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本を読んでいて、興味深かったことを挙げます。 「 この中でブラヴァッキーは、 霊の部分、行為の二分節の思考能力を行使できる人は、依然として少数派だと言っています。 アートマンあるいはアートマン、ブディ、 この二つの部分を自分の思考能力として使うことができるためにこと、 神智学の学問的な努力がある、というのです。 そしてそのような思考能力を使うことができるようになってくると、 その能力は自分の周囲の霊的な、あるいは魂的な世界のエネルギーを受け、 ちょうど物質界の中にレンズが光を受けて映像を生み出すように、 周囲の霊界(ブラヴァッキーの言葉を用いればアストラル界)の中に、 自分の内的創造物である思考形態を明確に生み出すことが出来るようになる。 そしてこのことを良く考えるならば、 我々の日常の思考、考えるという行為そのものが、 霊界というひとつの客観的な世界の中での社会的な行為に他ならない事が理解できるようになる、 と言うのです。 ものを考えるのは自由だという、ごく一般的な立場から言えば、 何を考えても、一人でこっそり考えている場合には、他の人に何の害も益も及ばさないだろう、 ということになるわけですし、 またたとえ山にこもったり、修道院で暮らしたりして、 市民社会の生活環境から孤立していることは社会的ではない、 ということになるかもしれませんけども、 思考の本質を考えていくと、考える行為そのものがすでに外向きに力を行使しており、 その意味ですでに社会的な、あるいは客観的な創造行為になってくる、 とブラヴァッキーは言うのです。 」 『神秘学講義』(高橋巌) 第5章 ブラヴァッキー 208ページ 「 シュタイナーは、エーテル界が見みえるということは、 周りの人間に疎外されるということと同じだ、といっているのですけれども、 そのこととの関連で考えてみたい事がひとつあります。 普通私たちは、おとなの常識で、心の中で考えている事は、 自分の内部の個人的な問題にすぎない、と思っています。 ですから監獄に閉じ込められても、考える自由はあるわけです。 何を考えても、他の人間にどうこう言われないですみます。 それを言葉に出して表現した時点で社会性をおびてくるのですから、 心の中で暖めている想いは、何であってもかまわないはずです。 ところが心の中に何かを感じ始め、想い始めた途端に、 その想いは四方八方に拡がって、他の何かに影響を与えるのです。 その場合の四方八方に拡がる空間のことを、シュタイナーはアストラル界と呼んでいます。 シュタイナーに限らず、霊的な問題を考える人は皆一様にそう考えているのですが、 人間の想念は人間の皮膚の中に閉じ込められているようなものではなく、 四方八方に拡がっていくものなのです。 それと同じように、 自分の想念は、実はいろいろなところから流れ込んでくる他の人たちの想念の結果にすぎない、 という考え方も成り立ちます。 自分が何かを考えたとき、その考えは自分だけのものではなく、四方八方に拡がっていくのですが、 それだけでなく、逆に四方八方からもいろいろな想念が自分の方に流れてくるのです。 そういう考え方をするようになると、アストラル界が現実のものに思えてくるのです。 」
『照応する宇宙 』(シュタイナーコレクション3)
解説 シュタイナーの宇宙思想(高橋巌氏) 368ページ
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