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この写真は以前にも載せましたが、昨年自分が撮った写真の中で、とても気に入っている写真の一枚です。 抗議行動の一幕ですが、 参加した人<ひとり、ひとり>の強い意思が写っている(と思います)。 <ひとり、ひとり>のプラカードを高く掲げている両腕の力が写っています(と思います)。 <ひとり、ひとり>が街行く人に訴えています(と思います)。 プラカードの文章も好きです。 隣の人との間隔も好きです。 昼食時間とも重なって、この廻りは「見物」の会社員であふれていたのを思いだします。 この日は、20名ほどの行動でしたが、闘いは決して数だけではないことを示した一日でもありました。 こういう闘い方が理想です。 今、大きな労働組合は「動員費」といわれる、活動や行動に組合員が参加すると一定のお金を支給します。会議にでるだけでも支給する労組もあります。 僕は大きな労働組合が堕落したたくさんある理由の一つにこの「動員費」があると思っています。 人々の魂にふれるつまり権力者が怯える労働運動、民衆運動、学生運動、農民運動・・・・百姓一揆、秩父困民党の闘い、三池の闘い、水俣の闘い、安保闘争、70年代闘争、三里塚農民の闘い・・・・・・・ ・・・フランス・韓国・アメリカのゼネストに「動員費」などあるはずがありません。 「動員費」を支給されてのプラカードを掲げる腕に高く掲げる力は入るはずがないと思います。
<ひとり、ひとり>の闘いをもっともっと作りたいものです。 |
良い労働組合と悪い労働組合
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少し前は木の棒に画用紙で張って持っていましたね。 今思えば確かに、恥ずかしさと貧乏くささがあったような気がします。 もっと理想は半分お祭り的なものだろうか?と考えるのですが。 ちがうか!?
2006/10/19(木) 午後 4:29 [ kyoro ]
kyoroさんへ 「理想は半分お祭り的なものだろうか?」 なかなか、考えたいテーマですね。 お祭りは、もともと民衆のものです。明治維新革命と結びついた「エージャナイカ」は有名ですが。 ストライキもメーデーも「労働者のお祭り」であることは間違いありませんが、一方で「○旗祭り」などという作為的なものは、今でも全国のあちこちに残っている祭り本来が持っているであろう爆発的・暴力的?解放感を持つ「祭り」とは違う気がします。 コメントに感謝します。
2006/10/19(木) 午後 10:00 [ jan*al*1*18 ]
同感!!私もず―っと動員費や弁当代を拒み続けて来ました。ちょっと頑なすぎかと自信をなくしかけていましたので、嬉しいです。あらためて写真を見ると、更にいいです。本当の祭りの熱気に、一度でもいいから打たれてみたいです。
2006/10/21(土) 午前 10:47 [ hanaibara ]
「私もず―っと動員費や弁当代を拒み続けて来ました。」 すごいです。中々できることではありません。 <本当の祭りの熱気> 今年のフランスはまさにそうでしたね。
2006/10/21(土) 午後 7:47 [ jan*al*1*18 ]