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こんにちは。
ゴールデンウィーク明けにブログ再開とお知らせしておきながら、
すっかりUPが遅れております。
お休み中にもたくさんの方にお越しいただいて申し訳なく
思っております。
 
家族のものが体調を崩していたのと、
最近始まったマイケルの死に関する裁判の報道を見たりして
集中力がぜんぜん出てくれません。
 
3年間のブログの集大成と思ってきちんとした形にしようと思っている
「ビリージーン」シリーズですので、今は少し頭と心の整理をしてから
しっかりした記事を公開させていただきたいと思います。
 
もう何度も、もう動揺せずになんでも受け止めようと心に決めたのに
裁判の詳細を聞くと、とても心が痛みます。
 
ある程度生前から情報に触れていた私でさえこんな感じなのに、
「TII」でマイケルのファンになられた方たちはさぞ、心が苦しいだろうと
お察しします。
 
マイケルの健康状態が非常に悪かった、
 
あるいは
 
マイケルは亡くなる直前まで意欲にあふれ元気だった。
 
という全く正反対の見方があったりして、頭は混乱、心はきりきり痛い。。。
 
そんな方も多いでしょうね。
 
私はマイケルはかなり衰弱していたと思います。
迷いながら劇場で見た「TII」の中のマイケルのダンスは確かに素晴らしかった。
でも、もう心はこの世のしがらみ、苦しみから離れ、
地上の重力さえ感じていないかのように見えました。
 
人が苦しみの限界にまで達したときに、
うまく言えませんが
仏教でいえば
「解脱」?
みたいになっていくような感じだと思ったのです。
 
死の前日のダンスまで映像に残すという壮絶な人生。
でもステージで生きたマイケルは、最後まで「舞台人」の矜持を守り抜いていたと思います。
 
どんなにココロ乱れていても、ステージの上では自分の内面を見せることなく
「舞台人」として最高の姿を見せる。
 
人間はどのように死ぬかではなくて
どのように生きるかが大事なんだと教えてもらったような気がします。
 
マイケルはちゃんと自分の尊厳を守ったと確信しています。
 
もちろん亡くなった時の状況は、常識では理解できないことばかりです。
こういう時、どうしても「周りの人はどうしていたの?」と責めたい気持ちになるのですが、「悪者」を作ってどうなるでしょう。
 
こんな時こそ「ビリージーン」に込められたメッセージをどんどん掘り起こしたいです。
 
下書きはかなり書き溜めています。
 
心静めて記事にしますので、再開したときはよろしくお願いいたします。
 
心静かにいるためには、情報をシャットアウトしたらいいのですが、
なかなか、「見ない聞かない」ということもできないんですよね((-_-;)
 
でももう一度書いてしまいますが、「マイケルは自分で尊厳を守った」
と思います。
 
「死ぬ瞬間まで現役で仕事をすることができる」って
素晴らしいじゃありませんか。
とくにパパとして、子供たちに胸を張れることですよね。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ちょっと気分転換に。
 
「ビリージーン」への引用で取り上げた、「カルメン」の「花の歌」です。
マイケルが歌う「花の歌」を聞きたい。。。。。
そう思ってしまうのですが、
やはり調べると「Speechless」と音域が近いのです。
 
とくに、「一番いい音」が共通(全く同じ)しています.
他にもいろいろと音楽的な共通点があるのですが
音域って大事なんですよね。
「ビリージーン」を書いたころからずっとマイケルの心の中に住み続けていた曲なのだと思います。
 
水風船で遊ぶ子供たちの姿を見て、その純粋さに心の底からの感動と愛が湧き上がったときに、その思いと「花の歌」へのオマージュがきらめく結晶になって生まれたのが「Speechless」なのだと思うのです。
 
相手が異性であれ、同性であれ、子供であれ大人であれ、
嘘偽りのない、無償の愛を感じるとき。
 
一生の間にそう数多くはない「本当の愛」の生まれる瞬間を、
音楽として表現したこの二つの曲。
 
カルメンとホセの愛って、本物なんだろうか。。。。
疑問に思うことがよくありましたが、たとえ短い間でも、それが悲劇的な終わり方をしても、「愛している」と感じるその瞬間に偽りはなかったのだと今は感じます。
 
「カルメン」を手ががりに「ビリージーン」を理解しているのですが、
逆にマイケルから「カルメン」を味わうヒントを貰うときもあります。
 
「Speechless」が「花の歌」を好きになるきっかけになりました。
 
 
 
 
 
「ビリージーン」の謎の扉を開くとその先には数えきれないほどの
新しい謎の扉が見えてくる。。。。
その中の一つです。
 
「『Who Is It』の美女の謎」
 
上質な映像で「大人の愛の世界」を創り上げた「Who Is It」ですが、ストーリーはわかりやすくてシンプル。でも、前から気になっていたのがあの「美女」の名前です。
「改心した娼婦」という象徴的な役割を与えられた彼女。
その名前を観ていて気が付いたのです。
   Alex
   Celeste 
   Diana
   Eve
Bを除いて、A〜Eのアルファベット最初の4文字が頭文字の女性名。
その中でもだれもが気になるのが
 
Diana  
 
ですよね。意味深〜〜〜〜。
もうこのことはあちこちのサイトで語りつくされてると思いますが、
だれだってこの方のことを思い浮かべてしまいます。
ダイアナ・ロス
      マイケルの憧れの女性。母であり姉であり、恋人であるというほど
      マイケルは慕っていた。マイケルはダイアナをモデルとして、いくつかの
      曲を描いたのではないかと昔からささやかれている。
      マイケルのキャリアにも人生にも大きな影響を与えた。
 
ストーリーにふか〜い意味が隠されているのは必然ですよね。
単なる娼婦と富豪の物語ではないのです。
思うに。。。。。
 
芸術家にインスピレーションを与える女性との関係なのではないかと。
更に、「芸術」の持つ「美と魔性」の寓意なのかも。。。。
歌詞に何度も出てくる「My Baby」や、「Littele Susie」に象徴される
「傷ついた子供たち」がマイケルの 「Muse」としたら、
ダイアナ・ロスはマイケルにとって「運命の女性」(ファムファタル)ではないかと
思うのです。
 
美しさ、気品、魅力、愛、知性、才能、生命力すべてに満ち溢れ、あらゆる人を虜に
する。でも誰のものにもならない奔放で自由な性質を持つ。
 
そして、何よりその時代時代に現れる芸術家と出会って彼らにインスピレーションを与え、何かを生み出す「運命」の持ち主。
 
そう考えると、ほかの名前も「ファムファタル」に当たる女性が隠れているのです。
 
Celeste
セレスト・モガドール
 (Celeste Mogador)(アクサン省略)
           
      ビゼーの愛人。娼婦から伯爵夫人にまで登り詰めた美女。
      歌手としても活躍し、晩年は劇場の支配人なども務めた。
      「カルメン」のハバネラは、イラルディ作曲の「エル・アレグリート」を
      翻案したのだけれど、「エル・アレグリート」はセレストの持ち歌。
      「カルメン」のモデルの一人と言われている。
 
この「ビリージーン」シリーズを描くにあたって、ビゼーのことを調べていて気づきました。偶然の一致?マイケルの仕込んだ秘密?
謎です〜〜〜〜〜。
 
こうなると後の二つの名前にも何かありそう〜〜〜@@
 
音楽家関係だと。。。。
Alex
アレクシス・スミス
(Alexis Smith)
      ジョージ・ガーシュインの伝記映画の中でガーシュインがフランスから
      連れてくる伯爵夫人を演じた。映画の中で、ガーシュインは伯爵夫人が原      因で恋人と別れる。
 
かもしれないと思うのですが、アレクシス本人とガーシュインに何かあったかどうかはかは不明です。「伝記映画」なのであくまでもフィクションなのですが、ポール・ホワイトマンやオスカー・レヴァントなどガーシュインと実生活で友人関係にあった人たちも出演していて虚実入り混じっている気もします
 
Eve   
      女
 
単純にアダムとイブのイブではないでしょうか。それともほかに有名な女性が
いるのでしょうか。。。。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてもっと気になるのが欠けている部分。
はどうして飛ばされているのか。
 
Billie JeanのB?
テータム・オニールのミドルネームはBeatrice。
BeautyのB。
 
一人の女性が沢山の名を持つのではなく、沢山の女性が持つ「女性なるものの本質の一つ」。それがこのSFのテーマではないかと思います。
一方、多曲では必ず登場する聖母マリアさまみたいな「My Baby」は女性の優しさ美しさつつましさを描きます。
 
極端にかき分けられた二つの女性像。
聖母マリア                           マグダラのマリア
イメージ 1
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
キリスト教教会では聖母マリア=精神の愛、マグダラのマリア=肉体の愛
の二つの画像を並べて、愛について教えることがあるそうです。
 
マイケルの言語表現の中に、視覚的(絵画的)象徴がよくみられると思うのですが
これもその一つです。
 
心の愛と肉体の愛が統合されることが理想の愛の形ですが
その二つが矛盾したりせめぎ合う様子も描くのがマイケルだったという感じを受けます。
 
この二つが理想的な形で融合されたのが「You Rock My World」
だったのかもしれません。長い道のりでした。。。。
 
この二つの女性像がマイケルの「創造性」を表すとしたら
芸術性と大衆性、優美と魔性、心と官能、善と悪、光と影。。。。
いろいろと考えられます。
 
イメージ 3
マイケルにとって、愛とは芸術とは女性とは何者だったのでしょうね。
これも永遠の謎です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次は「音楽編」に行きます。
ゴールデンウィーク明けぐらいにアップ予定です。 

今までのまとめ

1.マイケル・ジャクソンとクラシック音楽について
 
「マイケルジャクソンコンプリートワークス」の著者ジョー・ボーゲルの
 「Featuring Michael Jackson」によると、スリラーブームがひと段落するとマイケルの楽曲は「シリアスアート」ではないという批判が高まったそうです。
マイケルの作った曲は「calucurating, slick. shallow」(計算ずくめ、外面ばかりよい、
浅い)と評価されるようになったというのです。何が「シリアス」なのか、一口に言うのは難しいですが、この当時の批評家たちこそ「浅い見方」しかしていなかったと断言できると思います。
 
マイケルの「スリラー」は黒人音楽と白人音楽の壁を破ったとよく言われます。
その例として必ず挙げられるのが、「Beat It」にヴァン・ヘイレンをギタリストとして
フィーチャーしたことだと思います。
 
でも、マイケルとしてはどうだったでしょうか。
マイケルにとって、ロックは元から黒人が作った音楽。明確な白人音楽と黒人音楽の
クロスオーバーとして作った楽曲は「ビリージーン」だったと思います。
ベースラインはホール・アンド・オーツの「I can't go for it」を引用し、曲の内容には
オペラを引用する。
 
これだけ異なるものをミックスして、奇天烈な切り貼り継ぎ合わせの作品にならずに
だれもが魅了されるようなスマッシュヒットを生み出した。あまりにそれが自然すぎて
見逃されてしまったのでしょうか。
 
クラシック音楽を取り入れることは、「デンジャラス」あたりからかなり「露骨」にわかるようになっていきますし、「僕の作品をクラシックにしたい」というようにマイケルは明言するようになります。
 
おそらくどこの国へ行っても強固に存在するだろう「西洋クラシック音楽」
と「ポピュラー音楽の壁」。それを「ビリージーン」の時代にすでにあっさり打ち破っていたと思います。
 
このマイケルのどこが「浅くて、表面だけ綺麗」なんでっしょうねっ。(怒)
子供のころから神童呼ばれ、ほとんど見よう見まねの独学とパパの仕込みで歌も踊りも作曲もこなしてきたマイケルは、「スリラー期」に徹底的に本格的な勉強を始めたようです。
 
ダンスは「ムーンウォーク」や「ゼログラビティー」考案したジェフリー・ダニエルのレッスンを受け、ボーカルコーチのセス・リグスとは79〜80年ごろにレッスンを始めました。
 
おそらくこれと前後して、音楽理論についても正式な勉強をし始めたと思われます。
だれからか、ということに関しては今までどこにも資料はなかったと思います。
可能性としては
  1.クインシー・ジョーンズ
  2.ナディア・ブーランンジェ(クインシーやピアソラ、コープランドが学んだフランス    の作曲家、教育者)
  3.アーロン・コープランド
かと思います。
 
マイケルの楽曲がスリラーのころからどんどん、充実していった理由の一つとして
「対位法」があるのではないかと思うのです。「Be Not Always」はカントリーぽくて素朴な曲調ですが、対旋律を使おうと試みていることがうかがわれます。
「ビリージーン」でも第二バースから印象的な対旋律が出てきて、厚みが加えられています。
 
「対旋律」というのがポピュラー音楽とクラシック音楽の違いを決定する大きな要因であるようです。大変厳しいルールがあって学ぶのも大変だとか。クインシーもナディア・ブランジェにこの「対位法」を学んでいます。
 
直接クインシーから学べるのでしょうが、クインシーの多忙ぶりを考えると
時間をかけて教えることのできる、クインシーとコネクションのある誰かじゃないかということで、ブーランジェかコープランドかな?という推理です。
 
マイケルが好きなクラシック作曲家は?と聞かれると、アメリカ人ではコープランドをあげるんです。ガーシュインもバーンスタインもいるのになぜ?と思っていたのですが、
ブーランジェつながりだったら不思議はないし、ひょっとしたらコープランドから直接教えを受けたのでは?とも考えてみたりします。
コープランドは映画音楽も作っていますし、ポピュラー音楽にも明るかったはず。
あくまでも推理です。コープランドもブーランジェも80年当時は大変高齢ですが
存命中でした。教えることはできなくても、この人たちの弟子筋を紹介してもらうことは十分可能だったでしょう。日本ではバーンスタインほどの知名度がないのですが、
アメリカ音楽界では絶大な影響力を持っていたようです。
       「エル・サロン・メヒコ」民族音楽のリズムやメロディーを取り入れた楽しい曲です。
 
70年代ごろにブラスバンドをしていた人なら、「エルサロンメヒコ」を演奏した人があるかもしれません。「戸外序曲」も有名。
 
いずれにせよ、マイケルの「カルメン」の分析は、オペラの音楽監督とか、指揮者とか
演出家とかそういうレベルのものだと思います。教えた人も相当のレベルのはずです。
 
マイケルのバラードはよく「ディズニー音楽」みたいだと言われるのですが、
アメリカの映画音楽を作る人たちは、クラシックの勉強をがっちりやっているような人たちらしいです。ディスニー音楽の質が高いということなんだと思います。
 
マイケルはポップですから、複雑な作りをしていてもあまり重厚過ぎず
軽やかで美しい音楽を目指していたと思います。でもほかのポップ音楽とは
何か違うというところは打ち出していきたかったのでしょう。
 
「浅い」批評家からしたら、マイケルの音楽は「浅い」のでしょうが、彼らの考え方は間違いだと確信できます。「体制批判」や「世直し」、「裏の意味」、「イルミナティー?」がなくてももともとマイケルの作品には「深み」があるのです・
 
2.物語原型や神話類型のこと
 
物語原型という言葉を使って、「ビリージーン」の構造を説明してきたのですが「物語原型」とは「人間の語る物語にはある限られた数の原型がある。」という考え方です。
人間の語りはどんなに工夫したってある一定のパターンになる、ということには
否定的な人もいるようですが、逆にこの「原型」という考え方を活用して
物語を創作する作家も多いのです。
 
マイケルは「活用するタイプ」なのだと思います。
 
例えば、キャプテンEO。
暁の女王が闇に捕らわれ、その星は暗闇に閉ざされています。
そこへやってきたキャプテンEOが踊りを踊ると、女王は縛りを解いて元の輝きを取り戻し、光が蘇ります。
 
このお話、日本の「天岩戸伝説」にそっくりですよね。
天照大神が岩戸に隠れ、再び姿を現すという物語は、冬至や日食を表すのではないかと考えられています。
「Without a key to unlock it.」(あなたの美しさは扉の向こうに閉ざされている)というキャプテンのセリフは女神の本来の力や姿が、扉や蓋の向こうに閉じ込められていることを示唆していますね。愛と正義のダンスなのになぜかセクシー。天岩戸の前で踊るアメノウズメもセクシーダンスを踊るんです。
マイケルがどうして日本の神話を意識したのか?
 
秘密のカギはこれですね。
マイケルが大好きな「スターウォーズ」です。
ルーカスは神話に深い興味を持っており、「スターウォーズ」は宗教学者ジョーゼフ・キャンベルの「千の顔を持つ英雄」に強く影響を受けたと明言しています。「勇者が旅立ち、闘い、帰還する」という典型的英雄神話型の物語を下敷きにしてスターウォーズの物語が作られているのです。(松岡正剛さんの「千夜千冊」によると、ルーカスは大学でキャンベルの講義を受けていたということです。」
イメージ 1
 
ルーカスは日本的なものに興味があり、キャラクターたちも着物のような衣装を着たり、ヨーダには日本人の依田さんというモデルがいたというのは有名な話。
「フォース」って「気」ですよね。
湯川れいこさんのツイートによると、この依田さんという方は、ステレオメーカーの山水の現地社長だった方だそうです。つい先日湯川さんは依田さんとお会いになったとか。。。
 
「天の岩戸伝説」は日本固有の神話ですが、この「死と再生」という神話類型は世界中にあります。
 
エジプトのオシリス神話がそうです。
キリストの誕生日は冬至の日に設定されています。キリストの死と再生の伝説も
キリスト教以前からある神話を借用したものと考えられています。
「神話」という物語は読むとわくわくするようなお話が多いです。しかもこのように
「世界共通」な要素があるから、世界中の人々の心に訴えかけるのです。
ルーカス×マイケル、さすがにこの力をよく知っています。
 
キャプテンEOは武器は使わないけど勇敢な「英雄神話」に「太陽神の死と再生」を掛け合わせて、わずか10数分の物語の中に、壮大で華麗な世界観を持つスペースオペラを描き出しているのです。
 
「ビリージーン」も「カルメン」を通じて「ケルト神話」や「ギリシャ神話」につながることで、豊かで奥深い読みや解釈を味わうことができます。神話類型についてはまた別記事で詳しく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんだか、ヘビーな記事が続きましたが、たくさんの方にお読みいただいてありがとうございます。
 
次はちょっと休憩。
 
ビリージン番外編です!
「ビリージーン」の謎が一つ解ければ、別な謎の扉が数限りなく開きます。
「Who Is It」の美女は誰?なんと、ここにもカルメンが。。。。。?
(続く)
1.映像抜きで人物を描き出す〜「見えない存在」の力
古今東西の芸術作品の中で、一番有名なヒロインの名前は?
と考えたらだれが浮かぶでしょうか。
 モナリザ
 カルメン
は別格として、ビリージーンもかなりこの二大ビッグネームに近くありませんか?
 
ファンの贔屓目を割り引いても、「ビリージーン」はムーンウォークと共に
「神話化」していると言っても過言はないと思います。
 
音楽だけを聞いてもパワフルなのですが、それに加えてあのステージパフォーマンス。マイケルをモンスター級のスーパースターに押し上げたNO.1ヒット曲です。
音楽とパフォーマンスに比べるとやや地味目のショートフィルムですが、
こちらもMTVの黒人ミュージシャン締め出しの不文律を破ったという伝説的を持っています。
 
このSFの中では「ムーンウォーク」を披露していないのに、なぜか繰り返し見てしまいますよね。
 
ステージパフォーマンスほどのダンスを踊らないのに、繰り返し繰り返しみたくなる心理って何なのでしょう?
 
どこかに「ビリージーンが出てくるかも?」「あの女の人がビリージーンかも?」
みたいな気持ちがありますよね。私もマイケルが踊る道端の看板の女の人がビリージーン?って思って何度も巻き戻したことあります^^
 
あの写真には名前らしきアルファベットが書かれているんですが、「ビリージーン」じゃないんですよね。まんまと引っかかってます、私。
 
結局SFにビリージーンは出てきません。パフォーマンスにも出てきません。
カルメン、モナリザ級に有名でありながら、ビリージーンの顔を見た人はいない。
それでいて、「強烈な存在感と、実在感を持つキャラクター」が作られています。
これこそ、マイケルの物語力です。
 
マイケルは「映像の世界」が大好きで、常に映画界への進出を狙っていたのですが
もともとは「ステージアクト」の世界で育った人。舞台演劇の技術や知識がこの「ビリージーン」像をつくることを可能にしたのだと思います。
 
三島由紀夫の戯曲に「サド侯爵夫人」という作品があります。
この中では主人公サド侯爵は一度も登場しません。妻の伯爵夫人、その母、友人
の会話だけで、歴史上有名なサド侯爵の強烈な人物像が浮かび上がります。
芝居の最後の最後には、長い投獄生活からサド侯爵が帰還するのですが、
夫人は面会を拒絶し主人公が舞台へつながるドアをくぐることはないのです。
 
昔は美しかったサド侯爵が、長年の牢獄の生活で見る影もなくやつれている。。。
という描写がセリフで語られ、観客はその姿がついに登場するのかと期待が頂点に
達したところで、ぶっつりと物語は打ち切られます。
 
でも、その姿が目にできなかった分、想像の中の「サド侯爵像」は頭のなかで
ドンドンふくらみ、心の中に刻み込まれます。
「ビリージーン」のSFを見て受ける印象はこの三島作の演劇を観たときと
似てるんです。
 
看板の女性、ホテルの一室のベッドの中の思わせぶりな盛り上がり。
女性的なものを思い起こさせる猫の動き。
 
ビリージーンを連想させる何かをちらちら映像に潜ませてくすくす笑うマイケルが目に浮かびます。映画と違ってビデオは気軽に巻き戻したり、停止していろいろ細かいことを見ることができます。家庭用ビデオ再生器が普及したら、みんなそういうことをやりたくなるのをマイケルはお見通しで、いろいろトリックを入れたのでしょうね。
「ブラッドオンザダンスフロア」でも強烈キャラスージーは男たちの会話だけで
人物描写がなされています。こちらのSFではスージーは「想像の中の姿」で私たちの目の前に現れますが、その人物造形や物語は二人の男の会話劇で行われます。
 
マイケルは音楽だけではなく、映像も天才的。
 
でも、映像(ビジュアル)を使わなくても表現できる力にも長けています。
「Smooth Criminal」のヒロインアニーも、SFでもパフォーマンスでも姿が見えません。
「Annie are you ok?」と何度も繰り返し呼びかけ、その存在を探し求めるマイケルと一緒に私たちはアニーの姿を追い求めます。
 
そしてビゼーのもう一つの傑作「アルルの女」ですが、こちらは劇音楽。
この劇のタイトルにもなった「アルルの女」はカルメンのような悪女で
主人公を翻弄します。ところが、アルルの女も劇中では一度も姿を現さないのです。
最後に別な男と去っていくそのアルルの女の乗る馬の蹄の音だけが聞こえ、
絶望した主人公は窓から身を投げます。
 
小説や映画では味わいにくい、お芝居の面白さだと思います。小さなころから「ステージ」で育ったマイケルだからこそ、この「見えない存在」の力に気づいたのでしょう。
 
2.ファンタジーとリアリティの融合
「ビリージーン」SFは結局この「どこにビリージーンがいるのか知りたい」という
心理を逆手に取った作品なのだと思います。
 
ちびっこアイドルとしてデビューして、その後も健康的なアイドルとして活躍してきた
マイケルが突然スキャンダラスな歌を歌って大ヒットを飛ばした。「ビリージーンは
実在するのか?」という噂や憶測が飛び交い、パパラッチがマイケルの周りをうろつく。そんな騒動をドキュメンタリータッチで描いています。
 
だから、マイケルが街をうろつき、ホテルに入っていくというのは「パパラッチの妄想」。
 
これが妄想だとわかるポイントを見てみましょう。、
まずは白黒からカラーへの変化です
 
「Bad」のショートフィルムの中でも用いた手法です。白黒が現実で、カラーの部分は
想像や妄想の世界。ダリルの場合は自分の殻を破るポジティブな妄想ですが
パパラッチの場合は邪悪な妄想。
 
パパラッチやマスゴミはお金になるストーリーをでっち上げて記事を書きます。
そのでたらめの物語がカラーの部分です。だから妄想の中のマイケルは写真に
映りません。
 
あんなすさみきったスラムを目立つセレブスタイルでマイケルがうろうろすること自体
あり得ないですよね。でも彼らの頭の中のマイケルはそういうことをしてるのでしょうね。。。。おっと、でも私も騙されかけたwww
 
服装もよく見てみましょう。マイケルのトレードマークの白靴下と靴。
よく見ると靴が違いますね。それにマイケルのズボンが短めで靴下を強調しているとはいえ、あんなにつんつくつんに短くないです。
「マイケルって短いズボンに白靴下、ださっ」とか言ってマイケルを貶めるタブロイドの意地悪に対するマイケルのお返しですね。靴を磨くシーンは違いを誇張して「これが正しいマイケル像じゃない」というアピールです。
 
このようにして作られた「ファンタジー世界」が「リアリティー」と結びつく落ちは斬新。
 
姿を消したマイケルが歩いていくかのように路上のイルミネーションが点滅します。
あのトラは何を意味するのか。。。。。。。
 
ミステリーな部分は残しています。ネコ科の動物は現実の世界と異界を両方見ることができると言いますからね。ファンタジーと現実をつなぐ役割かもしれません。
「リメンバーザタイム」でも同じような感じで猫が登場します。
やっぱりもう一度最初から見てみようか、そんな気持ちにさせられます。
 
一応、私の私説としての「おち」の解釈をしておきます。
パパラッチの妄想の中にマイケル像が出来上がる。パパラッチはビーリージーンと密会するマイケルを追いつめて決定的証拠をつかんだつもりが、自分が通報されて警察につかまってしまう。結局自分の思い込みや邪悪な心の落とし穴にはまってしまったのだ。クリエイティブな仕事をするマイケルは、他人の潜在意識の中に入り込むことができるのか。それとも。。。全ての成り行きを見ているのは猫たちだけだった。
 
 
物語の構造ではドキュメンタリーの部分になりますが、「ビリージーン」という歌を作曲して歌うシンガーソングライターマイケルのノンフィクション物語も、「僕とビリージーン」の物語(フィクション)に負けないほど劇的。
 
この二種類の物語が互いに補完してますます「ビリージーン」神話は拡大していったわけです。リアリティーの中にファンタジーが存在し、ファンタジーの中にリアリティーが浸出していく。そのさじ加減が面白いところです。
 
リメが「カルメン」を創作し、その中の登場人物として物語に入り込み、
またその物語を外から客観的に語る。その「カルメン」の物語がオペラになる。
読者や観客をくるくると目まぐるしく翻弄するかのように、物語と現実の世界を行き来自由にさせるこのクリエイター達。猫と同じように異世界が本当に見えるのだろうか。
あちらの世界とこちらの世界の境界線に立ち、「神」の声を聴く。
マイケルと猫はシャーマニックな存在なのかも。
以前ご紹介させていただいた、こちらのサイトさんでも、「ビリジンSF」の内容はパパラッチの妄想説を唱えてらっしゃいます。全く同感。
2.語りの形態のユニークさ
更にビリジンはこれらの名曲たちにさえ見られないユニークな「しかけ」を持っていることにも気づきます。
 
それは「僕」がリスナーではない「誰か」に身の上話をするという「告白」のスタイルです。
 
「僕、本当に困っちゃったんだ、聞いてくれよ。」みたいに同年代の友人に語りかけるようなくだけた口調、文体で詞が書かれているのです。「誰かの秘密の恋愛話」をはらはらしながら聞く、という位置にリスナーは立たされます。
困った話の告白ですから、なかなか核心に触れません。
「女の子から踊りに誘われて、どうして困るの?」「えっ、彼女に子供ができたって
どういうこと?」「えっっ、恋人に全部ばらされた!!」「で結局、彼女の部屋に行ったのかよ?!」とだんだん、秘密が明かされるミステリー仕立てです。
どきどきハラハラ、いろいろな感情を呼び起されて、ビリジンや主人公の心情を
考えて一緒に悩んだり、腹を立てたり。。。。。連続ドラマの一話分ぐらいの臨場感が十分あります。
 
いったいこんなポップス歌曲がほかにあったでしょうか?
歌詞を分析すると、オペラ「カルメン」からの影響が大きいことが見て取られ、
マイケルはこの名作オペラをインタープリテーションしたのだろうということを過去記事で検証しました。
 
もともと「カルメン」も西欧キリスト教文化圏の恋愛物語の元型、「トリスタンとイゾルデ」物語の影響を強く受けた作品ですから、マイケルは「物語元型」を意識的に取り入れて物語を作る、「構造主義的」な作風を打ち立てようとしていたことがうかがえます。
(ThrillerのSFは、「赤ずきん」の物語の変形ですね。Beat It は「ウェストサイドストーリー」と「ロミオとジュリエット」)
 
また、メリメ作の原作「カルメン」を照らし合わせると、次のことがわかります。
  
  「WBSS」は実話をもとにしたフィクション
  「ビリージーン」がそのフィクションの中のメタフィクション、
  「ビリージーン」SFは、「ビリージーン」がヒットしたことを受けて作られた
  ドキュメンタリー的なエピソード。
 
という関係で重層的な連作になっていて一つの素材でさまざまな「物語形式」を作る実験をしたとも考えられるのです。ビリジンのパフォーマンスになんともいえず深く引き込まれるのは、このように丁寧に何度も折り重ねた層が見えないところに存在しているからなのです。もう少し詳しく分析してみます。
 
3.「カルメン」と「ビリージーン」の構造の比較
 
メリメの原作「カルメン」はオペラに比べるとあまり有名ではありませんが、
美しい文章と高い見識を持って語られた優れた短編小説です。
またその構造は四章立てで、「物語のあらゆる形式を実験した」かのようにそれぞれの形式が異なっており、オペラ化もされた「ホセとカルメンの愛と死の物語」をより魅力的にし、深みを与えています。
 
Ⅰ章、Ⅱ章
あるフランス人の考古学者(メリメ)がスペインを旅し、その途中で山賊のホセとその情婦カルメンに出会う。
その数か月後、ホセはカルメンを殺して投獄された。明日処刑されるという日、考古学者はホセに面会した。
 
Ⅲ章
ホセが考古学者に語るカルメンとの出会いから、彼女を殺すまで。
(この部分だけがオペラ「カルメン」の原作。小説「カルメン」の中の
登場人物、ホセが語るという形の「メタフィクション」になっています。)
 
Ⅳ章
作者によるジブシー達の文化や生活、民族性についての記述。
文章で表現すると複雑なのでチャートにしてみます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「カルメン」
メリメ・・・・・・・作者・語り手・登場人物               
          ④オペラ・カルメン
               ↑
①カルメンI・II ・・・・・・・② III ・・・・・・・・・・・・・・IV
(実話に基づいたフィクション)    (メタフィクション)         (ドキュメンタリー)
               ↓            
            トリスタンとイゾルデ
               ↓                  
 [神話類型]    デアドラ(ケルト神話)
               ↓
             アンドロメダ神話
 
①メリメが作者・語り手としてドン・ホセ、カルメンとの出会いを読者に語る
  談話(登場人物:メリメ、カルメン、ドン・ホセ、その他)
② ①の談話の中の登場人物、ドン・ホセが語る説話(メタフィクション)
③ ジプシーの文化を作者が語る記録的文章
④ ②を原作として作られた舞台作品
 
「ホセとカルメンの物語」をホセ自身の告白という形で作者兼同情人物が聞くというスタイルが、読者をその魅力的かつ悲劇的な物語世界へ引き込みます。「若い男女の情死」という衝撃的な話の中に人間の崇高さや神秘性を見出す「作者兼登場人物メリメ」の目線のあることが、この小説の大きな特色です。第四章ではジプシー民族に関する記述があり物語の根底にある、異民族や異文化の対立、歴史的背景を浮き立たせます。
 
そのような特性も含めてのこの小説の魅力を見出して、ビゼーはオペラ化したのでしょう。オペラ化されたのは第三章の部分だけ。この章だけでも完成度が
高いということも物語っていると思います。あまりに人気があるため、見逃されがちですが、ビゼ^−の音楽は後のイタリアオペラなどにも強い影響を与える革新的なものでした。
 
この原作とオペラを含めた偉大な芸術作品「カルメン」をマイケルは的確に分析し
現代版「カルメン」を創作し、大成功を収めたと思われます。
マイケルジャクソンの連作「ビリージーン」(「Wanna Be Starting Something」と「ビリージーン」「Blood On The Dance Floor」)もチャート化してみましょう。
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「ビリージーン」
マイケル・ジャクソン 作者・登場人物・語り手・演技者
             ④ BJパフォーマンス
                  ↑
①WBSS  ・・・・・・・・②Billie Jean ・・・・・・・③Billie Jean SF     
                Blood On The Dance Floor)
(実話に基づいたフィクション)  (メタフィクション)       (ドキュメンタリー的なフィクション)                                  
                  ↓
              オペラ・カルメン
                  ↓                   
[神話類型]         デアドラ
                  ↓             
            異類婚姻譚・半神型神話                
 
 
① MJが作者・語り手として実話をもとにしたフィクションを聞き手に語る談話。
(登場人物:MJ本人、BJ,BJの恋人、語られないBJの子供の父親、その他の人々)
WBSSのビリージーンはシングルマザーで、MJ(作者兼登場人物)がその子供の身を案じています。この子供を不幸にしたビリージーンと、「その想定される相手(子供の父親)」の恋愛の物語を楽曲「ビリージーン」で描いたと考えられます。
   
② ①の登場人物が語る説話(メタフィクション) 
「WBSS」の中のシングルマザービリージーンの子供の父親が「ビリージーン」
の主人公(「僕」)
   カルメン・・・・・・・ビリー・ジーン
   ドン・ホセ・・・・・・  僕
という関係性を作り、ドンホセが「自分とカルメンの物語」を告白したように、僕が「自分とビリージーンの物語」を告白する形式にしたと考えられます。
 
③ 「ビリージーン」がヒットした後の騒動を語るドキュメンタリー的物語
(①とつながる。作者・語り手はMJ自身。語り手のMJが「ビリージーン」を歌う歌手マイケルとして登場するので、①のMJも歌手で「ビリージーン」の作曲者ということがわかる。
④ ②を基にした舞台作品
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ビリージーン」の話には子供が出てくるという以外は、ほぼ相似形だと思います。
①から③を連作の物語として粗筋にするとこうなります。
「WBSS」
作者兼登場人物のマイケルは人気歌手。
人気者ゆえにマスコミやグルーピーのつきまといに悩まされている。
グルーピーの一人であるビリー・ジーンはシングルマザー。さまざまな男性とつきあい子供の父親は不明。生きぬくために必死な彼女の子供の行く末をマイケルは
案じる。(このフィクションは作者(マイケル)の体験を元にしている。)
 
「ビリージーン」
「WBSS」のビリージーンがなぜシングルマザーになったのか。ビリージーンと、彼女と子供を捨てた男(父親)の恋愛の顛末を、マイケル(「WBSS」の作者兼登場人物は歌にして発表する。その歌が「ビリージーン」。
「カルメン」第三章と同様、作者は「告白」の聞き手ともなる。
 
「ビリージーンSF」
マイケルが作詞作曲した「ビリージーン」は大ヒット。マイケルは世界的なスターダムを確立する。しかしその歌の歌詞を現実と混同した人たちは、「マイケルにはビリージーンという恋人がいる」と誤解しうわさする。マスコミは、マイケルとビリージーンとの密会をスクープしようと張り込むが、見つけられない。架空の人物「ビリージーン」が存在するはずはない。なのにビリージーンの虚像は独り歩きしていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「僕らは音楽界を救うためにやってきた」というせりふが全然嘘くさく聞こえないほど
マイケルは本当に新しいことにチャレンジしました。音楽、映像、ダンスを融合して
パワフルなメッセージを伝えることです。しかしその融合を可能にするのは
      「物語の力」
であることに彼は気づいていたのです。多くのメディアをミックスすればするほど
物語力なしには作品が成功しないのです。
連作「ビリージーン」の特徴をまとめると
 
「カルメン」の
 ・物語構造
  (ケルト神話やギリシャ神話を基礎に持つ西欧キリスト教文化圏の伝統的
  恋愛悲劇)
 ・語りの構造
  (ノンフィクション、フィクション、メタフィクションなどのさまざまな形態をとり混ぜ、
  「視点」の据え方を工夫して「語りの可能性」をフルに活用した。)
を取り入れて、かつ斬新で現代的にアレンジを加えた「音楽作品」である。
 
ということになると思います。
 
「カルメン」の翻案は映画だけでも100本を超えるといわれるほど、たくさんあります。でも、奔放な女性と振り回される男性のお話だけを取り入れると、安っぽいぺらぺらのものになりがちです。
 
マイケルは「カルメン」のもっと本質的なものを見つけ出し、翻案することによって
その落とし穴に落ちることなく、自分自身の大出世作をこの世に送り出すことに
成功したのだと思います。
参考文献:メリメの「カルメン」はどのように作られているか 末松壽 九州大学出版会
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「ビリジン」SFがドキュメンタリー的作品という解釈についてはもう少し説明がいるので、次の記事は 「新解釈」ビリジンSFについて書きたいと思います。^^

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