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ムー大陸というとイギリス人のジェームズ・チャーチワード(1851 - 1936)が
書いた書籍が本になっています。
『失われたムー大陸』(英: The Lost Continent of Mu、1931年ニューヨークで出版)
『ムー大陸の子孫たち』(英: The Children of Mu、1931年)
『ムー大陸の聖なるシンボル』(英: The Sacred Symbols of Mu、1933年)
『ムー大陸の宇宙力』(英: Cosmic Forces of Mu、1934年) wikipedia 「ムー大陸」より
「
彼は『失われたムー大陸』(1926年刊)等の一連の著作で、
太陽神の化身である帝王ラ・ムーを君主とした帝国が全土を支配し、
白人が支配者である超古代文明が繁栄していたが、
神の怒りを買い、一夜にして海底に沈没したと主張した。
」
と、幸福の科学でおなじみの大川氏の本体の前世のラ・ムーの起源はここにあるようです。
チャーチワードの本が出典のようだ。
「
神智学系の多くの書物において、
ムー大陸=レムリア大陸説が主張され、
その位置については太平洋にユーラシア大陸と同位の大陸が存在したと説かれる。
また、文明の指導者ラ・ムーについて言及され、
彼に従った人々は沈没滅亡を免れ、
日本人(及び極東)やネイティブ・アメリカンに繋がる祖先になったと説く
」
神智学系統の本でもムー大陸、ラ・ムーのことは説かれているのでしょうか?
だいぶ昔、チャートワードの『ムー大陸の子孫たち』をぱらっと見たことがありました。
日本人の起源はムー大陸で、
沈没前にムー大陸の王族や貴族など身分の高い人が渡って来た
と書いてあったように思います。
また、日本の日章旗の紋章ですが
あれもムー大陸の何か忘れたが紋章か旗が元になっていると
書かれていたように思います。
幸福の科学では何かの本で日本人の起源はムー大陸であるとか言っていたと思います。
それも、この『ムー大陸の子孫たち』で書かれていたことと同じではないですか。
チャートワードが昔語っていたということを書き添えてほしいですね。
2013.12.20 追加
ジェームズ・チャーチワードは1926年に『失われたムー大陸』を出版。
以後、1934年までに
『ムー大陸の子孫』『ムー大陸の聖シンボル』『ムー大陸の宇宙原動力』
『続・ムー大陸の宇宙原動力』を発表した。
1968年に旧・大陸書房から『失われたムー大陸』が出版された。
以後、『ムー大陸の子孫たち』『ムー大陸のシンボル』『ムー大陸の沈没』が出された。
訳者は小泉源太郎氏だ。
この翻訳は今風で言えば”超訳”にあたるかなりアレンジを加えた翻訳だそうだ。
この翻訳はかなり圧縮して翻訳されているそうだ。
また、記述を入れ替えたり、差別的表現の削除や言い換え、
原文にない解説的な加筆や訂正をほどこした箇所が頻繁に見られるそうだ。
原書では日本に言及されている箇所は少しだけだそうだ。
日本がムー文明の真髄を最もよく受け継いだ国とか、
日本人はムー人の最高の末裔とか
原書ではそこまではっきりと断言した箇所はないそうだ。
また、原書ではチャーチワードの日本(人)観はかなり噴飯ものだそうだ。
『失われたムー大陸』(小泉源太郎訳 角川春樹事務所 ボーダーランド文庫)の
南山宏氏の解説を参照
この本は1968年出版の『失われたムー大陸』の復刻版です。
上記の本の中で「ラ・ムー」の記述を探しました。
第2章 輝ける太陽の帝国のなかに記述はあった。
P59
「
人民は国王を選出し、”ラ”と称した。
なお国王は”ラ・ムー”と称されて、最高の神官、法王も兼任した
」
(『ラサ記録』その他)
P59
「
ラ・ムーは宗教上の最高神官で、天帝の代理者だった、
ラ・ムーは神の代理者である故に、
神として敬うことは禁じられ、このことは一般人民にもよく教え込まれていた
」
(『トロアノ古写本』)
P62
王位継承者は、何世代も前から国民によって選び出され、選ばれた者は名前に”ラ”-
すなわち太陽の称号を冠される。この王位継承者は宗教上も最高の司祭、法王となる資格を持っている。
そして、やがて”ラ・ムー”となり、政治的、宗教的に最高の位置に立つことになる。
『トロアノ古写本』は大英博物館所蔵のユカタン半島の古代マヤ族によって記録された古記録。
『ラサ記録』はチベットの古記録。
2013.12.27 追加
『ムー大陸の子孫たち』の中で日本について述べられている箇所を調べた。
引用
『ムー大陸の子孫たち』(小泉源太郎訳、大陸書房 昭和61年新装版)
13章 生きているムーの末裔 P300
「
謎の民族日本人の祖先
日本-この国の民族の起源くらい、謎に包まれたものはない。
一般に日本人はモンゴル系だと思いこまれている。
しかし、白人と黒人とが相違するほど、日本人とモンゴル人とはちがっている。
彼らは、島国という条件もあって、
ムー大陸の民族の血を、かなり純粋に保ち続けている民族なのだ。
ムー大陸の西方植民線の中に、マレー諸島に向ったキチェ・マヤの一団がある。
彼らはマレーに根をおろしたが、
その中から、なんらかの理由で北方の島々へと向った者たちがいる。
彼らは、狭いが住みよい陸地を見つげて、そこに植民地をつくった。
それが日本人の祖先である。
日本人の神話を見ると、非常に南方系民族の、
特にマレーからインドネシアにかけての伝説に似ているものが多い。
そのことは日本人自身も認めていることである。
さらに、日本人は、古来、稲を常食としているが、稲作の起源は南方にある。
彼らの祖先がマレー諸島から北方の島々へと渡っていったのも、
この稲に原因があったのかもしれない。
稲作の適地を求めて、島から島へと伝い行くうちに、日本を見つけたのではなかろうか。
従って日本人は、その島に着いたときから、
高い文明一人類最初の大文明の所有者であった。
この文明の名残りは、現在生きている日本人の中にも流れ続けてきているはずだ。
現在、日本人はあらゆる点で現代的であり、
地球上のあらゆる民族の中でも最も開けた民族の一つに数えられる。
しかし彼らは、自分たちの文明がこのように発達したのは、
近々五十年か六十年の間のことだと思っている。
それより前、たとえば百年前をふりかえってみよう。
そこには一万五千年前からのムー大陸の文明の残影を見ることができる。
日本の古い王たちは、
自ら「日輪」を旗じるしとして太陽の子ームー帝国植民地の支配者たることを自認した。
「強き航海者」たるマヤ族の子孫たちは、
この旗を立てて、東西へ、南北へと大洋を往来した。
現在、日本人が用いている「光線ある太陽の旗」が、
往時、太陽の帝国ムーの王朝の紋章楯に用いられた表象に由来することは、
一見して明らかである。
日本人の伝説のうち、最も有名なのは岩窟の中に「かくされた太陽」の話だが、
これは南方の諸島の住民たちが言い伝えている伝説と共通しているとともに、
キチェ.マヤの東方植民線に属する中南米の伝説とも話の本筋において一致している。
そのほか、日本人の宗教観、風俗習慣の中に
ムー大陸の文明との関連は、非常に数多く見られるが、
それらも彼ら自身によって次第に忘れられていこうとしている。
キチェ・マヤ族とアイマラ族によって建設され、
キチェ・マヤ系の言葉が公用語として用いられたインカ帝国の言葉が、
日本語と非常に似ていることはいうまでもない。
日本語の四十八パーセントまでがキチェ・マヤ系だということができる。 」 |

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