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『眠れる予言者エドガー・ケイシー』(光田秀)を読んでいると

面白い話があったので挙げておきます。

第3章 ケイシーに語りかける魂たち ケイシーを訪れた迷える霊 P110


ケイシーは昔、写真館を経営していたが、

その時にバンチーという女性をアシスタントとして雇っていた。

ケイシー一家が写真館をたたみ遠いところに引っ越したので、連絡は途絶えていた。

ところで、この女性はその後、肺病で亡くなった。

彼女は死んで霊になったが、自分はまだ生きていると思っていた。

そして、まだ肺病を病んでいると思っていた。

そして、なんと、律儀に、自分の病気を治療した医者が亡くなるのを辛抱強く待っていた。

その医者が亡くなると、早速、霊となった医者に対して、自分がまだ治っていないという事を訴えた。

医者は一応治療らしきことをしてから、彼女に既に死んでいることを宣告した。

この言葉によって彼女は自分が死んだという自覚ができた。

そして、自分が死んだのであれば自分の死んだ父母に会えるかも知れないと思うようになり、

自分の両親を探し始めた。

すると、両親の元に引き寄せられて両親に会えた。

しかし、両親は自分の生活にふけっていて彼女をほったらかしにした。

そのときに、以前勤めていたケイシーのことを思い出し、

不思議な力を持っていたケイシーさんならアドバイスをしてくれるかもしれないと思った。

そして、ケイシーが営んでいた写真館のあたりをうろついた。

あるとき、近所の人たちの立ち話からケイシーの引越し先がわかった。

そして、律儀にケイシーの引越し先までヒッチハイクをしてやってきた。

霊でありながら車に乗ったのだろう。

そして、やっとの思いでケイシーの家を探り当てた。

彼女は律儀に真夜中になるのを待ってケイシーの寝室の窓をたたいた。

ケイシーは窓の外に立っている、かつてのアシステントをみて、玄関に回るように促して話をした。

そして、ケイシーは彼女がまだ完全には霊的世界に戻っていないことを説明し、

そして遠くに見える白い光に向かって歩くようにアドバイスをした。

それ以来、彼女は二度と姿を見せなかった。

最初、死んだときは自分は死んだという自覚がなかった、

死後しばらくの間、自覚がなく、地上をさまよっていた。

その後、ケイシーの言葉により死を悟り、霊界に行ったということでしょう。


想い自体の存在

本を読んでいて、興味深かったことを挙げます。

「 

この中でブラヴァッキーは、

霊の部分、行為の二分節の思考能力を行使できる人は、依然として少数派だと言っています。

アートマンあるいはアートマン、ブディ、

この二つの部分を自分の思考能力として使うことができるためにこと、

神智学の学問的な努力がある、というのです。

 そしてそのような思考能力を使うことができるようになってくると、

その能力は自分の周囲の霊的な、あるいは魂的な世界のエネルギーを受け、

ちょうど物質界の中にレンズが光を受けて映像を生み出すように、

周囲の霊界(ブラヴァッキーの言葉を用いればアストラル界)の中に、

自分の内的創造物である思考形態を明確に生み出すことが出来るようになる。

そしてこのことを良く考えるならば、

我々の日常の思考、考えるという行為そのものが、

霊界というひとつの客観的な世界の中での社会的な行為に他ならない事が理解できるようになる、

と言うのです。

 ものを考えるのは自由だという、ごく一般的な立場から言えば、

何を考えても、一人でこっそり考えている場合には、他の人に何の害も益も及ばさないだろう、

ということになるわけですし、

またたとえ山にこもったり、修道院で暮らしたりして、

市民社会の生活環境から孤立していることは社会的ではない、

ということになるかもしれませんけども、

思考の本質を考えていくと、考える行為そのものがすでに外向きに力を行使しており、

その意味ですでに社会的な、あるいは客観的な創造行為になってくる、

とブラヴァッキーは言うのです。


『神秘学講義』(高橋巌) 第5章 ブラヴァッキー 208ページ



 シュタイナーは、エーテル界が見みえるということは、

周りの人間に疎外されるということと同じだ、といっているのですけれども、

そのこととの関連で考えてみたい事がひとつあります。

普通私たちは、おとなの常識で、心の中で考えている事は、

自分の内部の個人的な問題にすぎない、と思っています。

ですから監獄に閉じ込められても、考える自由はあるわけです。

何を考えても、他の人間にどうこう言われないですみます。

それを言葉に出して表現した時点で社会性をおびてくるのですから、

心の中で暖めている想いは、何であってもかまわないはずです。

ところが心の中に何かを感じ始め、想い始めた途端に、

その想いは四方八方に拡がって、他の何かに影響を与えるのです。

その場合の四方八方に拡がる空間のことを、シュタイナーはアストラル界と呼んでいます。

 シュタイナーに限らず、霊的な問題を考える人は皆一様にそう考えているのですが、

人間の想念は人間の皮膚の中に閉じ込められているようなものではなく、

四方八方に拡がっていくものなのです。

それと同じように、

自分の想念は、実はいろいろなところから流れ込んでくる他の人たちの想念の結果にすぎない、

という考え方も成り立ちます。

自分が何かを考えたとき、その考えは自分だけのものではなく、四方八方に拡がっていくのですが、

それだけでなく、逆に四方八方からもいろいろな想念が自分の方に流れてくるのです。

そういう考え方をするようになると、アストラル界が現実のものに思えてくるのです。


『照応する宇宙 』(シュタイナーコレクション3)
解説 シュタイナーの宇宙思想(高橋巌氏) 368ページ

シュルハン・アルク

『新装版 日本人に謝りたい』(モルデカイ・モーゼ)という1979年に出版された本がある。

これはいまでも売れているそうだ。


この第5章 マルクス主義はユダヤ民族解放の虚構仮説の146ページにある文章、


引用開始=====

肝心なところというのは、「シュルハンアルクノショッツェンハミツバッド第三百四十八条」である。

すなわち



非ユダヤ人の所有する財産は本来ユダヤ人に属するものなれど

一時彼等に預けてあるだけである。

故に何等の遠慮もなくこれら財産をユダヤ人の手に収るも可なり



とするものである。

 これの意味するところは大別して二つある。

一つは、



一時預けてあるものであるから、

何時なん時でも代償を払わずに取り返して然るべきものである



ということであり、

もう一つは



ユダヤ人の財産は故なく非ユダヤ人に奪われたものである



ということになる。

=====引用終了


に注目していた。


「シュルハンアルクノショッツェンハミツバッド」とは何であろうかと探っていた。


これはどうも、ヨセフ・カロ(Joseph Karo 1488-1575)による作品の

『Shulhan Aruk(整えられた食卓)』 or 『Shulchan Aruch』 のことのようである。

(シュルハン・アルクまたはシュルハン・アルフ)

これはタルムードの縮小版のようなものでとても名高く権威のあるものである。

この中に「Chosen Mishpat」という項目があり、

少し違うがこれが「ショッツェンハミツバッド」のことであると思う。

その中の「Laws of Stealing」の項目に例の第348条の条文があるようだ。


こうしたユダヤ人の法典解釈などの書籍には、どうもたいへん排他的で独善的な内容があり、

ユダヤ人以外の者に対して蔑視していて道徳的でない所があるようだ。

だから印刷を許可していないのだろう、出版物が無いようであるし、WEBでも検索出来ない。

とても表に出せるような内容ではないようなのだ。


だから、条文の中には、タルムードの中を他の民族のものに覗き見されないようにしないといけないというのもある。


"A Goy who pries into the Talmud is condemned to death, for it is written,

it is our inheritance, not theirs." Sanhedrin 59a.

Goyとは非ユダヤ人達のこと。

タルムードは羊皮紙に手書きで写されるのであるが、

これには内容が内容だけに、他の民族のものに不用意に渡らないようにしているというのもあると思う。


同じ書籍の項目の348条と思えるものは下記のような内容もあるようだ。

"A Jew is permitted to rape, cheat and perjure himself;

but he must take care that he is not found out, so that Israel may not suffer."

Choshen Ha'mishpat 348



自己訳

ユダヤ人はレイプ、騙し、偽証することを許される。

しかし、分からないように注意しなければいけない。

なぜなら、イスラエルが被害を被ってはいけないので。


英語のサイトで見ている。


movedのリンクをクリックしてください。

シュルハン・アルクには4つの巻があるようだ。

1.Orach Chayim
2.Yoreh De'ah
3.Even Ha'ezer
4.Chosen Mishpat


このChosen Mishpatにはいくつかの項目がある。


この中の、「Laws of Stealing」の中に348条があるのだが、

タイトルからわかるように「盗みの法」とある。

その次には「Laws of Robbery」、「強盗の法」と続く。


タイトルから分かるように酷そうである。


英語のサイトでも検索しているのだが、他の項目は英語でも書かれているのが、

Laws of Swtealing、Laws of Robbery、

盗みや強盗といった項目の内容は英語のサイトでも書かれていない。

こんなの内容を表示すれば誤解を受けあらぬ嫌疑を受けるからであろう。

本でも出版されていないようだ。

他の項目については解説書などあるようだが、

こうした項目には解説書も出版されていないようである。



ロスチャイルドなどユダヤ人の陰謀というのがあるが、

こうした非道徳な内容の条文を持っているのであるから、まんざらまったく嘘であるとは言えないような気がする。


皆が皆そうであるわけではないだろうが。


私は今、『ロスチャイルドの陰謀』、『イルミナティ』、『闇の世界史』など

陰謀物の本をよく読んでいる。

『日本人に謝りたい』を読んで目を開かせられたのだが、

『日本人に謝りたい』の著者はユダヤ人なのだが、たぶん、イルミナティに入っていた人なのだろう。

そして共産主義者なのだと思う。

今まで西洋史を読んでいてもいまいち分からず、納得がいかなかったのだが

こうした著作を読んでみて流れというものに納得がいったように思える。


近代に始まる、ユダヤ人の迫害やゲットーに押し込まれていた等のことからの解放運動、

そしてその憎しみの復讐、

およびユダヤ人をメインとする国際金融資本家たちによる

金融の支配による権力の奪取、政治経済社会の操作の歴史である。



『鎮魂行法論』

『鎮魂行法論』(津城寛文)という本を読んだ。

津城氏には『霊の探求』というすばらしい本を書いておられるが、

この本も神道の新興宗教の教祖のことが詳しく書かれていて参考になった。

国立大学での研究もこんな新しい分野に突っ込んでやっているものだと感心する。

特に私が読んで面白かった所は、

谷口雅春氏のところだ。

谷口氏にある嗜好や感情があった。たしか、天婦羅、天丼が好きだとかそういうこと。

鎮魂行をしていると、谷口氏に憑依しているものがいろいろと喋べるようになった。

それは自分が普段、考えたり感じたりすることであった。

それで、今まで自分の考えや感情で行ってきたと思っていたことが、

自分に憑依しているものの影響によりそのように思い感じささせられている

ということに気づいた。

こういう体験を持ちこのことに気付いた後、

もうそのような嗜好や感情、考えはなくなっていった。

霊能力ある宗教家や神秘家がよく語ることだが、

自分の意志で考え、感じ行動していると思っているものが、

憑依しているものの影響でそのように思うようになり、

行動するようになるということをよく聞く。

人間はこのように自分の主体的な判断と思っていることが、

単に憑依しているものに動かされていることが多い。

そういう事実をよく知らなければいけないと言っている。


シュタイナーにしろ、あと、全然無名の方のでも、

霊能力のある神道家の本でも同様のことを語っている。

自分の主体的な行動や考え感情と思っていたものが、

自分の憑依しているものの影響を受けた思いや感情、行動であり、

憑依しているものが剥がれたとき、そうした思いや感情、行動はなくなってしまう。

そう書いているのをよく読む。


心霊主義とキリスト教

イギリスのスピリチュアリズム(心霊主義)の本を見ていると、

かなり激しくキリスト教の批判をしているのが印象に残ります。

『コナン・ドイルの心霊学』なる本があります。

有名なシャーロック・ホームズシリーズの探偵小説を書いた方で、

一世紀ほど前の人です。

この人は心霊主義者で有名です。

この本によると、かなりキリスト教を批判しています。

もっとも、イエス・キリスト自身は崇高であるが、

その後作られたキリスト教の教義におかしい所があるという事です。

それは下記のようなものです。

原罪だの人類の堕落だのは説明がきちんと出来ていず、現実からかけ離れている。

贖罪という、イエスによる身代わりの犠牲そのものの概念が納得できない。

また、贖罪でで宥めすかされる神の概念がさらに納得がいかない。

罪の贖い、贖罪だの救いだの原罪だのは事実とはかけ離れている。

永遠の地獄という考えなぞは幼稚な考えだ。

とキリスト教の基本教義を根本的に否定しています。


他のイギリスのスピリチュアリズムの本にこんな事が書いてありました。

少し笑える怖い話です。

キリスト教の教義では最後の審判を説いているため、

死んで霊となり霊界に行った人が、死んでも自分が死んだと自覚しないことが多い。

キリスト教の協議では世界の終末にキリストが降臨し、あらゆる死者を蘇らせる。

そして、永遠の生命を与えられるものと、地獄へ堕ちるものとを分ける。

これを最後の審判というが、この審判の前にラッパが鳴るということが

『ヨハネの黙示録』に書かれています。、

このラッパの音が最後の審判が行われる合図だということです。

ところで死んで霊会に行っても当然そのようにラッパが響き渡ることはありません。

そのため天使たちが導こうとしても、死後の霊たちは

最後の審判の前のラッパがまだ鳴らないため、

審判はまだだというので眠りこけて目覚めないという話がありました。

そういう誤った教義を受けているため、

死後の救済が困難になる霊がいるという話が書いてあった。


他の本でも、西欧の心霊主義の本では、

このようにキリスト教についてかなりこっぴどく批判しているという印象があります。

イエス・キリスト自体をでなく、誤って作られたキリスト教の教義をです。


これにはパウロの解釈や、ローマ帝国の国教となる過程で他の宗派の排斥、

ニカイヤ公会議、その後の異端審問などで

本来の教えと異なった教義が作られていったと言うわけです。



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