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エマソンとニーチェ

昔、哲学者のニーチェ(1844-1900)の本を読んでいた時、

(たしかニーチェ全集の若いときの作品か、妹のエリザベートの書いた伝記か忘れたが、)

若い学生の時(ドイツでは学校はギムジアムと言うんだと思うが15、6歳くらいの頃だったと思う)

読書目録が書かれていたのだが、そこにエマソンの論文集を読んでいることが書かれていた。

ニーチェはエマソンを知って読んでいたのだ。

ニーチェの思想や文体からしてエマソンの影響があるのでないかと思っていたのだが、

エマソン研究者のリチャード・ジェルダート氏の本を読んでいた時、同様のことが書かれていた。


『エマソン入門』(日本教文社)

P18-P19

引用開始

 ここでしばし目を転じて、1840年代にエマソンが提示したこの間いが、

後世の思想家にどんな影響を与えたのかを見てみよう。

その本来の哲学的な立場からすれば意外かもしれないが、

フリードリッヒ・ニーチェはエマソンから強い影響を受け、

『道徳の系譜』(1887年)の序文で(意識的にかどうかはわからないが)このエマソンの問いを取り上げ、

後段で次のように問いかけている。

「私たちは自己というものを探したことがない -まだ探したこともないのに、

どうしてそれを見つけることができようか?」。

彼はこれに続けて、みずからこの間いに答え、20世紀の決定的に分断された自己を予告する。


   必然的に私たちは、自分自身にとって見知らぬ者でありつづけ、自分のことを理解せず、

  自分のなかで必ず自己の存在を誤解することになるのだが、

  それは「だれもが自己の存在から最も遠く離れている」という命題が、

  私たちにとって永遠に妥当なものであるからなのだ-自分という存在に関して、
  
  私たちは「認識者」ではない。


 今日では、私たちはただ「何も知らない」だけでなく、たとえ自己を知ろうと試みても、

その試みすら多くのものに圧殺されてしまう。洪水のように押し寄せてくる文化的な情報のなかで、

目を惹く選択肢のどれを選ぶべきかわからなくなっている。一歩身を引いて体験から自分を引き離し、

おのれを振り返る、またはかつてのように自分の判断力を回復しようと一息つく、ということができない。

精神的な規律でさえもこの流れの勢いを止めることはできず、

一日の終わりにはこの(たいていは電子的な)情報にすっかり侵食され、

人間はたんなる送信機やある種の中継局になり、

データを受け取ってはそれを(交換物として)他人に流すだけになってしまう。

際限のない情報への渇きを満たすための機械になり下がる。

残念ながら私たちは、生きていくための雑事に追われて、

「真の自己はどこにあるのか?」という問いの第二の局面に目を向ける機会に恵まれずにいる。

 この情況は深刻だ。エマソンは「魔神論」のなかで、自分が置かれている真の惰況を目にしたなら、

私たちは自殺を考えざるをえないだろうと言っている。

つまり「自分が置かれた情況」が自然な物事の秩序からあまりにもかけ離れているために、

真の自己を回復する望みなどすっかり消え失せてしまうと言うのだ。

ニーチェは、この絶望的な情況をかいま見たからこそ狂気に追いやられた。

たいていの人間がこの自己破滅的な情況から守られているのは、たいていの場合、

その人が真実を見るよりも眠ることのほうを選び、無意識のうちに事物の表面にとどまつているからだ。


引用終了

渡辺昇一氏の書にもニーチェについての言及があった。

『エマソン 運命を味方にする人生論』 P44

引用開始

 さらに後日、エマソンはハーヴァードの神学校でも講演しています。

そこで話されたことは、あとから考えると実に重要な内容を含んでいました。
 
エマソンはその講演でこういいました。

「人びとは神の啓示を、何か昔に与えられたもののように満足そうに語っている。

あたかも神が死んでしまったかのごとく過去の話として語っている」

「神は死んだ」といえば二ーチェを思い出します。エマソンは「死んだかのごとく」といっていますが、

二ーチェよりも何十年も前に、神の死について言及しているのです。これは驚きというほかありません。

 要するに、彼は従来の教会のいろいろなしきたりや形式をすべて壊そうとしたのです。

そこから自然に出てきた言葉が「Unchaurched Christianity(教会なきキリスト教)」だったのです。

 この思想が日本のインテリに大きな影響を及ぼしたことは冒頭で述べたとおりです。

エマソンは日本でいえばちょうど天保から明治にかけての時代を生きた人です。

当時、日本からアメリカに留学した人たちは、

牧師のコネを頼って主としてニューイングランドに行きました。

そのため、無教会主義に感化されて帰ってくる人が多かったのです。

彼らはエマソンの思想を肌で直に吸収してきたのです。

引用終了

追記
2016/11/8

『シュタイナー自伝 下』(西川隆範訳 アルテ)を読んでいると、ニーチェについての記述があった。

第18章 P20
引用開始
フォルスター=ニーチェ夫人は、ニーチェの書斎を整理するよう、私に求めた。
こうして、私は数週間をナウムブルクのニーチェ文書館で過ごすことになった。
その際、私はフリッツ・ケーゲルとも親密になった。
ニーチェが読んだ本を眼前にするのは、素晴らしい仕事だった。
それらの本が与える印象のなかに、彼の精神が生きていた。
エマーソンの本はあらゆるページに書き込みがしてあり、熟読の後が残っている。
ギュイヨーの著作も同様であった。激しい批判の書き込まれた本の数々があった。
多数の書き込みから、私は彼の理念の萌芽を解明できた。
引用終了

ニーチェは学生の時だけでなく、成人後、著作中もエマソンの書籍を熟読していたのである。


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