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年度末になり何かと気忙しくなって
ブログの更新もままならなくなってます。
ただラーメンだけは欠かさないようです。笑
ということでこれは白石市にある「中華亭」の
チャーシューメンです。
その上は普通の中華めんです。
ここを訪れるのはおそらく10年ぶりくらいかも・・・
ほんとは「味噌タンメン」を食したかったのですが
もうなくなりました〜
ということでいかにこの店が繁盛しているのかわかります。
この時間(午後3時頃)にはさすがに
並んでいる人もいなかったのですが
昼時になると行列ができます。
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宮城路
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一度お会いしてみたかったと思ってた
「伊達武将隊」
にお会いすることができました。
この日の伊達武将隊のメンバーは
伊達政宗
片倉小十郎
支倉常長
くの一・秦
足軽・与六
足軽・風太
この日は「伊達政宗様検定試験」がありました。
全8問中、6問以上が合格で
合格者には「政宗様」から「花丸」と「花押」が
いただけるとあって追っかけの方々も
真剣な表情で試験に取り組んでました。笑
試験は結構難しかったようで
150名くらいの受験生?の中で
合格者は6名くらいだったようです。
ということで
政宗様のセキレイの花押と花丸を
いただいてきました〜♪
ぎりぎり合格でした。
2問目訂正しなければ
7問正解だったのに・・・(^^;) |
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仙台七夕まつり最終日、用事があったので久しぶりに観ることが出来ました。
今年は特別な想いがあるようで、仙台駅周辺から一番丁まではごった返していました。
例年よりも七夕飾りが多く感じられました。
東日本大震災からもう1年5か月が過ぎようとしていますが、
被災地ではまだほとんど復興が進んでない様子です。
地震自体が大きかったのと途轍もない大津波が押し寄せたので
海岸に住むという観念が消極的になっているせいもあると思います。
宮城県の津波被害に遭ったところへ復興に向かって拠点になっているのが
この仙台であって、ここは大きな賑わいを見せてるようです。
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「我孫子の陣貝」
この陣貝は元々会津の蘆名家に伝来したもののようです。
天正17年(1589)、伊達政宗と蘆名義広が摺上原(福島県猪苗代町)で
戦った際に伊達家家臣の片倉家の家臣が
蘆名家家臣・我孫子彦之丞と戦って手に入れたもので、
その後、合戦の報償として政宗より片倉小十郎景綱に下賜されたものということです。
「片倉小十郎景綱」肖像・猪野謙山筆
片倉小十郎と言えば、代々当主が踏襲し名乗ったが
景綱が初代で、関ヶ原の合戦後、
主君・政宗が仙台藩主になると一国一城令が敷かれる中、
特例として残された白石城13000石の城主を賜った伊達家屈指の家臣です。
景綱は伊達氏の対外交渉における取次ぎなどを担当し、
伊達政宗の発給した外交文書の多くには景綱の副状が添えられているそうです。
伊達家中では「武の伊達成実」と並んで、「智の片倉景綱」と呼ばれた人物です。
妻が子を懐妊したときに主君・政宗にはまだ子がいなかったのを憚り、
実子を殺害しようとしたそうですが、政宗の説得により留まったと言われています。
景綱の知才は、天下人・秀吉にも高く評価され、
奥州仕置のとき秀吉は景綱を直臣に迎えようとして
三春5万石の大名に取り立てようとしたそうですが、
景綱は政宗への忠義を選んで辞退したそうです。
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【長柄軍配団扇】(重要文化財・桃山時代)
豊臣秀吉所用の武具「銀伊予札白糸素懸威胴丸具足」
の付属品としてのもののようです。
伊達政宗が武具と一緒に拝領したものです。
金字に摩利支天を示す「卍」を表した面と
裏には日々の吉凶を知るための白黒の丸を示した面があるそうです。
両面に記された文字には
「油断無用、道は心中に有り」
と読むそうです。
天下人秀吉の心構えを示す一文と考えられ
興味深いものです。
【弦月文軍配団扇形前後立】(重要文化財・桃山時代)
これも豊臣秀吉所用の武具「銀伊予札白糸素懸威胴丸具足」には
「蛇の目文の立物」と「弦月文の立物」が付属されてるそうです。
弦月文の方は替えの前立と見なされているそうです。
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