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『鎮魂行法論』(津城寛文)という本を読んだ。 津城氏には『霊の探求』というすばらしい本を書いておられるが、 この本も神道の新興宗教の教祖のことが詳しく書かれていて参考になった。 国立大学での研究もこんな新しい分野に突っ込んでやっているものだと感心する。 特に私が読んで面白かった所は、 谷口雅春氏のところだ。 谷口氏にある嗜好や感情があった。たしか、天婦羅、天丼が好きだとかそういうこと。 鎮魂行をしていると、谷口氏に憑依しているものがいろいろと喋べるようになった。 それは自分が普段、考えたり感じたりすることであった。 それで、今まで自分の考えや感情で行ってきたと思っていたことが、 自分に憑依しているものの影響によりそのように思い感じささせられている ということに気づいた。 こういう体験を持ちこのことに気付いた後、 もうそのような嗜好や感情、考えはなくなっていった。 霊能力ある宗教家や神秘家がよく語ることだが、 自分の意志で考え、感じ行動していると思っているものが、 憑依しているものの影響でそのように思うようになり、 行動するようになるということをよく聞く。 人間はこのように自分の主体的な判断と思っていることが、 単に憑依しているものに動かされていることが多い。 そういう事実をよく知らなければいけないと言っている。 シュタイナーにしろ、あと、全然無名の方のでも、 霊能力のある神道家の本でも同様のことを語っている。 自分の主体的な行動や考え感情と思っていたものが、 自分の憑依しているものの影響を受けた思いや感情、行動であり、 憑依しているものが剥がれたとき、そうした思いや感情、行動はなくなってしまう。 そう書いているのをよく読む。 |
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2011年11月15日
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イギリスのスピリチュアリズム(心霊主義)の本を見ていると、 かなり激しくキリスト教の批判をしているのが印象に残ります。 『コナン・ドイルの心霊学』なる本があります。 有名なシャーロック・ホームズシリーズの探偵小説を書いた方で、 一世紀ほど前の人です。 この人は心霊主義者で有名です。 この本によると、かなりキリスト教を批判しています。 もっとも、イエス・キリスト自身は崇高であるが、 その後作られたキリスト教の教義におかしい所があるという事です。 それは下記のようなものです。 原罪だの人類の堕落だのは説明がきちんと出来ていず、現実からかけ離れている。 贖罪という、イエスによる身代わりの犠牲そのものの概念が納得できない。 また、贖罪でで宥めすかされる神の概念がさらに納得がいかない。 罪の贖い、贖罪だの救いだの原罪だのは事実とはかけ離れている。 永遠の地獄という考えなぞは幼稚な考えだ。 とキリスト教の基本教義を根本的に否定しています。 他のイギリスのスピリチュアリズムの本にこんな事が書いてありました。 少し笑える怖い話です。 キリスト教の教義では最後の審判を説いているため、 死んで霊となり霊界に行った人が、死んでも自分が死んだと自覚しないことが多い。 キリスト教の協議では世界の終末にキリストが降臨し、あらゆる死者を蘇らせる。 そして、永遠の生命を与えられるものと、地獄へ堕ちるものとを分ける。 これを最後の審判というが、この審判の前にラッパが鳴るということが 『ヨハネの黙示録』に書かれています。、 このラッパの音が最後の審判が行われる合図だということです。 ところで死んで霊会に行っても当然そのようにラッパが響き渡ることはありません。 そのため天使たちが導こうとしても、死後の霊たちは 最後の審判の前のラッパがまだ鳴らないため、 審判はまだだというので眠りこけて目覚めないという話がありました。 そういう誤った教義を受けているため、 死後の救済が困難になる霊がいるという話が書いてあった。 他の本でも、西欧の心霊主義の本では、 このようにキリスト教についてかなりこっぴどく批判しているという印象があります。 イエス・キリスト自体をでなく、誤って作られたキリスト教の教義をです。 これにはパウロの解釈や、ローマ帝国の国教となる過程で他の宗派の排斥、 ニカイヤ公会議、その後の異端審問などで 本来の教えと異なった教義が作られていったと言うわけです。 |






