|
1930年(昭和5年)の大恐慌時の鐘紡争議
1929年10月24日暗黒の木曜日から不況のどん底に落ち込んだ世界資本主義社会。賃下げ、解雇の嵐が吹き荒れた。これに抵抗する労働者は全国的に立ち上がり、果敢なストライキを繰り広げた。横浜ドックでは賃上げ、最低賃金の決定、退職手当の増額を要求し全労働者が10日間のストライキに決起し臨時工の一部社員化も含め勝利した。東京交通労働組合が結成された。12月5日人件費の削減に反対して抜き打ちストライキに突入。一旦は勝利的解決を勝ち取ったが当局の巻き返しに4月20日ふたたび全面ストライキに突入。6日間闘いぬいたが敗北した。 1930年に入るとますます失業者は増大し250万人に及んだ。労働争議が激増する。30年には2289件、19万1805人が争議件数と参加者数だ。その多くが、「賃下げ反対、解雇反対」という切羽詰まった理由からだ。2500名の「東洋モスリン」大争議や鐘ヶ淵紡績(鐘紡)が有名だ。 鐘紡争議。 全国で36工場。労働者3万6千人の日本最大の紡績会社。欺瞞的な「家族主義」「温情主義」をとなえ争議ゼロを誇っていた鐘紡。しかし、4月5日、世界恐慌を理由とした23.6%もの大幅賃金切り下げを発表した。 籠城闘争・ストライキが先行した鐘紡争議 4月9日大阪淀川工場で女工たちが賃下げ撤回を要求して決起した。自発的工場籠城闘争だ。この自発的ストライキはたちまち全国各地の鐘紡の工場に飛び火した。京都・兵庫・東京・熊本・・・。その中ではじめて労働組合が結成された。労組結成が先ではなく、労働者のたたかい、大衆闘争が先行したのである。 鐘紡の2か月に及んだ全国的ストライキは、6月4日実質勝利とストライキ参加者の職場復帰を勝ち取り終わった。 この年は、富士瓦斯紡績(富士紡)でも大争議がおきた。川崎工場3000名に378名の解雇が通告され、争議に入った。11月にストライキに突入。有名な「煙突男」のたたかいもあり、11月21日勝利した。http://blogs.yahoo.co.jp/cyoosan1218/archive/2008/05/20 資本家による無慈悲な解雇や賃下げ・失業への民衆の不満・生活危機への怒りと必死な闘いに対し、政府・資本家階級は侵略戦争とファシズムの完成へと突き進むことで最大の巻き返しをはかる。29年3月5日治安維持法に反対しつづけた国会議員山本宣治が暗殺される。31年満州事変、中国侵略の拡大と労働組合の右傾化だ。 しかし、労働者民衆は果敢に闘い続ける。 31年。この年も労働争議は激発する。2456件、ストライキ件数も864件と戦前の最高となった。 芝浦製作所、住友製鋼所、陸軍火薬製造所、川崎造船所・・・。 全国の炭鉱労働者もストライキで呼応した。高雄炭鉱では坑内籠城闘争とハンストの「モグラ戦術」で激しい闘いが行われた。 東京製パンなど中小企業労働者の決起も激しくなる。 |
先輩たちのたたかい
[ リスト ]





このような先輩者が築き上げた団結の重要性が今希薄になってきています。権力側の上手い手腕にまんまと乗せられた最近の傾向があります。今こそ団結して政府を動かす時です。沖縄から北海道まで連帯して物言える労働者の声を響かせる時だと思います。
2010/4/3(土) 午後 6:12 [ yuu*a2*miki** ]
昭和5年のたたかいの写真は、大変な迫力ですね。
大いに近現代の真実の歴史を学び、労働者が主人公の人間らしい労働と暮らしをめざして、大いに連帯を広げましょう!
転載させていただきます。
2010/4/6(火) 午前 0:40 [ 人権NGO言論・表現の自由を守る会 ]