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新潟路

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関川村の街並み景観。

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新潟県北部の国道113号沿いに関川村というところがありますが
ここの街並みづくりには感動しました。
 
右側に見えるのは1765年に建てられた佐藤邸です。
約250年の歴史がある茅葺きの住宅がとても美しく保存されています。
 
 
 
 
 
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関川では特に有名な国重要文化財」渡辺邸。
 
3000坪の敷地に500坪の大邸宅。
 
現在はその邸宅が補修工事中でした。
 
 
 
 
 
 
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そしてこの街並みですが、車道と歩道の間にある水路が
とてもいい感じの空間を醸し出してます。
 
 
 
 
 
 
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これは医院ですが、最近建てられたものだと思います。
 
景観に配慮されたこんな医院がとてもいいですね〜
 
バリアフリーにもなってます。
 
 
 
 
 
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そして玄関は自動ドアになってるのですが
このドアも景観に配慮されてます。
 
 
 
 
 
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ここは一般の住宅のようです。
 
 
 
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玄関前の門も新しくガラスなどを使っているのですが
あまり派手ではなくてとても心地よい景観を醸し出してます。
 
 
 
 
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向かいの住宅の玄関もとてもいい感じ。
 
 
 
 
 
 
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これは車庫の扉ですがここにも景観に配慮した
工夫がなされてます。
 
 
 
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村上「味匠 喜っ川」へ行ったらこんな写真が飾られてました。
 
JR東日本の大人の休日倶楽部「大人になったらしたいこと。」
の撮影がここで行われていたのですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
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新潟県村上市の色んなまちづくりに取り組んでいる
吉川真嗣さん(国土交通省観光カリスマ)のお店です。
 
 
 
 
 
 
 
 
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彼はこの村上に残る町屋を大切に保存しながら
古くから大切に保存されてきた人形や屏風を
訪れた方々に公開するという取り組みを成されてきました。
 
詳しくはこちらをご覧ください。
 
 
 
 
 
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今のシーズンは「町屋の屏風まつり」が開催されてます。
ちなみに開催期間は9/15〜10/15です。
 
喜っ川でも代々受け継がれてきた
屏風や重箱や机などが並べられてました。
 
 
 
 
 
 
 
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本来の生業である『鮭』も見事に並べられてます。
 
 
村上市でも道路拡幅が始まり、この辺りもその対象になったそうですが
江戸時代から火災がなく受け継がれてきたこの町屋の景観を
なんとしても残したいと吉川氏らががんばっておられます。
 
 
彼とは何度かお会いし、お話をお聞きしたのですが
古くから受け継がれてきたものを大切に次世代に
繋いでいくということと、日本人古来の文化と景観の保全していく
という心意気には感動しました。
 
 
 
 
 

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宝暦六年(1756年)江戸中期に天領越後沢海の地に、一町二反九畝二十九歩(約13,000平米)の畑を与えられて一人の百姓が分家したことから始まるようです。
その百姓とは「文吉」と言い若干二十歳の時だったようです。

一人の百姓は代を重ね、二代目の時に「伊藤文吉」と名乗るようになり、やがて豪商から千町歩(1,000ha)以上の土地を持つ新潟県下一の大地主へと歩んでいくようになります。

明治36年になると七代文吉となりますが、伊藤家はゆるぐことなく大地主の道を歩み、明治41年には所有地が1,384.7町歩(1,385ha)の巨大地主となります。

所有地が広大になるにつれ、番頭や奥女中、子供一人一人に乳母もおり、女中・作男・門番などの使用人を含めると約60人が伊藤家で暮らしていたそうです。

昭和20年に終戦を向かえ、七代文吉は伊藤の館を博物館にする決意をします。

現在、伊藤家は八代目です。訪れた時偶然にも八代目がおられて三角屋敷「三楽亭」の説明をしていただきました。明治22年から手がけられ、苦心の末、明治24年に完成した世にも稀な正三角形の建物です。

お金持ちは羨ましいのですが、それ以上に苦悩もたくさんあったようです。
現在でもこの屋敷を維持するのは大変なようです。

将軍杉

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将軍杉の「将軍」とは、10世紀頃の余五将軍・平維茂(たいらのこれもち)のことのようです。

「鬼女紅葉狩り伝説」でも有名な余五将軍は、晩年をこの地(新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷)で過ごしたと言われ、この杉はその遺骸を葬った際に目印として植えられたと言う話のようです。信憑性は別として、この杉の姿を、余五将軍の霊力の現れと言うことのようです。

また、将軍杉の樹形については次のような伝説もあるそうです。

ここ岩谷の人々は阿賀野川の水運で生計を立てていたそうで、あるとき新造船を作ったが帆柱になる木がなかったそうです。そこで協議をした結果、将軍杉を切ることに決まったそうです。翌日、この木のところに集まってみると、杉は枝の高さまで身を沈めていたそうです。人々は自分たちの考えを恥じ、以後大切にするようになったということです。


環境省の測定方式による目通りは19.3mと言うことのようで、全国のスギではNo.1の幹囲だということです。

天に向かって伸びる6本の幹には、周囲を圧する威厳がありますね。

肝心の中央の1本が途中で失われているのが残念です。
昭和36年秋の第二室戸台風の被害なのだそうです。

新潟市道路元標

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新潟市道路元標は本町交差点に設置されており、偶然にも夜歩いていて見つけました。

ここが新潟市を走る主な国道の起点・終点になってるようです。

しかも、一般国道の「起点」として、
国道7号は青森県青森市まで518キロ
国道8号は京都府京都市まで592キロ
国道113号は福島県相馬市まで238キロ
国道289号は福島県いわき市まで301キロ
国道350号は新潟県上越市まで194キロ

一般国道の「終点」として、
国道17号は東京都中央区より442キロ
国道116号は新潟県柏崎市より86キロ
国道402号は新潟県柏崎市より92キロ

となってました。
これだけの国道の起・終点が集まっていると言うことは、昔から交通の要衝だったことが窺えます。

夕暮れの万代橋もとても素晴らしい景色でした。
国道ばかりではなく信濃川舟運も今も栄えているようです。なぜかちょっぴり感動しました。

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