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金沢に行ったら必ずここには寄っていると思いますが
自分は初めて訪れた「ひがし茶屋街」です。
江戸時代から大いに賑わった茶屋街だったようです。
現在は建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物で
重要伝統的建造物群保存地区にしていされ、
江戸時代(文政3年・1820年)、加賀藩の許可を得て整備されて、
その茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残っています。
ここ「志摩」はその文政3年に建てられた茶屋建築で、
二階を客間とするために高く造り
通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けてあるのが特徴のようです。
190年経った今でも現役ということはいかに丁寧に使用され
そして手入れが行き届いている証だと思います。
こちらは「懐華樓」という茶屋で
江戸時代後期の茶屋街建築様式で、
間口六間、奥行き十二間ありこの界隈でも最も大きいそうで
お茶室入り口や土蔵も備えており
格式も高く、当時を偲ばれます。
なによりも水打ちをされてる方が眩しかったです。
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加賀路
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金沢と言えば兼六園ですが、
二度目の兼六園を訪れて新たに気が付いたのは・・・
まず、金沢城址に近い・・・というより隣だったんですね。
あと、高台にある庭園だったのですね。
こんなところにカメラが・・・
おそらくこれはテレビ局の定点カメラなのでしょう!(勝手解釈)
そのカメラの先はこのような景色です。
↓
徽軫灯籠(ことじとうろう)
兼六園のシンボルで2本脚の灯籠です。
水面を照らすための雪見灯籠が変化したもののようです。
形が楽器の琴の糸を支え、音を調整する琴柱(ことじ)に似ているため、
その名が付いたと言われているようです。
(娘に聞いて初めて知りました。)
それはこんな感じか
↓
二股の脚は元々同じ長さでしたが、何かの原因で折れてしまい、
石の上に片脚を乗せてバランスを保ってます。
手前に架かる虹橋と傍らのモミジの古木との三位一体となった風景はとても絵になりますね〜
水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つで、
江戸時代の代表的な大名庭園。
何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきたは、
建物から観る座観式の庭園ではなく、回遊式庭園です。
回遊式なので途中には茶屋があり
茶屋にはやはり・・・
↓ なんとな〜く食べたくなり
なんとな〜く落ち着きます。笑
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金沢平野の中央を流れる犀川と浅野川に挟まれた
小立野台地に築かれた金沢城は、
戦国時代の天正11年(1583年)の賭ヶ岳の戦い後、
羽柴秀吉から加増された前田利家が入場してから
江戸時代末まで前田氏の居城だったところですね。
初めて訪れました・・・
平山城のため、周囲の石垣の大きさには目を見張るものがあります。
台地をうまく利用して積み上げた石垣なのでしょう。
堀も大きく、今は道路になっているのですが
その大きさはかなりのものだったのでしょう。
金沢は空襲がなかったということで
昔の佇まいが良く残っています。
地震で崩れたのか、石垣の修理をしてましたが
その石垣の素晴らしさはなかなかのものですね。
102万5千石、ナンバーワン大名らしいですね。
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