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2015年03月

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創価学会について

創価学会の池田大作さんだが、リチャード・コシミズというネットジャーナリストが

「(池太作)チ・テジャク」という韓国系であると言っているようで、

創価学会からは名誉棄損の訴えはまだないようだ。

相手にしないで無視しているのか、訴えられないのか。

金融業、不動産業をやって居たようで韓国系ではありそうだし

顔つきも韓国系らしい感じがする。

噂によると創価学会の幹部は

韓国系(帰化したか在日かはしらん)が多いときく。

また、創価学会はネットで調べると凶悪犯が多いようだ。

会員数が多いからそれだけ犯罪人に当たる割合が多いとはいえる。

芸能人、有名人も多いようである。

最近は2014年の神戸小1女児遺棄事件で逮捕された

君野康弘容疑者が創価学会員らしい。

俺、創価学会やから、いろいろ手厚いんや。
バックには学会があるから怖いもんないで

と話していたという。 

2012年10月に兵庫県尼崎市で発覚した連続殺人死体遺棄事件

角田美代子は創価学会婦人部の教宣係(脱会者対策)だったそうだ。

そして在日。

1997年の神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎。

こいつは帰化人の創価学会員だそうだ。

秋田児童殺人事件の畠山鈴香は在日の創価学会員だそうだ。

和歌山毒入りカレー事件の林真須美は帰化人の創価学会員。

大阪教育大学付属池田小学校児童殺傷事件の宅間守は

朝鮮部落出身で両親も創価学会だそうだ。

というように、犯罪者では在日の会員が多いのが目立つ。

もっとも、一般的に言っても在日や帰化した韓国朝鮮系の人は犯罪者は

日本人に比べて割合が高いと思う。


あと、創価学会で問題なのは宗教には珍しく全然霊的ではないところだ。

創価学会の霊能者なんて聞いたことがない。

というか、創価学会の教義では死後、

霊は意識がなくなり全体の霊の集合する場所に生き、

こんど生まれるときはそこからこの世にやってくるようだ。

というわけで意識はこの世にしか持たないことになっている。

普通、宗教というと心の浄化を伴うことが多いのだが

創価学会員にこの反省というか心の清らかさというものが

少ないように思う。

その反対に欲望、貪欲にまみれているような気がする。

この世志向なのだ。

創価学会員の人を見ていると私には品のない人が多いように思う。

特に芸能人。

他に問題なのは、創価学会は

日本の他の宗教、神道や仏教にたいしても排他的なところだ。

現在はどうか知らないが、昔は会員になれば神社の鳥居をくぐってはいけないとか、

仏像に手を合わせたり拝んだりしてはいけないとか言っていたし、

お守りお札の類はごみ箱に捨てさせた。

私の知り合いの創価学会員の小さな子供は神社に連れていったとき

拝殿で手を合わせて「南無妙法蓮華経」と唱えていたことがある。

多分、今まで一度も神社に行ったことがないのでどうしたらいいのか知らなかったのだろう。

会員であれば教義上、神社に連れていかないのは当然なのだが。

こういう日本の伝統文化風習にたいして批判的だ。

もともとは日蓮正宗にその起源があるのだろうけどどうなのだろう。

創価学会には韓国朝鮮系の人が多いようだが日本のことを嫌っている韓国朝鮮系の人たちが

日本の伝統宗教に批判的な日蓮正宗の教義に共感を抱き

日本批判、伝統文化破壊の気持ちをあって

創価学会の教義に共感を抱いているという疑いをぬぐえない。

神社に行くな、鳥居をまたぐな、拝殿で拝むな、仏像に手を合わせるななどは

日本に反感を持っている韓国朝鮮系の人が共感を持つところではないだろうか。

また、そうした破壊的な衝動に共感をもつ日本人が創価学会に入っているのが

多いのではないだろうかという疑念を持っている。

あと、日本の新興宗教では日蓮宗系が多いのだが

日本の仏教である大乗仏教は明治維新後、西洋の学問が入ってきて

大乗仏教の経典は釈尊の直説ではないということが伝わっている。

伝統仏教では学問をするので

大乗仏教は釈迦の直説ではないと学習しているのだが

新興宗教ではまだ釈迦が説いたものであると

いっていることが多いようである。

日本の伝統仏教は明治維新後西洋の仏教学の成果が入り

自らの仏教が大乗仏教であり釈迦の直説ではなく

後世作られたものであるということが分かり

それは現在に至ってもまだ解決できないほど打撃を与えているといわれる。

それゆえに伝統仏教は熱心に伝道できないのだろう。

直説でなく後世作られたものだから熱が入れられない。

檀家制度で檀家がいるし、葬式仏教になっているし、

飲酒肉食妻帯していて強く仏教の教義を押し出せないというのもあろう。

これは日本の仏教全部がそうである。

もちろん大乗経典の思想性は多くあるわけであるが。

日本の仏教の中心の経典といえば法華経になる。

しかし効能書きが多く中身がないといわれる経典なのだ。

岩波文庫で日本語に翻訳されているがとても読めたものではない。

こういうことを書くと自国の文化の否定になるのかな。

昔の人はこの経典の内容が真実であると信じていたために

信仰していたわけだ。

まあ、私からすれば創価学会は全然霊的でないから好きになれないし、

品性というか心の清らかさが感じられない人が多いから好きになれない。

霊的でないから、ぶっとんだおかしな教義がなくあまりに現世的すぎる。

そういうところがおかしくなくて良いと思う人もいるかもしれないし、

一応日本の仏教の中心の法華経を元にしているし、

伝統的な仏教を学ぶという感じもいいのかもしれない。

現在は日蓮正宗から破門されて独自にやっているようだ。

葬式はお坊さんがいないから友人葬になっているらしい。


追記
創価学会には反省、心を清めるという考え方がないと思う。

煩悩のままでも題目を唱えたら願いが成就するというようなところがあると思う。

確かに心に清らかさを持たずとも念が強ければ願いがかなうというところはあろう。

しかし、このやり方は反作用をもたらすやり方だ。

いわば黒魔術のようなやり方であると思う。

心が汚れたままで念を集中させるのだ。


創価学会と戸別訪問

私の親戚の人にかなり熱い創価学会の人がおり、

普段は全く来ないのに選挙の前にはほとんど必ずやって来る。

というより、選挙の前しか来たことがない。

来てほしいわけではなく、選挙の前でも来てもらいたくない人である。

ほとんどというのは、公明党の候補者がいない場合はやって来ないのだ。

もっとも選挙の話は少しでほとんどは身内の親戚の話などをしているようだ。

帰る間際に支持者に投票するようにお願いしているようだ。

私ではなく私の身内のものが対応している。

もっとも頼まれても支持者に投票することはないのだが。

この訪問は、公職選挙法の戸別訪問違反であると思う。

(戸別訪問)
第百三十八条 
 何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない。
2  いかなる方法をもつてするを問わず、選挙運動のため、戸別に、演説会の開催若しくは演説を行うことについて告知をする行為又は特定の候補者の氏名若しくは政党その他の政治団体の名称を言いあるく行為は、前項に規定する禁止行為に該当するものとみなす。

なんとか訴えて刑罰を与えたいものである。

目上の親戚の人なので強く言うことはしていないのだが。

何も言わなければ遠慮なくずうずうしくやってくるので困っている。

きつく言えば来ることはなくなるかもしれないが角が立つし。

この人は、私の兄弟にも度々選挙前に訪問して支持を訴えているようである。

創価学会といえば、親戚だけでなく、友人知人もやってくるということは聞くし、

前にいた会社では、選挙前に創価学会の人が数人で欠勤していたのだが、

他府県に行って選挙の訴えで知人のところを回っていたと話しているのを聞いた。

私の例を挙げるまでもなく、ネットでもそうした創価学会の戸別訪問の苦情は挙がっているし

各人も自分の経験や知人の話などで聞いているものと思う。

創価学会の戸別訪問についてどう思うか。

なんとか辞めさせられないか、訴えられないか。

こんな団体が与党にいていいのかという思いがある。


与える愛について

幸福の科学では「与える愛」ということを言っている。

「与える愛」というからにはその他の愛があるということで

対局のものには「奪う愛」「縛る愛」というのもある。

ちなみに愛には[本能の愛」「愛する愛」「生かす愛」「許す愛」「存在の愛」というのがあり

順番に高度になっていく。

「愛する愛」とは子が親をに対する愛、親の子に対する愛、兄弟に対する愛

男性の女性に対する、女性の男性に対する愛と、友人に対する愛、隣人に対する愛

社会に対する愛、共同体に対する愛など

その人が当然関心を持ってしかるべきものに対する愛だ。

その人が関心をもってしかるべきものに対して好意を与えるというのが愛する愛だ。

「愛する愛」はすべての人に期待できる愛である。

と言っても、

男性の女性に対する、女性の男性に対する愛といっても

個別の対象によって様々であろうし、

友人に対する愛、隣人に対する愛に対しても個別の対象によって様々だと思うので

あまりに一般化していると思う。


「生かす愛」とは導く愛であり、

才能と努力によって人を導けるまでに自分というものをしっかりと作っていた人が

人を生かすことです。

生かす愛とは導く愛です。

その愛の実践の前提として、まず、優勝な人格を築いておかねばならない。

「生かす愛」は知性の愛であり、理性の愛です。

高き知性によって、人間と社会の本質を見抜き、優れた理性によって、

その問題解決のメスをふるうことができる人が、真に人を導くことができる。

許す愛、存在の愛は一般の人間には高度な形態なのでここでは省きます。



愛にも両面がある。

愛も、間違えば人を縛ってしまうことになる。

また、人に優しくすることもできれば、人を苦しめることもある。

この両面の愛があって天国と地獄をつくっていく。

ただこの場合、気持ちとしては善意であり、相手に良かれと思って行うのだが

実際に相手の為になるかどうかは分からない。

何でも善意であれば良い結果を伴うというものではないのだ。

やり方やタイミングなどを間違い、かえって逆効果、相手を悪くする場合もあるのだ。

自分が相手に感謝されるどころか逆効果で憎まれたり軽んじられたりすることもある。

こういう愛とは主観的であり、いわば自分の勝手な思い込みであるとも言えると思う。

この辺りは生かす愛ではなく愛する愛の段階であろう。


幸福の科学では愛について見返りを求めない愛、無償の愛、与える愛を提唱している。

しかし、実際は何も見返りがないのではなく、

愛を与えた相手から見返りを求めないということであって

神からの見返りが来るということになる。

神からの見返り、それは愛を与えれば自分が神近き人間になっていくということだ。

高度な霊的な観念ではそういうことはあるかもしれない。

でも、この見返り、神近い人間になっていくというのは

いわば、より無償の愛を好む人間になっていくということで

より非人間的になっていくということだ。

これでは堂々巡りだ。

人間離れをした行為がより人間離れをする人間になっていくということだ。

霊界で高みに達していくという。

世俗に報いを求め、望んではいけない。霊界での報いを求めよ。

しかし、一般の世俗的な人間ではそういう考えはむつかしいと思う。

見返りを求めないのではなく、

見返りを求めて愛を与えるというのが普通で常識的ではないだろうか。

「情けはひとのためならず」ということわざがある。

なさけをひとにかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。

人に親切にしておけば、必ずよい報いがある、という意味だ。

見返りを求めてはいけない、見返りを求めては真実の愛ではない、

偽りの愛であるというのはあまりに厳しい、非人間的な教えではないだろうか。

自分の愛が相手に伝わり、その見返りがあると思うからこそ愛を与えるというのが

普通で常識的な発想である。

行ったことの報いがあると思うからするというのが普通の発想である。

もちろん、見返りが何もないのではなく、最終的には神からの見返りがある。

つまり、見返りはあるのだが、相手からではなく神からである。

神近い人間になることが神からの見返りだそうだ。

しかし、これはあまりに観念的で確認できるものではない。

だから、行ったことの見返りを求めない、見返りを求めてはいけない、

見返りを求めないで行為せよというのは、非人間的なおかしな考えではないかと思う。

目的合理的に、見返りを求めて、

見返りがあると思うからこそ行為するというのが常識的な考えであろう。

「情けはひとのためならず」、「恩を与えれば返ってくる」、というのが正しい発想だと思う。

Give & Take、「貸し借り」というのが正しい、常識的な発想だと思う。

無償の愛、自己犠牲の愛というのは非人間的だ。

上座部仏教国のタイではタンブンという考えがある。

タンブンとは徳を積むことというような意味になります。

タイの民衆はなぜ熱心に僧の托鉢に応えるのか


 タイ研究の第一人者であった石井米雄氏は、タイ民衆の仏教理解に幾つかの特徴を指摘している。
それは、ブン(功徳、善行)の観念を軸とした因果応報、善行と悪行のバランスシート、
輪廻転生、ブンの「転送」などである。
これらのキーワードに沿って在家者の仏教をみていこう。
◇◇民衆の信仰は因果応報

  タイの在家仏教の基本思想は「タムディ・ダイディ、タムチュア・ダイチュア」
(「善行をなして善果を得、悪行をなして悪果を得る」)の一言で示される因果応報観にある。
この、善行の結果として得られ善果をもたらす因子を「ブン」(功徳)といい、
反対に悪行の結果として悪果をもたらす因子が「バープ」(罪障)である。
 
  人は日々の行為でブンかバープのどちらかを積む。
だから、人はそれぞれ自分のブンとバープとの
バランスシート(貸借対照表)をもって生きることになる。
そのバランスシートの帳尻が、その人の現世と来世の運命を決めるのである。


やはり、こうした考え方のほうがまともだと思う。

想いと身体と外傷

人間の心の想いが実体化して病気になるということは、

スピリチュアル系の話ではよく言われることである。

心のうちの悪念が実体化して癌やリュウマチが出来たり病気になったりすることがあるということだ。

シュタイナー的に言うと

アストラル的な想念がエーテル体に影響を及ばし悪化させる。

その悪化したエーテル体が肉体に影響を及ぼし肉体を悪化させ病気になったり、

癌やリュウマチになったりするということが出来るだろう。

エーテル体とは幽体に相当し、肉体の組織と同一の形状を持つ霊的組織だ。

つまり、心の想いがストレートに肉体に作用するのではなく

まずエーテル体、あるいは幽体に作用し、そこから次に肉体に作用を及ばすということだ。

エーテル体は、植物のように物質を用いて栄養の摂取、成長、生殖を司る霊的な組織だ。

まず、心の想いはこのエーテル体に作用する。エーテル体を悪化させる。

アストラル体の活動がエーテル体に作用し、次に悪化したエーテル体の状態が肉体に作用するという

流れで心の想念の作用が肉体に現れる。

ところで、肉体が外傷により損傷した場合はエーテル体はどうなるだろうか。

たとえば、事故により腕が切れてしまったとかしたらどうなるだろうか。

肉体の状態が即、エーテル体に影響を及ぼすのであれば

肉体の腕が切れるとすぐにエーテル体の腕も切れるということになる。

しかし、そういうことがあるのだろうか。

何かで読んだが、事故で腕などが無くなった人は、なくなっても

以前のように腕があるような気がして、あるつもりで動かそうとするらしい。

ということは外傷による肉体の損傷は即エーテル体に影響を及ぼさないのではないだろうか。

たとえば、高齢で肉体の衰えのひどい老人が亡くなり霊界に行くことになると

以前の元気な健康な状態に霊体になるという。

ということは、念により肉体に影響を及ぼし

それがエーテル体、アストラル体にまで影響を及ばしている場合もあれば

外傷、あるいは高齢による自然な衰えなどによる肉体の劣化など

外形がエーテル体、アストラル体にまで影響を及ばしていない場合もあるのであろう。

心の持ち用が大切であるというのはそういうことなのだろう。


幸福の科学と神智学

以前、幸福の科学と神智学の関係について書いてきた。

宗教・神秘学研究 幸福の科学と『神智学大要』

宗教・神秘学研究  種村氏ブログ 投稿・大川隆法氏の種本としての神智学
http://blogs.yahoo.co.jp/cyontu/34799323.html

神智学協会は1875年にブラヴァッキー女史を中心としてニューヨークで設立された。

ルドルフ・シュタイナーは神智学協会のドイツ支部の支部長であったが1912年に脱退。

独自の団体を設立した。その教えは人智学と名付けられる。

初期のまだ『太陽の法』を出版する前は、参考書籍として『神智学大要』を挙げられていたそうです。

幸福の科学 内部告発ログ集 [告発]大川隆法の古代話・霊界話の元ネタは『神智学大要』

引用開始
古い会員の方はご存知でしょうが、90年以降の幸福の科学信者諸氏のために。
IAOO.幸福の科学さんが>>597等で書かれている「神智学大要」は大川が最初期質疑応答(まだ旧版の太陽の法も出版されていない頃)で参考書籍として名前を挙げていたものです。
幸福の科学本以外で、参考書として読むものは・・・との質問に大川が答えていました。
引用終了

幸福の科学ではモーゼのことを神智学でいう「モリヤ大師」、

ニュートンは「クートフーミ大師」だと言っていた。

種村さんのブログ、「真実を語る」によると

エル・ランティは神智学ではサナート・クマラとして描かれていて

性格描写がそっくりであると言っていたそうです。

真実を語る 投稿・大川隆法氏の種本としての神智学 

引用開始
神智学は高橋信次氏が生前学んでいたことは知られていますが、
大川氏も時々神智学に言及することがありました。
例えば神智学ではエル・ランティ(エンリルと名称変更、高橋信次氏)の魂は
サナートクマラとして描かれていて、性格描写がそっくりであるといった説明を、
初期にしていたことがありました。
したがって、大川氏が神智学の文献を読んでいたことは知っていました。
引用終了

ルドルフ・シュタイナーについても
『フランクリー・スピーキング』(1993年刊、対談は1991年)で語っている。

第2部 「霊的生活」と「知的生活」 181ページ
引用開始
ええ、だいたい読んでいますけれども、難しいですね。難しいし、あまりハートのほうにはこないですね。
頭のいい人なのかもしれないのですが、ちょっと知的というか哲学的ですね
引用終了

ちなみに、『ゾロアスターとマイトレーヤーの降臨』(大川隆法著,2011年刊)では
ブラヴァッキーは9次元霊のマイトレーヤだと言っています。

神智学の大師と幸福の科学の対応

神智学                                        幸福の科学
モリヤ大師           (第一光線)-----モーゼ
クートフーミー大師(第二光線?)-----ニュートン、アルキメデス
マイトレーヤ    (第三光線?)-----ブラヴァッキー
セラピス・ベイ大師(第四光線?)
ヒラリオン大師      (第五光線?)
イエス大師           (第六光線?)-----イエス・キリスト
サン・ジェルマン大師(第七光線?)

イエス大師は言われるまでもなくイエス・キリストだ。

ちなみにサナート・クマラは義経で有名な鞍馬寺を本拠地とする

鞍馬弘教の本尊の一つになっている。

魔王尊というのだがこれがサナート・クマラと同一視している。

天狗みたいな姿をしている像となっている。

魔王尊は金星から鞍馬寺にやって来たということになっていて、

多分、神智学の影響を受けているのだろう。

ヒマラヤの山奥でヨガの行者がこのサナート・クマラのお祭りをしていると

何かで読んだことがある。

ということで、幸福の科学は

ブラヴァッキーの神智学、シュタイナーの人智学の影響を

受けているといえるでしょう。

神智学はその後、

アリス・ベイリーという女性がArcane School(アルケイン・スクール)

という団体を起こし、

その会員であったベンジャミン・クレームがシェア・インターナショナルという

団体を起こしている。

マイとレーヤの再臨とかマイとレーヤのメッセージとかを

盛んに言っている団体だ。

私はこれらの団体の真偽は分からないし、評価しているわけでもないが

歴史的には神智学協会からこうした団体が起こり

現在も勢力を持っているようだということを述べておく。

アリス・ベイリーの本は最近は多数が日本語に翻訳されている。

これらの本は大変ページ数が多い。

AABライブラリー

ただ、アリス・ベイリーの団体は日本語では活動をしていないようである。

LUCIS TRUST

どうも、通信制でやっているようで、

コミュニケーション言語として日本語は入っていないようだ。

これは私の予想であるが、

アリス・ベイリーの団体は欧米では流行っているように思う。

オカルトやニューエイジ、映画などにかなり影響があるのではないかと思う。

幸福の科学はこれらの団体の影響も受けているのだろうか。

ベンジャミン・クレームについては

マイとレーヤの再臨といっている人がいるといっていたが

アリス・ベイリーについての言及は聞いたことがない。

しかし、アリス・ベイリーの団体はニューヨークが本拠地なので

ニューヨークに2年間ほどいた大川総裁が

何らかの知己を得た可能性はあるだろう。





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