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--天野祐吉さん―
政府広報というのは、本来、政府からの「お知らせ」です。 が、これは明らかに「行政広報」じゃない、「意見広告」です。 それも、原発推進のための一方的な意見広告です。 「原発反対の人も国民の中にはいっぱいいるのに、 こういう一方的な広告を、 それも国民の税金を使ってやるのはおかしい、憲法違反だ」 という意味のことを、 当時、小田実さんは「広告批評」に何度も書いていました。 が、こういう広告の圧倒的な攻勢に押されて、 反対意見はかすんでしまいました。 それはともかく、 福島第一原発の大事故があったばかりなのに、 いままた原発は安全だからと、 経産省は日本各地で休止中の原発の運転を再開しようとしています。 そのうち、新聞にまた、こういう政府広報がのるかもしれませんよ。 「敦賀発電所」のところが「福島第一原発」と書き換えられて。 天野祐吉さんのツイッター@yukichiamanoから知りました。 写真は天野祐吉さんのブログ「天野祐吉のあんころじい(方言放言)」に載っていた写真から頂きました。1982年から86年にかけての政府広報の広告です。このブログの中で天野祐吉さんは<政府広報ってなんだ>の中で、↑の通り厳しい批判をぶつけています。 7月21日の朝日新聞「原発国家」は、中曽根康弘が秘かに核武装の研究を進めていたこと、日本の核武装のために必要なプラトニウムを2018年まで大量に保有する資格を得た、アメリカとの交渉過程を紹介しています。 今、反原発、脱原発のたたかいや声が上がれば上がるほど、こうして自民党と原発推進派の多くの闇が暴露されていきます。当然です。自民党に菅首相の原発対策を、偉そうに苛める資格など、全く無いことは、いまや誰に目にも明らかです。 私たち労働組合にも原発反対運動を強力に進めていた立派な先輩労働組合がありました。 有名な電産中国です。そしてこの電産中国の組合員ひとりひとりを、職場の中で、政府・会社と一体となって苛め、攻撃し、ついに解体させていったのは第2組合、御用組合の電労連、現電力総連です。 それはまさに感動の瞬間だった。中国電力が山口県ならびに豊北町に対して原発設置を申し入れたのは1977年6月13日のことだった。それから一年後の1978年6月8日、豊北町長の原発受け入れ拒否宣言をもって、この中国電力による画策が葬り去られたのだ。産業別労働組合の生き残りといわれる電産中国(日本電気産業労働組合中国地方本部)の、電力資本の飽くなき利潤追求に抗し、地域住民との厚い信頼関係を築き上げたことによる唯一の反原発労働運動の勝利の瞬間だったといえる。人類を、そして地球の全生物を破滅に導く末恐ろしい悪魔=原発の反対運動にようよう微力を傾注しはじめていた当事の小生にとっては、今もその感動の瞬間を忘れることができないでいる。電力会社に働く労働者が、自らの首を堵して企業の飽くなき利潤追求という反社会的暴走に歯止めを打つという、正当な役割を果たした数少ない例といっていい。 電産中国のような労働組合があっては資本のやりたいことの妨げとなるとして切り崩し攻撃にあい、労使協調路線という名の御用組合、即ち会社の方針にイエスマンで臨む第2組合を公然と結成させ、電産中国のようなチェック機能を果たす組合は解体させられていく。こうした電力会社の原発推進という反社会的動きに対して率先して従い、むしろその急先鋒を果たしてきたのが電労連という今日の民主党の一翼を担う旧民社党系の御用組合だったことはいうまでもない。東電をはじめとする各電力会社にあって、労働=生産構造にも正規労働ー非正規労働という格差を当然のこととして容認するこうした御用労組の体質こそが、まさに外に向かっても同様に、電気を享受する都市生活者ー滅亡する危険性を抱える、貧困に追い込まれた地域生活者という格差社会の再生産を平然と行って恥じないのだ。 (ブログ「ANDANTE」より) 反原発、脱原発のたたかいは、今や、すべての光と闇を社会的・歴史的に赤裸々に明らかにします。労働組合とリーダーも、決して他人事ではないのです。 |
たたかい
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原発のおかげで自分の家にも帰れないというのに。。。
いい加減にしろっ!といいたい!!
2011/7/23(土) 午後 11:06