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連作「ビリージーン」の物語が持つ構造を,「カルメン」原作と比較しながら
見ていきたいと思います。素晴らしい音楽も心揺さぶるダンスも映像も、それを支える「物語」なしには存在しえない。そのことにマイケルは気づいていたと思います。
 
マイケルは「物語論」(ナラトロジー)について深く研究し、
・「構造論」(人物や出来事の構造)
・「語りのレトリック」(語りの様態の分析)
をきちんと押さえて、「美しい、心地よい、面白い」だけではなく「何度も繰り返し味わいたくなるような高いクォリティー」を作品に加味していた。
という仮説を立てて「ビリージーン」を分析したいと思います。
 
「物語論」以前に、歌曲の歌詞の中に「物語」を作り出すということ自体が
珍しいことだと思います。マイケルの音楽が「他とはなんだか違う」「高いクォリティーがある。」「自分に対して何か特別なものを訴えかけてくる」と感じる人は
そのことに無意識のうちでも、気が付いているのだと思います。
 
マイケルを聞いている時に感じる溢れるほどの「愛」、「優しさ」、「宇宙との一体感」。
「エスケイピシズム」「エクスタシー」、「ファンタジー」、「マジック」。。。。。。
形はないけれど、確かに感じられる尊いものを届けるために作ったしっかりとした「器」。この「器」が「物語の構造」なのです。
イメージ 3
もちろん好き嫌いがありますから、マイケルを受け付けない人は
こういった「大がかりな感じ」が嫌なのかもしれません。
 
どちらにせよ、マイケルの作品を理解する手掛かりはつかめそうです。
音楽や歌詞の面ではビゼーですが、「構造」の部分はメリメから多くを学んでいるようです。長くなりますので何回かに分けた記事にしていきます。
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1.「物語構造」を持つ歌詞
あまりに有名で間違いなくマイケルの代表作である「ビリージーン」ですが
ストーリーが腑に落ちなくて気になっている人は多いのではないでしょうか。
自伝「ムーンウォーク」では「ビリージーンはおかしなファンの女の子の話」とマイケル自ら語っているのですが、曲をよく聞いたりパフォーマンスをじっくり見るともっと何か深いものが潜んでいるように思えます。
 
そもそも、「ムーンウォーク」は自伝と言ってもパブリシティー用の書籍なんですよね。
紙面も限りがあるので、すべてが語られているわけではないと思います。
そこで、マイケルの「ビリージーン」がグルーピーだとする談話もそれなりに、「深読み」してよいのではないかと考えると、どうしても見つからなかったパズルのコマがぴたっとはまるかのように謎が解けます。
 
「ビリージーン」はマイケルが経験した迷惑なグルーピーの話そのものではなく、
その話にインスピレーションを得たフィクションである。
そう考えると、主人公はマイケルではないわけです
 
「ブラッドオンザダンスフロア」の主人公がマイケル自身ではないのと同じです。
マイケルは自分の作り出した「登場人物」を演じているだけ。
そう思ってビリジンパフォを見直すと、やはり「演技に入る」シグナルがありました。
マイケルが帽子を被って帽子をポーズを決めた瞬間が、
このドラマ世界の開始を知らせます。マイケルがジャケットを着るとか帽子をかぶるのはその役柄のペルソナをまとうという一つのサインです。
マイケルはここから「役柄」の「僕」になりきるのです。
 
後のパフォーマンスでは、マイケルがスーツケースを持ってステージに登場し
その中からジャケットや帽子を取り出して扮装をするという小芝居をしてから
曲をスタートさせます。
イメージ 1
この瞬間に「ビリージーン」のドラマが始まる。「Beat It」もSFの中で赤ジャケットを羽織る瞬間がシグナル。
マイケルのダンスが面白いのは、「演劇的」な要素があるから。ダンスに詳しくなくてもだれにでも読み取れるサインがいっぱいあるのだと思います。マイケルは誰かを演じるときはその人のペルソナが憑依しちゃうタイプ。だからどうしても「僕」がマイコーに見えてしまう。
悩ましい〜〜。
 
あくまでも「これは演技だよ」というメッセージだったのですね。
これなら、「ダンスをしただけで子供ができたと言って認知を迫るストーカーと
可愛そうなセレブリティー」という奇妙なストーリーは却下できるわけです。
マイケルが歌や踊りで描写するこの「僕」という青年はどんな性格や信条を持っているのでしょうか。
 
ゴージャスなジャケットや帽子、手袋を身に着け、粋なポーズを決めて
髪の毛を撫でつける。容姿に自信があり、ファッションに敏感なよくもてる男の子でしょう。ただ、性格的なものはあまり「かっこいい」とは言えません。
彼女がいるのに浮気をして、浮気相手に子供ができてもただただ
「彼女が僕の子だと言い張っているだけ」と何度も何度も繰り返し、
駄々をこねるように足を踏み鳴らします。
イメージ 2
ビリージーンも相当したたかだけど、「僕」もなかなかの困ったさん。マイケルが描き出す「人間像」がリアルだから。
人間を造型する力も、物語力のひとつ。元々「人が好き」なんだろうな。。。
 
詞からは主体性の無さが読み取れます。「僕がどうした、僕はこう思う」ではなく
「彼女がこうした、誰かがこう言った、彼女がこう言っているだけ。。。」
マイケル=僕ではないし、マイケルの人物像を投影した役柄でもない
というのがわかりますよね。人は悪くないけどあまり深くものを考えない、でも
ごく普通のどこにでもいそうな若者像がうまく造型されています。
 
  小説作品の中の「I」はみんな作者自身である。
  ドラマの中の役柄はその役者そのものである。
 
普通誰もこんな風に思って小説を読んだり、ドラマを観たりしないのですが
こと「歌謡曲」や「ポピュラーミュージック」を聞く場合には、わざとそう思わせて聞かせている部分がありますよね。
 
アイドル歌手Aが「あなたが好きよ、大好き」と歌って、「Aちゃんは自分のことが大好きだ」と聞き手に感じさせ、歌い手とファンの間に疑似恋愛関係を作り出すことが、ポップスの歌詞のお約束です。
 
I がyou に語りかけて恋愛物語が作られているのですが、
you がIに「私もあなたが好きです」とか「私は他の人が好きです」
といったフィードバックはすることができない、一方通行のバーチャルなドラマです。
マイケルの作品の中にも、そういう傾向の曲はは確かにあります。
でも「ビリージーン」はそうではありません。
 
ビリジンの歌詞と音楽の中には「僕」、「ビリージーン」「マイベイビー」「友人たち」「周りの人々」「母」など沢山の登場人物がいてしかも互いに会話し、
複雑な人間関係の中で葛藤が生じてドラマが成立しています。
歌詞が基本的には「詩」であるのに、ビリジンは短編小説のような「構造」を持たせて物語」が語られているのです。しかも、物語の中では少なくとも一年以上の時間が経過すという錯時的な現象まで起こしています。
 
詞が小説のような構造を持つ「歌」はほかにもありますが数はあまり多くないと思います詩ではなく小説のような物語構造を持つ名曲はビートルズだと
「Norwagean Wood」が思い浮かびます。 「僕」がある「女の子」出会い、一晩話し明かして翌朝女の子が去って行ったという短いけれど、なんともいえない情感にあふれる歌です。
 
イルカの「なごり雪」も聞き手ではない「君」が登場人物として存在する、小さいけれど本当に愛しいドラマが歌詞の中にあります。
 
短い歌の中に「ドラマ」を作るというのは、「聞き手が共感しやすく感動的な」歌を作る一つの方法だということですが、とても難しいということも同時に伺うことができます。大変実力のある作家ではないと書けないということです。
 
この時期「Off The Wall」は成功したものの、グラミー賞での低評価にショックを受けてマイケルは自分の創作力やスタイルをより完成されたものにしようと
脱皮を図ったことが 見受けられます・
 
マイケルはビリージーンと前後してジャクソンズのアルバム「Triumph」のためにも
作詞作曲をしています。その中でも「This Place Hotel」は「ビリージーン」や「ダーティーダイアナ」「Dangerous」のプロトタイプになるような、サウンドや物語も斬新な意欲作です。
 
マイケルは否定していますが、元々の題名「Heartbreak Hotel」はエルヴィス・プレスリーの「Heartbreak Hotel」を思い起こさせます。そして詞をよく読むと、
イーグルスの「Hotel California」の引用も見ることができます。
 
「Hotel California」
Welcome to the Hotel California,
Such a lovely place,
(Such a lovely place)
Such a lovely
face
Plenty of room at the Hotel California,
Any time of year,
(Any time of year)
You can find it here
 
「This Place Hotel」
We walked up the stairs still concealing gloom
There were two girls sitting in My room
She walked up to my
face
And said this is the place
You said meet you right here at noon
This is Heartbreak hotel
Welcome to Heartbreak hotel
So this is Heartbreak hotel
This place is Heartbreak hotel
 
「Hotel California」も多くの登場人物が出てきて会話して(あまり行動はないですが)ひとつのドラマを創り上げています。マイケルがこの作風を意識していたのは
なんといっても「スリラー」以前は「もっとも売れたアルバム」だったからだということもあると思いますが、自分の創り上げる音楽や映像世界の可能性を見出していたということもありそうです。
 
映像も含めて、ドラマチックな作品と言えばクィーンの「ボヘミアンラプソディー」もマイケルは大好きだったと思います。
 
マイケルがビリジンを作ったのは23歳ごろですから、もうすでにキャリアのあるミュージシャンたちが成し遂げた相当難しいことにチャレンジしたわけです。これらの偉大な作品を意識しつつも、マイケルが目指したかったのは「もう一歩先」だったでしょう。
(続く)
「ビリージーン」の歌詞とオペラ「カルメン」のアリアの歌詞との比較 
おそらく、オペラの中でも1,2を争うほど有名な「カルメン」ですが、
あらすじを簡単に復習しておきまーす。有名すぎて案外知らないとこも
多いんですよね。
 スペインのセビリアの町。
 兵士ドン・ホセはロマ(ジプシー)の女工カルメンに誘惑されて兵舎を脱走し、
 カルメンの加わる密輸団の一味になる。
 ドン・ホセは婚約者に説得されて故郷に戻るが、カルメンが忘れられずに
 彼女の元に舞い戻る。闘牛士のエスカミリオと付き合い始めたカルメンと
 よりを戻そうとするが断られ、ホセはカルメンを刺す。
 
粗筋はそれほど複雑ではないのですが、歌詞をよく読んで味わうと、
恋にまつわる男女の心理が繊細に描写されていて、面白いです。
草食系だけど、一途なホセ。情熱系だけど束縛を嫌うカルメン。
真逆な性格だからこそ惹かれあうのでしょうか。
この微妙で不可解な恋愛の心理。「ビリージーン」の歌詞にうまく生かされています。
 
マイケルの音楽仲間は「マイケルは歌詞の解釈力がとても高かった。」と言っていますが、このことが本当によくわかります。
もちろん、マイケルのオリジナリティーもしっかり加味されているのですが、
まずは共通点を挙げてみたいと思います。
 
「 ビリージーン」の歌詞はカルメンに誘惑される男性の心理を 想定して描写し、物語的に組み替えたものと思われます。3曲のアリアの中の言葉やモチーフと共通性が多いことを表にして対照しています。
「カルメン」が「トリスタンとイゾルデ」→アイルランド神話「デアドラ」を原型に持っているので、リアルな恋の物語に「神秘性」が強く残されています。
主人公たちの不幸な運命を示唆する「予言」の言葉やドラマのキーワードになる
「law」という言葉を残して、マイケルは「カルメン」の持つマジカルな雰囲気を「ビリージーン」の中に生かしています。
 
オペラ「カルメン」第一幕のアリア三曲との比較です。
ジブシーの女カルメンが大勢の女工仲間や兵士達の前で歌を歌い、
アカシアの花をホセに投げて愛を伝えます。カルメンは美しく、すべての男が魅了され言い寄りますが、ホセはカルメンに話しかけません。ホセは歌には参加せず、無関心に見えますが一目見たときからカルメンの虜になっています。(「ハバネラ」)
ホセは事件を起こして捕えられたカルメンを逃がしますが、その時カルメンは
脱走を勧めます。(「セギディーリア」)
 
一か月後、兵舎から抜け出したホセはカルメンに会いにゆき、投げられた花を
まだ持っていると告げ、愛を告白します。(「花の歌」)
「ビリージーン」は男女のせりふが混じるので男青、女赤で色分けしています。
「    」内がせりふです。
 
「ハバネラ」                        「ビリージーン」
   あらゆる男がカルメンに言い寄る        全ての男が目を輝かす
                 ::::::::::::::::::::::
   「あなたは私に関心がなくても              彼女が美しくても「気にしない
   私があなたを好きに 」            「私のお相手はあなた
                                
   「私はしゃべらない人が好き」           自分からは話しかけない
   
                :::::::::::::::::::::::
  ※1 「恋はボヘミアの子供」               「私の名前はビリージーン
                  
   ※2私に好かれたらご用心」             「もう一度よく考えろ!」
                                 「誰を愛するか気をつけなさい」
    (コーラスが復唱)                  (復唱)
   
   ※3「私は掟(loi)に囚われない」         「40日間法(law)は彼女の味方
                                 だった
花の歌」 
   アカシアの花を投げられる             香水の香りに誘われる
   「しぼんでひからびてしまっても
    甘い匂いは変わらなかった」  
    「その匂いに酔いしれて
    闇の中でお前を思い浮かべた」
「セギディーリア」  
   兵舎を脱走するように誘う             部屋に誘う
   脱走してカルメンのもとに行く            部屋に行く?
・ホセと僕の性格設定
   母親思い                        母の忠告を気にする
   母親の決めた婚約者がいる            恋人がいる
   信心深い                        信心深い(聖書の引用)
 
カルメンやビリージーンに比べると、かなり保守的な性格です。
ホセは「ハバネラ」の箇所では気のないふりをしていますが、もうこの時からかなりかカルメンに魅かれています。「僕」の気持ちはどうなのかははっきり描かれていません。
 
・カルメンとビリージーンの恋愛観
恋多き女、情熱的、移り気。。。。カルメンはこのような女性と思われていますが、
彼女がホセに投げる「アカシア」の花言葉は「純愛」。ホセと別れてからエスカミリオと付き合っているし、「この人」と決めたら他は目に入らないタイプかもしれません。
ビリー・ジーンのせりふ「the one」も「たった一人と決めた恋の相手」という意味です。
二人に共通して言えることは、「自分の心のままに愛する」ということ。
受け身の女性ではありません。とても現代的な恋愛観を持っているわけですが、
それが誤解や悲劇を生むという設定になっています。
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※1カルメンは二幕でエスカミリオに対して、「Je m'applle Carmencita.」
と名乗ります。「ハバネラ」では名前を告げているわけではないのですが、
自分の個性や生き方をはっきり伝える、主体的な性格がうかがえます。
ビリージーンは誰かから紹介してもらうのではなく、自分から名乗っている感じ
ですね。80年代でも「飛んでる性格」?の女の子という感じがします。
   
 
※2「警告」的な歌詞が双方で強調されています。
この「警告」が主人公二人の恋が悲劇的な結果になる「予言」的な働きをします。
物語原型の「デアドラ」では、主人公デアドラが誕生したときにすでに
不幸な未来を「予言」されていることが、物語の鍵になっています。
私が「カルメン」と「ビリージーン」の類似性に最初に気づいたのはこの箇所です。
音楽的にもこの部分が繰り返しやコーラスで非常に強調されていて、印象に残るのです。マイケルが物語原型まで注目していたということの証拠だと考えています。
 
loi= law」というキーワード
Law was on her side.は「法律は彼女の味方だった」としか訳しようがないので、
「裁判沙汰になってビリージーンが有利な立場だった。」と解釈されています。
ハバネラの中での「loi」は「掟」と解釈され、「私は掟に囚われない。」
と言うカルメンの「自由奔放さ」を象徴するセリフで使われます。
それに対して、兵士のホセは警察のような役割を果たす「法の番人」。
二人の対照的な立場を表現するキーワードです。
 
「デアドラ」では女性が男性に愛を告白すると、「タブーの掟」によって男性は呪術的にその女性の言いなりになるという筋書きになっていて、こちらでも、「掟」という言葉が物語のカギを握っています。それが「トリスタンとイゾルデ」に引き継がれると
「惚れ薬」になって主人公二人を恋に落とす大事な小道具になります。
40日間昼も夜も主人公がビリージーンの魔力的な魅力のとりこになっていたと解釈してもおもしろいかもしれません。
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登場人物の比較
ドンホセ    カルメン    ホセの婚約者   母親  カルメンの周りの男性たち
僕      ビリージーン   マイベイビー   母親   周囲の男の子たち
ホセの婚約者は原作では出てきません。オペラ化されたときに付け加えられたキャラクターです。実際には登場しない母親の代理的性格を負わされているので、
存在感は希薄です。マイベイビーの存在感の薄さはこれに依るものと思われます。
マイケルは一曲の歌詞の中にこれだけたくさんの登場人物を入れ込んでいます。
この複雑さがまず、ほかのどんな曲とも違う際立った個性になっていると思います。
 
視点
視点については、原作の第三章のスタイルを取り入れています。
「ビリージーン」の詞の中に「聞き手」が存在するのは「So take my strong advice」
の箇所から推測されます。
           語り手         聞き手
カルメン     ドン・ホセ       考古学者(作者)
ビリー・ジーン   僕          友人?(作者?)
「ビリージーン」主人公の告白の内容は相当衝撃的だし、身勝手です。でもそれは聞き手が心を許した友人だからこそ「本音」を打ち明けられるという状況設定が
あるのだと考えると、理解しやすいと思います。
原作「カルメン」でも、ホセと考古学者は親密な関係ではありませんが互いに惹かれあい「友人としての信頼感」を感じています。ホセにとって考古学者は、死の前日の懺悔の告白を聞いてくれる相手であり、母への形見も彼に託します。
リスナーや読者である私たちは「濃密な人間関係の中だけの内緒話」を聞いているということになるのです。いわゆる「ここだけの話」ですね。
物語構成の記事で詳しく書こうと思っていますが、この「物語の構造」自体が
他のポップス曲の歌詞では「あり得ない」工夫です。
 
文体
原作にもオペラにも当てはまることですが、あまり文語的、詩的ではありません。でもセリフは率直でインパクトがあり、心にストレートに響くものがあります。
ビリージーンの文体も若者のしゃべり言葉のままで、ひとつひとつに真実味があり、インパクトがあります。
私はカリ(ジプシー)と生まれて、カリとして死ぬ。」というのは男前なカルメンの名セリフ。オペラの中では私は自由に生まれ自由に死ぬ。」に変更されています。
ビリージーンでは何と言ってもこれでしょう。
ビリージーンは僕の恋人じゃない。彼女が子供の父親は僕だと言い張ってるだけさ。」
何とも正直な突き放したようなこのセリフ。でもここがサビになっていますからこの曲のキモ。でもカルメンのほうも負けていません(笑)
今はエスカミリオに惚れてるよ。でもあんたを愛したほどじゃないがね。」
恋に落ちる時も恋が冷めたときも登場人物たちが自分の心に嘘偽りなく行動し、気持ちを表現するというのがこれらの作品の大きな魅力です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ビリージーンの歌詞が衝撃的なのは、原詩(カルメン)の素晴らしさを愛し、深く読み込み正しく解釈した上で、アリア三曲分の要素を取り込むことに成功したからだと思います。宿命の恋の始まり、誘惑、戸惑いといった心理描写。それぞれの登場人物の性格描写、スピーディーな物語の展開などあらゆる魅力が込められています。
次の記事では、パフォーマンスやショートフィルムを含めた構成を、
小説「カルメン」も含めて比較してみたいと思います。
メトロポリタンオペラのカルメン
歌い手さんは白人ですが、ダークなファンデーションを塗ってカルメンが有色人種
であることを強調しています。

連作『ビリージーン』

四月、新学期、新年度。
新しいスタートには最高の季節がやってきました。
マイケル・ジャクソンの魅力を語りたくて始めたこのブログも4年目を迎えることができました。
 
マイケルのことについてもっと知りたい。。。。そう思ったのはもう10年も前になります。
 
「スリラー」で一世を風靡したマイケルがいつしか、ゴシップやスキャンダルばかりで
メディアに追い掛け回されるようになって、とうとう言われのない罪で告訴裁判
にいたってしまった、2003年。
 
なんとかマイケルが本業の歌やステージが見直されてくれないものかと念じつつも、何をしてよいかわからずただ時が過ぎ、2009年マイケルはこの世を去ってしまいました。
 
彼の没後にこのブログを始めてこの時の後悔を少しずつ埋めてきました。本業の語学とともに、クラシック音楽は趣味とはいえプロのレッスンや指導者としての講習を受けてきた経験を生かして、「音楽の解釈を加味した歌詞の翻訳」を少しずつ積み上げてきました。
 
その中で見えてきたことの一つにマイケルが「連作」という形式を用いて
曲を書いてきたのではないかということがあります。
 
クラシックで言えば組曲なのですが、ポップスでは珍しいことです。ポップスでは
「コンセプトアルバム」という概念がありますが、それをより発展して
ひとつの一貫した「物語」を持たせて、シングル曲では表現しきれないものを
複数の曲で描き出そうとしていたようなのです。
 
マイケルはさらに、ショートフィルムやステージパフォーマンスも組み合わせて
「総合芸術」的なところも目指していたでしょう。
ひとつひとつの曲は独立していても作品としては成り立っています。
しかし、「連作」であることを前提に曲と曲との「関連」や「関係性」を見て、初めて
わかる物も多くあるのです。
 
大きな作品、長い作品だから優れているということではないのですが、
「ポップス界では誰もやろうとしないこと」に挑戦していたことが気づかれずに
このまま埋もれてしまってほしくはありません。
 
自分の作品をクラシックにと願っていたマイケルの心を少しでもその作品の中に
見いだせたら幸いです。
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連作『ビリージーン』はビゼー作曲オペラ「カルメン」とその原作のメリメ作「カルメン」を下敷きにして作曲、構成されていると考えられます。
 
世界中で愛されるオペラ「カルメン」。映画化されたものだけでも100本以上あるといいます。マイケルが敬愛するチャップリンも「バーレスク・カルメン」という無声映画を撮りました。
ロバの中に人間が入っているという「ベタ」なコメディー。チャップリンのはちゃめちゃなドタバタに
優しさがあふれる喜劇「カルメン」。チャップリン自身にロマの血が流れていることがどこかに生かされている気がする、「誰も死なないカルメン」です。
 
劇、音楽、歌、ダンスのあらゆる魅力が詰まったこの作品をマイケル・ジャクソン
が見逃すはずはありません。私は「WBSS」を聞くと漠然と「カルメン」の前奏曲みたいだと感じていたのですが、「ブラダン」を訳している時にSFを何度も見ていて
も「カルメン」を強く感じたのです。
 
スージーがどうしてテーブルの上で踊るのか。。。。。
 
 
メリメ作「カルメン」初版本の挿絵です。この挿絵の影響なのか、オペラでもカルメンやジプシー達がテーブルの上で踊るというのが演出の定番です。
イメージ 1
 
このシーンの後にエスカミリオが登場して「トレアドル」を歌います。
「Le cirque est plein de sang」(闘牛場は血まみれ)がここで歌われて、カルメンの死を予告する伏線になるのです。
 
「Blood On The Dance Floor」も後で誰かが死ぬという伏線。マイケルは確かに「カルメン」を下敷きにしてこの曲を書いています。
 
3年前に「ビリージーン」の歌詞を翻訳しながらふと「これってカルメン?」と思ったことが、今確実に姿を現した感じです。
 
「ねたばれ」になってもなあと書くことをためらいもしたのですが、カルメンのスコア、台本対訳、原作、ビゼーの伝記などもひと通り読んで思いました。
 
別にこれで「ビリージーンの謎」が解けるわけではない。むしろ新しい謎の扉が幾つも開かれることにつながるのではないか。作曲からもう30年も経つのだから、誰かが気がついても不思議はないでしょう。むしろマイケルが「より高い芸術性」をポップス音楽に求めていたことを裏付けるという意味では、「気が付かれるべき」なのではないでしょうか。
 
「カルメン」はおそらくクラシックに興味がない人でも世界中だれでもが「ハバネラ」や「闘牛士の歌」のさわりを知っているといっても過言ないほどの人気作品。
 
なぜ、マイケルにはあの時期に「カルメン」だったのか。
 
幾つかその理由を考えました。
 
1.ビゼーの音楽家としての魅力、マイケルの作風との共通点
 
「カルメン」は威勢のいい音楽ばかりと思われがちですが中にはこんな美しい愛の歌もあります。
これはドン・ホセが愛を告白するときのアリア。
なんと哀切で、美しいメロディーなのでしょう。このアリア同様※倚音を効果的に使ったマイケルの「スピーチレス」はこの曲に本当によく似ています。きっとマイケルもこの曲を心の底から愛してオマージュしたに違いありません。
   ※(不協する音が和音に解ける音に可決して美しさや切なさを表現する音)
 
技巧だけではこんな美しい音楽は書けないと思います。ビゼーはきっと「自分の全存在をかけて誰かを、何かを愛したことがある」人だったのだと思います。この繊細な感覚はマイケルに強く訴えるものがあったと思います。
 
チャイコフスキーの「悲愴」、マーラーの5番のアダージェットに通じる
真の美や愛、芸術を切望するようなメロディー。これらのどの音楽家も
命と引き換えにするようにして、これらの音楽を書いたと言っても過言有りません。
マイケルは間違いなく、これらの大作曲家達と同じ道を歩む決意をしていたのだと思います。
 
「作家は死んでも作品は永遠に残る。」と言葉を残したマイケルでしたが、「歴史に残る作曲家」というのは必ず成功と何かを引き換えにするということも十分知っていたでしょう。
 
マイケルが「Thriller」アルバムに賭けたのも「自分の存在全」だったのではないでしょうか。
 
2.「カルメン」の劇作としての文学性
 
マイケルは「WBSS」「ビリージーン」「ショートフィルム」を連作にして、シングル一曲では描ききれない大きな物語を創り上げました。これらのつなぎ方はメリメの原作を下敷きにしています。オペラだけでなく原作にも注目したというところが、文学通だったマイケルでないとできなかったことだと思います。一般にはメリメという作家はあまり有名ではないのですが、同業の作家には高く評価をされ、日本では太宰治、芥川龍之介、泉鏡花などが強い影響を受けています。
 
ビゼーは劇場からの依頼で「カルメン」をオペラ化しますが、ビゼー自身も文学通で、
ローマ留学中にはヴィラメディチで多くの文学作品を読み研究しています。オペラの
脚本は脚本家が書いたものですが、「ハバネラ」の作詞はビーゼー自身によるもの。
作詞も手掛ける作曲家ビゼーは、マイケルにとって希少なお手本的存在であったと推察します。ビゼーのもう一つの名作「アルルの女」はオペラではなく劇音楽ですが、人物描写や性格描写が絶妙と言われています。このあたりもビゼーの「文学志向」が強く表れていると思われます。
 
マイケルはこの大作曲家ビゼーが書いた詞のひとつひとつの言葉をかみしめ、
それに応えるかのように「ビリージーン」の詞を書いています。
ほんの一例ですが、
「ハバネラ」
  Et si je t'aime, prends garde a toi 
  「私に愛されたら、気をつけなさい」
「ビリージーン」
  Be carefull who you love
  「誰を愛するか気をつけなさい」
まるで、返歌を返すようなこのつながり。もっとも有名なオペラのもっとも有名なアリアに挑むマイケルの気持ちと意気込みが伝わります。
 
3.「カルメン」のメッセージ性
 
1970年代後半に「カルメン」につながる別なクラシック音楽家が話題になりっていました。当然マイケルもそのことをよく知っていたと思います。
ロシアの作曲家、ショスタコービッチです。
 
この音楽はスターリンの圧政期にプラウダから批判を受けた後に作曲されたため、長い間「革命を礼賛する音楽」と思われていました。
ショスタコービッチ交響曲第五番 四楽章
 
しかし、現在ではショスタコービッチはスターリンを批判するメッセージを「カルメン」を使って判らないように曲の中に込めたということが研究され広まっています。
 
第一楽章
 
 
冒頭からハバネラの「L'amour l'amour」(愛、)が引き裂かれたかのように、冷たく暗い短調のメロディーになって使われています。単に「愛」を描いたのか、それともその逆なのか、解釈が分かれるようです。
 
そして4楽章。「ハバネラ」の「prends garde a toi」(気をつけろ!)の部分がやはり短調で主題になっています。「私は革命を、社会主義を信じない」というメッセージではないかと今では理解されているのです。
 
西側の退廃した芸術を引用したことがばれたら、即刻ショスタコービッチは失脚処刑だったでしょう。ましてやそれが「私は信じない」だったら、なおさらです。彼は命がけでこのメッセージを曲の中に織り込んだと考えられています。
 
およそ数百万人が粛清されたと言われるこの時代のソビエトでなぜカルメンだったのでしょうか。
 
カルメン」もやはり、フランスでナポレオン三世の失脚後成立した「パリコミューン」(歴史上初の市民による自治政府)が崩れ去り、多くの血が流された直後に作曲されました。殺される直前のカルメンのセリフ「私は自由に生まれ、自由に死ぬ」は、この時代を象徴する、特別な意味を持つもの。カルメンの歌う「自由と愛」は人間の尊厳をかけたものでもあったのです。
 
明るく楽しいポップの音楽に込めるにはあまりに大きく重たいテーマです。
でも、差別と闘うにはその天賦の才能以外何も持たない一人の黒人青年にとっては、魂の奥底から共感できるものがそこにあったのだろうと思います。
 
マイケルは音楽と踊りと映像でMTVに黒人が参加できる道を開いた。
マイケルは白人音楽と黒人音楽を融合した。
 
これはこの時代のマイケルについて語られるとき必ず言われる決まり文句です。
この業績の裏にマイケルのどのような苦悩や苦労や喜びがあったのか。
 
スリラーの成功後、「Bad」にいたるまでの間にマイケルの顔立ちががらっと変わったことに驚いたことは今でも鮮明に覚えています。整形したという以外に、目の輝き、表情の一つ一つが全く違うものになっていて「マイケルに何が起こったのか」と真剣にショックを受けたし、心配したものでした。
 
今思えば、芸術家としての業を背負ってしまった時期だったのでしょう。
当時はいくら数字的に爆発的な成功をしても、マイケルの目指した「芸術性」はほとんど理解されていなかったと思います。
 
 
上流階級の社交場だったパリのオペラコミック座でボヘミアンの女工を主人公にした悲劇を上演し、最初は大きな論争を巻き起こしたビゼー。
 
スターリン体制に歯向かうかのような交響曲を、党幹部の目の前で演奏し喝さいを浴びたショスタコービッチ。
 
そしてアメリカに残る人種の壁を音楽の力で打ち破ったマイケル。
みな繊細な感性を持った芸術家でありながらラディカルです。
 
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これから週二回ペースで「ビリージーン」に関する考察記事をアップする予定です。
参考文献などは後でまとめてアップしたいと思います。
 
少し「固め」の記事が続くと思いますがお時間ありましたら、お付き合いくださいませ〜〜〜〜。
 
 
ブログ主

「Heaven Is Here」

3年以上も前に訳したのにアップするのを忘れて保管状態でした。
なにげに「トリスタンとイゾルデ」を聞きながら訳していました。
 
3年たってビリージーンとイゾルデがつながっていることに気づくなんて
不思議です。
 
「すべてはひとつにつながっている」
本当にそうなのかも。。。。。
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なんだか難しそうな言葉が並んでいるけど、恋の歌なんだと思います。
先日テレビで作家の島田雅彦さんが「恋愛の究極には相手と自分の境目が無くなっていく。」と語っておられました。この詩はまさにそういうことを語っているのではないでしょうか。
君と僕とは一つ。時空を超えて心と心が繋がっているから。
命の限り(死)も超越して、生命の喜びを分かち合おう、愛し合おう。
マイケルが望む究極の愛の姿を描いている思って訳してみました。
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You and I were never separate
It's just an illusion
Wrought by the magical lens of
Perception
僕と君が離れ離れだったなんてあり得ない
それはただの思い込み
認識のレンズの魔法が仕組んだ
巧妙なトリック

There is only one Wholeness
Only one Mind
We are like ripples
In the vast Ocean of Consciousness
すべては一つにつながっている
意識は一つにつながっている
僕たちはひとつひとつのさざなみ
広大な意識の海の上の
 
Come, let us dance
The Dance of Creation
Let us celebrate
The Joy of Life
おいで、一緒に踊ろう
創造のダンスを
祝福しよう
生きる喜びを
 
The birds, the bees
The infinite galaxies
Rivers, Mountains
Clouds and Valleys
Are all a pulsating pattern
Living, breathing
Alive with cosmic energy
鳥も蜂も
果てしない銀河も
川も山も
雲も谷も
すべてが共に一つのリズムで鼓動を刻み
命を持ち、呼吸をし
宇宙のエネルギーで躍動している

Full of Life, of Joy
This Universe of Mine
Don't be afraid
生命と喜びに満ちあふれる
僕という宇宙を
怖れないで

To know who you are
You are much more
Than you ever imagined
気がつくはずさ
君が何物であるか
君は自分が想像した以上の
存在であることを

You are the Sun
You are the Moon
You are the wildflower in bloom
You are the Life-throb
That pulsates, dances
From a speck of dust
To the most distant star
君は太陽だ
君は月だ
君は野に咲き乱れる花
君は命の喜びに震えて
脈を打ち、踊りを踊る
小さなチリのかけらにも
遥かかなたの星にも

And you and I
Were never separate
It's just an illusion
Wrought by the magical lens of
Perception
僕と君が離れ離れだったなんてあり得ない
それはただの思い込み
認識のレンズの魔法が仕組んだ
巧妙なトリック
 
Let us celebrate
The Joy of Life
Let us dance
The Dance of Creation
一緒に称えよう
生命の歓喜を
踊ろう
創造のダンスを
 
Curving back within ourselves
We create
Again and again
Endless cycles come and go
We rejoice
In the infinitude of Time
自分自身の内面に戻って
僕たちは創造する
幾度も幾度も
終わりのない環のように行っては戻り
喜びを分かち合う
終わりのない無限の時の中で

There never was a time
When I was not
Or you were not
There never will be a time
When we will cease to be
僕が存在せず
君も存在しない
そんな時はなかったように
僕たちの存在しない
時は訪れない
 
Infinite -- Unbounded
In the Ocean of Consciousness
We are like ripples
In the Sea of Bliss
無限----果てしない
意識の海の
さざなみのような僕たち
至福の喜びの海の上で
 
You and I were never separate
It's just an illusion
Wrought by the magical lens of
Perception
僕と君が別々だったなんてあり得ない
それはただの思い込み
認識のレンズの魔法が仕組んだ
巧妙なトリック

Heaven is Here
Right now is the moment
of Eternity
Don't fool yourself
Reclaim your Bliss
天国はここにある
今この瞬間が
永遠の時
真実の喜びを
取り戻すんだ

Once you were lost
But now you're home
In a nonlocal Universe
There is nowhere to go
From Here to Here
Is the Unbounded
Ocean of Consciousness
We are like ripples
In the Sea of Bliss
君はかつて迷っていたけれど
もう僕の元に戻ってきた
時空を越えた宇宙では
行きつくべき場所などない
どこから来てどこへ行くのか
定まってもいない
意識の大海原の
さざなみのような僕たち
歓喜の海の中で漂う
 
Come, let us dance
The Dance of Creation
Let us celebrate
The Joy of Life
おいで、一緒に踊ろう
創造のダンスを
称えよう
生命の歓喜を
 
And
You and I were never separate
It's just an illusion
Wrought by the magical lens of
Perception
そして
僕と君が別々だったなんてあり得ない
それはただの思い込み
認識のレンズの魔法が仕組んだ
巧妙なトリック

Heaven is Here
Right now, this moment of Eternity
Don't fool yourself
Reclaim your Bliss
天国はここにある
今、この永遠の瞬間に
目を背けずに
真実の喜びを取り戻そう
島田雅彦さんが語っていたのは、実はこちらのワグナーの歌劇「トリスタンとイゾルデ」。
まさに死を超えて結ばれる二人の恋人が、官能と愛の至上の姿を見せてくれるラストシーンです。

「lady Sing The Blues」

ちょっと覚書。
なんだか「セレンディピティ」ーってあると前々から思ってたのだけど、ちょっと今それが来てる感じ?
実は最近マイケルはほとんど聞いてなくて、「オペラ」にはまり込んでます。
メトロポリタンペラの「カルメン」をwowwowで見てから、you tube で「カルメン」探しの旅へ。
ハバネラ聞き放題!
そうしたらなぜかヒットしがのがダイアナ・ロスの出演した「ビリーホリデイ物語」。
前から探してた、「BAD」=最高の歌詞がここにあったわ。
Lady sings the blues
She got them bad
She feels so sad
レディはブルーズを歌うの
彼女のブルーズは最高
なぜならレディは本当の哀しみを知っているから
Wants the world to know
Just what the blues is all about
The blues ain't nothing
全ての人たちに知ってもらいたい
ブルーズがどんなものかを
ブルーズってほんとに素敵なの

But a pain in your heart
When you got a bad start
You and your man have to part
心の中の痛みを歌う
好きな男と別れなくちゃいけない
あなたのその心の痛みをね
それを最高のブルーズにするのよ
Lady sings the blues...
レディーはブルーズを歌うの
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ビリー・ホリデイが作詞した元歌を少し短くしたバージョンみたい。昔の日本語訳も見れるけど
「She got them bad」が「ひどい気分だからブルーズを歌う」になってる@@
痛み=pain=badを「最高」にすると歌ってるんだろうになあ。ってマイケルを聞いたからわかるんだけど。本当の痛みを知っているからこそ、強く、最高、かっこよくなれる。
根底にはブルーズがあるのよね。
でも、よかった、BADの書庫にGOだす。
わああ、なんでっ。カルメンから。。。。。。
といいつつ、以前からビリジンの中にカルメンを感じる私。
そういえば、ピンクレディーも「カルメ〜〜〜〜ン」って歌ってたしなあ。あれ、「モンスター」もあった。
マイコー日本の歌謡曲も聞いてたかなっ、まさかっ?でもピンクレディーのっ曲って
意外とかっこいい。
とかまたまた心の旅に飛びそうになってたら
西寺郷太さんの小説が公開されてる!
なんとワムのラストクリスマスは日本人のゴーストライターが書いていた、そうな。
音楽の世界はどこまでもつながる、つながる?
こちらで読めます。
水道橋博士のメルマ旬報
すごく面白いですう。わくわく。

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