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電脳小僧の特撮映画資料室アナザーサイド版…筆者の妄想にご注意を!
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1977【惑星大戦争】
準備稿2台本(第2稿)
1977.10.03
原案/神宮寺八郎
脚本/中西隆三、永原秀一
監督/福田 純 特技監督/中野昭慶
製作/田中友幸、田中文雄

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【出世コースに進路を取れ】
監督/筧正典 脚本/長瀬喜伴
製作/安達英三郎
主演/小林桂樹、宝田明、高島忠夫
出演/白川由美、水野久美、有島一郎 ほか
1961年1月26日公開

『サラリーマン三人組 出世コースに進路を取れ』
 第1稿台本(第1稿)1960.10.28

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子供時代に大好きだったお笑いコンビがある…
それは…昭和が生んだ天才コメディアン・ユニット
欽ちゃんと二郎さんの『コント55号』である。

欽ちゃんの『ど〜してそうなるの!』
二郎さんの『飛びます!飛びます!』。

小学校や公園など子供たちが集まる場所なら、
どんなところだって二人のギャグを真似する
子供たちでいっぱいだった!

しかし…当時、子供たちの間で面白いコメディアンとして
人気を二分していたもうひとつのユニットがある…
…あの『ザ・ドリフターズ』である。

子供たちの間では『55号』派と『ドリフ』派による
ギャグまねの派閥争いが勃発したとかしないとか…。

当時のボクは云うまでもなく『55号』派だったワケ…。
そして…月日が流れて…29歳で遂にあの人に出逢えた!!
…『コント55号』の欽ちゃんこと萩本欽一さんである。

『遂に…憧れの人に逢えるチャンスがやって来た!』
1993年『欽ちゃんのシネマジャック』のPRの為に、名古屋へやって来た萩本さんに単独インタビューする事になったのである。
憧れの欽ちゃんの為に我が家からわざわざ映画監督が撮影現場で使用する本格的なディレクターズチェアを持参して座って頂いた。
因みに今でも「欽ちゃん以外、誰も座った事がない!」
しかも…欽ちゃんが使用したデレクターズチェアの背もたれの部分には、
「論より証拠…。 萩本欽一」と直筆サインを記念に入れて頂いた。(これも我が家の家宝のひとつである。)
しかし…坂上二郎さんには、一度もお逢い出来なかった事が悔やまれます。

さて…そろそろ本題に戻って…『コント55号』の東宝映画シリーズのお話へ。
『コント55号』の映画は、松竹版が全6作(題名が「55号」名義6作品、55号名義以外は3作品)、東宝版は全4作製作されました。

【コント55号の東宝映画シリーズ】
第1作/1968『コント55号 世紀の大弱点』
第2作/1969『コント55号 人類の大弱点』
第3作/1969『コント55号 俺は忍者の孫の孫』
第4作/1969『コント55号 宇宙大冒険』
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幻の第5作/1970『コント55号の強心臓EXPO大作戦』(未製作)

♪一九七〇年の こんにちは…
日本万国博覧会「EXPO'70」を舞台に
コント55号が疾走する幻の東宝映画脚本。
タイトルは【コント55号の強心臓EXPO大作戦】

今回入手した脚本には製作メモなどスタッフによる書き込みがあり、
1970年2月29日にオープンする「三菱館」の招待日に万博の実景撮影とロケハンを計画していたらしい。
さらに音楽に予定されていたのは、大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」の作曲を担当した中村八大氏である。

何故?未製作となってしまったのか?…。
それは、ストーリー自体に理由がある?…。
『万博に出資するアメリカの巨大なコングロマリット企業の会長に、心臓の病が判明。
会長は自らの心臓移植の為に「強靭な心臓の持ち主を探せ!」と世界中のエージェントへ指令を出す。
その頃日本では…マラソントレーナーの坂本弥次郎(二郎さん)の元、
ミュンヘン・オリンピックのマラソン出場を目指す男「萩野均吉(欽ちゃん)」が、
強心臓の持ち主とわかりエージェントに狙われると云うストーリー。

コメディとしてはちょっとディープな内容が未製作となった理由なのではないだろうか…。

1970【コント55号の強心臓EXPO大作戦(未製作)】東宝
監督/岩内克己 脚本/田端靖男
音楽/中村八大 合成/東宝特殊技術 
製作/藤本真澄、田端靖男、浅井良二

【コント55号の強心臓EXPO大作戦】
 準備稿1台本 1970.02.07

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