州街道の起点・福島県桑折宿を出立した 香川県高松市の高野さん(70)ですが、
翌日には宮城県七ヶ宿町・関宿を出立し、
山形県に入ったようです。
写真は山形県上山市・楢下宿のめがね橋で
上山市の山口さんが案内された時の様子が送られてきました。
今日は今頃、山形県天童市を出立したころではないかと思います。
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羽州街道を歩く方がいます・・・
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羽州街道・金山峠を過ぎて間宿(あいのしゅく)金山宿を過ぎるとすぐ
楢下宿(山形県上山市)があります。
出羽国に入って一つ目の宿場です。
宿場に入る手前付近に「楢下宿の一里塚」があります。
一里塚というと半円形の土が盛ってあるのですが
おそらくそれは取り除かれ石碑を後で建てられたのでしょう。
この楢下宿の一里塚は羽州街道が奥州街道から分岐してから
12番目にあたる一里塚のようです。
つまり奥州街道・桑折宿から約48kmということになります。
桑折宿で車のナビを操作し
「距離優先」とするとこの街道が表示されます。
昔の人はすべてお見通しだったと改めて感動しました。
一里塚を過ぎると「脇本陣・滝沢屋」があります。
これは移築された民家です。
一里塚を過ぎると「番所跡」がありました。
これは最近造られたもので以前はなかったと思います。
でもあった場所は間違いないと思います。
ということは、ここが宿場の出入口ということかな?
番所跡を過ぎると「新橋」通称・新町めがね橋の上を通るようになります。
この橋は明治13年ごろに造られてもので
主要街道だったこの道がとても重要だったことがわかります。
ちなみにこの橋は土木学会の選奨土木遺産に認定されています。
新橋のすぐ近くに「庄内屋」があります。
庄内屋は庄内藩主が常宿として利用されていたと言われる宿のようです。
煙草盆など拝領品が今も残されており、藩候の宿札も残されているようです。 庄内屋は楢下に残された家屋の中でも 一番古い建物のようで18世紀に建てられたと推測されています。
庄内屋を過ぎると次は「大黒屋」があります。
間口10.1m、奥行17.5mの屋根の形状もそのまま残り
部屋の仕切りなど古い形がよく保存されていて 以前、自分はこの中で会議したことがありました。
大黒屋を過ぎるとまためがね橋・覗橋(のぞきばし)があります。
この橋は明治15年ごろに架けられた橋のようで
これも選奨土木遺産に認定されています。
最近になり楢下宿の外側にバイパスが造られました。
この宿場を通る機会も少なくなってきたのですが
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羽州街道を陸奥国から出羽国に入る峠を
金山峠と言います。
今でも宮城県七ヶ宿町と山形県上山市の行政境にもなってます。
ここから出羽国です。
また降った雨は日本海へと流れます。
じゃあそま反対は・・・というとこんな感じ。
降った雨は太平洋へと流れます。
ちなみにここまでが上山藩。
ここからが伊達藩です。
この峠には元禄4年(1691)に秋田の
久保田藩佐竹公が寄進したと言われる不動尊堂があります。
旅人らは道中の安全を祈願したのでしょう。
ちなみに羽州街道を参勤交代で通った大名は13藩と言われてます。
羽州街道金山峠から出羽国に入る旧道は
この写真の真ん中辺りから下って行くようになります。
とても険しい峠だったようです。
今の道路は右側を通ってますが
宮城県から山形県に入ると道幅が狭くなり
大型自動車は通行止め
普通車もすれ違うことが厳しいくらいの
とても狭い道路です。
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