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残暑どころか、完全に暑中という状況ですが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
ついに、というか、やっと、というか、「原付北海道一周4000km」完結いたしました。
たかだか20日強の話に、ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。
北海道で会った皆さん、助けてくださった皆さん、
話をした皆さん、すれ違っただけの皆さん、 本当にありがとうございました。 そして何より。
この旅で、一緒に寝、起き、食べ、走り、笑い、
一生、いやたぶん死んでも忘れることのないであろう、 かけがえのない時間を私に与えてくれた、 旅のパートナー、タケに深く、深〜く、感謝いたします。 ※ 記事に直接関係の無いコメント・トラックバックは削除させていただきます。
あしからずご了承ください。m(_ _)m |
原付北海道一周
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詳細
このブログのメイン企画です。
1984(昭和59)年の原付北海道1周レポート。
もうかなり忘れかかっていますが(笑)。
1984(昭和59)年の原付北海道1周レポート。
もうかなり忘れかかっていますが(笑)。
コメント(12)
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えー、前回の記事を持ちまして、原付北海道、終了です。
いつも読んでいただいた皆さん、コメントをいただいた皆さん、
本当にありがとうございました。
で、今後どーしよーかなー、と。
「原付北海道1周」のコーナーは、このブログの根幹でもありますし、
これが終わってしまうと存在価値もあまり無いのかな、と。
でも実際問題、旅の途中から来ていただいた方々には、
なかなか全部さかのぼって読んでいただくのは大変だと思いますし、
実際そうしていただいてる方も少ないのでは(笑)、と。
「もう1周!」という意見も、確かにいただいています。
これに関して何かご意見があれば、コメント欄にいただければ幸いです。
まぁ、「好きにせ〜や。」ということになるかとは思いますが(笑)。
BGM 「The End」 by The BEATLES
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1984(昭和59)年7月22日 Part2 舞鶴西港〜京都〜東大阪 約130km
前回は下船してからあとの話だったのですが、
今回は少しだけ逆戻りして、舞鶴港到着時前後の話をしたいと思います。 さて、そろそろ舞鶴港も近づいてきた午後4時ごろ。
若いので腹も減りますし、北海道では粗食の生活を送っていましたので、 船を下りたらどうしても食べたいものがありました。 それは…
「王将の餃子」!!! (笑)
※ 写真出典「王将HP」より
いえいえ、額とかの問題やないんです。
私らビンボー学生にとっては贅沢やったんですね。 安くて美味しい餃子を、満腹になるまで食う、というのが。 もちろんこういう場合は、家に帰って母の料理を、というチョイスも大アリなんですが、
何しろあと130km走らなダメですから、たぶん家までおなかがもちません。 で、2人の財布を確認したんです。餃子何皿食えるかな〜♪
タケの財布は………じゃーん!
138円!
あら(笑)? こりゃ厳しいですね〜。
それではTDの財布………じゃーん!
まさかの21円!!
合わせて159円!!!
餃子が確か1皿150円やから♪ 2人で1皿♫
『一杯のかけそば』みたいや〜♪
…ってそんなコトしたら電話もかけられへん(笑)。
しゃーない、断念するか。
いや待て。銀行から引き出したらエエやん。
小樽では「船ではどーせ遣わんし。」とかって、油断してて引き出さなかったけど、
こんなに持ってなかったとは(笑)。 でもまあ舞鶴も銀行ぐらいあるやろ。(←失礼)
ちゅーことで。
舞鶴で降りたらまずは銀行探し! という話がまとまりました。 到着予定時刻は17:00。
銀行のATMは、今でこそ24時間開いてるようなところもありますが、
当時は5時のところもあったし、遅くて6時というのが主流だったと思います。 1時間あったら余裕やん。
で、到着の20分くらい前から、気合十分で車両甲板に下り、
愛車にまたがり、手袋をつけ、ヘルメットをタンクの上に置き、準備万端!となりました。 これまで乗ったフェリー4航路では、まずバイクを先に出してくれたんです。
なのでそのつもりでバイクから先に出るものだと思っていたら、 …待てど暮らせどGOサインが出ないんです。
予定通りに到着し、10分経ち、20分が過ぎても。 「まー、まだ間に合うか。」
30分経ち、40分経っても。
「お〜い、どうなってんねん!?」
ついに時計は6時を指し、1時間待たされても船を下りることはできませんでした。
この時一体何でこんなことになったのか、ということは、今となっては知る由もありませんが、 いや、これにはホンマ参りました。 結局6時20分くらいまで待たされましたかね〜。
ようやく下船した時には、舞鶴のATMというATMはすべて閉まっていました。 (全部行ったわけではないんですが(笑)。そんなもん、推して知るべしです。)
そーなると今度は、餃子はまあエエとして、
2人で160円弱で、何かあったらどうすんねん、
…ということが頭をよぎり、急に怖くなったのを覚えています。 もちろん超安全運転で、空腹を抱えながら、何とか無事に家まで帰りましたが。
こういうときに限って、目に付くんですよね。
「餃子の王将」の看板(笑)。
探してる時はなかなか見つからんくせに。
家に着くまでに3回見ました。
まあ2人いたということで。
「アイツもガマンしてるんだ! 今までもいろんな難関を突破してきたじゃないか!」
と、なぜか標準語で(笑)独り言を言いながら、何とか最後の難関を乗り切りましたが。
後日王将にリベンジを果たしたのは言うまでもありません。
BGM 「1/6の夢旅人2002」 by 樋口了一
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1984(昭和59)年7月22日 Part1 舞鶴西港〜京都〜東大阪 約130km
実はフェリーに乗るあたりから気にはなっていたんですが。
当時読み方も知らなかった「美瑛町」のナンバーをつけた原付。 それがただの原付やないんです。2人乗りなんです(笑)。
基本ありえない話なんですけど。 60歳前後くらいのおじいちゃんと、お孫サンなのかな、3歳くらいのカワイイ女の子。
それがどうやって2人で原付に乗っているかというと、
そうなんです。どうやらこの手のイスが。
はっきりとは見えなかったんですが、ロープかなんかで、燃料タンクに縛り付けてあるんです。 で、その上にチョコンと女の子が座っている、と。
何をすんねん(笑)!!
若い方々は信じられないかも知れませんが、当時は原付は“ノーヘル可”やったんで、
もちろん運転してるじーちゃんはノーヘルで。 ま〜、今思うと大らか、っちゅーかノンキな時代ではありましたね。
このお2人、京都市内まで私たちとほぼ同じルートで走られて、
その後どこへともなく。 いや、目的地はあったんでしょうけど(笑)。 じーちゃんは相当の御歳になっておられるはずですが、
お2人とも元気にしておられるんでしょうかね〜。
もちろん話もしていないんですけど、とても気になる2人でした。
美瑛町の方としかわからないですけど、『ナイトスクープ』にでも出してみようかしらん。
BGM 「この街のどこかに」 by The BOOM
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1984(昭和59)年7月22日 小樽港〜日本海上
北海道最後の夜を熟睡で過ごし、朝10時出航のフェリーに乗るため小樽港へ。
何か「もう終わりやな〜。」とかいう感慨で、眠れんのかと思ったんですけど。 全然でした(笑)。 今の小樽と違って、当時はそれほど観光地化に力を入れるわけでもなかったようで、
別に土産を買うでもなく、あっさり港に向かって行った覚えがあります。 船は…「ライラック」でしたかねぇ(笑)。相変わらずあいまいですが。
往路は23時出航なので、簡単に言うと夜が2回、日中が1回あるんですが、
復路は10時(…か11時か。またまたあいまい(笑)。)出航なので日中が2回と夜が1回。 舞鶴港に到着するのは17時の予定でした。 この日中が2回、というのが、ヒジョ〜に長く感じるんです。
そうそうやることもありませんし、『汚れた英雄』見て盛り上がることもないですし。
そもそも関西に帰るのに、そんなのがビデオで流れても、誰も見ないでしょ(笑)。 まー、退屈でした。 でも体が疲れていたので、日中はずっと寝てる感じでしたが(笑)。
次の日は夕方には下船しなくてはいけないので、この日の夕方から写真を何枚か撮りました。
まずは。「ひと仕事終えました」的な。
単なるダレた写真になってしまってますが(笑)
そして「日本海に沈む夕日」。
うれしかったので、アップでも撮っています。
夕日のアップって、あまり意味ないですね(笑)。
夜は夜で、星があふれるほど見えて、
あー、明日はもう大阪か、とか思いながらだったんでしょうね。 甲板で寝転がってしばらく眺めていました。
そのあと船内の風呂に入って、あっさり寝たんやったと思います。
翌日の無事を祈って。
まー、無事っちゃ無事やったんですが…、ね(笑)。
★ 新日本海フェリー ライラック 船中泊 ★
BGM 「夜空ノムコウ」 by SMAP
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