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BeachというSNSで挙げられたトピックのコメントの抜粋です。
Beach 幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい>掲示板 :Liberaさん2011年02月25日 22時25分30秒 迷走する至高神 なのになぜに過去世認定がころころ変わるのか まったく理解できないといのが正直なところです。 最初の仏法護持研修で出てきた 文殊菩薩、ナイチンゲールは誰だったんでしょう。 こういっては何ですが、幸福の科学は、最後には、「すべて方便だった」ということにもなりかねませんよね。 今になって、あれは「方便」でしたと言って、そんなことが通用するのでしょうか。 それは、はっきり言ってしまえば、「宗教詐欺」です。 黄金の法で展開された過去世認定も、今となっては怪しいものです。 そういう疑いを持たざるを得ない。 ただ、何故、架空の人物、文殊菩薩を守護霊に持ってくるのかがわかりません 歴史上、実在しない人物であることははっきりとしています あの菩薩は釈迦の残した教え(上座部)に対抗する形で、大乗が作り上げた「智慧の象徴」の菩薩ですよ 大乗は発展系として意味があると思いますので、ここで批判は止めます 今まで、高橋信次氏のことや十大弟子の脱落、政治への参入など信仰を試されることは次々起こるけど、今回のは最大です。この件を今までのように、信仰の名のもとに心の中に封印するにしても、これからの出来事(もし総裁先生が再婚したり、子供たちを大々的に立てることなどが起こったら)によって、またパンドラの箱は開いてしまうことでしょう。 自分の妻なのに、最近まで正確な過去世がわからなかったなんで、相手の三世を見通す力を持つべきはずの仏陀にあるまじき失態ですよね。これじゃあ、仏弟子ごろごろのGLAと同じじゃないですか。KKには過去世に歴史に名前の残っている人が多すぎると思ってました。そのわりには、今世の能力・影響力がたいしたことないなあと思って。 > 僕は当時の週刊文春の大川隆法総裁のインタビュー記事を今でも持っていますが、当時の指導霊の皆様は、みんなその結婚に賛成されていた、と大川隆法総裁自身が語っています。そんなユダとの結婚を認める指導霊がいますか? もしそうならかなりいい加減な指導霊です。 指導霊(守護霊)がそのように言ったというのですから、それは事実でしょう。そして、きょう子さんの守護霊もあなたの伴侶となるべきは大川隆法なりと言われたようですね。そんなことが結婚時にあったと思います。 今回の破綻劇で、双方の守護霊の判断が間違っていたということになりますね。 |
幸福の科学
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種村修氏ブログ 真実を語る 投稿・大川隆法氏の種本としての神智学 引用開始 釈迦やキリストの過去世は神智学も説いていた (解説) ある方から投稿を頂きました。大川隆法氏が説いた教説は決して同士のオリジナルではなく、種本があるのではないかという指摘でした。それが神智学です。 神智学は高橋信次氏が生前学んでいたことは知られていますが、大川氏も時々神智学に言及することがありました。例えば神智学ではエル・ランティ(エンリルと名称変更、高橋信次氏)の魂はサナートクマラとして描かれていて、性格描写がそっくりであるといった説明を、初期にしていたことがありました。したがって、大川氏が神智学の文献を読んでいたことは知っていました。 しかし、今回頂いた情報によっても、大川隆法氏の説いた神秘的な教説には、れっきとした種本があるように思います。無論、それを一部修正しているのですが。 『太陽の法』を見て、よほど偉大な魂でないとこれは説けないと考えて、信じ込んだ人は少なくないと思います。しかし、れっきとした種本があるらしいことが分かると、大川隆法氏の悟りによって得た内容というより、種本をアレンジしたのではないかという疑いが起きます。これもまた、洗脳解除のための有効な知識であると思います。読者の皆様はいかが思われるでしょうか。 なおここには、神智学の書籍から、太陽の法に利用されたと思われる部分を掲載します。 投稿してくださった方に感謝します。 (投稿) 主仏陀 第五アーリアン根人種の初期の宗教-複数-を与えられた過去の菩提薩埵(ぼだいさった)は今の主仏陀でいらっしゃる。 仏陀がまだ世界の教師であられた時代に、 第一亜人種(ヒンドゥ族)にヴィヤーサとしてやって来られて太陽の宗教であるヒンドゥ教を創め、 エジプトではトス(後にはヘルメスといわれた)として光の宗教を創め、 ペルシャでは三万一千年前にゾロアスターとして火の宗教を起こし、 ギリシャではオルフェゥスとして音楽と音とによって教えを説き、オルフェウス秘教を起こされた。 最後に化身されたのはヒンドゥスターンで、そこで仏陀の悟りを得られ、 仏教とともに古い周期は終り、仏陀の後継者に世界教師の仕事が引き継がれたのである。 東洋全域にわたって主ゴータマ仏陀に対して深い尊敬と強い愛惰とが注がれているのは二つの理由による。 その一つは、ゴータマ以前の仏陀方はすべて前の連鎖で成熟された他の人類の御出身であったのであるが、 ゴータマはわれわれ人類より出て初めて仏陀という大変な高い位に達したからであり、 誠にゴータマこそはわれわれ人類の初めての果実であり、また指導者であるといえよう。 第二の理由は、人類の進歩を速めるために、 ゴータマはわれわれには到底理解もできないほどの最も厳しい業を特別に自分自身に課したことである。 仏陀の位に達するということは単に悟りを開くというだけではなく、大いなるイニシエイシヨンを得ることでもある。 この境地に達した方はもはや二度と地上に化身されることはなく、 ご自身のお仕事は後継者に引き継がせて、通常は地球とは全く繋がりのない圏外に去ってしまわれる。 しかしながら、ゴータマ仏陀の場合はまだある程度地球とは接触を保っておられ、 毎年五月の第一満月の日のウエサク祭には、大師方の大白色聖同胞団にお姿を現わされて大師方に祝福を注がれ、 大師方はそれをまた世界全体に注ぐ。 また、ある人々はある方法でゴータマ仏陀に接することができる。 (解説) これを見て、大川氏はオルフェウスというのを、オフェアリスと間違えたのではないかと感じました。というのは、私が調べた限りでは、オフェアリスという神様の名前は、何処を探しても出てこないからです。もしオフェアリスという名前の神について書かれている文献があれば、どなたか教えてください。 大川氏は最初の『永遠の法』では、オシリスは孔子の過去世と書いていました。オフェアリスとは別の存在としています。オフェアリスが何処にも存在しないので、比較的最近になってエジプトの有名なオシリスと同一視して、ご自分を神格化したとしか思えないのですが、いかが思われますでしょうか。 さて、投稿者によれば、"主仏陀"の節にすぐ後に"主マイトレーヤ"という節があるそうです。(同本の神智学大要 第五巻 上 187ページより。) この中の最初にキリストの過去世のことがさらりと書かれているそうです。 ”主マイトレーヤ”節内の一部を下記の(投稿)に挙げます。 (投稿) 主マイトレーヤ 主仏陀の後継者すなわち、現在の菩提薩埵(ぼだいさった)は主マイトレーヤで、西洋ではキリストといわれる。 キリストは、初めクリシュナとしてインド平原に化身され、現在の第五アーリアン根人種の第五亜人種すなわち、チュートン民族の時代にパレスチナにキリストとしてやって来られたのである。 キリストは特に個人と自己犠牲との価値を強調された。 キリストは、我々の知る限り、再び地上に現われて第五根人種の第六および第七亜人種達の特殊の必要に適した宗教を説かれることになっている。 第六根人種のマヌと菩提薩埵(ぼだいさった)には現在のチョハンであるモリヤ大師とクートフーミー大師とが成ることになっている。 このお二方は神智学協会の創設と事業にきわめて密接にかかわっていらっしゃる。 (中略) そのお仕事は高次元の世界-榎数-で行なわれ、それより低い世界でのお仕事はその補佐官であり代理でもある菩提薩埵(ぼだいさった)すなわち、世界教師に委託されたのである。 仏陀になる御方は数千年も前にその時の仏陀にその誓いを立てていなければならない。 その時以後その御方には仏陀の影響が流がれ、いよいよ仏陀の位に達せられると前任の仏陀(霊的仏陀)の偉大なる影響が常に後任の仏陀(化身仏陀)の上にあるといわれている。 『神智学大要』一覧 出帆新社 http://www.shuppansinsha.com/kikan.html 引用終了 『神智学大要』は編集書で、ブラッヴァッキーなどの神智学協会の指導者の書籍を
まとめて整理した書物だそうです。
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大川総裁の発言で松下幸之助についての言及が多々ある。
たとえば、民主主義がなぜ良いのか分からないが松下幸之助の発言で初めて分かった、
「民主主義とは繁栄主義なのだ」ということなど。
宗教・神秘学研究 民主主義と繁栄
松下幸之助氏についてだが、総裁が敬愛する渡部昇一氏に松下幸之助に関する著作があり
この著作からも学ばれているようだ。
総裁の発言の引用内容と一致するのでこの本などから参照されているようだ。
またしても渡部氏。
渡部氏は松下幸之助から目をかけられていて
晩年に松下氏が座長を務める「京都座会」という研究会で
そうそうたるメンバーとともに一員として参加されていた。
ところで会社についての考えが二つある。
一つは本来の機能集団とする考え方、もう一つはコミュニティとする考え方。
故小室直樹博士は日本の会社は本来あるべき機能集団からコミュニティへと変質し
おかしくなっており、本来の機能集団に戻さなけねばならないと主張していた。
松下幸之助はこの本来の営利の機能集団からコミュニティへと変質した
日本的経営を主張し実践した提唱者であり第一人者だ。
小室直樹博士は根っからの学者で学問教条主義的なところがあると思う。
これに対して経営者である松下氏は会社を経営する過程で考えを変えていかれた。
日本的経営の発端者だ。
渡部氏は文学者であり経営の経験はないが松下氏の研究をされているように
日本的経営を評価していると思う。
昔は日本的経営が良しとされていたが現在は機能主義的になっているだろう。
しかし、松下幸之助の亡き後、京セラの稲盛会長が経営哲学を引っ張っている。
ここでは社員の飲み会を大切にするなど社員の触れ合い・つながりを大切にして
会社のコミュニティ化を大切にしている。
どちらが良いのか?
ともあれ、幸福の科学には渡部氏も介して、故松下幸之助氏の影響もあるようだ。
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以前、このブログの記事でジョセフ・マーフィーと渡部昇一氏との関係を書いた。
宗教・神秘学研究 渡部昇一氏とマーフィー
ジョセフ・マーフィーの書籍の翻訳をしていた大島淳一という人物は
渡部昇一氏のペンネームであったのだ。
このことは、私は確か「昇一塾」か何かの渡部氏のWEBページで
渡部氏自らが書かれていたのを見たのが最初である。
最近、幸福の科学での渡部昇一氏の守護霊の公開霊言を書籍化した
『渡部昇一流 潜在意識成功法』(2013.5)というのがある。
そのなかで、大川総裁はこのように語っている。
引用開始 P32
それから、彼が最初に出したのは先ほど述べた英文法の本ですが、
『知的生活の方法』を出す前に、実は「大島淳一」というペンネームで、
ジョセフ・マーフィーの本の翻訳書を何冊も出されていました。
三十代ですでに、ミリオンセラーを出しておられたのです。
『眠りながら成功する』とか、『眠りながら巨富を得る』とか、
そういう深層心理学の本をいろいろ出されていたわけですが、
「大学の一講師が、そういう本を出すのはちょっとまずい」ということで、
ペンネームを使っていたため、誰も渡部さんの訳とは知らなかったようです。
私も、そうとは知らずに読んでいて、
「別の著者から、『潜在意識下に落とし込んだものは、実際に実現する』
ということを勉強した」と思っていたのですが、あとで同じ人だと知ったのです。
引用終了
ということで、大川総裁はジョセフ・マーフィーの本をよく読んでいたようです。
何歳ころから読み始めたのかは書かれていませんでした。
多分、社会人になってからでしょう。
これまで、ノーマン・ビンセント・ピールの『積極的考えの力』や
デール・カーネギーの『道は開ける』などを
愛読していたことは語っていたが、ジョセフ・マーフィーの本もよく読んでいたようです。
こういう、ニューソート系の本やセルフ・ヘルプの自己啓発書をよく読んでいることは
講演内容や著書からよく分かることです。
幸福の科学の教えの中にはこうしたニューソート系の教えやセルフ・ヘルプの教えが
多分に含まれています。
マーフィーの本を読んでみると、
幸福の科学で説いているのと同じようなことがかかれている。
高橋信次の霊言で、マーフィーを裏側の仙人のように言っていたので
私はマーフィーに対して警戒して読むのを控えていたのだが、損をした。
大川総裁はごく最近までマーフィーの本をよく読み影響を受けていたことを隠されていた。
デール・カーネギーの『道を開く』や
ノーマン・ビンセント・ピールの『積極的考えの力』については
早い時期から読んでいることを表明していたのに。
なかなか明かさず隠していただけ、それだけ影響が大きいかったのだろうと思う。
幸福の科学の理論の源泉の一つにマーフィーは多大な影響を与えていると思う。
大川総裁のニューソート的な思考の中では
マーフィーの影響が一番大きいのだろうと思います。
マーフィーの理論、
主著『眠りながら成功する』などに書かれているのと同じような内容が
幸福の科学でも説かれています。
どこから来ているのかと思っていたがマーフィーから来ていたのだ。
しかし、大川総裁が渡部昇一氏を称賛していることは知っているが、
同時に渡部氏のペンネームの大島淳一氏の著作も愛読していたとは。
そして、霊能力がありながら
大島淳一氏が渡部氏のペンネームであることが分からなかったとは
どういうことかと思います。本当に霊能力があるのだろうかと疑問にも思う。
マーフィーといえば日本では最初にマーフィーを紹介した大島淳一氏こと渡部昇一氏、
マーフィーの愛読者で銀座まるかんの創業者で高額納税者の”変な人”
斎藤一人氏が思い浮かぶ。
それにプラスして幸福の科学の創始者大川総裁も入るこことなろう。
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幸福の科学では「与える愛」ということを言っている。
「与える愛」というからにはその他の愛があるということで
対局のものには「奪う愛」「縛る愛」というのもある。
ちなみに愛には[本能の愛」「愛する愛」「生かす愛」「許す愛」「存在の愛」というのがあり
順番に高度になっていく。
「愛する愛」とは子が親をに対する愛、親の子に対する愛、兄弟に対する愛、
男性の女性に対する、女性の男性に対する愛と、友人に対する愛、隣人に対する愛
社会に対する愛、共同体に対する愛など
その人が当然関心を持ってしかるべきものに対する愛だ。
その人が関心をもってしかるべきものに対して好意を与えるというのが愛する愛だ。 「愛する愛」はすべての人に期待できる愛である。
と言っても、 男性の女性に対する、女性の男性に対する愛といっても 個別の対象によって様々であろうし、
友人に対する愛、隣人に対する愛に対しても個別の対象によって様々だと思うので あまりに一般化していると思う。 「生かす愛」とは導く愛であり、
才能と努力によって人を導けるまでに自分というものをしっかりと作っていた人が
人を生かすことです。
生かす愛とは導く愛です。 その愛の実践の前提として、まず、優勝な人格を築いておかねばならない。 「生かす愛」は知性の愛であり、理性の愛です。
高き知性によって、人間と社会の本質を見抜き、優れた理性によって、
その問題解決のメスをふるうことができる人が、真に人を導くことができる。
許す愛、存在の愛は一般の人間には高度な形態なのでここでは省きます。 愛にも両面がある。
愛も、間違えば人を縛ってしまうことになる。
また、人に優しくすることもできれば、人を苦しめることもある。
この両面の愛があって天国と地獄をつくっていく。
ただこの場合、気持ちとしては善意であり、相手に良かれと思って行うのだが
実際に相手の為になるかどうかは分からない。
何でも善意であれば良い結果を伴うというものではないのだ。
やり方やタイミングなどを間違い、かえって逆効果、相手を悪くする場合もあるのだ。
自分が相手に感謝されるどころか逆効果で憎まれたり軽んじられたりすることもある。
こういう愛とは主観的であり、いわば自分の勝手な思い込みであるとも言えると思う。 この辺りは生かす愛ではなく愛する愛の段階であろう。 幸福の科学では愛について見返りを求めない愛、無償の愛、与える愛を提唱している。 しかし、実際は何も見返りがないのではなく、 愛を与えた相手から見返りを求めないということであって
神からの見返りが来るということになる。 神からの見返り、それは愛を与えれば自分が神近き人間になっていくということだ。 高度な霊的な観念ではそういうことはあるかもしれない。 でも、この見返り、神近い人間になっていくというのは いわば、より無償の愛を好む人間になっていくということで
より非人間的になっていくということだ。
これでは堂々巡りだ。
人間離れをした行為がより人間離れをする人間になっていくということだ。
霊界で高みに達していくという。
世俗に報いを求め、望んではいけない。霊界での報いを求めよ。
しかし、一般の世俗的な人間ではそういう考えはむつかしいと思う。 見返りを求めないのではなく、 見返りを求めて愛を与えるというのが普通で常識的ではないだろうか。
「情けはひとのためならず」ということわざがある。 なさけをひとにかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。 人に親切にしておけば、必ずよい報いがある、という意味だ。 見返りを求めてはいけない、見返りを求めては真実の愛ではない、 偽りの愛であるというのはあまりに厳しい、非人間的な教えではないだろうか。
自分の愛が相手に伝わり、その見返りがあると思うからこそ愛を与えるというのが 普通で常識的な発想である。 行ったことの報いがあると思うからするというのが普通の発想である。 もちろん、見返りが何もないのではなく、最終的には神からの見返りがある。 つまり、見返りはあるのだが、相手からではなく神からである。 神近い人間になることが神からの見返りだそうだ。 しかし、これはあまりに観念的で確認できるものではない。 だから、行ったことの見返りを求めない、見返りを求めてはいけない、 見返りを求めないで行為せよというのは、非人間的なおかしな考えではないかと思う。 目的合理的に、見返りを求めて、 見返りがあると思うからこそ行為するというのが常識的な考えであろう。
「情けはひとのためならず」、「恩を与えれば返ってくる」、というのが正しい発想だと思う。 Give & Take、「貸し借り」というのが正しい、常識的な発想だと思う。 無償の愛、自己犠牲の愛というのは非人間的だ。 上座部仏教国のタイではタンブンという考えがある。 タンブンとは徳を積むことというような意味になります。 タイの民衆はなぜ熱心に僧の托鉢に応えるのか 「 タイ研究の第一人者であった石井米雄氏は、タイ民衆の仏教理解に幾つかの特徴を指摘している。 それは、ブン(功徳、善行)の観念を軸とした因果応報、善行と悪行のバランスシート、 輪廻転生、ブンの「転送」などである。 これらのキーワードに沿って在家者の仏教をみていこう。 ◇◇民衆の信仰は因果応報 タイの在家仏教の基本思想は「タムディ・ダイディ、タムチュア・ダイチュア」 (「善行をなして善果を得、悪行をなして悪果を得る」)の一言で示される因果応報観にある。 この、善行の結果として得られ善果をもたらす因子を「ブン」(功徳)といい、 反対に悪行の結果として悪果をもたらす因子が「バープ」(罪障)である。 人は日々の行為でブンかバープのどちらかを積む。 だから、人はそれぞれ自分のブンとバープとの バランスシート(貸借対照表)をもって生きることになる。
そのバランスシートの帳尻が、その人の現世と来世の運命を決めるのである。
」 やはり、こうした考え方のほうがまともだと思う。 |


