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「
情欲(パッション)の地獄を経なかったものは、
また情欲を克服することもない。
情欲が隣に住んでいても、
いつなんどき炎が燃え広がり、自分の家に火の手が上がるかもしれない。
我々が見棄て、置き残し、忘れ去ったときにはきまって、
なおざりにしたはずのものが、力を増して舞い戻ってくる危険がある。
」
『ユング自伝 2』 第9章 旅 P108
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2017年11月08日
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64章
「
じっとしてそこにある物はすぐに手に取れるし,
兆候が現れる前なら処置しやすい。
氷のように固いがもろい物はすぐに溶かせるし,
ちいさなものは手で簡単にまき散らせる。
それが表に現れないうちに,事を処理し,
混乱は芽のうちにつみ取る。
両手で抱えられないほどの大木も,始めの小さな芽から成長し,
九層の高台も小さな土の一盛りから始まる。
千里の旅も一歩の歩みから始まる。
人は,物事を為そうとしては,駄目にし,
捕まえようとして,取り逃がす。
聖人はあえて物事を為さないので,ぶちこわさないし,
無理に捕まえようとしないから,取り逃がすこともない。
人々がやることは,よく完成間際というときになって,
だめにしてしまうものだ。
始めるときと同じように,終わりになっても用心深くあれば,
失敗は防げるのだ。
このようであるから,聖人は(世人のような)欲望を持とうなどとはしないし,
また得難い財宝などには目もくれない。
(聖人はまた)無学なままであることを学び,
大衆が学んで失った以前の状態に引き戻す。
かくして(聖人は)「自然」の運行を助けて,
それを邪魔だてしようなどとはしないのだ。
」
林語堂氏の中国語からの英訳のまた日本語訳だ。
小川環樹氏訳 「老子」(中公文庫)
「
じっとしているあいだはとらえやすい。
まだ兆しが現れないうちは処置しやすい。
もろいものは融けやすく、微小なものは消滅させやすい。
まだ何でもないうちに処理し、
混乱が大きくならないうちに秩序だてておくことだ。
ひとかかえくらいの大木でも、毛すじほどの芽からはえるのだし、
九重の高さの築山でも、ひと盛の土から築きはじめられるし、
千里の遠方への旅行も、足もとからふみ出されるのだ。
」
前者の方が良いと思うところ、後者の方がよいと思うところがある。
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