労組法も労基法も憲法も、そして8時間労働制も決して上から与えられたものではないのです。このような圧倒的多数の先輩労働者の血のにじむ闘いがあったからこそです。
まさに<労働者は必ずたちあがる>のです。
<女工哀史>に抗した女性労働者2062名の決起!
下の記事は、1930年10月26日の亀戸、東洋モスリン争議に関連する当時の新聞記事です。
私たちの同じ下町でこれほど大きな争議を先輩労働者が闘っていたことを、今ではほとんどの人が知りません。
この年の9月26日、文字通りの<女工哀史>に抗した女性2062名を中心とする3千名の東洋モスリン労働者がストライキに突入します。労働者は寮と工場に籠城します。
全国の労働組合が支援に立ち上がり、10月24日には亀戸市内で『東洋モス争議団が演じた夜の戦闘的大デモ計画は今後も他の争議に応用される惧れがあり、昨夜の如く大衆が一時に殺到した地域が広汎に亘る』大デモを敢行し、24・25日と警視庁の弾圧で300名が逮捕されます。ストライキは11月19日まで果敢に闘われます。
記事は、当時の政府・警視庁の『徹底的に弾圧の方針を執るべく・・・戸外一歩を出る者は片端しから検束している』
などと現在のビルマ(ミャンマー)ごときの弾圧の有様をリアルに書いています。
が、それ以上に僕が感動するのは、これほどの弾圧にももかからわず当時の何千という多数の先輩労働者が職場でストライキを闘い、全国の労働者が続々と亀戸市内に結集し、激しい闘いに決起しているという事実です。しかも決して東洋モスだけではないのです。
この年、
同じ亀戸の第一製薬亀戸工場で43名が10月26日から11月19日までのストライキ。
隣の墨田の鐘紡工場では3097名(女性2396名)の労働者が4月7日から17日までストライキ。
前田鉄工では190名が5月3日からなんと9月3日までストライキを闘います。
葛飾の城東電車では160名が10月1日から31日までのストライキ。
葛飾本田の大和ゴム製作所(今でもあります。引越しはしましたが)では女性100名を含む270名が10月26日から11月19日までストライキ。
等々とみな立ち上がっています。
皆さん気がつきましたか?
第一製薬と大和ゴムが東洋モス争議とまったく同じ時期です。25日の弾圧の翌日からのストライキ突入です。まさに連帯ストライキです。抗議ストライキです。と僕はかつてに解釈しています。
労組法も労基法も憲法も、そして8時間労働制も決して上から与えられたものではないのです。このような圧倒的多数の先輩労働者の血のにじむ闘いがあったからこそです。
まさに<労働者は必ずたちあがる>のです。
以下当時の新聞記事 時事新報 1930.10.26(昭和5)より
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東洋モス争議団へ果然弾圧方針を執る
首謀者十数名の行方を厳探
検束者は亀戸署へ-
亀戸東洋モス騒擾事件に就て警視庁では事件を極めて重大視して二十五
日早朝鑑識課員、労働係員を現場に派して実地検証に当らしめ、一方検
束したる百八十六名に就ては亀戸、両国、久松、西平野各署で厳重取調
べを進め直接関係のないものは続々釈放し、暴行又は煽動的行為のあっ
たものは引続き留置し、昨夕全部亀戸署に移して本調べに移った、一方
首謀者と目される茅野真好外十数名は警察隊と衝突の際行方を晦まして
いるので厳重捜査中である尚警視庁では午後東洋モスの争議団員に対し
ては徹底的に弾圧の方針を執るべく争議団員、及び大衆党員にして戸外
一歩を出る者は片端しから検束している
騒擾罪と決す 警視庁の合議で検事局と意見一致
警視庁では二十五日午前十時から丸山総監を中心に小林官房主事、上田
特高課長、芥川労働係長等総監室に集合鳩首取調方針に就て協議したが、
に騒擾を暗示しているから当然騒擾罪として取調べる事に一決検事局と
意見一致し検事局では平田検事が騒擾罪として取調を進めている
大争議の新警戒法 各署から召集二三百名駐在
東洋モス争議団が演じた夜の戦闘的大デモ計画は今後も他の争議に応用
される惧れがあり、昨夜の如く大衆が一時に殺到した地域が広汎に亘る
場合制止に当る応援巡査の召集に一大苦心を感じ、召集に応じた者は突
然大衆に直面するため種々の手違いを生ずる場合があるので、警視庁で
はこれを防止する方法を講究しているが今後は東洋モスの如き大争議が
ある場合は各署から十数名宛を召集二三百名として争議区域に駐在せし
め、警戒に当らせることに決定した
これがあれば駐在警官は争議の経過を知悉して取締れると云うのである
各署に取締りの通牒
洋モス争議に関し、二十五日午前警視庁官房主事より、各警察署に対し
取締手配の通牒を発した、これは洋モス争議団員が二三日前から、連日
洋モスと取引関係のある安田銀行各支店へ不穏ビラを撒布したり、或は
下町方面の人家へ瓶入の薬物を投込んでいる事実があった為めである
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佐多稲子の「キャラメル工場から」の頃でしょうか。いままた、あのころのことを知っておく必要がありますよね。よく調べましたね。
2007/10/30(火) 午後 8:24 [ 花茨 ]
雨宮かりんさんのブログ「すごい生き方」の今年の6月6日で、下の文章を見つけました。おそるべし雨宮かりん!
*すばる7月号で原稿、書いてます。・・・・「プロレタリア文学の逆襲」という特集にて、「『女工』『季節工』『新難民』」という原稿を書かせて頂きました。佐多稲子の「キャラメル工場から」と宮本百合子の「貧しき人々の群」などプロレタリア文学を読み、現代のプレカリアートな状況と照らし合わせております。
2007/11/1(木) 午前 4:07 [ jan*al*1*18 ]
亀戸に8年住んでいます。
この街には労働闘争史にその名を残すほどの歴史があることを別の機会で知り、実際にどこで何があったのか知りたいと思ってました。
良い記事をありがとうございました。
2008/5/18(日) 午前 4:54 [ と_ ]
はじめまして。
埼玉県で戦前から活動していた庄子銀助の歴史を調べているものです。
先日、実家の倉庫を整理していたら、銀助に関するパンフレットが発見され、その中に「1930年10月 東洋モスリン亀戸工場ストライキを指導、検束」とありましてキーワードを打ち込んだらこちらのサイトにたどり着きました。
なかなか当時のことについて調べるのは大変困難ですが、非常によく調べてらっしゃって参考にさせていただきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
2011/11/8(火) 午後 0:27 [ 銀助 ]